バングラデシュにおける気候変動の影響と対策

国際協力機構(JICA) バングラデシュ国派遣専門家 田澤裕之

1. はじめに
  「バングラデシュという国で連想されることは何ですか」という問いに対して、「洪水が多い」という答えが多いかもしれない。また、毎年のように来襲するサイクロンの被害を思い浮かべる方もあるかもしれない。
  バングラデシュは、ガンジス川(写真1)、その支流のブラマプトラ川・メグナ川という世界的な国際河川の最下流に位置し、これらの河川やその支流、分流によって形成された平坦な沖積低地からなる低平地国である。


写真1 ガンジス川(ダッカ市郊外で撮影、対岸まで約10km ある)

 そのような国土(北海道と九州の合計面積に等しい)に、約1億6 0 0 0 万人が住んでいるという過密国、さらにその就業人口の5割強が災害の影響を直接受けやすい第1次産業に従事していることが、自然災害による被害を大きくしている要因となっている。そのため、この国は世界で気候変動の影響を最も受けやすい国の1つといわれている。そこで、この国における自然災害の状況と事例、気候変動の影響と同国政府などによる対応策について述べたい。


図1 リスクカレンダー

2. 気候と自然災害
  バングラデシュにおける自然災害とその発生時期は、年較差はあるが、毎年繰り返す可能性の高い一定時期・規模の災害をリスクカレンダーとして図1に示す。

(1)洪水
  バングラデシュは熱帯モンスーン気候影響下にあり、雨期と乾期の区分が明確である。雨期である6月から9月にかけては、年間降水量の約7 0%が降る。この雨期に、平均すると毎年国土の約3割が水につかり、1 0 年に一度の洪水では国土の約4割が堪水するとされる。
  バングラデシュ国外から3大河川などを通じての流入量は、国内降水量の約4倍といわれ、国内における降水時期と国外からの流入時期が雨期にほぼ重なるため、この低平地デルタには必然的に洪水が発生する。まず、主要3大河川の水量増加が支流の小河川の逆流を起こし、それが地表水の排水不良を引き起こし、後背低湿地を中心に洪水が発生する。
  この沖積低地の地形をみると、河道の両側に形成された氾濫堆積物からなる自然堤防とその後背地の湿地によって構成される。自然堤防の部分やそこから延長された土盛上に集落や道路など人間活動の場が設けられる。後背低湿地が雨期に洪水で湛水する部分であり、ここの生産活動としては、主に稲作や養魚などが行われている。
  この国の人々は、水害を及ぼす洪水を「ボンナ」とよび、毎年繰り返される規模の洪水「ボルシャ」と区別している。この国で洪水による水害が発生する「ボンナ」のケースは、堪水域が後背低湿地のみならず、自然堤防や盛土上の集落や道路に及んだ場合が多い。ボンナは、家屋や作物、家畜を水没させ、人的被害を及ぼすが、ボルシャであれば水と養分を他所から運んでくれるありがたいものである。


写真2 氾濫原農地(雨期)

写真3 氾濫原農地(乾期)

写真4 浸食が進行しているガンジス川右岸

 写真2は、2 0 0 9 年9月(雨期の終り頃)、写真3は1 0 年2月(乾期半ば)にダッカ市から西に約5 0km にあるマニクゴンジ県の氾濫原農地を撮影したものである。このように、雨期と乾期では洪水による湛水で全く異なる景観を呈している。
  政府も過去に海外援助機関との連携で洪水対策計画を策定し、洪水に対応してきたが、スケールの大きいガンジス川水系の洪水制御を行うことは容易ではない。これまでに築堤された堤防でも、毎年発生する河道の変化による浸食、決壊が繰り返されている。大規模な堤防を張り巡らし洪水を制御することは困難であるが、一方、堤防のない河川による両岸の浸食も深刻さを増していることも事実である(写真4)。

(2)鉄砲水・土石流
  前述した洪水は、徐々に水かさが増すタイプのものである。しかし、メグナ川流域のシレット地域の上流には年間降水量の世界記録2万6461mm (1 8 6 0 年8月.6 1年7月)を記録したインド領メーガーラヤ州・チェラプンチがある。ここは、ベンガル湾からの高温多湿な季節風が標高1 0 0 0m 以上のシロン高原に当たり、局地的に大量の降水がもたらされる。そのため、世界で最も湿った地域と呼ばれ、その下流に位置するシレット地域は、日本でも多く発生する鉄砲水のおそれがある地域となっている。シレット地域は高低差が大きく、低地の湛水深が1 0m を超すところもある。

(3)干ばつ
  逆に、雨期に降水が集中するため、乾期に干ばつに襲われる地域も出てくる。バングラデシュに干ばつ被害が生じることは意外かもしれないが、雨期と乾期における降水量の差が大きいことは先に述べた(雨期に年間降水量の約7 0%が降る)。さらに地域的に降水量の差が大きいこともあり、とくにインド国境に近い北西部では、乾期に干ばつ被害が発生することがある。
  モンスーン気候が温暖化により不安定化し、降水量の偏在化が進み、降水期はいっそう集中化する。逆にいえば、地域的に乾期における干ばつ発生の頻度も高まると考えられる。

(4)サイクロン
  ベンガル湾に毎年のように発生するサイクロンも、海岸地帯を中心に高潮や暴風雨による深刻な被害をもたらしている。定期的にベンガル湾に発生し北上するサイクロンは、これまで3年に1回の割合でバングラデシュ国内に被害を及ぼしており、その時期は図1にもある通り、モンスーン時期の前後に分散している。
  サイクロンが発生すると、時に数メーターにも達する高潮(気圧低下による海面上昇の影響も加わり、風津波ともいわれる)が秒速4 0m を超える強風により海岸に押し寄せ、海岸部の住民に甚大な被害を及ぼす。
  バングラデシュでは1 9 7 0 年(東パキスタン当時) と9 1 年のサイクロン被害における犠牲者数は、それぞれ約5 0 万人、約1 4 万人にのぼるとされている。近年では、2 0 0 8年4月にミャンマーを襲ったサイクロン被害の記憶が新しいところである(死者約1 4 万人)。

3. 気候変動とその影響
  そのような自然災害の多発する国土に、約1億6 0 0 0 万人が住んでいるという過密国、その就業人口の半数以上が災害の影響を受けやすい第1次産業に従事していることが、防災施設を含めた社会インフラの脆弱さとともに、被害をさらに深刻化する社会的な背景となっている。
  このような条件下において、気候変動の要素が今後加わると、これらの災害を極端に悪化させ、被害がさらに拡大するおそれが生じる。

(1) 予測される影響
  予測される影響としては、以下の点があげられる。
〔1〕海面上昇による海岸浸食や河川や地下水を通じての塩水浸入、塩害の発生拡大の懸念
〔2〕サイクロンの大型化、来襲頻度の変化および海面上昇がベンガル湾沿岸部の強風・高潮被害を拡大させ、海岸堤防の決壊、農地への塩水の浸入などが発生
〔3〕ヒマラヤ氷河が融解することによる河川の水位上昇や浸食、氷河や積雪の融解後は、河川水位の低下や沿岸部における塩水浸入のおそれ
〔4〕モンスーンの不定期化、極端でしかも不規則な大雨がもたらす洪水・鉄砲水・土砂崩れなどによる河川堤防の浸食・決壊、それに伴う家屋や農地への水害、道路や橋梁など社会インフラへの被害
〔5〕気候変動による降水パターンの変化や洪水、塩水化、干ばつの影響によるコメ、小麦などの減収
〔6〕海面上昇により、海岸部貧困農民層を中心とした環境難民が発生し、ダッカなど都市部に集中することで、スラム地区がさらに拡大するおそれ
  ちなみに、毎年発表される「世界1 4 0 都市住みやすさランキング」(英国国際経済誌「ザ・エコノミスト」調査)によると、首都ダッカは、2 0 1 0 年でワースト2という結果(ワースト1:ジンバブエのハラレ、ベスト1:カナダのバンクーバー) であった。
  これは、人口密度の高さからくる急激な都市化弊害としての大気および水の汚染、貧弱な社会インフラ、交通渋滞・失業率・住宅事情の悪化などが反映されている結果であるが、今後さらに気候変動の影響が拍車をかけるおそれがある。

(2)水資源について
  バングラデシュは雨期と乾期の差が明瞭であることは述べた。バングラデシュ国外からの河川を通じての流入量は国内降水量の約4倍、国内における降水時期と国外からの流入時期が雨期にほぼ重なるため、雨期の洪水制御と乾期の水管理が課題となっている。主要河川の上流域はインドがほぼ押さえていることから、今後もインドとの河川管理協調が不可欠となっている。
  また、バングラデシュにおける灌漑方式は、重力灌漑と比較すると、ポンプによる地表水および地下水揚水灌漑が多くみられる。重力灌漑が制約されている理由は、デルタ地帯の起伏の少なさが重力灌漑を利用した水管理体系を難しくしていること、および河川からの取水施設を設置するための硬い岩盤がデルタ地帯に少ないことが挙げられる。
  地下水灌漑では、地下水位の低下、塩水およびこの地で発生がみられるヒ素の地下水への自然混入が問題化している。政府としても最近、ほ場における節水灌漑に努めるよう問題提起を行っている。具体的には、ほ場に縦に打ち込まれた塩ビ管の地下水位をみながら灌水して、地下水位が稲の根域まで低下したところで再度灌水するという間断灌漑が検討されている。
  この方法により、地下水の消費を減らしたい、また、ヒ素に汚染された地下水灌漑による農用地土壌汚染や穀物への汚染を少しでも避けたいという、政府の意向があると思われる。しかし、いずれにしても気候変動による温暖化は気温の上昇による蒸発散量の増大をまねき、それは灌漑水量の増大を意味し、作期・灌漑期設定に対する、新たな自然的制限要因となることが考えられる。

4. 気候変動への対応策
  バングラデシュでは、毎年繰り返されるさまざまな災害に昔ながらの知恵で対応してきた。たとえば、土盛りした上に家屋や道路を造成することや時々刻々増水する洪水水位にあわせて成長する稲を栽培することなどで、毎年発生する洪水に適応してきた。また、先述した洪水対策計画による大河川の堤防護岸・主要都市の洪水防止、洪水予警報システム、湾岸部の防潮堤やサイクロン・シェルターによるサイクロン防御などの実施、さらに太陽光発電やバイオガス利用による、温室効果ガス削減の取組みも始まっている。
  2 0 0 8 年にはバングラデシュ気候変動戦略行動計画(BCCSAP)が策定され、適応策や緩和策を今後1 0 年計画の予定で、政府機関をはじめ民間企業、NGO、コミュニティを巻き込んで進めていくことが確認された。
  すでにコミュニティにおける活動として、とくに深刻な被害が想定される湾岸部ボルグナ県などで政府、地方自治体(県や郡〔バングラデシュではウパジラといわれている〕)、学校、コミュニティセンター、非政府組織(NGO)を巻き込んだ防災訓練に取り組んでいる。また、マイクロ・ファイナンスで著名なNGO・グラミン銀行では、太陽光発電、バイオガス、有機肥料、改良かまどを温室効果ガス削減の4本柱にして、農村にこれらが定着するよう活動を進めている。
  また、南アジア全体を見渡すと、海面上昇により国土存続の危機にひんしているモルジブや氷河縮小に直面しているネパールなど、気候変動の影響を受けやすい国が多いことが分かる。気候変動という国境を越えた取組みに対して、南アジア7か国で構成される南アジア地域協力連合(SAARC)のような場で対策に取り組むため、2 0 0 8 年7月に環境担当大臣会議がダッカで開催された。その際、バングラデシュ政府はこれまでの大規模災害に対する自国の防災経験を参加国で共有できる体制づくりを提案している。

5. おわりに
  バングラデシュは、海からは海面上昇に起因する脅威、山からは氷河融解に起因する脅威に両面から挟み撃ちされる状況という、気候変動の影響を最も受けやすい国の1つである。
  これまでバングラデシュにおける気候変動対策は、洪水対策をはじめとした防災対策、エネルギー対策、健康保健対策などバラバラに進められていた感が強かった。しかし、今後は、すでに策定されている総合防災管理プログラム(CDMP)とBCCSAPを国家開発政策に対する両輪とみなし、十分な相乗効果があがるよう取り組む必要がある。また、政府、地方自治体、地域コミュニティ、NGOなどを上手に組み合わせ、気候変動対策をこの国における包括的な開発計画の一環として強く促進する必要もある。

<参考文献>
1. 海津正倫『ガンジスデルタの地形』昭和5 9 年度地理科学学会大会発表要旨 
2. BANGLADESH CLIMATE CHANGE STRATEGY AND ACTION PLAN 2 0 0 8, Ministry of Environment and Forests Government of Bangladesh(http://www. moef.gov.bd/climate_change_strategy2009.pdf)
3. CLIMATE CHAGE AND BANGLADESH CLIMATE CHANGE CELL, Department of Environment of Bangladesh
4. 佐藤寛編『開発援助とバングラデシュ』アジア経済研究所 1 9 9 8 年  
5. 大橋正明、村山真弓(編著)『バングラデシュを知るための6 0 章』明石書店 2 0 0 3 年
6. B.L.C. ジョンソン著 山中一郎訳『南アジアの国土と経済 第2巻 バングラデシュ』 1 9 8 6 年
7. 田澤裕之、中嶋勇『気候変動による水田かんがい期設定の制約』平成1 9 年度農業農村工学会大会講演会要旨

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