「河川流域における総合水資源管理のためのガイドライン」について

独立行政法人 水資源機構 総合技術センター 国際グループ 落井康裕


1. はじめに
  ユネスコ(UNESCO、国連教育科学文化機関)は、河川流域における総合水資源管理(IWRM:Integrated Water Resources Management)の実践的な手法を総合的に扱う解説書として、「河川流域における総合水資源管理(IWRM)のためのガイドライン」(以下「ガイドライン」という)を作成し、2 0 0 9 年3月にトルコのイスタンブールで開催された第5回世界水フォーラムで発表しました。
  水資源機構は国土交通省とともにこのガイドラインの策定作業に主体的に取り組み、筆者もその過程に参加する機会を得ました。本文は、この策定過程を振り返り、ガイドラインに組み込まれた考え方の一端を紹介するものです。なお、本文の文責は筆者にあり、ユネスコおよび水資源機構としての公式な見解でないことをお断りします。

2. ガイドライン策定の背景
  水資源を健全に管理することは、社会の持続可能な発展に欠かせないものです。良好な水循環の管理は、ミレニアム開発目標(MDG) の達成に欠かせない成長、社会・経済発展、貧困削減および公平を実現させるうえで、必要不可欠であると考えられています。
  2 0 0 2 年に開催された「持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルク・サミット)」で採択された実施計画では「2 0 0 5 年までに、各国は総合水資源管理ならびに水効率化計画を策定する」ことが、国際目標の1 つとして盛り込まれました。
  その目標達成の現状は、国連システム内での水と衛生に関わる各機関の集合体であるUN . Water(国連水機関調整委員会)によると、途上国においては地域別開発の遅れ、IWRMへの理解不足、制度整備の遅れなどを背景に、ミレニアム開発目標達成に向けて未だ困難な進捗状況にあるとされています。

3. IWRMについて
  IWRMは、包括的な概念であり、世界的な水資源の逼迫(ひっぱく)に伴って、水資源の管理を供給管理型から需要調整・管理型に転換し、水資源の適正な配分を目指そうとする考え方です。
  IWRMは、1 9 9 2 年にアイルランドのダブリンで開催された「水と環境に関する国際会議(タブリン会議)」ならびに、ブラジルのリオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国連会議(地球環境サミット)」において、逼迫した淡水資源を有効に利用するための概念として示されて以来、人々の関心を集めています。
  ダブリン会議で提案された1)水は生命、開発、環境に欠かせない有限で貴重な資源、2)水開発と管理へのステークホルダーの参加、3)水管理への女性の参画、4)水は経済財として認識されるべきであること、といった4つの原則は以降のIWRMの概念形成の先鞭(せんべん)をつけることになりました。
  IWRMの統一された定義はありませんが、世界水パートナーシップ(GWP)によれば「IWRMとは水、土地および関連資源の開発管理を有機的に行い、その結果もたらされる経済・社会的繁栄を、貴重な生態系の持続可能性を損なうことなく、公平な形で最大化する過程である」と定義されています。
 
4. IWRMとは水に関わる人々の問題を扱うこと

(1)IWRMの実際とは
〔1〕 流域の需要と供給ギャップ 
図1−3
  図1に示すように、2 0 の水がある川で、3人がそれぞれ1 0 の水を使いたいと考えている場面で解決策を考えましょう。たとえば、図2の左側に示すように、ダムを作り、それぞれが1 0 ずつの水を使えるようにする方法や、図2の右側のように3人が話し合いなどにより妥協し、2 0 を分け合って利用する方法を見つけ出して合意することが考えられます。後者では3人は、不十分ですが現状に比べれば一定のメリットを得られます。
 他にも、実施に要する時間・費用・労力、得られる便益、環境への影響などの程度が異なる解決策が考えられます。
  大切なことは、IWRMの実践者が、自分の流域の状況に合った、実現可能な解決策を見つけ出すことです。そのためには、流域全体の水供給の可能性や水需要の目的や必要量、その緊急度や環境への影響など「流域全体を俯瞰(ふかん)する目」が必要です。
〔2〕 水問題は人々の暮しの問題
  人々の暮しと環境の基礎をなしている水の問題を扱うということは、じつは水を通じて、それに関わる人々の問題を扱うということです。
 図3に示すように、流域のなかに異なる目的の利水者がいます。同じ目的ごとの利水者が持っている視点を「セクターの視点」と呼びます。
  たとえば、農業に携わる人たちの目的は農業生産の向上であり、農作物の成長に合わせて必要な水を確保することです。また、他のセクターの利水者は別の視点で水を見ています。このため、ときには流域のなかで、水に関する対立が生じます。
〔3〕 実践的なIWRMとは
  IWRMによって全ての課題が一度に解決されることは理想ですが、実際上は困難です。実践的には「IWRMとは流域における社会経済の新たな水に関するニーズに対して、関係者(セクター)の合意形成のもと、段階的に解決していくプロセスである」と考えるに至りました。      
  このようなIWRMのプロセス(過程) を視覚化したものがスパイラルモデル(IWRMスパイラル)です(図4)。

(2)IWRMの実践に求められているもの

 IWRMは有効な概念と認められる一方、IWRMの実践が十分には進んでいない現実があります。それは、流域において水資源管理に責任を持つ実務者が「具体的に何から、どのように始めてよいかわからない」といった問題を抱えているためであろうと考えました。一方、政策立案者が、IWRM を効率的に機能させるため、健全で持続可能な水資源管理を強力に支える実現環境や行政的枠組みを構築することは、IWRM 促進の重要な要件です。
 そのため、ガイドラインは意思決定者に向けた河川流域レベルのIWRMを包括している基本的な考え方を取り扱う第1編と、IWRMの実践者に向けた実践的な事例を取り扱う第2編の2つの構成としました。
2009年3月に発表されたガイドラインは、目的別に以下の各編が策定されました。
第1編 基本的考え方
第2編−1 IWRMにおける全体調整のためのガイドライン
第2編−2 洪水管理のためのガイドライン
第2編−3 かんがい実務者のためのIWRM へのいざない
 以下では、誌面の制約もありますので、筆者が関わった第2編を対象として説明します。

 

5. ガイドラインの概要
(1)ガイドラインの全体構成
  図5にIWRMガイドラインの全体構成図を示します。
・IWRMにおけるセクターの視点
・IWRMのプロセス
・成功への鍵
・優良事例
・役立つツール集
といった部分から構成され、図中に点線矢印で関連が示されているように、それぞれの部分はお互いに関連づけられている点が特徴です。

図5
図5ガイドラインの全体構成

(2) IWRMにおけるセクターの視点
  IWRMの実践にあたっては、関係する各セクター側の視点から見て、各セクターがメリットを感じるような提案により譲歩を引き出し、関係するセクターが納得した上で合意に至ることが重要と考えられます。そのために、調整者が知って欲しい、調整される側(個別のセクターや利害関係者)の行動規範や各セクターとIWRMの接点などを整理しました。
(3) IWRMのプロセス
  IWRMのプロセスは、前の図4 に示すような「IWRMスパイラル」としてモデル化されました。IWRMスパイラルでは、スパイラルの1まわりをステージと呼び、1つのステージは次の図6 に示すような4つのフェーズで成り立つと考えました。

図6

図6IWRMプロセス

 IWRMスパイラルの各ステージの始まりは、既存の水利用に関する何らかの見直し、あるいは、新たなIWRMのシステムが必要だと実務者が「気づく」ことから始まります。経済発展、社会的価値・要請の変化、予期しない危機的状況など、流域における大きな変化が、次のステージへの切り替わりのきっかけとなります。
(4) 成功への鍵
  「成功への鍵(Key for Success)」はIWRMの実践を進めるために実際の場面で用いることができる「鍵」を示し、なぜ重要なのか、実践で用いるためには、どのようにするのかを解説したものです。図6 に示す各フェーズに含まれるステップ毎に「成功への鍵」を記述し、また、そのうちのいくつかは、それが抽出された優良事例にリンクされています。
(5) 優良事例
  優良事例は、「ケースストーリー」と「抽出された成功への鍵」で構成されています。「ケースストーリー」は、IWRM事例における事実を時系列で記載し、そのなかでどのように課題を解決したかという部分に焦点を合わせ、読者が課題解決過程を追体験できるように工夫しています。「抽出された成功への鍵」は、課題解決の本質をケースストーリーから抽出して一般化したもので、鍵が適用された理由や、適用に至る場面での考察、適用に当たっての制約や前提条件などをとりまとめています。

6. おわりに
  本文をお読みになって、ガイドラインに関心をもっていただければ幸いです。ガイドラインは、参考資料の4. に記すユネスコのHPからダウンロードできます。
  水資源機構ではこのIWRMガイドラインを、JICAの研修や水資源機構が事務局となっているアジア河川流域機関ネットワーク(NARBO)の研修などの機会に活用しています。研修生などからの反響はいろいろですが、概ね好評です。このガイドラインの普及をとおして、途上国のIWRM促進に貢献できればと考えています。

<参考資料> 
1. 高野浩一・藤岡奨・吉岡敏幸・落井康裕、総合水資源管理(IWRM)からみた水機構の役割、平成2 1 年度(第1 2 回)関東ブロック技術研究発表会資料集、水資源機構、平成2 1 年

2. 園田敏宏:河川流域における統合的水資源管理ガイドライン、河川、( 社)日本河川協会: 2 0 0 9 年1月

3. 持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグ・サミット)、(外務省HP:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/wssd/index.html

4.IWRM GUIDELINES at River Basin Level Part1, Part2-1, UNESCO, 2 0 0 9
http://www.unesco.org/water/news/ newsletter/2 1 4.shtml#news_4

5.United Nations Millennium Declaration, 2 0 0 0

6.Status Report on Integrated Water R e s o u r c e s M a n a g e m e n t a n d W a t e r Efficiency Plans, Prepared for the 1 6th CSD, May 2 0 0 8

7.Roadmapping for Advancing Integrated Water Resources Management(IW R M ) Process, UN-Water and the Global Water Partnership

8.Integrated Water Resources Manage-ment, TAC Background papers No.4, Global Water Partnership, Technical Advisory Committee (TAC)

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