食料安全保障と栄養改善
─ 農業の起源的な目的に向けて ─

独立行政法人 国際協力機構(JICA)           
農村開発部 農業・農村開発第二グループ 企画役 田中 理

1.はじめに

 国連食糧農業機関(FAO)から本年発表された“The State of Food Security and Nutrition in the World 2017”(世界の食料安全保障と栄養の現状2017)1)によると、世界で恒常的な栄養不足に苦しむ人口は2016年には8億人を突破した。また、慢性的な栄養不良の代表的な症状である子供の発育阻害(年齢に対する低身長)の割合は減少傾向にあり16年は22.9%であるが、今なお1億5500万人が、本来到達したはずの成長に至っていない。

 一般に、発育阻害は身体の成長を妨げるのみならず、その後の健康や学習到達度、労働生産性にも影響を及ぼすといわれ2)、「世界栄養報告2016」(国際食料政策研究所)によれば、アジアとアフリカでは栄養不良による経済損失はGDPの11%にも及ぶとしている。すなわち、慢性的な栄養不良は社会・経済の発展に重大な影響を来すものといえる。

 「緑の革命」により農業生産は飛躍的に拡大したにもかかわらず、現状をみれば、食料安全保障と栄養の状況が満足なレベルに達するには、さらなる取組が必要なことは明らかである。これを踏まえ、本稿は、食料安全保障と栄養改善に向けた、農業・農村開発のあり方について、国際潮流を追いながら考察していく。


2.「緑の革命」と栄養

 1940年代以降、半矮性(わいせい遺伝子の活用による奇跡のコメ、奇跡のコムギといった高収量の近代品種の開発とその他の農業技術の革新などによる「緑の革命」を通じて、アジアでのコメ、中央アメリカとアジアの一部地域におけるコムギの増産が達成された。FAOは、1960年代から80年代にかけて主要穀物の生産量が年率平均2〜3%で増大したと算出している。コムギの収量の1%増は1ha当たり100kg前後の収量増に等しいとされ3)、当時の農業生産量の増加がいかに急激なペースであったかが分かる。

 他のFAOの調査でも類似の結果が示されていて、1990年代後半までの半世紀弱の間に、アジアではとくにIR系統品種の導入によって、コメの生産量が2倍以上となっていることが確認されている。その間の人口増加はほぼ1.6倍であった4)ことを踏まえると、この新品種はマクロ的にみればアジアにおけるコメの自足に大きく貢献したといえる。

 しかしながら、アフリカでは、頻発する政治混乱や資金不足などにより、新品種の導入や生産設備の改善の進捗は芳しくはなく、1980年代のエチオピア飢餓に代表されるような食料問題は発生しつづけた。たとえば、表15)のとおり、サブサハラ(サハラ砂漠以南)・アフリカでは、農業分野の研究開発への公共投資の増加率は2000年まで世界平均を下回り、農業技術開発における財政負担能力の限界が推察される。くわえて、1970年以降の30年間に、人口は急激に増加して2.3倍にもなった6)

表1 「農業分野研究開発」における公的支出の増加率 (単位:%)
表1 「農業分野研究開発」における公的支出の増加率
出所:Pardey, Chang-Kang and Dehmer, 2014

 また、食料安全保障と栄養改善は農業生産の増加だけで達成されるものではない。図1に見られるとおり、家庭収入の少ない国においては発育阻害の発生割合は高いが、さらに特徴的なのは、貧富の差が大きい国ほど、その割合が一段と高いことであり、貧困が慢性栄養不良に密接に関係しているものと判断できる7)

図1 家庭収入の5分位別の5歳未満児の発育阻害の割合
図1 家庭収入の5分位別の5歳未満児の発育阻害の割合
注:最富裕層に次ぐ第2位層、および中位層に次ぐ第4位層は割愛されている。
出所:The Demographic and Health Surveys (DHS) Program

 図28)と図39)はそれぞれ、国別のエネルギー摂取不足状況、識字率を示したもので、識字率の低い国ほどエネルギーの摂取状況が悪いことが見て取れる。とくに、母親の教育レベルが、子供の栄養状態に深く関係していることは広く認識されている。国を問わず、高等教育を受けた母親の子供が発育阻害に陥る率は総じて低く、基礎教育を受けていない母親の子供の半数以上が発育阻害となっている国も存在している10)

図2 食料不足の深刻度(2011)
図2 食料不足の深刻度(2011)
注:当該国の食料の総不足量の推計値を人口で割って算出したものであり、
低栄養状態を脱するのに必要な摂取エネルギー量を示す。
尚、図3の国別識字率との相関を示すために、同様に2011年の数値を示すものである。

図3 国別識字率(2011)
図3 国別識字率(2011)
注:CIA Factbook(2016)による、2011年あるいは最新の国別識字率である。

 1990年の発展途上国での子供の発育阻害の割合は平均44%を超え、世界保健機関(WHO)が「非常に多い」とする40%を超えていた。なかでも、アフリカは40.3%、アジアは48.6%と極めて高かった。その後、アジアでは飛躍的に状況は改善し、2015年には22.9%まで下げ、その絶対数は1990年の1億9000万人から8400万人へと半分以下になったと推定されている。しかしながら、アフリカにおける改善のスピードは人口増加に追い付けず、15年の発育阻害の割合は37.6%に高止まりし、その絶対数は4500万人から6300万人へと、むしろ増加したと推定されている11)

 アフリカにおける食料と栄養の課題は、これまで述べてきた農業生産量増大の難しさに加え、少なからず、その他分野の課題にも起因しているものと想定される。

 食料安全保障と栄養改善のためには、食料増産の技術革新のみならず、政府レベルでの財政健全化や家庭・個人レベルでの収入向上、教育の改善、そして当然ながら栄養吸収を可能とする身体の健康維持・増進など、食料生産以外の複数セクターにおける取組が必要となっている。


3.食料安全保障と栄養改善

 国連児童基金(UNICEF)は栄養の問題構造を1990年に図式化(図4)し、「子供の低栄養」は、「不十分な食事摂取」と「疾病」が2つの直接原因としている。これらの背後には、食料入手の不足、保健サービスと衛生環境の不備、それに子供と女性のケアの不適切さがある。さらに、これらの要因を分解していけば、社会構造や経済発展度、政治体制など広範な影響要因が存在している。前述のとおり、貧困や親の教育レベルが子供の栄養状態の決定要因になっていることも、UNICEFは説明している。栄養の改善は、食料供給のみによって実現されるものではなく、保健をはじめとし、教育、水・衛生、社会保護(貧困救済)、経済開発など、複数の分野がかかわって、それぞれが一定のレベルを満たしたときに、はじめて達成される。

図4 子供の低栄養コンセプト図(UNICEF)
図4 子供の低栄養コンセプト図(UNICEF)
)

 1974年の世界食料会議で、アフリカで続く飢饉(ききんを目の当たりにした、当時のアメリカ国務長官キッシンジャーの「10年以内に、空腹のまま眠りにつく子をなくす」という言明は有名であるが、彼の言葉から、当時、食料安全保障は食料供給に重きが置かれていたことがわかる。

 その後、これも前述のとおり、食料増産が必ずしも人々の食料・栄養問題を十分には解決していない事実を踏まえ、1996年の世界食料安全保障に係る世界サミット(世界食料サミット)で採択されたローマ宣言では、食料安全保障を次のとおり定義している;食料安全保障は、全ての人々が、常に活動的かつ健康的な生活を送るために必要な食事と食料の選好に見合う、十分な量の安全で栄養のある食料に対して、物理的(および社会的12)かつ経済的アクセスを持つときに達成される。

 なお、このときにFAOは、上記定義と合わせて、その分析に有効なツールとして食料安全保障の4つの側面を次のとおりとしている;①十分な量の入手可能性、②物理的(社会的)、かつ経済的アクセス、③摂取、④(①〜③の)安定性13)。1996年の世界食料サミットは、食料の供給やアクセスに加え、摂取の観点が食料安全保障に取り込まれたという点で、重要なターニング・ポイントとなったといえる。

 2000年代に入って、食料安全保障と栄養を巡る国際的な議論が一段と頻繁に展開されている。医学誌 Lancet は2008年と13年に母子栄養特集を企画し、とくに08年の特集では、妊娠から2歳までの「最初の1000日」の栄養が人生に大きな影響を及ぼすことに焦点を当て、政策に栄養プログラムを積極的に統合していくことを提唱し、また、マルチセクター・アプローチ、国際機関、二国間開発協力機関、研究機関、市民団体、民間企業による連携について呼びかけた。

 国際場裏においては、国連と密接に連携した栄養改善推進運動「Scaling-Up Nutrition (SUN)ムーブメント」が2010年に発足、12年のWHOの総会では25年を目標年とした、次のような栄養指標(グローバル・ターゲット2025)が設定された;①5歳未満児の発育阻害人口を40%減らす/②出産可能年齢女性の貧血を50%減らす/③低体重出生を30%減らす/④子供の過体重を増やさない/⑤生後6か月間の母乳哺育実施率を50%に上げる/⑥子供の消耗症を5%未満に減らし、維持する。

 さらに、2013年にはイギリス政府によりNutrition for Growth(N4G)サミットが開催され、20年までに発育阻害児を2000万人減らすことを目標に合計230億円の資金アピールが発表された。N4Gサミットは、その後、16年のリオ・デジャネイロ・オリンピックに合わせて開催され、東京でオリンピック・パラリンピックが開催される20年に日本政府により開催されることが期待されている14)。また、15年に国連総会が「持続可能な開発のためのアジェンダ2030」を採択し、このなかの「持続可能な開発目標(SDGs)」の2番目に「飢餓の撲滅、食料安全保障と栄養改善、持続可能な農業」が設定され、翌16年には「栄養のための行動の10年」を発表するなど、栄養改善に対する国際的な注目度が加速度的に上がりつつある。

 先述の食料安全保障は、「食料への物理的、社会的、経済的アクセスを持つこと」と定義される一方、栄養改善のためには、UNICEFは、食料アクセスに加えて、保健衛生と子供や女性のケアといった要素が不可欠であるとしている。これらの議論を踏まえ、2012年の世界食料安全保障委員会は、食料安全保障の定義に手を加える形で、「食料と栄養の安全保障」を次のとおり定義し、そのマルチセクター性が強調されている;食料と栄養の安全保障は、全ての人々が常に、必要な食事と食料の選好に見合う、安全かつ十分な量と質をもって摂取される食料に対して物理的、社会的かつ経済的アクセスを持つときに達成され、十分な衛生と保健サービスとケアのある環境に支えられて、活動的かつ健康的な生活を可能とする(下線筆者)。

 1990年にUNICEFが子供の低栄養の直接原因の1つに「不十分な食事摂取」を挙げ、96年の世界食料サミットを経て、20余年の間に、食料安全保障のなかに栄養が位置付けられ、「摂食」の側面、および、これに係るマルチセクター性の認識が強化され、その推進が世界的に急激な加速を見せている。


4.IFNAの発足と日本の経験

 こうした潮流を踏まえ、国際協力機構(JICA)は、アフリカ開発のための新パートナーシップ事務局(NEPAD)とともに、アフリカ各国の栄養改善政策を現場レベルで実現していくことを支援する国際枠組みを構築することを目的とし、2016年8月、ナイロビで開催された第6回東京アフリカ開発会議(TICAD VI)において、「食と栄養のアフリカ・イニシアチブ(IFNA:Initiative for Food and Nutrition Security in Africa)」を発足させた。

 そこで採択されたIFNA宣言では、保健、農業、教育、社会保護、水・衛生などのマルチセクターによる相乗効果の発現を原則の1つに(うたい、また、IFNAの実施指針において、とくに栄養取組における農業の位置づけを強調している。JICAの農業・農村開発分野での協力は、それまで食料の安定供給と貧困削減が中心的課題であったが、現在はSDG2への貢献策として、農業と食を通じた栄養改善を推進することとしている。摂取までを見据え、マルチセクターによる栄養改善を農業・農村分野で本格的に取り組むこととなるIFNAは、JICAにとっても新たなパラダイムをもたらすことになる。

 IFNAは、アフリカ栄養改善に係る国際協調の場を提供するものであるが、そのなかで、世界と共有し、多くの途上国の現場で活用できると期待される日本の経験が多数ある。

 第二次大戦後の日本では、国際社会からの援助もあり、急速に食料問題を解消したが、当初は栄養の大半を炭水化物で補う偏った食生活であった。さらに、漬物やみそ汁からの多くの塩分摂取が高血圧や胃がんなどの一因となり、健康上の大きな課題となっていた。こうしたなか、①食事診断、栄養価に富んだ食材の導入・調理指導や家庭菜園の導入など、身の回りの資源を有効活用して生活を自ら向上させていくことを目指した生活改善運動、②学校給食と結び付いた栄養教育、③乳幼児期からの健康診断と母子手帳などを通じた栄養指導、④食の多様化に向けた取組により、日本人の栄養摂取状況は徐々に改善された。従来の食事に肉や牛乳、果物などが加わって1980年代ごろに確立した「日本型食生活」は、バランスの取れた食文化として国際的にも評価されるに至っている15)

 また、大戦後の復興時に導入された「生活改善普及事業」は、制度や技術を外部から取り入れる代わりに、普及員と共に住民自身が課題を解決していく活動であり、農村女性を対象とした全国的な「生活改善運動」に発展していった。JICAは、これらのノウハウを「生活改善アプローチ」として取りまとめ、途上国の農村地域において活用している。生活面、衛生面、健康面でのさまざまな活動が実践され、とくに食生活の改善においては、家庭菜園の野菜、淡水養殖、養鶏などの家族の栄養改善、コーヒーの有機栽培やはちみつ製造などの「お金を生み出す改善」などが、中央・南アメリカなどにおいて広く展開されている。

 このような日本の経験を踏まえた途上国での協力事例を、以下に紹介する。

 マダガスカルの中央高地は、同国でも有数の穀倉地帯で農業生産の盛んな地域であるにもかかわらず、住民の栄養状態は悪く、発育阻害の発生割合が50%を超える地域もある。JICAは、2007年度の本邦研修「生活改善アプローチによる農村コミュニティ開発」に参加したマダガスカル人研修員の現地でのフィードバック活動を支援し、コミュニティでの栄養トレーナー育成を通じた栄養教育、栄養レシピの作成、たんぱく源の確保(内水面養殖、養鶏、養豚)、家庭菜園の普及、といった栄養に直接関わる活動のほか、井戸やトイレの設置と手洗い運動による水・衛生改善、識字教育、女性の収入創出活動・家計研修などを行っている。

 また、JICAボランティアが積極的に支援し、双六(すごろくを活用するなど、日本独自のアイディアを動員して、農民主体の自発的・主体的な生活改善取組に対する理解普及を図っている。

 「北部ウガンダ生計向上支援プロジェクト」(2015〜20年)では、農家の収入向上と生活の質の改善の両方を目指している。すなわち、農家が主体となって「作ってから売る」農業から「売るために作る」市場志向型農業への転換を促進しつつ、家計管理や家庭生活の合理的な運営、栄養・食習慣の改善による健康改善を含む生活の質の向上を図るものである。

 具体的には、農家に対する研修会では、ビジネスフォーラムや営農計画、栽培する野菜の選定といった農業経営に係る技術を取り上げつつ、同じ研修会のなかで家族目標の設定や食と栄養の改善、家計管理などの講義も実施している。受講者の関心も高く、収入向上と生活の質改善の双方をカバーした総合的な生計向上への理解と期待は高い。本件のアプローチは、戦後の日本が経験した農業改良普及員と生活改良普及員との両輪の組合せという総合的な農村振興策の再現であり、日本がたどってきた経験を活用した途上国支援の好事例として今後の成果が期待される。

 途上国における栄養改善に向けた農業・農村分野を通じた日本の協力は、今、始まったばかりである。しかし、日本が経験してきた農村振興における栄養改善のなかには、現在の途上国のために有効活用しうるものが多数あると考えられ、対象となる途上国にはもちろん、世界の栄養改善の潮流に対しても、貢献できるであろう。


5.まとめ

 「緑の革命」による食料増産は、大きな成果をもたらした。しかし、食料増産のみでは食料安全保障と栄養改善には十分対処しきれていなかった。慢性的な栄養不良により十分に発育できない子供は1億5500万人に至る。この問題を解消するために、①「農業」の範囲を生産や加工流通に留まらせず、生産した食料の摂取までを含めることと、②社会科学などのソフト技術を含めた他の分野との連携を促進し、総合的に叡智(えいちを結集させることが不可欠であることを強調したい。

 農業の起源的な目的は、いうまでもなく食料の生産であり、換言すれば、安定的に食べて栄養を摂るために農業は始まった。「緑の革命」後も、農家の所得向上に代表されるような農業の課題は山積するが、なかでも栄養摂取という農業本来の目的達成のためには、さらなる革命、食品群になぞらえれば、赤・黄・緑の三色革命を一段と推進していく必要がある。


前のページに戻る