2026.9 SEPTEMBER 74号
齋藤 晴美 著
~米づくりから見る日本と東南・南アジアの文化~

※農文協プロダクション
2025年10月1日発行
縄文時代晩期に北九州に伝わった稲作は、弥生時代前期には青森まで伝播し、以来二千年以上にわたりコメは日本の主食である。近年は食生活が多様化し、コメの消費量は減少しているが、令和のコメ不足で価格が高騰すると連日米価の微細な値動きがニュースで報じられた。コメは国民の重大関心事であることをまざまざと見せつけた。日本は、瑞穂の国でありコメは日本人の精神的支柱であると言える。
本書は、日本の稲作はどのように成り立ち発展してきたのか、そして日本の文化、社会の在り方にどのように影響したかを明らかにする。著者は、農林水産省で長年にわたり農業農村整備、農村振興の政策立案に携わり、国内各地での農業行政や現場経験も豊富である。また、タイに専門家として赴任するなど東南アジア・南アジアの水田稲作にも詳しい。本書は、縄文末期から現代にいたるまでの稲作の歴史について水田の技術的視点、文化的視点、生物・環境の視点も含めて総合的に解説してくれる。また、日本と同じく水田稲作を主とする東南アジア各国と日本との国民性や社会文化の違いについても論じている。まさに総合的な水田稲作論である。私が印象を受けたいくつかの点を紹介したい。
まず、日本人の勤勉性や集団性は、コメ作りによって形成されたと指摘する。熱帯由来のコメは、日本の自然環境では年1回の収穫しか期待できず、干ばつや洪水など災害も頻発する。人々は収穫を確実にするため、ため池や水路を協力して建設し緻密な水利用を行い、田植えから稲刈りまで八十八と言われる膨大な農作業を行うため集団行動や互助の仕組みが不可欠であった。一方、東南アジアは、稲作に恵まれた高温多雨という気象条件のもと、年に数回のコメが収穫でき、ある程度自然に任せた稲作が可能であることが同じアジアモンスーンの稲作圏でも国民性や社会文化の違いに反映されているのではないかと分析する。
稲作の歴史では、飛鳥時代の班田収授法と条里制による農地の区画割の重要性を指摘している。この条里制は、中世、近世を経て近代の耕地整理、現代の圃場整備につながる農地整備の原点ともいえるものである。驚くことに現在でも大和平野と讃岐平野に古代の条里制遺構が残っているという。その理由は、いずれも降雨の少ない地域にあって、古来からため池による厳しい水利慣行のルールがあるため土地の改変ができなかったことによると説明している。また、江戸時代に全国的に進められた新田開発において、幕末雄藩の薩長土肥が干潟干拓により特に新田開発に力を注ぎ農業生産力を向上させたことが明治維新の原動力の一つになったとの解釈も興味深い。さらに、明治時代の耕地整理法では、農家が集まって耕地整理組合を設立、そこに半官半民の日本勧業銀行(現在のみずほ銀行の源流)が無担保融資する仕組みが整えられた。これによって耕地整理が飛躍的に進みコメの増産に大きな効果を生み、明治期の富国強兵・殖産興業に農業面から貢献したとの分析も興味深い。
東南アジアの世界文化遺産に関連する灌漑施設のこともぜひ知っておきたい。カンボジアの世界文化遺産アンコールワット(12世紀のクメール王朝時代のヒンズー教・仏教遺跡)には、西バライと称する巨大貯水池が付帯し現在も灌漑施設として機能している。インドネシア・バリ島には世界文化遺産に登録された広大な棚田がある。棚田の灌漑はスバックと呼ばれる灌漑組織(自治組織でありヒンズ─教組織)に支えられている。スバックは日本の土地改良区や水利組合と似ているのが面白い。
以上の紹介は本書の内容の一部に過ぎない。本書は、水田稲作を歴史、文化、環境、技術の視点で解き明かし、加えて東南・南アジアと日本の水田農業との違いは、気候、歴史、仏教、国民性や社会生活と深く関係するのではないかとして、多角的に分析している。日本の主食であるコメについてもっと知りたい方、農学を志す学生の皆さん、海外農業農村開発協力に関心のある方々にはぜひ読んでいただきたい一冊である。
角田 豊