2026.3 MARCH 73号

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Keynote 2

農業農村開発分野における国際研究の人材確保について

国際農林水産業研究センター 農村開発領域長 石島 光男

1 はじめに

 学生の皆さんが世界の農業農村開発に関わる仕事をしたいと思った時、真っ先に思い浮かぶのは国際協力機構(JICA)、次いで、海外に業務を展開するコンサルタント会社ではないかと思う。私が勤務している国際農林水産業研究センター(JIRCAS)は、海外を研究フィールドとして農林水産業分野の国際的な研究を実施しているが、残念ながらJIRCASの学生の認知度は低いのが実態である。本稿では国際研究の概要を紹介するとともに、研究人材の確保についての現状とJIRCASにおける対応の方向性を述べたい。

2 JIRCASの概要

 JIRCASは、農林水産省所管の国立研究開発法人として、日本の農林水産業研究分野での国際貢献と連携の中核的な役割を担い、海外の研究所や大学、行政機関と協力しながら、世界の食料問題や環境問題を解決することで世界中の人々が食べ物に困ることなく、安心して生活できる社会作りを目指している。もともと1970年に農林省の熱帯農業研究センターとして設立されたことから、東南アジアを主な研究フィールドとしてきたが、1983年からはアフリカでの研究もスタートさせ、現在では西アジア、南米にもその研究対象を拡大し、2024年には31の国と地域、94の研究機関と共同研究を展開している(図1)

 JIRCASは研究職員120名程度の組織だが、窒素施肥による環境負荷を植物自身の力を軽減しつつ作物生産を高く維持する生物的硝化抑制(BNI)を見出して世界をリードする等、小規模でもきらりと光る研究成果をあげている。私が所属する農村開発領域では、カンボジアでの間断灌漑によるメタン排出削減対策、タンザニアでの用水路からの漏水防止による水利用効率向上対策、インドでは、日本で開発された技術である浅層暗渠の導入による塩害対策の研究、さらには、ガーナではため池の供給可能な灌漑用水量と下流における灌漑適正地の推定、乾期野菜栽培での節水技術開発といった研究を実施している。

図1 JIRCASが共同研究を実施している国·地域

図1 JIRCASが共同研究を実施している国·地域

写真1 水田からのメタン採取の様子(カンボジア)

写真1 水田からのメタン採取の様子(カンボジア)

3 国際研究の特徴と魅力

 JIRCASの研究の特徴について簡単に紹介したい。JIRCASでは開発途上地域の研究機関等との共同研究というスタイルを一貫して継続しているが、これはJIRCASの大きな特徴となっている。カウンターパートとの対等な議論を通じて相手国の研究水準の向上に寄与しており、COVID-19のパンデミックにより海外へ出張できなくなった際には、長年の共同研究を通じて信頼関係が構築されていた各地のカウンターパート機関が現地で主体となって研究を継続することができた。

 JIRCASの研究者は海外出張をベースとして研究を行っている。アフリカを研究対象としている研究者であれば、1回の出張で1か月以上現地に滞在、日本に戻って1~2か月程度データの分析や論文執筆を進め、再び現地に向かうという研究サイクルが基本となっている。

 国際研究の魅力を挙げると、「世界を舞台に研究することの面白さ」が第一になるだろう。海外の現地にしっかりと入り込み、カウンターパートだけでなく水利組合や農家と協力しつつ世界的な課題の解決に取り組むことで、SDGsに貢献できる実感を得ることができる。JIRCASでは、1つのプロジェクトに農業工学、育種、微生物、土壌、社会科学といった複数の分野の研究者が参加するシステムとなっており、若手研究者は他分野の研究者からいろいろな気づきが得られる点、さらに、チームで研究に取り組むので互いに助け合いつつ自分の長所を伸ばせる点を評価している。

 研究開発において常に課題となるのは、開発した技術をいかにして社会実装につなげていくか、ということである。特に開発途上国の農家の生活向上を目的とした研究を数多く実施しているJIRCASにとっては重要な視点である。つまり、「研究の成果を社会に届けること」の重要性を常に意識し、相手国政府や国際機関との連携強化により社会実装を研究開発と並行的に進めていくことも、国際研究のやりがいと言える。

写真2 日本型浅層暗渠排水による排水改良(インド)

写真2 日本型浅層暗渠排水による排水改良(インド)

写真3 タンザニアの土水路漏水対策(左は水路の表面被覆、右は管の敷設)

写真3 タンザニアの土水路漏水対策(左は水路の表面被覆、右は管の敷設)

4 JIRCASの採用状況

 JIRCASでは博士号取得者を任期付職員として採用し、任期終了時に審査を経て終身雇用となる「テニュアトラック制度」を採用している。参考までに、同じ農林水産省所管の国立研究開発法人である農業·食品産業技術総合研究機構(NARO)の農村工学研究部門(農工研)は、博士卒を対象とした任期付職員採用だけでなく、修士卒・学部卒の試験採用を併用している。JIRCASが博士卒採用のみに限定していたのは、組織が小さく採用者の育成に十分なリソースを割くことが難しい点が理由のひとつである。

 JIRCASでは毎年、5月と11月に採用公募を行い、年間で数名の研究職員を採用しているが、農村開発領域では採用に苦戦し、採用者がゼロとなる年もあった。農村開発領域において比較的、層の厚い研究職員の年代が50代半ばに入り、研究の継続に必要な人材を確保するために何らかの対策を講じる必要が生じている。

5 博士課程進学者について

 まず、JIRCASが採用対象としている博士課程への進学者の推移を図2に示す。社会人以外の入学者数は長期的に減少傾向にあった。その一方で、社会人入学者数が増加しており、全体で見れば緩やかな減少が続いていた。留学生は増加しているものの、それほど顕著な伸びとはなっていない。いずれにしても、最近の数年間は増加に転じており、今後、どのような動きを見せるのか注目に値する。

図2 博士課程入学者数の推移

図2 博士課程入学者数の推移

 次に、農学系全体(農学(計))の博士課程入学者と、その内数である農村工学分野の博士課程入学者数の推移を図3に示す。農学(計)の人数は年によってばらつきがあり、全体で見られるような減少傾向はない。農村工学分野の人数はもともと少ないため分かりにくいが、わずかに減少傾向であったものが、さらに最近になって大幅に減少している。しかしながら、農村工学分野の修士課程入学者数も大幅に減っていることから、進学者数の減少は、大学院の再編等により、農村工学系と明確に区分できる研究コースが減少したことが主な理由であると推定できる。いずれにしても、このデータからは全体的な動向は読み取ることができない。

図3 農学系分野全体(農学(計))および農業工学分野の博士課程入学者数の推移

図3 農学系分野全体(農学(計))および農業工学分野の博士課程入学者数の推移

 そこで、進学率の推移を見ることにしよう。図4は、修士課程から博士課程に進学した進学率の推移を分野別に示したものである。進学率は学部によって大きな差があり、人文科学や理学では高く、工学は低い。農学はその中間といったところであり、全体平均とほぼ同じ水準にある。農業工学分野について見ると(図5)、数が少ないために進学率の変動が大きいが、平均的に農学全体の進学率より低く、工学のそれに近い水準であることが分かる。

図4 修士課程修了者の進学率の推移(分野別)

図4 修士課程修了者の進学率の推移(分野別)

図5 農業工学分野修士課程修了者の博士課程 進学者数と進学率の推移(図2~図5の出典:学校基本調査)

図5 農業工学分野修士課程修了者の博士課程 進学者数と進学率の推移(図2~図5の出典:学校基本調査)

 私は大学・大学院へ業務説明に赴き大学教員の皆さんから話を聞く機会があるが、そこで得た感触では、博士課程でも土壌系はそれなりの人数がいる一方で、水利工学、水理学等、工学系に近い分野では、博士課程の学生は極めて少ない印象である。大学院進学者は各分野とも一定数いるようであるが、昨今は各企業とも採用意欲が旺盛なこともあり、大学院修士課程を修了して就職する学生が多く、博士課程に進学する学生は専門分野に偏りが生じているようである。

6 最近の研究機関の採用動向

 博士課程進学者数の変化等を受けて、他の研究組織ではどのように採用方法を変えてきているのか、いくつか事例を紹介したい。

 国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)は、経済および社会の発展に資する科学技術の研究開発などを総合的に行う日本最大級の公的研究機関であり、以前は博士卒を中心に採用していたが、2023年の秋以降、すべての研究領域において修士卒研究職採用を実施している。さらに、2024年度より、修士卒研究職の新たな育成制度を開始し、それまでは修士卒研究職の博士号取得は「業務外」で実施していたが、それを「業務内」として位置づけ、大学との連携を構築したうえで、社会人ドクターとして通学し、働きながら博士号を取得できるようにしている。産総研は、修士卒研究職の育成策を拡充する理由を、「目的基礎研究のみならず応用研究さらには社会実験研究を強力に推進する優秀な研究人材をこれまで以上に獲得、育成し、研究基盤を強化していく必要がある一方、日本の大学院博士課程の入学者は2003年度をピークに長期的に減少傾向であるため、新たな人材確保策を講じることが必要になった」と説明している。さらに、博士卒研究職については「テニュアトラック型任期付研究員」制度を廃止し、「パーマネント型研究員(定年制·任期無し)」としての採用枠を大幅に拡充、これにより、若手研究者が任期のあるポジションでは取り組みにくいとされてきた「よりチャレンジングな研究」や「中長期的な研究」に専念できる環境を整えることができる、と説明している。

 国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)は、情報通信分野を専門とする研究機関だが、採用については、パーマネント研究職とテニュアトラック研究員の採用に区分、さらに、それぞれ「一般型」「ルーキー型」「女性対象」の三種に区分している。このうち、「ルーキー型」のパーマネント研究職採用を2025年度から開始し、31歳以下の修士卒を主な対象として、採用後は博士号の取得にかかる経費については、原則としてNICTが負担している。

 産総研、NICTともに民間企業の研究部門との採用競争が厳しい研究機関ではあるが、この1~2年で修士卒採用、博士号取得支援、パーマネント採用化を積極的に進めている。この傾向は、今後、他分野の研究機関の採用方針にも影響を与えていくものと考えられる。

7 JIRCASにおける対応方向

 近年のJIRCASの採用状況、他の研究機関の採用方式の動向を吟味し、JIRCASでは、これまで博士卒に限定していた採用対象者を、2026年度から、農村開発領域(農業農村工学分野)に限定して修士卒に拡大することとした。採用方法はこれまでの博士卒採用に準じたものとなる。具体的には、農村開発領域において採用対象ポスト(研究内容)を示し、任期付研究職員の公募を行い、応募者に対する書類審査、面接を経て採用者を決定する。採用後は博士号取得を目指し、大学院博士課程に通学することになる。残念ながら博士号取得に係る費用の支援はできないが、農村開発領域長が育成責任者となってメンターとともに採用者の育成に当たり、通学する大学院の教員と緊密に連携を取りながら博士論文のテーマとJIRCASで担当するプロジェクトに齟齬が生じないよう配慮する方針である。

8 おわりに

 大学院·大学でJIRCASの業務説明を行うと、どの大学にも、海外に興味を持つ学生、研究に興味を持つ学生がいることが分かる。これまで、就職ガイダンスは学部3年生を主な対象とすることが多かったが、最近は学生が就職先を絞り込む時期が早まっていることを考慮し、今後は大学側の協力を得て学部2年生等に説明する機会を設けていきたい。研究や海外への意欲を持つ学生の受け皿(就職先)があることを早い段階から学生に認識してもらうことが、人材確保への第一歩だと考えている。国際研究において世界をリードできる人材を採用・育成できるよう、我々も、様々な機会を捉えて情報の発信に努めていきたい。


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