─三重県・立梅用水─
地域住民も参加した農業用水管理

水土里ネット立梅用水 高橋幸照
*立梅用水のサイト:http://www.tachibai.jp/

1. はじめに
  少子高齢化と後継者不足による耕作放棄地の増大は、地域経済の低迷や集落機能の低下だけでなく、日本の良き風景であった農村景観の荒廃も招いている。こうした流れに歯止めをかけようと、さまざまな取組みが進められるなか、私たちの三重県多気(たき)町勢和(せわ)地域(旧勢和村)では、地域の人びとや水土里ネット、行政などの多様な主体が協働し、地域資源(水・土・里)の保全と活用を進めることで、地域活力を取り戻しつつある。 
  勢和地域には江戸時代の村の地士(地侍)・西村彦左衛門らの努力により完成された立梅用水が流れ、田畑を潤している。
  櫛田川より取水した立梅用水は、今も山地と平地の間を縫うようにして流れ、大小さまざまな水路に枝分かれして民家の庭先を巡り、田畑を潤してから、再び櫛田川へと流れ込んでいく。しかし、180年余にわたって地域農業を支え、人びとの暮しに役立ってきたこの用水も時代とともに光を失い、農業の兼業化、農村構造の変化は、用水を軸に発展してきた地域の生活そのものを様変わりさせつつあった。
「このままでは用水を築いた先人たちの苦労や長きにわたり育まれてきた、村の農耕文化が埋もれてしまう」と、危機感を抱いた地域の人びとが立ち上がり、「水や土」を保全し、さらにこれをもっと暮しに役立てていこうとする努力が、1993 年(平成5年)から始まった。
  2007 年、国は、農家のみならず地域住民をも巻き込んだ資源保全対策である「農地・水・環境保全向上対策」をスタートさせた。しかし、単に地域住民を巻き込むといっても、そう簡単なことではない。逆に地域住民自らが参加したくなるような人間心理とは何だろうか……。そして、今その仕組み作りが試されている。

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写真1 功労者・西村彦左衛門 写真2 勢和地域を流れる立梅用水 写真3 多気町丹生地区の耕地

2. 保全活動の起因となった「農地や農業用施設への関心の薄れ」
  私たちの地域で、地域資源保全活動が起きた直接の起因を簡単に紹介してみる。
  1 9 9 1 年、立梅用水の第2期県営かんがい排水事業やほ場整備事業が多気町丹生(にう)地区(旧勢和村丹生)を中心に盛んに行われていた頃、私たちの地域はほとんどが兼業農家であるが、この工事の受益者負担を背負うことになる兼業農家の若者数人と話す機会があった。そのときの話し合いの様子は、おおよそ次のとおりであった。
私:もう少しで県営工事が完成し、立梅用水の維持管理も便利になります。ほ場整備ができれば、営農も楽になりますね。 と、やがて工事が完了し、その成果を評価する旨をたずねると……
若者:私は立梅用水が、どこで水を取り、どこをどのように流れて、自分の田に来るのかわからない……ほ場整備が完了すれば、水路の泥上げや草刈などの出合作業(地域の共同作業) に行かなくて済むから助かりますよ。
  兼業に追われる農家の若者らしい話ではあるが、維持管理や生産性の改善を求めて行った改良工事は、大型の農地や恒久的な施設を造りはしたものの、地域農業の将来を繋いでくれるはずの若者には、用水路や田んぼを守り続けてきた先人たちの苦労を忘れさせ、昔からやってきた出合作業の共同扶助にみられる「お互いの信頼や助け合い」といった大切な「地域の絆(きずな)」までも、忘れさせようとしているのではないか。
  この日のことを、水土里ネットの役員会に話をする機会があり紹介した。すると、役員のほとんどがすでに同じことを感じていた。
「これでは立梅用水も、蛇口をひねれば水が出て当りまえの水道と同じではないか」、「ものに頼り、ものがあってあたり前、これではものの有り余った現代社会と農村も同じこと。何か大切なことを忘れてしまっているのではないか」── このような多くの意見が寄せられた。
  農地や施設は整備され、農業の形態も変わろうとしている今日ではあるが、もう一度地域の「水や土」について意識を新たにし、みんなで「大切に守っていく心」を育まなければいけないと、話し合いをした。このことが、水土里ネット自らを資源保全への意識改革に目覚めさせたのである。しかし、それを実現するには、何をどのようにすればよいのか、具体的な方法はなかなか見当らなかった。

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写真4 第2期県営かんがい
排水事業着工前
写真5 同、事業完了後
写真6 ほ場整備事業の完成

3. みんなで始めた「あじさい1万本運動」
  1 9 9 3 年のこと、土地改良事業を進めていた地元、丹生区長から水土里ネットにこんな提案があった。
区長:整備された田んぼや立梅用水沿いにあじさいを植え、美しい「あじさいの里」づくりをみんなでやってみたい。作業は、挿し木から育苗、植栽、草刈、剪定、施肥など、すべてを地域ぐるみで行い、年月はどれだけかかってもいいから、地域で1万本植えてみようじゃないか。土地改良区も協力頂けないか……と。
  このようにして区長の呼びかけのもと、地域の女性を中心とした4 0 名ほどのボランティア・グループが誕生し、「あじさい倶楽部」と名づけられた。これに水土里ネットも協力して、「あじさい1万本運動」はスタートした。
  この運動が、現在も17年間にわたり継続されている資源保全活動の原点でもある。一連の活動を続けてきた、地域の人たちにはいろいろな心の変遷があった。
  1 9 9 4 年は大渇水で、みんなで畑に植えた苗木が大半枯れてしまった。ボランティア活動と水土里ネットの共同活動には理解が得られず、「あじさいを植えれば草刈作業の邪魔になるし、水土里ネットのやるべき仕事ではない」と組合員より、強い批判を受けたこともあった。
  しかし、あじさいを毎年植えていくと、だんだん景色も良くなり、新聞やテレビがちょっとその景色の様子を報道してくれた。そうすると不思議なことに、今まで見向きもしなかった所に、人がぞろぞろとやってくる。その光景を見た地域の人びとは、来年はこういう風に少し拡げて植えてみようとか、こういう種類を植えてみようとか、いろんな工夫が始まった。そして、自分たちでつくった「あじさいの里」を他人に自慢したくなったり、あるいは友だちや縁者を呼んで、遊びに連れて行ったりなど、「あじさいの里」を楽しむ気持も生まれてきた。
  その後、丹生地区で始まった「あじさい1万本運動」は、勢和地域全域( 10集落)による「あじさいいっぱい運動」という全村運動に発展した。1 9 9 8 年からは地域用水機能増進活動の一環として、立梅用水管理道路全線( 3 0km)にも毎年、あじさいを植えて、2 0 0 8 年3月2日、ついに「日本一長い・あじさいの小径(こみち) 立梅用水」を完成させた。
  このように活動が継続されるなか、新たな共同活動も生まれ、日々の暮しにも「みんなでつくった、あじさいの里」という心の豊かさが定着していった。この活動から生まれたものは、まさしく失われた地域コミュニティの再生でもあった。

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あじさいの育苗作業
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あじさいの里づくり (2003年6月)
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立梅用水へのあじさいの植栽

4. 地域資源にみがきをかけ、暮しに役立てる
  あじさいいっぱい運動から生まれた地域コミュニティは、立梅用水の地域用水機能を増進させ、さらに活用することで、みんなの暮しに役立てようとする動きに展開した。
  1 9 9 8 年(平成1 0 年)、当初に掲げた3つの立梅用水機能増進目標とその後の成果を、いくつか紹介してみる。
【3つの機能増進目標(平成1 0 年次)】
〔1〕 地域ボランティアと土地改良区が協働し、用水施設周辺へあじさいの植栽を行い、特色ある景観機能を増進すること。
〔2〕 施設や農地を多面的に活用した、「あぜ道とせせらぎづくり(子ども教育)」、「あじさいまつり」や「里山ウォーキング」などを開催し、広く人びとの教育や交流、やすらぎや健康づくりの場としての機能増進を行うこと。
〔3〕 防火用水や環境用水としての機能増進を行うこと。
【目標ごとの成果】
〔1〕 景観機能の増進とやすらぎや健康づくりの場としての活用
  2 0 0 5 年2月、立梅用水は、東海美の里百選「あじさいの花咲く立梅用水」に認定された。多くの人びとが、この空間をやすらぎや健康づくりの場として活用している。
〔2〕 立梅用水を活用した、あじさいまつりや立梅用
  水ウォーキングの開催

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立梅用水沿いの散策を楽しむ人びと
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あじさいを楽しむ福祉施設関係者
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あじさいまつり好評の立梅用水ボート下り
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毎年開催される立梅用水ウォーキング

 毎年6月に開催される「あじさいまつり」には1万人以上が訪れ、この地ならではの地域資源を活用した「農地・水まつり」を通じて、都市と農村との交流を図っている。
〔3〕立梅用水を活用した防火および環境用水
  地元消防団と水土里ネットが連携を図り、灌漑期以外にも毎秒0.1 立方メートルを通水することで、消防ポンプ車約5台分の吸水を可能にし、地域の安全と安心に役立てている。
  また、環境用水として荒れた休耕田に給水し「農村のビオトープ」をつくり、貴重な生き物の生態系保全や学校教育と連携し、子ども環境教育の場として活用している。

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広域消防組合による放水訓練写真
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農村のビオトープ体験と子ども環境教育

5. 地域資源の保全・活用と地域づくり
  地域の人びとの努力により、増進した立梅用水の地域用水機能は、本来の農業用水の機能とは独立し、この地域の社会生活にとって、なくてはならない多面的機能を発揮するものとして確立された。いま、私たちの地域ではこの多面的機能を持続的に発展させていくための活用やルールづくりを、地域の人びとで運営される多気町勢和地域資源保全・活用協議会と水土里ネットの協働により進めている。そして、水土里ネットとしては、増進した環境特性を地域農業の生産性に、どのように結び付けていくかが課題でもある。
  私たちの活動も、1 9 9 3 年から始めた「あじさい1万本運動」以来、1 7 年目を迎えた。振り返ってみて一連の地域活動から学んだことは、地域資源を保全するためには、活用することであり、逆に活用することが保全につながるという相関関係である。この相関関係を人々の共同活動に結び付けるものは、地域に生きる人びとの互いの信頼や助け合いから生まれる「絆(きずな)」(農村協働力)そのものである。
  継続してきた「あじさいいっぱい運動」や一連の共同活動は、薄れていた農村コミュニティの本質である「助け合う心」を呼び戻し、地域に生きる人びとの「絆」づくりにまで発展してきた。これは大きな成果であり、みんなが地域資源を享受しながら、少しずつ成長していることを感じているところである。

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図1 左は農業用水機能、右は増進した多面的機能

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図2 多気町勢和地域資源保全・活用協議会組織図

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