2026.3 MARCH 73号
「世界の農業農村開発」第73号 特集解題
昨年2月発行の本誌71号では、「多様な主体による農業農村開発の展開」をテーマとした。2024年に我が国の政府開発援助(ODA)70周年を迎えたが、2000年以降のアジア諸国の経済成長もあって、近年は農業農村開発分野のODAは縮小している。一方、農業生産性の向上や気候変動対策等の観点から農業農村開発分野の国際協力は重要性を増しており、ODA以外の手段を含めて多様な主体による展開が必要であるとの問題提起をしたところである。71号のOpinionで近畿大学の松野教授は、灌漑施設の維持保全、農家参加型水管理、スマート農業技術の導入、フードバリューチェーンの構築等の課題について、政府機関、民間企業、地方自治体、農業団体、大学、研究機関、NGOなど多様な主体が連携して国際協力・交流を進めていくことが必要であると指摘している。そのためには、農業農村開発分野において国際協力を担う人材の育成が急務であり、農業農村工学を専攻する学生が国際協力のキャリアパスをイメージできる情報発信に加え、開発コンサルタント、ゼネコンなど民間企業と連携して農業農村開発のキャリア形成を図ることが必要であると提言している。
73号のテーマについて本誌企画委員会で議論した際、JICA海外協力隊で農業土木の隊員が現状1名しかいないという事実に衝撃が広がった。開発途上国の現場のニーズはあるものの農業農村工学の卒業生が海外を志向しない状況を打開しなくてはならないとの共通認識を持った。かねてより、農業農村工学を希望する学生の減少、卒業生の専門分野外への流出、大学院博士課程の不人気などが指摘され分野全体を通じて人材確保対策が重要な課題となっている。
こうした問題意識の下、73号のテーマは、「農業農村開発分野の若手人材育成~入口からキャリアデベロップメントへ」とした。71号の松野教授の提言を踏まえ、海外で活躍できる人材の育成確保に関しより具体的に掘り下げていくこととしたい。Opinionでは海外協力隊を経て開発コンサルタントの世界に入り、NTCインターナショナル社長を務める森卓氏から提言をいただいた。Keynoteでは、農水省海外土地改良技術室の高野室長から海外人材育成、JIRCASの石島領域長から国際研究の人材確保、宮城県農村振興課の菅野氏から海外協力隊での経験を寄稿していただいた。Informationでは、東京農工大学の斎藤農学部長から大学におけるグローバル人材育成の取り組み、三祐コンサルタンツの矢敷氏からマダガスカルにおける栄養改善、在ミャンマー日本大使館の朝長氏からミャンマーの現状、農水省海外室から日本で開催された第20回INWEPF運営会議について報告をいただいた。
Opinion 開発コンサルタントにおける人材確保と海外協力隊の可能性
NTCインターナショナル(株)代表取締役の森氏は、修士課程まで土壌学の専攻であったが、西アフリカで携わった調査等をきっかけとして海外協力隊に応募し2年間チリに派遣された。開発全般に関わりたいとの気持ちから専門の「土壌肥料」ではなく「農業土木」を職種として選んだという。チリではため池建設プロジェクトの調査検討をチリ人のコンサルタントと協力して進め報告書にまとめ上げたという。この経験が帰国後に研究者として進むのではなく、開発コンサルタントに入社することにつながったと述べている。海外協力隊員の帰国後の進路は、就職・復職、進学、起業・独立などさまざまであるが、開発コンサルタントへの就職は有力な進路である。NTCインターナショナルでは社員数の3割が協力隊出身者であるという。開発コンサルタントへの志望動機として、国際協力や開発支援にプロとして現場レベルで関わり続けることの希望、協力隊員として磨いてきた専門力を向上させ高度な協力活動を行いたいという決意を聞くという。開発コンサルタント業界としても、協力隊経験者は、開発途上国の厳しい環境において仕事に立ち向かい行動で事態を切り開いていくまで向き合う能力を評価し採用しているという。
開発コンサルタントにはゼネコン、商社、銀行、メーカー、公務員、国際機関、NGO、JICAなど様々な職歴の人が働いている。特に農業農村開発は課題範囲が広いため、異業種の人たちでチームを組んで案件にあたることが多い。
開発コンサルタントにおける人材確保策として、学生リクルートは当然として、異業種からのキャリア採用の促進も必要である。また、海外出張が多いことから社員家族への配慮、女性社員のワークライフバランスへの配慮など人材定着への強化が必要であるとしている。
今後の人材確保策として、農業農村開発に関わる産官学で働くアクター全体を農業農村分野全体の人材バスケットとしてとらえ、人材の共有化や流動化を考えることはできないかと提言している。
Keynote1 海外農業農村開発の新たな展開方向と海外で活躍する人材育成
農水省海外土地改良技術室長の高野伸氏からの寄稿である。令和7年4月、昨今の世界情勢の変化を踏まえ、農水省農村振興局は「今後の海外農業農村開発に関する展開方向」を公表した。その方向として、①水田農業の多様な価値を世界に発信していくため水に関する国際会議の場を積極的に活用していく、②日本が強みとする質の高いインフラ技術(気候変動に対応した水管理技術やGHG排出削減技術、二国間クレジット制度を活用したメタン削減技術など)の海外展開を図る、③農業農村開発分野の人材とネットワークを育成し、国際連携を強化して水田農業国としてリーダーシップを確保する、の3点を示している。
具体的には、ICID、INWEPF、「日アセアンみどり協力プラン」等の国際的枠組みを通じ我が国の農業農村開発に関する国際協力・交流を拡大していくとしている。一方で、こうした展開方向を進めていくための海外で活躍する若手人材の確保育成は十分ではないと指摘している。
農村振興局からの海外派遣者数を見ると、ピークだった1997年は大使館に23人、専門家73人の計96人を派遣していたが、2024年は、大使館29人、専門家5人の計34人となっている。専門家の大幅減は農業農村開発分野のODAの減少によるところも大きいと思われるが、農業農村工学技術者の国際経験の場を確保していくことは不可欠であると考える。行政、研究機関、大学、民間企業が連携して戦略的な人材育成の取り組みを期待したい。
Keynote2 農業農村開発分野における国際研究の人材確保について
国際農林水産業研究センター(JIRCAS)農村開発領域長の石島光男氏の寄稿である。JIRCASは、1970年に発足した熱帯農業研究センターを起源とする農水省所管の国立研究開発法人である。現在120名の研究職員を擁し、アジア、アフリカ、中南米の31の国・地域と94の研究機関と共同研究を展開している。なお、農村開発領域は旧緑資源機構の海外事業のJIRCAS移転(2008年)により発足している。
農業農村開発分野の海外研究機関との共同研究として、カンボジアでの間断灌漑によるメタン排出削減対策、タンザニアでの水利用向上対策、インドでの浅層暗渠による塩害対策、ガーナでのため池灌漑計画が挙げられている。JIRCASの国際研究の魅力は「世界を舞台とする研究の面白さ」であると指摘。研究プロジェクトに農業農村工学、育種、土壌、社会学といった複数の分野が参加し、相手国政府や国際機関との連携を強化しつつ研究開発と研究成果の社会実装を並行して進めていくことがやりがいであると指摘している。
JIRCASは博士号取得者のみを採用してきたが、農業農村工学では博士課程への進学者が少なく農村開発領域では博士号取得者の採用に苦戦しており、農業農村開発分野の研究人材の育成確保が急務となっている。こうした中、他の国立研究開発法人では新たな研究人材確保策として修士卒研究職を採用し、社会人ドクターとして大学と連携して博士号を取得できるようにしているという。こうした事例を踏まえ、JIRCASでは、来年度から農村開発領域については採用対象者を修士卒に拡大することとした。任期付き研究職員として公募し、採用後は農村開発領域長が育成責任者となってJIRCASで担当するプロジェクトに関連する研究テーマで大学院で博士号取得を目指す仕組みとする。
海外や研究への意欲を持つ学生の進路としてJIRCASの道があることを示し国際研究において世界をリードしていける人材確保をしていきたいとしている。
Keynote3 マラウイ共和国における海外協力隊の活動経験と技術者の成長~国際協力の現場が教えてくれたこと~
元マラウイ派遣JICA海外協力隊で宮城県農林水産部農村振興課の菅野将央氏の寄稿である。菅野氏は、宮城県とJICAの協力合意に基づき、2010年~2013年にかけてマラウイ国に宮城県職員からJICA海外協力隊員として派遣された。また2012年からの草の根事業の立ち上げを支援し、宮城県に復職後はマラウイからの研修員受け入れや県からの短期専門家派遣の調整を支援した。
海外協力隊活動としては、マラウイ中部のデッザ県灌漑事務所に派遣され、灌漑施設の設計・建設、村の灌漑施設の維持管理指導、大規模灌漑施設の管理支援とデータベースの作成、草の根事業に向けた調査等を行った。協力活動には、宮城県の農業土木技術者として培ってきた知見が活かされたとしている。草の根事業では、現地で入手可能な材料である粗朶と石を用い、農家が維持管理できる水路護岸技術として「粗朶工法」の技術移転を進めた。草の根事業の成果は技術マニュアル化され、政府、大学等で共有され技術が普及しているという。
協力隊への参加は、好奇心が最大の動機であったとしている。任地は気候風土が日本と大きく異なり、言葉の壁や技術経験の不足で試行錯誤の連続であったが、課題解決に挑む日々は大きなやりがいであり、コミュニケーション力、交渉力、多角的視点から考える力など技術者として求められる要素は大いに鍛えられたと振り返っている。
菅野氏が宮城県職員として海外協力隊に参加した事例は興味深い。JICA海外協力隊活動には公務員や民間企業・団体に在職する人が「現職参加」という仕組みで応募できる制度があり、農業農村分野の海外人材の育成にこの仕組みを活用していくことも考えられるのではないかと感じた。
Information Channel
毎号、各大学の人材育成の取り組みを紹介していただいている。今号は東京農工大学農学部における国際共同研究およびグローバル人材育成への取り組みについて斎藤広隆農学部長から情報提供をいただいた。
農工大では、科学技術振興機構やJICAの制度を活用し農業農村工学分野の国際共同研究を進めている。JICA海外協力隊と連携して、ウズベキスタンでの農業技術向上支援プロジェクト、東アジアサミット参加国による科学技術協力プログラム(e-ASIA)ではインドネシア、タイでの間断灌漑による温室効果ガス削減に関する共同研究を実施している。また、人材育成として、農工大とアセアン各国の双方向の学生交換プログラム(AIMS)を行っている。ボゴール農科大学(インドネシア)、カセサート大学(タイ)等と年間10~15名を1学期間交換留学する制度である。
農業農村工学分野は国際農業農村開発の中核を担う分野であり、人材育成においては、学部・大学院段階での国際教育、国際共同研究を通じた若手研究者の育成、さらに現地での実装や行政・普及機関との連携という流れで人材育成を進めていく必要があると指摘している。
三祐コンサルタンツの矢敷裕子氏からは、JICAがマダガスカルで実施した技術協力プロジェクト「食と栄養改善プロジェクト」で農業セクターの効果を評価した報告である。栄養、母子健康、水衛生、農業の4セクターから構成される栄養改善研修と農業を含まない3セクターから構成される研修の評価を実施し、農業を含む研修により栄養改善の効果が高まることを実証した。
在ミャンマー日本大使館の朝長健一郎氏からは、2021年2月のクーデターから5年が経過したミャンマーの現状についての報告である。特に、2025年3月に発生した大地震に対する日本の支援、両国の農林水産物の貿易に関してレポートしている。
農水省海外土地改良技術室の藤本氏、岩田氏から、滋賀県で開催された第20回国際水田・水環境ネットワーク(INWEPF)運営会議についての報告である。15か国、3国際機関の参加があり、食料安全保障、気候変動対策、地域の特性に応じた水利用対策等に重点的に取り組むことが「滋賀宣言」として合意されたと報告している。
最後に
筆者は、海外情報誌「世界の農業農村開発」65号から今回の73号にかけて4年間にわたり企画委員長と特集解題の執筆を担当してまいりました。この間ロシアによるウクライナ侵攻、パンデミック、気候変動問題の顕在化など様々な出来事があり、本誌では食料安全保障、気候変動対策、DX、アフリカ農業支援などをテーマに編集してまいりました。筆者は、今号をもって交代いたします。4年間にわたりご支援ご協力ありがとうございました。今後も「世界の農業農村開発」をよろしくお願い申し上げます。