パラグアイの農村開発への小規模植林CDM事業の活用

国際農林水産業研究センター(JIRCAS) 農村開発調査領域 統括調査役 松原英治

1. はじめに
  CDM(Clean Development Mechanism:クリーン開発メカニズム)とは、1 9 9 7 年に採択された京都議定書において、先進諸国の温室効果ガス(GHG)排出削減枠を補完するものとして、新しく導入された京都メカニズムと呼ばれるシステムの1つである。京都議定書では、加盟国のうち先進諸国が2 0 0 8 .1 2 年(第1約束期間)の5年間で達成すべき排出削減目標を定めているが、たとえば日本の場合、1 9 9 0 年比で6 %削減を宣言している。しかし、この削減量を国内だけの削減努力で達成することは難しい。そこで、これを補完するものとして、先進国間で共同の排出削減プロジェクトを実施する(共同実施)、先進国間で排出削減量を取引する(国際排出量取引)、開発途上国で排出削減プロジェクトを実施し排出削減量を先進国が購入する(CDM)という、3つの方式が導入され、これを京都メカニズムと称している。CDMは京都メカニズムのなかで唯一、開発途上国での排出削減プロジェクトを推進するものである(図1)。


図1 CDMの仕組み

 CDMではプロジェクトで達成したGHG排出削減量を二酸化炭素(CO2)量に換算し、CO2 1トン= 1CERという形式でクレジット(有価証券のようなもの)化し、市場で売買され、売却益は開発途上国での当該プロジェクトへ還元されることにもなる(CERとは、認証排出削減量という意味であるが、一般に炭素クレジットと称されている)。CERは国連気候変動枠組条約という機関に属するCDM理事会が一括して発行するが、CERの信用を保持するために、2つの段階でプロジェクトが厳格に審査される。最初は、CDMプロジェクトのCDM理事会への登録という手続きである。CDMプロジェクトとするためには、要請されたプロジェクトの内容が、CDM理事会によって定められた方法論を完全に満たしていることが求められる。次の段階はモニタリングである。登録されたCDMプロジェクトが実施され、削減されたGHG量が定められた方法でモニタリングされ、その結果がCDM理事会で承認されるという手続きである。
  CDMプロジェクトの難しさは、CDM理事会へのプロジェクトの登録と、その後のモニタリングでCERを取得するための、方法論に従ったプロジェクト活動とGHG排出削減量の証明・記録の困難性に由来する。このためCDMプロジェクトの多くは開発途上国の都市部や工業地帯で実施され、農村部で実施されることはまれであった。とくに農山村部でしかできない植林CDM(樹木に有機物という形でCO2 を吸収・蓄積する)は、権利関係の複雑な土地を対象とし、その土地で生計を立てている農民の同意を取得し、生物としての樹木を管理し、樹木へのGHG吸収量を推定し、さらにプロジェクト実施前に土地に存在していた樹木や地下部のCO2 量を推定するという、自然環境や社会経済環境に直結する課題を取り扱うことになり、CDM化の困難さは、点として実施される工場や発電所のプラントでのCDMとは比較にならない。このため2 0 0 8 年末まで、登録済みCDMプロジェクト約1 6 0 0件のうち、植林CDMは1件しか存在しなかった。
  JIRCASはパラグアイにおいて、農村開発の一部として植林CDMを取り入れ、多くの困難を乗り越えて2 0 0 9年9月に、植林CDMとしては世界で8番目、パラグアイでは史上初のCDMプロジェクトとしてCDM理事会に登録した。ここでは、パラグアイでのプロジェクトの概要について紹介する。
 
2. パラグアイの低所得地域での農村開発モデル
  パラグアイの農村部は少数の大土地所有者と多数の小規模農家で構成され、小規模農家は古くからの入植地にある程度まとまって居住している。長年の土地収奪型農業と牧草地とのローテーションを繰り返し、地力の劣化、強雨による土壌侵食が深刻化し、低生産性、低所得の悪循環に陥っているところが多い(写真1)。


写真1 パラグアリ県における土壌侵食状況

  JIRCASは、まずパラグアイの低所得地域の1 つであるパラグアリ県の2市1 6 集落に居住する未組織農民を対象として、土壌保全を中心とする地域資源の保全を核とする、農村開発モデルの開発・実証を実施した。
  JIRCASは、この地域で一般的であった「NGOや援助機関からのモノを無償で供与して、農民の動機付けを行う」という手法はとらず、まず農家の意識改革から始め、土壌侵食を防止し地力回復の達成が可能な、農家に受け入れやすく、コストもあまりかからないローカル技術の展示・導入を行った。農家の意識改革は、農家自らが農家経営上の問題点を認識し、問題解決のための方法をJIRCAS側のインプットにより自ら考え、実行していく過程で進むものである。この地域の最大の問題点として農家が挙げたのは、土壌侵食と地力の劣化であった。
  意識改革による「考える農民」の育成は研修を中心とした地味な活動で、当初、モノの供与をあてにした農家は去り、1 6 集落の農家リーダーを中心とする3 0 0 戸あまりの農家が残った。このときの研修や集会の回数は、延べ7 9 回、参加者1 0 0 7 名に及ぶ。
  意識改革活動と並行して、国道沿いのアクセスが容易な、土壌劣化、土壌侵食の進んだ土地を借り受け、展示圃場として整備し、多様な土壌侵食防止対策技術、緑肥を使った地力回復技術を展示し、リーダー研修の場として活用した。また、各集落のリーダー農家が提供した劣化地を農家展示圃場として位置付け、リーダーが自ら選択した土壌保全技術を実践してもらった。JIRCASは1 6 か所の農家展示圃場に対し、技術指導を行い、その定着を図った。このようにして、今まで見向きもされなかった土壌保全対策の効果が次第に現れてきた。
  1年間の活動後、各集落の意識改革の達成度につき評価を行い、農民自身による農家計画の作成、集落開発計画作成のためのワークショップの開催へと進めた。このとき、意識改革の達成度の高い集落では、その後の農村開発活動や植林CDM事業についても達成水準が高く、評価が低かった集落とは差が開いている。すなわち、「考える農民」の差が、農村開発に大きな影響を与えることが実証された。
  農家計画の作成では、個別農家が5年後の将来像をイメージして、自己保有の資源(土地、水、植生など)の有効利用や所得増に向けた活動を、家族とともに計画するものである。この活動には1 7 2 戸が参加し、共通する活動計画のなかから、家庭菜園、作物多様化、養魚、養蜂、手工芸などのグループをつくり、資材費の7 0%をプロジェクトが支援する条件で、活動を開始した。この小規模グループ事業は、初年度に4 3 グループ、3 6 6 戸の参加があり、さまざまな小規模農村開発活動が一挙に活性化した。グループに対する研修は、アスンシオン大学教官やローカルの専門家が講師となり、プロジェクト側で作成した各種の農家用の技術パンフレットを配布したことから、技術の定着状況も良好で、一部では家庭菜園から始まり、タマネギやトマトの共同出荷へ発展したグループも現れている。
  土壌保全については、集落単位で土壌保全技術を競う「土壌保全コンクール」を実施し、延べ3回で5 2 6 戸が参加し、土壌保全、地力回復技術が広汎に拡大した。以前は枯れ野であった冬期では、緑肥作物であるルーピンやエンバクの緑が普通に見られるようになり、夏期における夏用緑肥とトウモロコシ、キャッサバなどとの混作、等高線畦畔、等高線に沿った生垣による土壌侵食防止対策なども一般化している。2 0 0 9 年4月の農家へのアンケート調査では、単位収量が平均6 8%増加したとの回答が得られている。
  JIRCASの農村開発モデルは、土壌保全対策を核とする農村開発について、住民参加を基本とし、低所得農民の意識改革から始まり、自ら計画をたて、身の丈に合った投入によって計画の実現に努め、それを一定のまとまりのある地域で同時並行的に実施していくもので、2 0 0 4 .0 6 年の短期間で、目標をほぼ達成している。
 
3. 農村開発への植林CDMの追加
  土壌保全対策の一環として、植林の効果と植林のための技術指導を行っていたが、農家計画のなかで所有地の一部に植林を計画するものがあり、集落のなかでも植林を要望するものが多かった。農家へのアンケート調査結果では、3 4 5 戸で2 9 2ha の植林要望面積のあることが確認された。これは、小規模植林CDM( 年間最大吸収量がCO2 1万6 0 0 0トン未満の規模)の成立要件と見なされていた3 0 0ha の植林規模をほぼ満足するものであった。
  このため、2 0 0 6 年前半の準備活動を踏まえて、同年度後半から、農村開発の一環として、本格的な植林CDM事業化への取組みを開始した。なお、JIRCASでは同じ土地で農業と林業を同時に実施するアグロフォレストリーを推進し、農業生産の減少を抑えることとした。
  農家にはもともと植林への要望があったことから、JIRCASの取組みに対し農家は積極的に協力し、個別農家ごとに植林区画を設定し、必要な農家調査に応じた。植林CDMでは、植栽した土地が森林となることを前提としており、国の定める森林定義(最小面積0.5ha)以上の植栽面積が必要であった。しかし、貧困農家には0.5ha の提供が困難なものがあり、最終的には実際に植林を行った2 3 9 戸、2 5 6ha のうち、植林CDMに取り入れることができたのは167戸、2 1 5ha であった。JIRCASはCDMの対象外の農家に対しても平等に、植林技術と、農家の希望する樹種の苗を必要本数提供した。アグロフォレストリーは植林CDMの2 4%、5 2ha である。
  植林地については、植林区画の位置、GPS 座標の特定のほか、土地の所有権の文書による確認、植林CDMに係る農家の同意書(植林地からの木材収入は農家が、CO2 の売却収入はJIRCASが取得することの合意)、植林区画内の植生に蓄積されたCO2 量の推定の作業が必要であった。土地の所有権では、権利証を持っていない農家が半数以上にのぼったことから、土地権利を管轄する機関と調整し、全参加農家に対して土地占拠証明書を発行してもらい、権利証に代えることとした。現況のCO2 蓄積量については、全2 4 0 区画のうち2 8 区画について毎木調査を行い、既存の木質多年生植物の地上部、地下部に蓄積されたCO2 量を推計した。
  これと並行して、植林用の樹種の選定、選定された樹種ごとの成長予測、乾燥密度の決定、展示圃場における現地にあった苗床の設置、苗の育成方法の検討、苗の供給体制の整備などを実施した。調査地域では植林が行われたことはなく、農家に対して苗の植栽方法について、最初から指導する必要があった。枝打ちなど植栽の管理を含め、基本的な研修はリーダーを対象に展示圃場で行い、実際の農家レベルでは、集落ごとに参加農家を集めて、リーダーの圃場で実務研修を行い、技術を身に付けてもらった。
  植林は2 0 0 7 .0 8 年の2年間で実施し、参加農家数、植林面積を確定した。この間、計画を取り止める農家、新たに参加希望する農家、植林区画の位置を変更する農家などが続出し、その調整に追われたが、全て植林に不慣れなためと想定された。
  CDM 事業では、プロジェクト設計書(PDD)の作成が必要であるが、2 0 0 8 年2月に第1版を作成し、同年3月上旬に実施されたCDM理事会に登録された審査機関による現地審査に臨んだ。現地審査では種々の指摘事項が提起されたが、同年8月末までにはPDD第2版を作成し、最終的にはパラグアイ政府を経て、0 9 年2月に第3版を確定させ、同年3月に日本政府の承認を得た。CDM理事会の登録を得たのは、その半年後であった。2 0 1 0 年度には、第1回目のモニタリングを実施し、植林地でのCO2 蓄積量を確定し、1 2 年初めまでにCDM理事会の承認を得て炭素クレジット(CER)を取得する計画である。
 
4. 今後の展開
  植林CDMは、プロジェクトにより樹木に蓄積したCO2 をベースとして発行される炭素クレジットの売却益の取得が目的である。炭素クレジットは先進国の政府機関、民間企業などが購入し、売却益はプロジェクト参加者間で配分される。パラグアイの植林CDMではJIRCASが売却益を取得するが、JIRCASはこれを植林CDMプロジェクトの運営にあてるほか、剰余があれば農村開発基金として積み立て、小規模グループ事業やマイクロ・クレジットの原資とし、プロジェクト地域の農村開発活動に貢献させる計画である(図2)。


図2 植林CDMを活用した農村開発の模式図

 南米では、JIRCASの調査地域のように地力劣化、土壌侵食により、低生産性、低所得の悪循環に陥っている地域が多数見られる。JIRCASの農村開発モデルは、農家レベルから意識改革、農家自身の計画、グループ化、グループ活動の活性化、植林CDMの活用といった段階的な活動の深化により、比較的短期間で土壌保全対策の定着と所得の向上を達成している。未組織の停滞した低所得農村だった地域では、今や農協組織をつくり、いっそうの発展を目指すまでに至っている。2 0 1 0 年のモニタリングにより、植林CDMからの炭素クレジット売却益が確保される道筋がつけば、資金面の持続性が高まる。
  JIRCASモデルの適用を拡大し、改善していくことで、低所得地域の農村開発だけでなく、自然資源の有効利用と保全が進むことが期待される。

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