メコン河流域における水資源管理ガバナンス

長崎大学水産・環境科学総合研究科 環境科学領域 准教授 濱崎宏則

1.「ハングリーウォーター」が脅かすメコン河の環境

 2020年の初め、タイ北部でメコン河が話題の名所となったという。フェイスブックに投稿された、澄んだ青緑色のメコン河の写真がその理由だ1)。筆者が調査で訪れるカンボジア北部の観光地でも同じ現象が見られた。ふだんは茶褐色に濁っているメコン河だけに、多くの地元住民が訪れ子供だけでなく大人も水浴を楽しんでいた(写真1)。

写真1  澄んだメコン河の水
写真1  澄んだメコン河の水
出所:カンボジア北部・クラティエ州にて2020年3月1日に筆者撮影

 しかし、実はそう喜んでいられる状況ではなく、事態は深刻である。このような澄んだ鮮やかな青色の状態は「ハングリーウォーター」2)と呼ばれ、川岸を激しく侵食して大きな被害をもたらす可能性があるという。このような透明な水の中では川底の砂や岩で藻が繁殖しやすい。そのため、下流国のタイ・ラオス領内を流れるメコン河の色は完全に緑に変わったという。このハングリーウォーターの原因は、流域の土壌を豊かにしてきた堆積物が川の水に含まれていないためだという3)。その影響なのか、下流域では大きめの魚が取れなくなった、魚や川のりの取れる量が急減している、といった人々の暮らしの異変も見られるようになった。これらの異変について、流域住民の多くは口々に「中国のダム建設が原因」と語る4)

 メコン河はチベット高原を源流とし、インドシナ半島を流下して南シナ海に至る。全長は4909㎞に及び、流域人口は6500万人にのぼる。確認されているだけで850種の魚が生息する世界でももっとも生態系の多様性に富んでいる5)水系であり、現在でも毎年多くの新種生物が確認されている6)。流域には、上流から中国(雲南省)、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムの6か国がある国際河川である(図1)。ときに、上流における少しの水流の変化が、下流に大きな異変をもたらすこともある。実際、2020年の初めに中国が景洪(けいこう・ジンホン)ダムからの放流量を試験的に半減させたところ、巨大な岩や砂州が露出するほど、川の数か所で水位が極端に低下してしまったという7)

図1 メコン河本流におけるダム開発の現況
図1 メコン河本流におけるダム開発の現況
出所:Stimson Center Website “Mekong Mainstream Dams” (https://www.stimson.org/2020/mekong-mainstream-dams/,最終閲覧日2020年11月30日)


2.異変の原因として優勢なダム開発影響論

 メコン河で起きている以上のようなさまざまな変化の原因として、上流の中国におけるダム開発を挙げる地域住民や報道は多い。実際、メコン河上流の中国雲南省では、1990年代からダムの建設が始められ、現在では11基が稼働している(図1)。この開発状況を踏まえて、たとえばアイズ・オン・アースの報告書は、2019年にタイやベトナムで起きた干ばつは中国が建設したダムによって上流域で流れが妨げられたためと結論づけている(A. Basist & C. Williams, 2020)。

 しかし一方で、すべての異変の元凶を中国のダムと確定することは早計とする見方もある。理由としては、雲南省内を流れるメコン河の水量は約16%にとどまることや、中国からの信頼できる水文データが提供されていないことや流域の生態系が複雑で全容が解明されていないことなどが指摘されている(M. Nijhuis, 2015)。

 また、ダム開発を進めているのは中国だけではない。それより下流のラオスでもメコン河本流にダムが建設され、さらに支流では60基以上が稼働している8)。ラオスは「東南アジアの電力源」を標榜(ひょうぼう(M. Nijhuis, 2015)し、新たに数百基もの水力発電所の建設を進め、近隣諸国への売電による収益確保を目指している9)。メコン河の本流においても、サヤブリ・ダムとドンサホン・ダムの2基が建設された。サヤブリ・ダムは2019年11月に、ドンサホン・ダムは2020年1月にそれぞれ完成した。とくにサヤブリ・ダムは、中国以外では初めてメコン河本流に建設され、着工に際しては国際社会においても物議を醸した10)。カンボジアも本流には建設していないが、たとえばセサン下流2ダムをはじめとして、支流におけるダム開発を進めている11)

 以上のことを踏まえると、前述したハングリーウォーターや漁獲量減少などのような、メコン河流域の随所で見られるさまざまな異変の原因として、中国だけでなくラオスやカンボジアの本支流でも進められるダム開発が影響していることは間違いない。他方、流域国における人口増加と急速な経済発展、カンボジア・ラオスにおける電化率の低さと高騰する電気料金、温室効果ガスを排出しないクリーンな電力源といった観点からは、ダムによる水力発電が“最適解”だとする考えもある。このような複雑に絡み合う多様なステークホルダーの利害やニーズを調整しなければならないという、非常に難しい問題にメコン河流域は直面している。


3.メコン河流域の水資源管理の動向

 メコン河流域におけるこれらのダム開発の計画や水資源管理について、流域国間での調整・対話の場となってきたのがメコン河委員会(Mekong River Commission,以下MRC)である。MRCは1995年に設立された流域委員会で、ラオス以南の下流域4か国が加盟しており、その前身は1957年に設立されたメコン河下流域調査調整委員会である。上流の中国・ミャンマーは正式な加盟国ではなく、ダイアログパートナーとしてMRCの会合に参加している12)。MRCは目指すべき流域のビジョンとして「経済的に繁栄し、社会的に公正であり、環境的に健全なメコン河流域」を掲げる。その実現のために、「加盟国相互の便益および人々の幸福のために水と関連する資源の持続可能な管理と開発を促進し、調整すること」をMRCのミッションとしている13)。具体的な指針として、MRCは統合的水資源管理(Integrated Water Resources Management,以下IWRM)に基づくメコン河の流域管理を志向してきた(MRC, 2006)。その内容は、水そのものだけでなく、関連する環境、能力開発、航行、漁業、観光などの諸領域も統合的に考慮して、持続可能な流域管理を目指す考え方である14)

 とくに本流におけるダム開発について、MRCは慎重を期して議論を重ねてきた。MRCは、前身のメコン河下流域調査調整委員会のときから原則としてきた「通知、事前協議、および合意の手続き(Procedures for Notification, Prior Consultation and Agreement,以下PNPCA)」を引き継ぎ、1995年の設立時の協定にも盛り込んだ。つまり、メコン河本流において開発を行う場合には、加盟国間で事前に通知し合い、協議の場を設けて合意に至ることを前提条件としてきたのである15)。他にもたとえば、環境影響評価やNGOなどの地域のステークホルダーとの会合を行う16)など、総合的に検討を行っている。

 しかし近年では、ダム建設に歯止めをかけられないといった点からMRCの限界を指摘する声も上がる。実際、ラオス・カンボジアで持ち上がった11基の本流ダム計画に際しては、MRCは2010年に委嘱して環境影響評価を行い(ICEM, 2010)、その結果を受けて建設の10年延期を勧告した。本流のダム建設は地域の食料供給に壊滅的な打撃をもたらし環境を不可逆的に破壊するおそれがあると指摘されたためである。しかし、ラオスは勧告に耳を貸さず、サヤブリ・ダムの建設を強行してしまったのである(M. Nijhuis, 2015)。また、IWRMの考え方に基づけば流域全体を一体的に管理することが求められる一方で、MRCは支流におけるダム開発をまったく考慮していない17)

 くわえて、MRC加盟の下流4か国は必ずしも一枚岩の協調関係にあるとは言い難い。南シナ海の領有権をめぐる対立で、中国とベトナムの関係が冷え切っている。その一方で、ラオスやカンボジアが進めるダム開発やインフラ整備の多くは中国資本である18)。またタイでは、北部の住民が先述のサヤブリ・ダムをめぐる集団訴訟や、中国による水上交通路整備のための発破工事を阻止する抗議運動を起こす(M. Nijhuis,2015)など、流域国間の利害関係は錯綜している。

 以上のように、昨今では最上流国の中国によるこの流域への影響力行使が目立ってきている。中国は2016年に  瀾 滄 江  (らんそうこう/ランチャン・メコン協力(Lancang-Mekong Cooperation,以下LMC)を立ち上げた。瀾滄江は、中国領内を流れるメコン河の中国名である。中国は、LMCを介して2国間ベースでの経済的・技術的協力を供与し、メコン河流域各国との関係強化を進めている19)。2019−2020年の乾期における深刻な干ばつの際には、タイなどの要請に応じて中国が特別措置としてダムの放流量を増やした20)。また最近では、LMCの水研究センターがMRCと協定を結び、水文データの年間を通しての共有が約束されるなど、歩み寄りを見せている21)

 流域外からは、たとえばアメリカがメコン・アメリカパートナーシップ(Mekong-US Partnership、以下MUSP)を2009年に組織して、中国を除く流域5か国に対する支援を行ってきている。MUSPはメコン下流域イニシアティブ(Lower Mekong Initiative、以下LMI)を立ち上げ、環境や経済、人間開発の分野での協力を進めてきている22)。背景には、中国によるメコン河流域諸国への影響力拡大があるとみられる。実際、2020年9月にMUSPの初会合が開かれた際、アメリカのポンペオ国務長官が「中国共産党が一方的にダムを操作し、メコン地域の歴史的な干ばつを悪化させている」と中国を痛烈に批判23)するなど、両国対立の舞台として流域諸国が巻き込まれている。

 これまで述べてきたメコン河流域の水資源管理をめぐる動向を整理してみると、ダム開発による地域レベルの社会・環境および地域住民の生活への影響が懸念される。ダム開発の観点では、MRCによる管理の限界が指摘される一方で、中国資本あるいは中国への売電が目的のダムが本支流で次々に建設されLMCの存在感は増すばかりである。しかしながら、MRCはIWRMの概念に基づいてNGOなどの地域レベルのステークホルダーとの対話も行ってきた一方で、LMCにおいて中国は下流域各国との2国間協調を基本としている(C. Middleton & D. Devlaeminck, 2020)。したがって、国家間関係を重視するLMCと中国が、地域の社会・環境と住民の生活を置き去りにしてしまうのではないか、という疑念が拭い切れないのである。


4.現場から見えてくるメコン河の水資源管理ガバナンスの課題

 これまで述べてきたように、メコン河が国際河川であるため、水資源の管理について考えるときには国家間の関係に焦点が集まりやすい。しかし一方で、水を実際に使うのは流域で生活する個々の地域住民であり、既述のような異変の影響を被るのもまた、彼らであることを忘れてはならない。これは、水資源管理についてガバナンスの観点から考える際に、ステークホルダーの重層性を考慮することが重要だと強調されてきた所以である。以下では、筆者がカンボジアの農村地域で行ってきた調査内容も交えながら、メコン河の水資源管理が抱える課題を地域レベルから考察する。

 メコン河流域におけるダム建設が始まってからの、地域住民の生活への影響はさまざまな形で報告されている。M. Nijhuis (2015) によれば、ラオスのとある農村では、雨期になると中国のダムからの放水によって洪水が発生するため、天気予報のチェックが欠かせなくなったという。朝日新聞の報道では、ベトナムのメコンデルタでは一時、干ばつのために日ごろ購入する飲料水の価格が10倍に跳ね上がったという24)。メコン河とつながっているカンボジアのトンレサップ湖では、2019年の漁獲量が最大90%減少したという。干ばつのために水深が浅く、水中の酸素も少ないせいで魚が大量死したということだ25)

 ダム開発による影響には、農村地域の住民のほうが都市部の住民より脆弱(ぜいじゃくである。筆者によるカンボジア北部のクラティエ州の農村におけるインタビュー調査では、「雨期の洪水と乾期の干ばつが深刻さを増し、日常生活に大きな影響が出ている」との旨を住民が口をそろえて答えた26)。雨期の洪水については、住宅が高床式で建てられているにもかかわらず水没し屋根のすぐ下まで浸水するそうだ。日本では当たり前に設置される避難所のような施設はなく、自分の生命を守るために屋根の上に逃げざるを得ないのである。しかも、長い場合には20日もの間水が引かずに、屋根の上で過ごすのを余儀なくされることもあるという。

 乾期には反対に、通常彼らが水源としている支流はほとんど水がないか干上がってしまうため、生活用水の確保が困難になる。カンボジアの農村地域では公共の上水道が整備されていないところが未だに多い。そのため、筆者が現地を訪れると、干上がった支流の川底を掘削して湧き出した水をポンプで汲み上げ住民に売るというビジネスが行われていた。また、メコン河の本流でタンク車に水を汲み入れて、売って回る行商も多く見かけられた(写真2)。価格はカンボジアではよく使われている水瓶1つにつき約1ドルで、3−4日間は使える量だという。だが、彼らの月収は20ドルほどしかなく、限られた生活費の多くを水に割かなければならないのが現状である。そのうえ、これらの水は浄水されないまま販売されるため、下痢症や皮膚疾患などに罹患(りかんすることもあるという。

 
写真2 メコン河本流から水を汲んで販売するタンク車
写真2 メコン河本流から水を汲んで販売するタンク車
出所:カンボジア北部・クラティエ州にて2020年2月29日に筆者撮影

 さらに悪いことには、以上のような問題に対処できるほど、地域レベルのガバナンスが整っていない。たとえば乾期の生活用水の問題について、川底の地下水やメコン河本流の水を汲み上げて売るのに、行政から許可を得る必要はないのだという。そのような私的な水の小売ビジネスの代わりに、地方自治体が公共サービスとして給水することも、代替案として考えられる。しかしながら、カンボジアでは地方自治行政の経験は浅く、予算も人材も職員の能力も限られる27)ために、それぞれの村でそのような公共の給水サービスを独自に展開するといった対応をとることは難しいのが実情である。

 これまで紹介してきた農村地域の実情を踏まえ、メコン河流域の水資源管理を重層的なガバナンスの視点から考察して見えてくる課題は、ダム開発による社会・環境の変化に脆弱な農村地域の住民への影響の深刻化である。上流におけるダム開発によって生じる水資源・環境の変化に対して、農村地域の住民は即座には適応できず、また地方行政もそれに対応する能力に欠けているためである。このような脆弱なガバナンスをまず改善せず、また農村地域の住民が詳しいことを知らされないまま水資源開発が進めば、農村地域の住民が被る負の影響の深刻化は免れない。


5.地域へのまなざしをもつことはできるか?

 これまでの議論を総括すると、メコン河流域における持続可能な水資源利用のカギを握るのは、「地域レベルへのまなざしを含む流域大の視点をもつことができるか」であると考える。現状では、メコン河流域の水資源のガバナンスを重層的に見たときに、ダム開発を急速に進める国レベルとその影響を受ける地域レベルに大きな乖離(かいりがあるといわざるを得ない。

 実際、筆者のインタビュー調査やM. Nijhuis(2015)によれば、農村地域の住民でさえも電力の確保とダムの必要性は十分に認識していることがわかっている。彼らが受け入れられないのはダムそのものではなく、その恩恵を一部の都市のみが享受し自分たちは負の影響だけを被っている、という不公平さである。より直接的には、ダム建設に際して、住居や職などの十分な補償がないまま立ち退きを強制されるケースも、未だに起きているという28)。さらに、人為的な開発行為に加えて、住民らは気候変動による影響にも適応しなければならない。地域レベルにおける水資源管理のガバナンス改善は、まさに喫緊の課題である。

 その意味では、開発の当事者であるMRCとLMCおよび流域各国には、地域レベルの水資源管理のガバナンスを改善する大きな責任がある。しかしながら、既述のように地域レベルを含むさまざまなステークホルダーと対話してきたMRCに比べ、国家間関係を重視しダム建設を推進するLMCと中国のほうが存在感を増してきている。またMRCについても、本流におけるダム建設に関するPNPCAは有名無実化しつつあるし、ラオスやカンボジアが支流域でダム開発を推進するのに対して、MRCはそこまで管理が行き届かない現状がある。

 それでは、これらのメコン河流域の当事者たちに地域レベルへのまなざしとガバナンス改善に向けた対応をもってもらうにはどうすればよいのか。筆者は、アメリカや日本などの域外のアクターに期待をしたい。アメリカについては既にふれたように、MUSPという協力の枠組みを構築しLMIの下で環境保全技術や教育、職業訓練などの人材開発といったソフト面で、とくに農村地域に対する支援に力を入れている29)。メコン河流域における中国のプレゼンス拡大を意識した対抗策であることは、既に紹介したポンペオ国務長官の発言からも明確である。両国のイデオロギー的なパワーゲームにのみ固執するのではなく、中国とは異なる路線での支援を推進する形で存在感を示すこともできるだろう。

 また、メコン河流域諸国の多くは親日であり、日本の役割に期待する声も聞かれる。あるNGOの事務局長は、朝日新聞の取材に対して以下のように答えている30)


 (メコン河流域)で、「メコン流域国は民主的な政治体制を備えていない」ことを忘れてはなりません。環境影響評価や土地収用に伴う補償はずさんです。住民参加のシステムもありません。だからプロジェクトが進むのです。

 日本の巨大インフラは、住民合意がなければ何十年かかっても造ることができませんよね。日本でできないものは、ラオスでもカンボジアでもできないはずです。中国との競争もあるでしょうが、日本は日本の規範をもとに、この地域に関わってほしいと思います。


 メコン河流域の水問題は、日本にとっても関係が深く、対岸の火事ではない。農作物や水産物の一部は日本にも輸出されている。日本政府もメコン河流域諸国への協力・支援を続けてきており、2020年11月13日に開催された首脳会議で第12回を数えた31)。インフラ整備というハード面の支援だけでなく、日本が蓄積してきた環境影響評価や立ち退きに対する補償制度、住民参加の仕組みといったソフト面の協力もあわせて輸出し、メコン河下流の農村地域のガバナンス強化にも貢献してほしい。


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