2026.9 SEPTEMBER 74号

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OPINION

グローバルサウスの台頭と国際農業協力の展望
JICA(国際協力機構)緒方貞子平和開発研究所 所長 峯 陽一

1 はじめに

 グローバルサウスという言葉が定着してきた。かつては「グローバルサウス」として括弧付きで使われることが多かったが、最近はそのまま使われることが多い。

 グローバルサウスとは何だろうか。この言葉には、どのような意味があるのだろうか。なぜこの言葉が使われるようになったのだろうか。そして、グローバルサウスが直面する喫緊の課題、とりわけ農業問題をどう解決していったらよいのだろうか。

 本稿では、こうした問いに答えていきたい1。

2 政策用語としてのグローバルサウス

 筆者が知る限り、日本の政策立案の世界でグローバルサウスという言葉がキーワードとして使われるようになったのは、2023年である。同年1月、岸田文雄総理は施政方針演説において、ロシアのウクライナ侵攻を批判し、法の支配の重要性を強調した後、「G7が結束し、いわゆるグローバルサウスに対する関与を強化していきます」と述べた。5月のG7広島サミットには、G7諸国、ウクライナ、韓国、オーストラリアの他、インド、インドネシア、ブラジル、ベトナムなどの首脳が招かれ、「グローバルサウスと呼ばれる新興国・途上国」との連携が議論された。

 同年10月、そして翌2024年6月には内閣官房でグローバルサウス諸国との連携強化推進会議が開催された。そこでは、グローバルサウスの国々の多様性に注意を払い、日本の国益に資することを意識しつつ、外交関係の強化、ビジネス連携に対する支援、フラッグシップ・プロジェクトの組成、ODAの戦略的活用、日本企業の支援、インフラ投資、第三国との連携強化、人材の育成と循環、安全保障環境の整備などの包括的な連携方針が決定された。

 こうしてグローバルサウスは正式な政策用語になったが、日本政府はあえてグローバルサウスの定義はしておらず、そのように「呼ばれる」国々との連携を強めていくと宣言しただけである。そうはいっても、新興国、途上国とは言わず、あえてグローバルサウスという言葉を使うからには、この呼び名を尊重していることにはなるだろう。

 では、グローバルサウスとは何だろうか。歴史をさかのぼってみよう。

3 グローバルサウスに類似する呼称

 第二次世界大戦後、途上国、未開発国、低開発国などと呼ばれていた国々を総括する呼称は、いくつか存在してきた。ひとつは「第三世界」である。1952年、フランスの人口学者アルフレッド・ソーヴィは、フランス革命の際の第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(平民)になぞらえて、西側にも東側にも属さず、現代世界の人口の多数派を占める貧しい地域をまとめて第三世界と呼んだ。

 左翼的な響きがある言葉だが、1960年代、革命を国是とするフランスの保守派政治家シャルル・ドゴール大統領は、この言葉を受け入れて「第三世界外交」を展開した。西側諸国が第三世界諸国と対話するにあたり、フランスが窓口になるという戦略である。他方、1970年代、中国(中華人民共和国)は米ソを第一世界、欧日を第二世界と呼び、中国が残りの第三世界を主導するという三つの世界論を主張した。

 これと並行して、経済開発や貧困削減を重視する人々は「南北問題」という言い方をするようになった。この言葉が最初に意識的に使われたのは、1959年、ロイズ銀行会長オリヴァー・フランクスのスピーチだったとされる。フランクスは水平の軸すなわち「東西」の冷戦に世界の注目が集まるなかで、あえて「南北」という垂直の軸を対置した。サウス(本稿ではサウスと南を混ぜて使うが、英語では同じである)の貧困(貧しい国々は南半球に多い)は放置できない水準に達している。世界はつながっているのだから、西側諸国は開発協力と貿易を通じて、サウスの貧困を撲滅する責任がある。

 南北の開発協力の問題意識を世界に定着させたのは米国だった。1961年にケネディ大統領はUSAID(米国国際開発庁)を創設し、「国連開発の十年」を主導した。ベトナム戦争を指揮したロバート・マクナマラは世界銀行の総裁へと転身し、1977年に元西ドイツ首相ウィリー・ブラントを独立委員会の委員長に任命した。1980年、ノースからサウスへの大規模な資金移転などを提言するブラント報告書『南と北─生存のための戦略』が刊行された。

 このように、第三世界も南北問題も、もとは欧米発祥の言葉である。それに対して、サウスの国々のイニシアチブで広がったのが「非同盟」運動である。1955年にインドネシアで開催されたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)を経て、1961年以降、非同盟会議が呼びかけられてきた。第三世界、サウス、非同盟諸国は、西側の大国による主権侵害に敏感に反応するとともに、先進諸国との経済格差の是正を求めた。この流れには、アジアとアフリカの旧植民地だけでなく、ラテンアメリカ諸国も合流した。

4 ポスト冷戦と「サウスの興隆」

 ところが、1990年代になると、第三世界、南北問題、非同盟といった言葉は、あまり使われなくなっていく。その最大の理由は、1989年11月にベルリンの壁が崩壊、1991年12月にはソビエト連邦が解体し、イデオロギー対立にもとづく東西冷戦が劇的に終了したことである。第一世界と第二世界の対立が消滅したのだから、二極対立を前提とする第三世界や非同盟といった枠組みも妥当性を失った(ように見えた)。さらに当時は、ノース(先進国)とサウス(途上国)の分裂も深刻ではないように見えた。グローバルな単一市場が成立し、世界はフラットになりつつあると認識されていた。その象徴が、中国が2001年、ロシアが2012年にWTO(世界貿易機関)に加盟したことである。

 この時代にはBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの頭文字)の枠組みが注目を集めた。これはもともと、2001年、投資会社ゴールドマンサックスのジム・オニールが成長著しい有望な投資先として提示した新興国のグループである。これらの国々はBRICSの名称を自ら受け入れ、2009年からはサミットを開催し、政治的な影響力を増していくことになる2。

 その一方、2010年代になると、グローバルサウスという言葉も少しずつ使われていくようになる。それまで、グローバルサウスという言葉はベトナム反戦運動の文脈で第三世界に代替する言葉として使われることもあったが、あまり一般的ではなかった。この言葉の国際社会での普及にあたっては、UNDP(国連開発計画)の『人間開発報告書2013年版』の刊行が転機となった。「サウスの台頭」と題されたこの報告書は、ブラジル、中国、インド、インドネシア、タイ、メキシコ、南アフリカ、トルコといった国々を例にとり、政府の役割を重視しながら世界市場に積極的に参入した新興国が、人間開発と貧困削減の達成に成功していることに注目した。

 同報告書のキーワードは「よりグローバルなサウス(a more global South)」である。グローバルサウスは閉じられたブロックではなく、グローバル社会の構成員として自己主張する国家グループである。活発に貿易し、FDI(海外直接投資)を受け入れ、一部は強力な製造業を擁し、デジタル革命の波にも乗る。今日のグローバルサウスは、かつての南北問題のサウスとは違う。すなわち、開発されるのを待つ遅れた国々ではなく、グローバル化に適応する成長諸国の集合体として、地球規模で裾野を広げつつあるのである。

5 多極化する世界とグローバルサウス

 第三世界の言説が退き、BRICSとグローバルサウスが徐々に注目を集め始めたところで、世界に激震が起きた。2022年2月に欧州でウクライナ戦争が勃発し、中東では翌2023年10月のハマスによるイスラエル攻撃を発端として、ガザでの戦争が際限なく拡大していったのである。

 西側諸国としては、ロシアが入るBRICSの地位向上に協力することはできなくなったはずだが、米国のトランプ大統領はロシアのプーチン大統領に接近していった。他方、米国の支援を受けたイスラエルはガザ戦争を止めようとしない。国連総会でのロシア非難決議には、2022年3月時点では141か国が賛成していたが、グローバルサウスから棄権が増え、2026年2月の賛成は107か国に減っている。他方、イスラエルを非難する決議には、ときにインド等が例外的な動きをするが、大部分のサウスの国々が一貫して賛成している。

 分裂気味の伝統的な諸大国は、それぞれの思惑でサウスの国々に接近しようとする。大切なグループに働きかけるには、相手が納得できる言葉を使って、相手に呼びかけなければならない。だが、第三世界や非同盟といった言葉は古めかしく響くし、そのように自称する国もほとんどなくなった。グローバルサウスという言葉が世界と日本で多用されるようになった背景には、そのような状況があったと思われる。

 ここで大きな役割を果たしたのがインドである。冒頭で述べた岸田総理の施政方針演説と同じ2023年1月、G20議長国のインドは「グローバルサウスの声サミット」を呼びかけた。G20は西側先進国のG7にBRICSその他の主要国を加えたもので、南北の主要国が参加しているけれども、そこには国連加盟国の9割が入っていない。そこでインドは、グローバルサウスの中小の国々の声をまとめる主導国として、自らの位置を外交的に高めようと試みている。中国もまた、グローバルサウスをBRICSの拡大版のフレームとして位置づけ、2025年には全球南方(グローバルサウス)研究センターを設置するなど、独自に関与を強めている。

 南北問題は、ノースの支援によってサウスの貧困をいかに解消するかに関するものだった。しかし現在のグローバルサウスは「問題」というより、力をつけてきた「主体」である。近年参照されることが多い国連の人口統計(2024年以降は中位予測)を見ると、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの人口は1990年までに世界人口の8割を超えており、2100年には9割に近づく。図1が示す通り、今後、2050年代にはアジアの人口の伸びは頭打ちになるが、アフリカの人口は増え続ける。

図1 世界の人口変化(1980-2100年)

図1 世界の人口変化(1980-2100年)

出典:UNDESA, World Population Prospects 2024

 PPP(購買力平価)にもとづく近年のGDPの変化も、世界のバランスが変化したことを示している。図2が示すように、2025年、G7諸国に欧州の小規模富裕国、イスラエル、シンガポール、台湾、香港などをあわせた先進諸国・地域のGDPが世界に占める割合は39.4パーセントまで縮小する一方で、新興国・途上国をあわせた国々のGDPの割合は、60.6パーセントに達している。両者の比率が逆転したのは2009年である。なお、新興国・途上国には中国とロシアが入っているが、2025年、前者の割合は19.6パーセント、後者の割合は3.4パーセントだった。中露を抜いてグローバルサウスを定義したとしても、先進諸国のシェアとほぼ変わらないことになる。

図2 世界のGDP(PPP)のシェア(1980-2025年)

図2 世界のGDP(PPP)のシェア(1980-2025年)

出典: IMF https://www.imf.org/external/datamapper

6 グローバルサウスと農業

 このようにグローバルサウスは多方面で力をつけてきているが、その最大の可能性は若者の活力である。国連の人口統計によれば、アフリカの人口の中央値は19.5歳(つまり人口の半分が20歳未満である)、アジアの人口の中央値は32.8歳、日本の人口の中央値は50.2歳である。過去数十年、アジアには若者が主導するイノベーション、大量にモノをつくる力、体制を破壊しかねないエネルギーが満ちあふれており、めざましい経済成長を実現させてきた。その重心がアジアからアフリカに移行していくことは間違いなさそうである。

 しかし、問題もある。グローバルサウスの力の源泉は巨大な人口力であるが、まず、すべての人が「食べる」ことが必要である。2025年から2100年までに、アフリカの人口はおよそ2.5倍に増えると予想されているから、アフリカの農業生産性もそれに応じて改善されなければならない。現在のアフリカ大陸全体の穀物自給率は80パーセント程度である。さらに灌漑農業と商業農業を普及し、若者の離農にも歯止めをかける必要がある。国連のWorld Urbanization Prospects 2025によれば、2025年のアフリカの農村人口は全人口の27パーセントであり、2050年には21パーセントに低下する見込みである。近郊農業の需要も大きくなるだろう。

 非白人として初めてノーベル経済学賞を受賞したカリブ海出身の黒人経済学者アーサー・ルイスは、バンドン会議直前の1954年に「労働の無制限供給下の経済発展」モデルを発表して、世界の注目を浴びた。近代部門と伝統部門(典型的には自給的な農村経済)が共存する二重経済のもとで、労働の限界生産性が低い伝統部門は、近代部門に潤沢な労働力を供給することができる。近代部門の賃金水準が伝統部門の1人あたりの生産高を上回ってさえいれば、近代部門は賃金水準を固定したままで、無制限的な労働供給を受けられる。近代部門では賃金よりも利潤への分配率が高まり、結果的に貯蓄率と投資率が向上し、資本形成が進むだろう。ルイスはタイのバンコクの街を歩いていて、このモデルを思いついたのだという。日本は1960年代、中国は2010年頃に、農村の余剰労働力が枯渇する「ルイスの転換点」を迎えたとされることが多い。

 しかし、ルイスが実際に書いたものを読んでいると、彼は農村を犠牲にして工業化すべしという提言をしているわけではなく、随所で農業と工業のバランスをとること、そして食べる農業の大切さを説いていたことがわかる。プランテーション農業ではなく、家族で自らの農地を所有する小農が小農のままで生産性を上げていく発展経路を、ルイスは展望していた。さらにルイスは、途上国が互いに市場を提供しあい、多角的な貿易決済も途上国通貨で行なうような「南南協力」の世界を夢見ていた。ルイスは、サウスの国々の開発は「長期的には開発した国々の存在に依存するものではない。それらの成長の潜在的可能性は、すべての開発した国々が海中に沈むことになったとしても、影響を受けないであろう」(ルイス1981, p. 74)と述べている3。

7 サウスとサウスがつながる

 かつての第三世界、南北問題、非同盟運動といった言説は、先進諸国が主導する秩序に抵抗する理想主義的なものであり、ノースとサウスのそれぞれを一枚岩の平板な空間として認識する傾向があった。だが、現在のグローバルサウスは、地域や国家の多様な利害をふまえて、現実主義的かつ実利的に開発問題にアプローチしようとしている。

 日本にも貢献できることがある。JICAは基本的には二国間の援助機関であるが、グローバルサウスを代表する人たちが研修に集まると、自然と参加者の間の対話が生まれる。私自身、開発問題にかかわるようになったきっかけは、1996年に筑波国際センターで農業研修の講師を務めたことであった。日本の農地改革の歴史を紹介して、南部アフリカの農業省の職員たちと土地問題について議論したのだが、アフリカ人の参加者たちが各国の経験を共有しはじめたのが非常に興味深かったのを覚えている。

 アフリカの食料問題を解決する方策のひとつとして、アジアの米作りの経験をアフリカに移転することの重要性が指摘されている。この分野でJICAが関与する事業にCARD(アフリカ稲作振興のための共同体)がある。大量の水資源を消費する稲作がどこでも可能だというわけではないが、東南部アフリカでも西アフリカでも米作りに適した土地は多く存在しており、アフリカ人とりわけ子供たちの主食の嗜好も変化してきている。

 アジアの経験をアフリカと共有することの大切さは、1993年に始まったTICADのプロセスで何度も議論され、2025年のTICAD9でも議題のひとつになった。日本ではなくグローバルサウス内部の拠点(第三国)に、グローバルサウス諸国から研修員を招き、効果的な技術移転を試みる取り組みは第三国研修と呼ばれ、JICAは様々な分野で経験を蓄積している。2014年から2016年には、タイが蓄積した米作の経験を伝えるために、JICAはTICA(タイ国際開発庁)と連携しながら、アフリカ各地から120名を超える人々をタイに招聘し、アフリカの米作を生産から流通まで改善していく専門的な技術の移転を試みた。近年ではエジプトを拠点とする第三国研修も広がりを見せている。

 国連には、南南協力を担当するUNOSSC(国連南南協力事務局)がある。グローバルサウスは、閉じられたブロックではなく、グローバルに開かれた「つながるサウス」である。アジアとアフリカの国々が連携しながら、人口増加が著しいアフリカにおける食べる農業の発展を実現することが重要である。南南協力に北を加えた「三角協力」の一部として、日本の経験を伝えるとともに、サウスの活力を日本国内に還元していく活動を展開していきたい。

8 おわりに

 欧米の伝統的な大国は、米国トランプ政権のディール外交に振り回されて、グローバルサウスに対する地域戦略をうまく描けないでいる。他方で日本は、G7の一員という立場を確認しつつも、FOIP(自由で開かれたインド太平洋)を地理的に拡張していく方向で、グローバルサウスを友とする戦略を描こうとしている。あらためて想起すると、日本は国連加盟の前年の1955年、バンドン会議に正式に出席していた。戦後の日本には「サウスの一員」として再出発した側面があるだけに、南北の架け橋という位置取りもしやすいかもしれない。

 グローバルサウスの発展の駆動力となるのは、老いるアジアというよりは、若いアフリカである。自らの農地を耕し、家畜の世話をするアフリカ人の若者たちは、技術を身につけ、仕事の選択肢を徐々に広げていくことができるだろうか。それとも、希少な食料や水、仕事をめぐる暴力的な争いが繰り返されることになるのだろうか。アフリカが前者の方向で軟着陸できるように、日本の国際協力のエキスパートにはやるべき仕事があるし、期待もまた大きいと思う。世界の人口の8割以上が暮らす地域で食べる農業を育てていく国際協力は、日本の農業の再生にも大きな刺激を与えることだろう。


1 本稿の前半,グローバルサウスの歴史と定義について述べた部分は,峯(2023)などのいくつかの拙稿の内容を整理したものである.

2 当初は南アフリカは入っていなかったが,2010年に加盟した.それから現在までに,エジプト,エチオピア,イラン,サウジアラビア,アラブ首長国連邦,インドネシアが参加している.イスラム諸国の参加が目立つ.

3 ルイスについては峯(1999)も参照.環境制約と技術革新を考慮に入れることで,ルイスの経済発展論を現代に甦らせたいものである.

[参考資料]

国連開発計画(UNDP)(2013)『人間開発報告書2013─南の台頭─多様な世界における人間開発』(横田洋三他訳)CEメディアハウス

ブラント委員会(1980)『南と北─生存のための戦略』(森治樹監訳)日本経済新聞社

峯陽一(2023)「グローバルサウスと人間の安全保障」『世界』2023年7月号

同(1999)『現代アフリカと開発経済学─市場経済の荒波のなかで』日本評論社

ルイス,W・アーサー(1981)『国際経済秩序の進展』(原田三喜雄訳)東洋経済新報社

Lewis, W. A. (1954) “Economic Development with Unlimited Supplies of Labour”, The Manchester School, Vol. 22, pp. 139-191


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