イフガオの世界遺産棚田とエコシステム

長崎大学 環境科学部 教授 吉田謙太郎

1.日本の棚田保全と世界遺産
 生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が終了し、生物多様性や生態系、生態系サービスといった用語に対する一般市民の認知度も、いっそう高まってきている。COP10の主要議題は、遺伝資源へのアクセスと利益配分(Access and Benefit-Sharing : ABS)とポスト2010年目標の策定であり、棚田とは直接関係ないように思われるかもしれない。ところが、COP10支援実行委員会の公式ウェブサイトのトップページは、愛知県新城市の四谷千枚田であった。テレビ番組などにおいても、トキとコウノトリという再導入された生物種を育む重要な採餌場として、棚田ではないが、水田の重要性がしばしば語られる。
 このように、水田と環境の親和的な関係が積極的に語られるようになった歴史はそれほど古くはない。国内の棚田保全の歴史は、1970年に補助金交付が開始された石川県輪島市の白米(しろよね)千枚田に始まるといえる。国道249号線沿いの海岸に面して耕作される千枚田の絶景は、重要な観光資源として地元において認識され、93年には、千枚田景勝保存基金も設立された。92年には、四万十川源流部の高知県梼原(ゆすはら)町において国内初の棚田オーナー制度が開始され、95年からは全国棚田サミットが開催されている。
 農業の公益的機能(多面的機能)は古くから認知されてきていたが、棚田の多面的機能が里地里山の象徴として取り上げられるようになったのは、1990年代後半のことである。1997年にはOECD(経済協力開発機構)地域計画プログラムの公式会議が日本で開催された。農村アメニティを保全するための受益者負担原則の確立などを主要議題とするOECD公式会議において、政策ガイドラインを作成するためのケーススタディとして、また各国代表団の視察先として、輪島市、奈良県明日香村、大分県由布市の棚田や水田景観保全システムが大いに注目を集めた。その公式会議の成果を取りまとめた刊行物の表紙も、また棚田であった(OECD 2001)。
 さて、1990年代後半の国内の棚田保全を進める際に、フィリピンのイフガオ棚田が1995年に世界遺産に登録されたという事実が心理的に後押ししたことは否めない。棚田のように、毎年、手入れを繰り返し、稲作を行うことにより保たれる景観が世界遺産に登録されたことは、当時、農業の多面的機能研究を続けていた私たちにとって、どこか遠い世界の話しながらも、大いに勇気づけられたことを思い出す。
 この9月に、INWEPF(International Network for Water and Ecosystem in Paddy Fields:国際水田・水環境ネットワーク)の会合と現地視察のため、イフガオ州のバナウェを訪問する機会に恵まれた。日本人の農業関係者にとって、とくに有名な世界遺産であり、多くの日本人が訪れたイフガオ棚田について、会議のついでに1度訪問しただけの筆者が語るのは少々荷が重く、不正確な記述にお叱りを受けるのではと危惧している。しかしながら、国内外の棚田や水田を見聞した事例と重ね合わせつつ、COP10に関わることにより得られた知見も交えて、エッセイ調で語らせていただくことをお許し願いたい。

写真1 観賞地点から見たバナウェの棚田
写真1 観賞地点から見たバナウェの棚田

2.世界の棚田とエコシステム
 「イフガオの棚田は遠かった」。イフガオを訪れた人々から、しばしば聞かされる感想である。棚田の景観美よりも、まず現地に至る道のりの厳しさが印象に残るのはいかがなものかと思うが、私の帰国後第一声も「いやあ、遠かった」であったことに気づき、失笑せざるを得なかった。バナウェの町に到着した後も、棚田を見に行くまでにかなりの時間を要する。円形劇場風の景観で有名なバタッドにある棚田は、ジプニーで山の峰まで行くにも、いくつもの崖崩れを避け、谷底への転落を覚悟しながら進み、さらにそこから山道を1時間以上も棚田まで歩くという過酷な道のりであった。

写真2 バタッド村の円形劇場風棚田
写真2 バタッド村の円形劇場風棚田

 私にとっての世界三大棚田は、中国雲南省元陽、インドネシアのバリ島、そしてイフガオである。北海道の軽種馬(けいしゅば)農家に生まれ、原野ともいうべき空間に育った私にとって、棚田は遠い内地の世界の話であった。私が生まれて初めて棚田を見たのはバリ島であった。大学院生時代の1992年、初めての海外旅行先としてバリ島を訪れた際に、私が農学部に所属していることを知った現地ガイドが、棚田と合鴨(あいがも)農法の水田を案内してくれた。バリ島の棚田がスバック1)という独特の水利組合システムを有していることを知ったのは、農林水産省に入ってからのことであった。当時は、その急勾配の棚田の間にヤシの木のある風景が印象的であった。

写真3 雲南省元陽の棚田
写真3 雲南省元陽の棚田

 農林水産省では、国内の棚田を頻繁に訪問する機会を得た。そして、アメリカのミズーリ州で暮らしていたときには、お隣のアーカンソー州がカリフォルニア州に並ぶ稲作地帯であることを知り、水田地帯を家族で訪れた。等高線上に畔(あぜ)がきられた田んぼは、勾配の緩い大きな棚田のようにも見えた。オーストラリアで見た水田も同様であった。なお、オーストラリアでは、頻繁に発生する干ばつと水価格の高騰により、最近では水稲の作付面積はほぼゼロである。GATTウルグアイ・ラウンドの頃は、コメ輸入自由化を迫るオーストラリアに対して、水不足の観点から持続的な供給に疑問を投げかけていた識者も多かった。その予測が的中したことは、今後の食料自給を考える上で示唆的である。
 2005年には、棚田学会の主催する雲南省元陽の棚田現地見学会に参加した。雲南省元陽の棚田も遠く、無謀な追い越しを繰り返す暴走バスでさえ、昆明市から8時間以上かかるベトナム国境近くに棚田はあった。哈尼(ハ ニ)族などの少数民族が暮らす元陽の棚田は、信じられないほどの巨大なスケールであった。どこもかしこも、全て棚田。山間部の頂上近くから山裾に至るまで、そして見渡すかぎりの山肌に彫刻刀で刻んだ線のように見える棚田。そして崖上から見下ろすと、植物細胞が並んでいるかのように見える棚田が果てしなく続いていた。現地見学会の案内役を務めて下さった著名な写真家の青柳健二氏は、「吐き気がするほど美しい」との名言でその景観を評したほどである(青柳2004)。
 元陽の棚田のエコシステムの特徴は、山腹のほぼ全てに作られた棚田、そしてその一角にある数百か数千かの人々が暮らす集落、そして棚田の上にわずかばかり残された森林、そして水牛である。元陽は雨量が多く、冬に田んぼに水を張ることでも知られ、溜池も多数見られる。元陽にかぎらず、棚田を見るときは水源がつねに気がかりである。千葉県鴨川市の大山千枚田2)のような天水田もあるが、多くの棚田は水源の確保がそのスケールを決定づける重要な要素となっていると考えられる。そのエコシステムの構成に、人々の英知と長い歴史の息遣いを感じることができる。
 この10月、長崎県南島原市へゼミ旅行のイルカウォッチングに出かけた帰り途、学生の希望があり、日本の棚田百選に選ばれた谷水棚田を訪ねた。雲仙普賢岳と天草を望む谷水棚田の絶景はすばらしく、バナウェの棚田に劣らぬ景観であると感激した。学生たちも水の出どころが気になるらしく、「先生、水はどこからきているのですか」と尋ねてきた。私は、「上を見ておいでよ」と学生たちを促した。学生たちを待つ間、私は農作業中の女性に水源を尋ねたところ、水源は湧水で、初夏にはホタルも舞うとのことであった。水源を見つけられず、足を滑らせながら帰ってきた学生たちにそのことを教えると、納得したようであった。

写真4 南島原市谷水棚田で水源を探す学生たち
写真4 南島原市谷水棚田で水源を探す学生たち

 棚田は、山間地に暮らす人々が、森の恵みに加え、自分たちの生活に必要とされる最低限の食料を生産するために工夫を凝らした水田である。商業的な観点の効率性から作られたわけではなく、エコシステムの一部として、自然の恵みを最大限に利用しながら、持続的に食料を確保するためのものである。森林、水源、棚田、集落や住居、家畜、生活の道などが一体となって地域独特のエコシステムを形成していると考えることができる。
 エコシステムという観点から見ると、バナウェの棚田は、元陽のような想像を絶するスケールではなく、ややコンパクトであるとの印象を受けた。もちろん、日本の棚田とは比較にならないが、棚田の上部や周囲の山々に開発可能な森林と水がありながら、控えめに山の一部に棚田が作られていたからそう感じたのであろう。現地の日本人専門家からも、森林を守るためのいわばゾーニングが古くから行われてきたからこそ、2000年間にわたって棚田が守られてきたのではと聞き、納得することしきりであった。
 上記のエコシステム論は、あくまで先入観と断片的な知識をつなぎ合わせた仮説に過ぎない。SATOYAMAイニシアティブ3)に注目が集まっている昨今の情勢に照らし合わせてみると、地域全体のエコシステムのなかでの棚田の役割と形成過程について、伝統的知識の観点から情報をアーカイブ化していく取組みがあってもよいのではないかと思う。日本にかぎらず、バナウェにおいても、若者の流出などにより耕作放棄が進み、2001年には危機遺産に指定された。棚田のエコシステムが、かつての里山のように、記憶の彼方に葬り去られる前に、何らかの形で将来世代に継承される仕組みが必要であろう。

3.棚田保全と生態系サービスへの支払い
 COP10で注目を集めたプロジェクトに、「生態系と生物多様性の経済学(The Economics of Ecosystems and Biodiversity)」(以後、TEEB)がある。TEEBは生物多様性版スターンレビューと呼ばれ、生態系と生物多様性の経済価値の重要性に加えて、生態系サービスを維持保全するための仕組みとして、「生態系サービスへの支払い(Payments for Ecosystem Services)」(以後、PES)を推奨している。日本のPESはおもに農業や森林分野に多く、筆者もTEEBプロジェクトに参画し、日本のPES類似事例として中山間地域等直接支払制度などを紹介した。PESは、生態系サービスまたはそれを保証する土地利用に対する、受益者から供給者への自発的な取引である。最近では、政府の間接的介入による助成金や認証制度、エコツーリズムの入場料などもPESとして広義に解釈されている。
 生物多様性条約の関係では、農業分野からトキやコウノトリのような再導入された野鳥と周辺水田、宮城県大崎市のラムサール条約サイトである蕪栗沼とその周辺水田などに注目が集まっている。しかしながら、生態系サービスへの支払いという観点からは、棚田オーナー制度に並び(寺田・吉田2005)、棚田で生産されたコメへのプレミアム価格の付加もその典型事例であり、注目に値する。バナウェでは年間の取扱量は10トンと少ないものの、RICEというNGOが関与し(www.heirloomrice.com)、慣行米に5〜10倍の価格差を付けた「有機+世界遺産+世界8番目の不思議(イフガオの棚田のこと)」のプレミアム棚田米が、ネット販売などを通じてアメリカへ輸出されている。バナウェの9つの村(集落)が関わるプロジェクトとして、今後の展開が注目される。
 世界遺産による観光化に加えて、PESを活用した取組みを実施したとしても、都市との経済格差は大きく、人口流出などによる棚田の危機は去らないかもしれない。しかしながら、棚田を保全するための数々の取組みが行われているバナウェの経験は、同様な問題を抱える各国の棚田保全に役立てられる可能性がある。

写真5 棚田に溶け込む小学校の校舎
写真5 棚田に溶け込む小学校の校舎

4.日本的な棚田の楽しみ方の再発見
 棚田の楽しみ方は各人各様であるが、棚田のなかに伝統的ではない人工構造物が目に入るとがっかりされる方も多いだろう。1997年のOECD農村アメニティ現地視察の際に、某県の職員の方から、「これまで農水省からは狭くて不整形な田んぼを整えるよう指令が出ていたのに、昔のままの風景が良いなどと、180度違うことを急にいわれても困る」と、怒られた経験が筆者にはある。他方、輪島市の千枚田のなかにはカラー舗装された農道が走り、写真家の方が嘆いていたことも思い出される。南島原市の谷水棚田の水路と農道もコンクリート張りであり、一見すると石垣の棚田の構造美をじゃましているかのようである。世界遺産のバナウェの棚田でも、コンクリートで補強された石垣などが目に付いた。しかしながら、日本のように国土のすみずみまで整備を進め、省力化のため予算を投下してきたことが、今に至るまで細々と棚田を継続させてきた大きな要因であろう。谷水棚田周辺には、今もなお大面積の棚田が一面に拡がっている。島原湾を見下ろし、雲仙普賢岳を望む棚田景観のなかに、コンクリートの小学校校舎が溶け込んでいる。棚田では、おそらくその小学校へ通うであろう小学生の姉弟が、祖父母と掛け干しを行う姿が目に入る。
 長野県千曲市の姨捨(おばすて)棚田や鴨川市の大山千枚田などにおいても、棚田オーナー制度導入前に、旧構造改善局の予算が投下され、先駆的都市農村交流を支えてきたことは、私たちにとって忘れがたい事実である。単純にコンクリートの構造物を被写体に入れない棚田愛好家も多いが、ほ場整備などが現代の棚田を支えていることを考えると、二次的自然と非伝統的人工構造物との調和を楽しむことも悪くはないかもしれない。元陽の棚田を見た際には感じなかったことが、バナウェと南島原を見て感じたことは自分にとって意外な発見であった。

<引用文献・参考文献>
1)寺田憲治・吉田謙太郎、「棚田オーナー制度の持続性に関する要因分析」「農村計画論文集」第7集、211-216、2005
2)OECD著・吉永健治・雑賀幸哉訳、「ルーラルアメニティ」、家の光協会、2001
3)青柳健二、「アジアの棚田日本の棚田」、平凡社、2004

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