第5回世界水フォーラムに向けた取組み
〜世界の水問題のなかでの水田〜

農林水産省 農村振興局 整備部設計課 海外土地改良技術室 降籏英樹

 

1.はじめに
  国際社会において、水問題あるいは水危機が話題になってから久しい。水問題に詳しくない方でも、たとえば昨年の食料価格の急騰の要因の1つにオーストラリアでの干ばつがあったことを知っているのではないだろうか。このような水の不足の問題や、いわゆる異常気象による洪水の問題、そして、それに伴う食料生産、農業用水の利用のあり方について、現在、国際社会では盛んに議論がなされている。本稿では、これらの国際社会での水議論について、とくに農業用水に関して概略を紹介するとともに、これに対する日本の取組みとその1つである世界水フォーラムへ向けての取組みを紹介する。

2.国際社会における水議論と水田農業
  世界の年間平均降水量が約1000mmといわれるなか、それが1500mmを超える日本において、水不足に対する関心、危機感は、世界のそれと比較すると、あまり切実ではないように思われる。しかし、現実の水の利用を見ると、急峻な山岳地から海までの距離が短いわが国の地形では、水を有効に利用する機会は実はかぎられている。たとえば、年間1人当たりの水資源量という数値で比較すると、日本は約3300立方メートルであり、世界の平均値は7000立方メートルであり、決して大きい数字とはいえないことが分かる。
  一方、世界のなかでは、中国、インドをはじめとする新興工業国の経済発展、今世紀半ばで90億人を超えるといわれる人口増加などから、農業用水の他、工業用水、都市用水などの水の需要は、今後ますます大きくなることが予想される。さらに、近年は、地球温暖化の影響から、自然環境への影響に対応した水需要の変化も考えられ、水を巡る、これらの需要の変化に対する供給のあり方は、国際社会の場では、極めて大きな問題として扱われてきている。
  とくに、農業セクターは世界の年間水使用量の約7割を占める最大の利用セクターである。上述のように工業、都市用水などのセクターでの水の需要が増すなかで、農業セクターの水資源の利用については、その効率性の改善、持続的な利用のための手法について、さまざまな問題提起、議論がなされている。
  畑作を中心として、乾燥・半乾燥地帯である欧米諸国においては、水田の水利用は非効率と見えるようである。このことから、効率的な水利用を実現する議論が多くなされているが、この議論においては、水田への農業用水の持つ価値を的確に捉えているとはいえないのが実情であろう。たとえば、水田が自然のもつ水循環を損ないにくい水利用形態であること、生態系や景観の保全機能、洪水防止、地下水貯留の機能などの多面的な機能をもつこと、また、水田農業を行うアジア農村部では、開水路を介した水供給により、生活用水などへの多面的な利用の実態があることなどは、畑作を中心とした、乾燥・半乾燥地帯の国々には想像しにくく、短絡的に、水田では多くの水を掛け流し、余分な水も配分しているような議論になっている。
  また、効率的な水配分を実施するために、水道と同じように従量的な水価格制度を導入し、いわゆる市場経済の財として扱おうとする考えもある。水田稲作農業を中心としている国においては、開水路を介して農業用水を利用している場合が多く、従量的な課金は現実的に導入が困難であり、これまでの歴史的、文化的な水利用の形態からも、このような課金は不合理である。日本は、各国の水田農業の水利用に関して、農業の実態、背景をふまえた、適正な議論がなされるように、国際社会に対し主張していかなければならない状況にある。

表1

3.アジア、日本の動き
  このような国際社会の動きに対して、水田農業の重要性の理解を進めるため、日本においては、議論がなされる国際会議において、積極的に発言を行うとともに、ICID(国際かんがい排水委員会)およびINWEPF(国際水田・水環境ネットワーク)での活動を通じ、国際社会の理解の醸成に努めているところである。
  ICIDに関しては、日本は、1951年よりメンバー国となり、現在、ICIDのアジア地域作業部会をはじめ15の課題別の作業部会に日本国内委員会の委員が参画している。
  ICIDのアジア水田農業の役割に関する国際社会への発信の取組みは、八丁信正氏の2006年の本誌の報文において紹介されているところであるが、近年においては、アジア地域作業部会タスクフォースで、アジアにおける気候変動に適応した灌漑排水の戦略の策定へ向け、アジアをはじめとする各国と連携し、世界的な気候変動に対する水・食料・農業分野における対応状況に関して調査を実施している。
  また、INWEPFは、モンスーンアジア地域の水田と水に関する情報交換と水田灌漑農業に関する国際理解を醸成するための情報発信のための国際ネットワークであり、その設立経緯および、第4回世界水フォーラムに向けての活動は、渡邊史郎氏の2006年の本誌の報文に紹介されている。その後、運営委員会、シンポジウム、ワーキンググループ会合が06年度にマレーシア、07年度にタイ、08年度にインドネシアにおいて実施され、第1回アジア・太平洋水サミットでは、セッションにおいてINWEPFメッセージを発表し、オープンイベントとして「水田農業と環境」をテーマにワークショップを開催した。これらの活動を通じ、日本を含むアジアの水田農業の多面的機能などの効果、価値、特徴を国際社会に対し発信してきている。

4.第5回世界水フォーラムに向けての取組み
  2009年の3月にトルコ、イスタンブールにおいて第5回世界水フォーラムが行われる。世界水フォーラムは、世界の水問題について協議するために、水に関する政策などを検討するユネスコ、世界銀行を中心とするシンクタンクである世界水会議が主催する国際会議で、3年に1度、3月22日の「世界水の日」に合わせ実施されている。水フォーラムでは、いわゆるミレニアム開発目標で掲げられた目標をもとに、水と衛生に関し、安全な水をいかに多くの人々に配水するかが議論されてきている。当然ながら、水利用の最大セクターである農業分野についても、食料と水、効率的な水配分について議論がなされてきている。
  第5回世界水フォーラムでは、「水問題解決のための橋渡し(Bridging Divides for Water)」をメインテーマとし、水と衛生の他、食料と水、農業用水の多面的利用、機能などについても議論が行われる予定である(図1)。農林水産省(農業用水関連)の参画としては、ICIDアジア地域作業部会がトピック1.1へ、INWEPFがトピック2.4へ、それぞれ参加する予定である。

図1

 トピック1.1については、「気候変動への適応」のテーマのもとのセッションにおいて、アジア地域の気候変動の実態についての発表、トピック2.4については、「水の多面的利用と機能」のテーマのもと、1つのセッションをFAOと共同主催する。このセッションにおいては、INWEPFとして、韓国、マレーシア、日本から発表およびパネルディスカッションのパネラーとしての参加を予定しており、第4回の世界水フォーラムと同様、世界水フォーラムに向けたメッセージの紹介、また、水田のもつ多面的機能の貨幣価値換算の試算結果の発表を行うとともに、ディスカッションにおいて、農業用水のもつ多面的機能の価値についても主張し、持続的、効率的、公平な水配分を他の水利用セクターといかに実現するかが議論される予定である。
  また、展示パビリオンにおいても、日本とモンスーンアジア地域の水田の特徴を広く伝えるブースを設ける予定である。
  これらの議論、広報を通じ、水田あるいは水田における水利用の目に見えにくい効果、価値を世界に発信していく予定である。

5.水フォーラムのその先
  世界の水議論については、世界水フォーラムなどの国際的な議論の場を活用して、アジアモンスーン地域の水田農業の特徴を、根気強く、かつ合理的に主張していくことが必要である。行政側からだけではなく、学術経験者、NGOの方々などの力も合わせて、日本、アジアの水田の価値を見直す議論を、国際社会の場で進めていかなければならない。
  このような中、2008年11月に韓国で行われた第10回ラムサール条約締結国会議では、日本と韓国が共同で提案した、多様な生物を育む水田の役割を認め、水田を保全する「湿地システムとしての水田の生物多様性の向上」決議が採択された。このように水田の多面的機能については、徐々にではあるが、国際社会で認められ始めている。
  第5回世界水フォーラムの先には、2009年8月にストックホルムにおいて世界水週間のイベントが、2010年6月にシンガポールにおいて第2回アジア・太平洋水サミットが、同年10月に日本の愛知県において生物多様性条約第10回条約締結国会議が開催される。また、G8サミット会合においても、水に関しての会合がもたれ、OECDにおいても、農業政策あるいは農業用水の水価格について議論がされている。
  これらの、国際的な水議論の場を、十分に活用し、アジアモンスーン地域における、水田という極めて貴重な食料生産、環境、生活などにかかる資源の重要性を訴え、美しい水田を未来のために残していかなければならない。

〈参考資料〉
1.国土交通省ホームページ、「水の循環と水資源」、http://www.mlit.go.jp/tochimizushigen/mizsei/ junkan/index-4/11/11-1.html
2.柴田明夫、『水戦争―水資源争奪の最終戦争が始まった』、角川SSC新書、2007年
3.八丁信正、「アジア水田の生き残りをかけて:ICIDアジア作業部会とWWF4」、ARDEC No.34、 Mar. 2006
4.渡邊史郎、「第4回世界水フォーラムとINWEPFについて」、ARDEC No.34、Mar. 2006

前のページに戻る