Senior High School

アジアで学ぶ・アジアに学ぶ高校生

中野学園 オイスカ高等学校 広報課 林久美子

1. 変な学校??
  静岡県浜松市の西にある小さな高校。生徒数2 6 0 人。そのうちの4 5 名が外国人。畑で作物栽培をし、茶摘みや田植え、稲刈り実習があり、学校裏の浜名湖に造成した人工干潟では土壌浄化のためにマングローブを育て、学校林では育林作業をする。
  農業科や林業科ならわかるが、普通科の高校で、このような体験をする学校はちょっと変わっているかもしれない。ISO1 4 0 0 1〔環境マネジメント・システムに関する国際規格〕の認証を取得し、リサイクルや太陽光発電にも積極的に取り組んでいる。敷地内には学生寮があり、神社もある。校舎の上には天体ドームがあり、観望会も行われる。2年次には、全員がアジアのいわゆる開発途上国へ2.4週間の研修に出かけて、国際NGO (非政府組織)の開発協力現場での体験をする。
  この「変わった学校」が、オイスカ高等学校(以下本校)。国際NGOオイスカ(以下オイスカ)が設立母体であり、その理念に基づいた教育を行っている。上記のような体験学習が多いほか、授業のなかに「国際協力」や「環境保全」といった本校独自の教科もあって、作物栽培も「自然理解」という授業の一環として行っている。
2. オイスカの活動
  オイスカは、1 9 6 1 年に設立され、アジア太平洋地域で農業技術指導を通した人づくり協力を行っているNGOで、現在2 6 の国と地域に組織を持つ。農林業などの指導ができる研修センターを国内外に有し、国や地域の発展のための人材を育成しており、すでに多くの研修センターは、現地に移管され、かつて研修生だった青年たちがリーダーシップを発揮して、その運営にあたっている。


写真1 生徒たちにとって、人生初のマングローブ植(フィリピン)

 また、1 9 8 0 年からは植林活動にも力を入れ、9 1 年にスタートした環境教育に主眼を置く、子どもたちの手による森づくりである「子供の森」計画は、現在2 6 の国と地域の3 9 7 4 校が参加し、多くの「森」と「自然を愛する心を持った子ども」が育っている。また、近年では環境保護活動への関心の高まりや国内企業のCSR機運の盛り上がりにより、多くの企業とのパートナー・シップで各種植林プロジェクトに取り組んでいる。具体的にはアジア各国や中南米やアフリカの一部の国での植林のほか、国内では富士山の植林活動も実施している。


写真2 「子供の森」計画で、植林活動に参加する子ども(フィリピン)

3. 海外研修概要
  本校では、このオイスカが行っているあらゆる活動の現場や人材をフル活用させてもらっている。
  なかでも最大といえるのが、海外研修である。本校が掲げる「自然の恩恵に感謝し、国際社会に貢献できる心豊かな日本人を育成する」という教育目標の達成に向けた、各種教育活動の集大成と位置づけてもいいだろう。
  本校では1 9 8 1 年の開校以来、2年生が全員これに参加し、オイスカの活動現場で国際協力や植林などの環境保全活動を体験する。そこには、どれほど時間をかけても、机上では学び得ない、貴重な学びがあふれている。
  その概要を、2 0 0 9 年度の実施例を挙げて紹介させていただく。
  派遣先はインドネシア、タイ、フィリピンのアブラ州かネグロス島の4コースで、期間はいずれも1 1 月下旬からの2週間。年によっては、4週間のコースを設定することもある。生徒たちは、あらかじめ与えられた情報をもとに、希望コースを選択。生徒たちはもちろん、保護者のなかにも海外に2週間も滞在することを不安に思う方もいるため、事前説明会を開催し、オイスカのスタッフによる現地の事情説明や過去の事例紹介などを行っている。
  派遣コースが決定した後のコース別事前研修でもオイスカのスタッフにご協力いただき、各種レクチャーを実施している。また、現地での交流に向け、日本文化を紹介できるよう、踊りや歌の練習を行ったり、タイやフィリピンの留学生を先生にした現地語レクチャーなども実施したりしている。
  今年は新型インフルエンザの流行があり、早い時期から実施が懸念されていたし、出発直前には他学年に感染者が出てしまい、全校で何としても2年生への感染を防ごうと努力し、その結果、無事に全員が参加することができた。
  コースごとに学校を出発する時刻はまちまちだが、早朝の出発でも寮から1・3年生も出てきて、見送りをしてくれるのが恒例となっている。
  現地での活動はコースによって若干の違いはあるものの、いずれもオイスカの研修センターで研修中の現地青年たちと共に寝起きし、農業や木工、食品加工、養豚、養鶏、養蚕など、彼らが受けている各種研修に参加させていただいたほか、「子供の森」計画への参加、マングローブ植林や学校での交流活動やホームステイも体験した。
  どのコースもオイスカの日本人スタッフや日本で研修を受け、日本語が自由に話せる現地人スタッフがお世話をしてくれる。タイでは、本校に留学をしていた卒業生が2週間ずっと同行してくれ、生徒にとっても引率職員にとっても、とても心強く感じられたようでした。
  簡単に文字にしてしまえばこの程度のものだが、研修がどれほど生徒の学びにつながっているかを、生徒の感想文や報告書から抜粋し、紹介したい。

4. アジアに学び、日本を学ぶ
  「タイの留学生が、タイの国旗や歴史について教えてくれた。それを聞いていたフィリピンの留学生も、母国の国旗について教えてくれた。私は自分の(母国についての)知らなさすぎにショックを受けた」
  これは、事前研修で本校留学生から話を聞いた生徒の感想である。また、帰国後の感想にこのようなものもある。
  「フィリピンの学生たちは、自国に対する関心が高く、誇りを持っていた。自分はどうだろうか。私自身も、日本のことに関心と誇りを持ちたい」
  現地で日本に関する質問をされ、的確に答えられない自分を恥ずかしく思い、外国を知ること以上に、日本を知ることの大切さを感じる生徒が多くいるのだ。

5. 幸せって、なんだろう?
  また、日本がいかに恵まれているのかを痛感して帰ってくる生徒も多くいる。彼らはあわせて、「恵まれていることや経済的に豊かなことが、果たして幸せなのだろうか?」という疑問を抱きながら帰国し、自分なりの答えを見つけている。
  「観光ではできない、現地の生活を生で体験するなかで、感じたことは、お金のあるなしでは幸せかどうかを、はかれないということだ。僕らは、日本にいれば、遊びに行ったり、外食したりと、お金を使うことが多いが、フィリピンの貧困層では成人の給料が( 月に) 3 0 0 0 円以下と、僕らのお小遣いより少ないと知った。それなのに楽しく元気に暮らしている姿を見て、不満ばかりを口にする自分たちが情けなくなった。ホストファミリーは僕らを歓迎し、おいしい食事を作ってくれ、とくに研修中に誕生日を迎えた僕はパーティーまで開いてもらい、彼らの優しさと温かさを肌で感じることができた」
  「フィリピンは貧富の差が激しく、生活も日本に比べたら貧しいが、彼らの温かい笑顔から、心が豊かなのだろうと感じた。彼らとの交流を通して、本当の豊かさとは何だろうと考えさせられた。人として、どう生きていかなければならないかという道を教わった気がする」
  「帰国後、日本は恵まれすぎていると感じた。ある日、食堂に一年間に出る残飯の量が掲示されていた。それが、いったい途上国の人たちの何日分の食糧になるか想像もつかなかったが、ものすごく情けない気持ちになった。結局、それまでの私は恵まれていると口では言いながら、実際には気がついていなかったのだ。私は、毎日、出されたものを残さず食べることにしている。それで飢えに苦しむ子どもたちのお腹が満たされるわけではないが、今の私にできる唯一の償いだと思う。今まで何百回と口にしてきた『いただきます』と『ごちそうさまでした』を、1 7 歳になって初めて心から言えるようになった気がする」
  テレビがない、トイレには紙がないし、いくら歩いてもコンビニもないという、ないものだらけの生活、ボタンひとつで脱水までしてくれる洗濯機もなく、自分で井戸の水を汲み上げ、脱水は友だちと協力して絞る洗濯体験。このような環境は、不自由なく育ってきている世代の高校生にとってたいへんなものであると思うが、ものを大切にする気持ちを生み、人と協力して物事を進めていくことの大切さを気づかせ、そしてそのためには人とのコミュニケーションが大切であるということを理解させてくれる。


写真3 現地の子どもたちに囲まれ、折り紙を教える(フィリピン)

6. 日本人ってすごい!
  研修が、今の日本での生活を省みることにつながっている生徒も多いが、反対に日本人の良さに気がついて帰国する生徒もいる。
  「ホームステイ先では、お父さんが学校に送ってくれることになっていたのに、準備をして待っていてもなかなか来なくて、時間に遅れてしまうのではないかと、毎朝、心配をしていました。日本人と違って、時間を守る気持ちが薄いように感じました」
  「学校訪問をした際、折り紙や日本語を、子どもたちに教える授業も体験しました。日本人にはなじみの深い折り紙も、フィリピンの子どもたちには難しいらしく、きれいに半分に折ることを教えるだけでも時間がかかりました。よく、日本人は手先が器用だといいますが、これはそういうことなのかな、と思いました」

7. 本当の理解
  環境保全への視点に関しても、日本で勉強してきた事実が植林などの実践を通し、実感のあるものとして彼らの心に働きかけ、改めて自分のありようを振り返ることにつながっているように感じられる。
  「これまで授業で『子供の森』計画について勉強したり、生徒会で支援したりしてきましたが、行く前は本当に成果が出ているのだろうか、子どもたちはいやいや参加しているのではないだろうかと思う気持ちもありました。しかし、子どもたちの姿は全く逆でした。急な斜面をものすごい速さで駆け上がり、苗木を植え、へとへとになっている私のところまで降りてきて、私の苗木を取って、また登って行って植えているのです。しかも笑顔で! その積極的な姿勢と、輝いている笑顔に安心すると同時に励まされ、これからもこの活動の支援の輪を広げていこうと思いを新たにしました」
  「タイでは、自然にふれる体験を多くし、これまで頭でわかったつもりになっていた、自然を大切にしなければいけないということが体で理解できました。地球温暖化など人間の生活が原因となって、地球はどんどん変化しています。もう、元通りにはならなくても、未来の子どもたちのために、少しでも地球をよくしたいという気持ちが強くなりました」
  「植林地の視察はショックだった。山に木が全然なかったのだ。地すべりしたところ、山火事で真っ黒になっているところもあった。そんな元気のない土の上をさみしい気持ちで歩いていると、目に飛び込んできたものは先輩たちが植えた若木だった。こんな荒れた山の中でも、太陽に向かってまっすぐに伸び、一生懸命生きている。そのとき、私は無性に『フィリピンの山を、自分の手で、緑いっぱいの豊かな山にしたい』と思った」
  「マングローブ植林では、以前に先輩方が植林した地を見て、うっそうと生い茂る森と化している姿を見た時は、心から感動しました。その後、スタッフの方から、地域の人たちにマングローブの重要性を理解してもらい、活動に参加してもらうまでの苦労や、植林した苗木も波で流されたりしてしまうといった管理のたいへんさ、また心無い人たちによる伐採の被害などについて話を聞き、ここまでの森を育てるのに、どれだけの人がかかわり、時間をかけてきたのか私では想像も及ばず、言葉が出ず、たった2週間だけここに来て活動した達成感を得ている自分を恥ずかしく感じました。しかし、スタッフの方が、地域の人々に活動の大切さを理解してもらうためには、私たちのようにわざわざお金と時間をかけて活動に参加する日本人の若者たちの存在、そして、いっしょに活動することが大切なのだと聞かされ、少しは役に立っていることもわかり、ほっとしました」

8. 人の姿から学ぶこと
  実際の活動以外にも、生徒たちの心に大きな影響を与えているのが、現地で交流を持った人たちの姿である。とくに国際協力の第一線で、さまざまな苦労をしながらも、地域の発展のために、日夜努力を重ねているオイスカのスタッフの姿は、印象に残るものになっているようだ。
  「研修中にいちばん感動したのは、私たちのために通訳やお世話をしてくださった方々の姿です。こんなふうにしてくださる方々の思いに、応えられるよう、がんばらなければならないと思いました」
  「産業がないネグロス島に養蚕を紹介し、農家の指導、製糸工場の立ち上げ、生糸の輸出と活動を続け、地域の産業を築いてきた、オイスカのスタッフの姿に男のロマンを感じました」
  「私たちが滞在したアブラ研修センターのデルフィン所長は、日本で研修し、帰国してから2 0 年以上、ずっとオイスカの活動を続けています。センターの活動資金は野菜や加工食品を販売した収入でまかなっているそうです。以前はあった、政府からの支援なども今はなく、厳しい状態です。そのような状況でも、フィリピンの発展のために、自分の生活もかえりみず、オイスカ活動を広めているデルフィンさんは本当にすごい人だと思いました。『生活はたいへんだけど、私がオイスカをやめたら、ほかに誰がやりますか!』という、デルフィンさんの言葉が印象的でした。今まで授業で国際協力やオイスカ活動について勉強してきましたが、イメージできずにいたことが、今回、アブラの活動を見ることで、理解でき、あらためて国際協力を考えるよいきっかけになりました」

9. 最後に
  百聞は一見にしかずというが、生徒の感想を見ていると、百聞あっての一見だとも思う。やはり、1 年半、環境や国際に関する授業で学んでいる延長にあるからこそ、「気づき」や「学び」の多い研修になるのであって、入学直後の生徒たちでは、ここまでの「学び」にはつながらないはずである。
  そして、研修後もその体験を持った生徒たちが、環境や国際について学び続けることで、「自然の恩恵に感謝し、国際社会に貢献できる心豊かな日本人」となって、日本にひとつしかない、この「ちょっと変わった学校」の卒業生となっていくのである。

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