Climate Change

モンスーンアジアの稲作と水文環境を考慮した温暖化適応策

農研機構 農村工学研究所 地球温暖化対策研究チーム長 増本隆夫

1. はじめに
  アジアの稲作は、生産性の高い水田と水田灌漑に支えられ、持続的な経済活動として成り立ってきた。これは、大気大循環のもとで形成される多湿な環境と古くからコメを主要な穀物としてきたことに、その理由を見出すことができる。さらに、湿潤地域のモンスーンアジアと乾燥・半乾燥地域における水文環境、灌漑形態、水田の特徴を比較しながら、湿潤地域の水田灌漑が持つ多面的機能と水文環境を水利用の持続性と関連づけて例示的に示してきた。一方、これまでの地球温暖化の議論のなかでは、世界の水利用量の7割を占める農業水利用に対する温暖化の影響について、具体的な影響評価は行われてこなかった。
  そこで、まず農地水利用を考慮した分布型水循環モデルの開発と、国際河川のメコン河や日本の河川を例に、将来の気候変動の灌漑や灌漑施設に対する影響評価についてのこれまでの取組みを紹介する。また、将来予想される両極端現象(渇水と洪水)の増大に対する適応策として、地域の水文環境がもつ持続性と多様性を利用した新たな方策を提示するとともに、持続的水利用の構築に向けた展望を示す。

2. モンスーンアジアの水文環境の特徴
  アジアの面積は世界の陸地の2 4%にすぎないが、そこに世界人口6 8 億人の約6割が暮らしている。モンスーンアジア地帯にかぎれば、面積にして世界の1 4%で世界人口の5 4%の生命を支えていることになる。これは、古くからコメを主要な穀物としてきたことに起因している。実際に、中国では7 0 0 0 年前の稲作の痕跡が見つかっているが、このことからもアジアにおいて持続している水田稲作は、地域の気候、風土に適合し、多くの地域資源を有効利用した持続的で、環境に優しい経済活動であったことが分かる。一方で、降水量が過剰となって、洪水も毎年のように引き起こされている。
(1)モンスーンアジアの代表的な河川
  モンスーンアジアに存在する代表的な河川のなかでは、水利用に関する開発程度の違いの観点から、開発が全く進んでいないメコン河、開発がかなり進んだ利根川、その中間に位置付けられるチャオピヤ川を、それぞれの特徴を表す流域として挙げることができる。ただし、以下では大流域のメコン河(日本全土の約2 倍の流域面積)と開発の進んだ利根川(流域面積1万8 6 0 0 平方キロメートル)を例示のための河川として取り上げる。
  メコン河は7 9 万5 0 0 0 平方キロメートルの流域面積を持ち、河道全長が4 8 0 0km で6か国に跨がる大流域である(図1)。流出のパターンとしては、5.6月に流出量が増大し、上流部は8.9月、下流部は9.1 0 月に流量のピークが発生し、4月に最低水位を記録する。メコン河の流量はほとんど未調整であり、雨季と乾季の水位差でみると、カンボジアの首都プノンペンで7m にもなる。1 9 9 2 年の土地利用を大きく水田、畑、非農地(主として森林、水域)として分類すると、農地面積は3 5 万平方キロメートル、そのうち灌漑農地面積は3万平方キロメートル、灌漑率はわずかに8.6%である。さらに、流域内の水田は下流域であるラオスのメコン河周辺、東北タイ、カンボジア、ベトナムのメコンデルタに集中しており、その面積は約2 3 万平方キロメートルであり、農地の7割弱を占める。

図1
図1 メコン 河流域の位置図(斜線部はメコン河下流域)

(2)モンスーンアジアの水利用の特徴
  モンスーンアジアにおける水田稲作は、灌漑形態や技術面においてさまざまな相違点が見られるが、次のようなモンスーンアジアの水田灌漑に共通する特徴をあげることができる。まず、モンスーンアジアでは、雨季と乾季があるように水資源の供給量の季節的な変動や短期的な変動が大きい。このため、水資源の豊富な時期に水稲の作付や栽培を行うことが基本となる。さらに、この時期に水の一部は、地下浸透や排水路への流出を経て、下流の地下水や河川水に環流している。
  一方、メコン河における洪水は毎年繰り返し発生し、農業、農村基盤や人間活動にさまざまな規模で影響を及ぼすが、ときには食料や人命にも多大な被害を引き起こすことがある。メコン河下流部の洪水としては、2 0 0 0 年のものが過去最大であった。前述のように、河川水位は雨季と乾季の間で大きく変動するが、2 0 0 0 年の水位変動は、さらに大きく、カンボジア域全体とベトナムデルタ域で氾濫域が3万8 9 0 0 万平方キロメートルまで拡大した。この大洪水の規模は、カンボジアで2 0 .6 0 年に1回、ベトナムで3 0 年に1 回のものであったが、将来の温暖化により、その頻度が増加する可能性もある。

3. アジアにおける洪水処理
(1)利根川における洪水処理の歴史
  日本における洪水管理技術の変化は、利根川にみられるように、基本的に連続堤防方式による洪水防止工事が実施され、「集めて迅速に流す」方式による洪水制御が行われてきた。一方、水田地帯における水利施設(灌排施設)の整備は、水田の汎用化ならびに湿田の解消のために行われた。かつては用水路と排水路を兼用する水路システムをとっていたが、用排水の分離が盛んに行われてきた。とくに、排水施設にみられる整備では、1 0 年確率を基準とする降雨規模以内では水田の湛水被害を生じさせない方策を取ってきた。
  かつて、農地は単に生産の場としての機能を果たしてきたが、最近ではその見方も大きく変わってきた。すなわち、水田を中心とした農地が持つ洪水防止機能などが、定量的かつ経済的に評価されてきた。とくに広域の水田地帯が、流域レベルでみた場合、洪水を貯留するバッファーとしての遊水池機能を持っていることも明らかになった(増本、2 0 0 4)*1)。
(2)世界の洪水処理との比較
  上述の水管理の方向性は、諸外国、とくにアメリカとヨーロッパ諸国において、同様に見出すことができる。しかし、河川改修やダムの建設を主体とした洪水対策に多額の投資をし、技術開発も行ってきたにもかかわらず、超過洪水の発生に対しては、かえって甚大な被害を被った。これらの例は、アメリカのミシシッピ川( 1 9 9 3 年4.7月の洪水)やヨーロッパのライン川( 1 9 9 3 .1 9 9 4、1 9 9 5 年の大洪水)などの大氾濫にみることができ、最近では河川の自然化と遊水池の建設へと氾濫原管理の目標が変化してきた。

4. 稲作のための利水と洪水
(1)作物生産の概要
  他の作物と異なり、イネは多様な水環境で栽培されるが、メコン河に代表されるモンスーンアジアは年間を通して稲作が可能な気温を有し、必要な水量が確保できた水田から作付が開始される。とくに用水の大半を降水に依存する雨季作においては、天水田、灌漑水田とも植付期から生育前期に当たる雨季前半の降水の状況に応じて作付状況が変動する。
  アジアの水稲品種は、日長に関して非感応性と感応性の2種類に大別できる。日長非感応性イネは、植付から刈取までの日数が決まっている品種であり、生産性が高い。一方、日長感応性イネは、生産性は日長非感応性イネに及ばないが、日長時間の変化に感応して決まった時期に出穂・開花するという特徴がある。そのため、雨季の遅れによる収量への影響や、洪水による冠水被害を回避できる利点がある。
(2)農業水利用の多様性
  メコン河流域の主体をなす天水田には、現地調査などにより、表1に分類したように、補助水源がなく降水のみに依存する水田と同一水田域内の小ため池やくぼ地、微地形に貯まった水を補助的に利用する水田が存在する。また、洪水利用水田の作付は、洪水後の氾濫水深が低下した地域から進行するため、作付開始時期は洪水の状況に応じて毎年変動する。天水利用のなかの洪水利用の形態は東北タイやカンボジアに見られる。一方、灌漑農地の水利用方式については、灌漑施設から、河川(重力、ポンプ)、貯水池、コルマタージュ〔注)フランスが導入した技術で、河川堤防を掘削して洪水を氾濫域に導く構造やその周辺の施設のこと〕、塩水遡上管理(潮汐ゲート)、地下水利用に大きく分類した(表1)。ラオスでは重力灌漑およびポンプ灌漑、東北タイでは貯水池灌漑システムおよびポンプ灌漑、カンボジアでは重力灌漑やコルマタージュ、ベトナムではメコンデルタでほぼ重力灌漑、沿岸域で塩水遡上管理が行われている。ただし、前述の通り流域の灌漑農地面積率は8.6%と小さく、農業水利用を考える上では、灌漑農地の水利用分類と同時に天水田の水利用を考慮することが重要である。

表1
表1 農地水利用の分類

(3)温暖化実験の例
  農業用水利用量の算定には、上記の多様な水利用を考慮した分布型水循環モデルを開発してきており(Masumoto ら、2 0 0 9;谷口ら、2 0 0 9)*2,3)、水田作付状況、作物の必要水量、利用可能水量、取水量、土壌水分量などが、対象とする流域の任意の地点や時点で算定できるようになっている。これにより、将来の気候変動や温暖化の影響が、農業や灌漑にどのような影響を及ぼすかの検討もできる。
  そこでは、将来の温暖化により両極端現象の増大が予測されており、実際に気象研究所の温暖化実験結果を上記の分布型水循環モデルに入力して得たメコン河流域内プルサット流域における温暖化予測結果は、図2のようである。将来は雨季に最大流量が増大し、洪水危険度が大きく増加することになる。

図2
図2 プルサット流域における温暖化実験
(20年間の平均値と最大・最小流量)

(4)洪水と水田貯留の関係
  低平水田地帯が流域の洪水防止に役立つ例は、メコン河流域や利根川に見ることができる。そこでは、流域レベルの洪水防止機能をマクロ的に評価する方法を考案し、都市河川の流下量と都市近郊水田の洪水防止能力の関係は排水(通水)能力と貯留能力の関係と言い換えて、図3の適用例(利根川支流の鬼怒川流域) を示した(Masumoto、2 0 0 6)*4)。

図3
図3 水田地帯の排水能力と貯留能力の関係
(鬼怒川流域)

 一方、水資源管理を考えた場合、利水と洪水は深く関わっているといえる。新潟県の中山間地の田越し灌漑地区では、上流水田の雨水余剰分が下流の水田の灌漑水として使われ、洪水時には流出が抑制される。さらに、利根川水系のような大流域では、農業用水として取水された灌漑水のいくらかは再度河川に戻され、循環利用される。たとえば、鬼怒川流域と小貝川流域は、水循環からみると不可分の関係にあるといえる。
  メコン河流域は、前述したように、河川流量はほとんど未調整で雨季と乾季の水位差が大きいが、この水文特性を利用して、洪水期の氾濫水を乾季の灌漑水として利用する。まず、トンレサップ湖の水位よりメコン河の水位が高くなると、逆流が生じ洪水貯留が行われる。そこでは、洪水と農業は密接な関係にあり、雨季には氾濫により作物栽培はできないが、氾濫減水期に作付し、乾季に稲を栽培する。さらに、プノンペンの北方には洪水氾濫から同市を守るために造られた2つの堤防が、同様に洪水用貯水と乾季の下流への灌漑の役割を持つ。こうした洪水防御のための堤防は、主要農村道あるいは都市環状道としても機能している。さらに、コルマタージュによる洪水利用も行われ、背後湿地は水文環境を形成する重要な要素となっている。

5. 温暖化適応策としての水田利用の可能性
(1)水田の持つ洪水防止機能の定量化
  トンレサップ湖や周辺域の農業土地利用は大半の水田と若干の畑地に分けられる。一方、トンレサップ湖周辺の低平地に、氾濫域を河川・湖沼の一部として解析する1次元モデルや2次元有限要素法による氾濫湛水シミュレーション法などを利用して、最大氾濫域や氾濫水深の再現が可能である。そこでは、トンレサップ湖周辺の湛水域の移動境界条件の設定、道路・堤防など人工構造物の効果の導入などにより、洪水年や渇水年の洪水の連続再現が可能で、モデルは水田の洪水防止機能の評価にも有用である。
  洪水時に周辺水田が受け持つ機能を評価するために、水田上の洪水貯留量を算定した。そこでは、トンレサップ湖周辺とコルマタージュ域に分けて、1 9 9 9 (小規模洪水)、2 0 0 1(中)、2 0 0 0(大)の各年の最大氾濫水深(氾濫モデルによる推定値)と土地利用メッシュを重ね合わせ、氾濫した水田面積と水田上の氾濫量を算定した(表2)。同表から、水田が受け持った氾濫量の割合は、洪水規模によらず2 0%程度にもなっていることが分かる。
  こうした機能をトンレサップ湖北部湖畔の堤防( 8 5 か所)が持つ役割と比較した。水貯留のための堤防は、2m の堤防高を設定しても全氾濫量の0.2 1 .0.2 9%の貯留効果しかなく、さらにトンレサップ湖の周囲の全てに同様な堤防を仮定しても1.2 .1.6 7%程度にしかならない。
  将来の温暖化対策としては、これらの水田の洪水防止機能を上記のように科学的に再評価し、流域全体の水管理方式を組み入れることも可能であろう。

表2
表2 1 9 9 9(小規模)、2 0 0 1(中規模)および2 0 0 0(大規模)年
の氾濫水深と水田貯留量の推定結果

(2)広域水田に遊水池としての機能を持たせる方式
  前述のメコン河の例では、氾濫減水期に作付し、乾季に稲を栽培する。そこでは水田が洪水を貯める役目を果たし、さらに下流の乾季稲作の灌漑水として利用される。また、洪水期にコルマタージュの背後湿地に貯えられた洪水は、河川水位が低下した後も一部貯留され、乾季にポンプ揚水や残留水を利用した灌漑用水として利用される。洪水期に河川から溢れた水は、背後湿地に貯えられて河川水位の低下で排水される。水田が遊水池としての洪水調節機能を持ち、環境流量の維持に大きく役立っているといえる。これらの機能を利用した水利用や農業は、逆な視点では温暖化時の変化に対応可能な方式であり、それらの方式をさらに積極的に利活用することも考えられる。
(3)作物生産場の超過洪水時における流域管理としての利用法
  低平地において機械排水を行う水田流域では、排水先の河川計画が1 0 0 年再起確率規模の洪水を対象としているのに対して、最大排水量を通常1 0 年確率の規模(最近は2 0 .3 0 年確率の例もあり)に想定している。そこでは、1 0 年規模の排水能力を超える流入量は、流域外に排水することができないため、排水路や水田で強制的に貯められる。すなわち、農業用排水路や水田を含む農地は排水河川に対して洪水貯留機能を有し、結果として河川下流の洪水危険度の減少に役立っているといえる。さらに、河川での超過洪水(河道の通水能力を越える流出量)は、堤防上の越水や堤防自身の破堤により、流域の低地部に貯留される。そこでの土地利用は、河道沿線に沿って水田のことが多い。実際に、小貝川のように古来より水害の多い地帯では、1 9 8 6 年の氾濫時には、水田に氾濫水が貯留されたため、水田部における最大の浸水深が3.5m になったにもかかわらず、中心市街地は浸水を免れた例もある。これをさらに発展させて、上記機能を強化・利活用する方策も考えられる。一方、上記のような機能を持つ水田は、超過洪水以外の時には、主要な作物生産の場として利用できる。これがまさに温暖化時の対応策になる。

6. おわりに
  将来の地球温暖化にともなって渇水や洪水といった両極端現象が激化すると予想され、農業への影響もあるなかでは、適応策として当該地域の農業水利用や作物生産がもっている多様性を維持する必要がある。そこで、超過洪水時における洪水防御防止の機能を積極的に利用した低平水田地帯の利用法など、洪水適応型農業生産の可能性を論じた。

<参考資料>
*1. 増本隆夫 2 0 0 4. モンスーンアジア水田灌漑の多面的機能.農業土木学会誌7 2(7):1 1-1 6.

*2. Masumoto,T. Taniguchi,T. Horikawa,N. and Yoshida,T. 2 0 0 9. Development of a distributedwater circulation model for assessinghumaninteraction in agricultural water use. M.Taniguchi, W.C. Burnett, Y.Fukushima, M.Haigh & Y.Umezawa (Eds.), "From Headwaters to the Ocean:Hydrological Changes and WatershedManagement". Taylor and Francis. 195-201.

*3. 谷口智之・増本隆夫・吉田武郎・堀川直紀・清水克之 2 0 0 9. 多様な水田水利用を考慮した分布型水循環モデルの開発( V ).モデルの構成と農地水循環量の推定..水文・水資源学会誌2 2:1 2 6-1 4 0.

*4. Masumoto,T. Yoshida,T. and Kubota,T. 2 0 0 6. An index for evaluating the flood-prevention function of paddies. Paddy and Water Environment4:2 0 5- 2 1 0.

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