日伯セラード農業開発協力事業が
食料安全保障に果たした役割と展望

国際協力機構(JICA)常勤嘱託 本郷 豊

1.はじめに
  1973年、「世界のパン籠」アメリカが大豆禁輸措置を発表すると、国際穀物市場価格が暴騰して「世界食料危機」と呼ばれた。食料安全保障が地球規模で問題とされた最初のケースである。翌74年に田中総理がブラジルを訪問、76年には両国政府が日伯セラード農業開発協力事業を通じて「世界の食料供給増大」などに貢献することで合意した。
  2008年、穀物市場価格は再び高騰し「世界食料危機」時の史上最高値(名目価格)を塗り替え、「食料争奪戦」が再発したと警鐘が鳴らされている。
  だがこの間、世界の穀物貿易構造は大きく変化をした。国際穀物市場も「実質価格」で見ると、長期低位安定化傾向を示す。ブラジルが「アグリビジネスの巨人(Agribusiness Titan)」として台頭、圧倒的な生産力と輸出力を達成して、南半球の「世界のパン籠」としてアメリカと対峙するようになったからである。ブラジル農業発展の跳躍台となったのが、セラード農業開発であった。

2.南北に分割された「世界のパン籠」:ブラジル農業の躍進と農産物貿易構造の変化
  農産物貿易で代表的な品目は大豆、トウモロコシおよび小麦だ。3品目は生産と需要が競合し、一部代替も可能であることから、第二次大戦後、アメリカは戦略作物として位置づけ、世界の重要な供給基地として長らく「世界のパン籠」の地位に君臨した。アメリカ農務省によれば、1976年度の世界貿易量に占めるアメリカのシェアは、大豆(96%)、トウモロコシ(75%)、小麦(40%)である。しかし、約30年後の2007年度になるとアメリカのシェアはそれぞれ大豆(40%)、トウモロコシ(63%)、小麦(30%)へと後退する。
  替わって存在感を増してきたのが、南半球のブラジルである。ブラジルはこの間、穀物生産量{ブラジル農務省傘下の国家供給公社(CONAB)が発表する穀物統計は大豆、トウモロコシ、コメ、小麦、フェジョン豆、大麦、落花生、ヒマワリ、ヒマ、ソルガム、ライ麦、カラス麦、ライコムギおよび棉の14品目の生産量。2007年度では、生産量順に上位3品目(大豆、トウモロコシ、コメ)の合計で全体の91%を占める}を4000万トン(1977年度)から1億4000万トン(2007年度)へと1億トンの増産を達成した。現在も記録を更新中だ(図1)。とりわけ、トウモロコシと大豆の伸びが著しい。また、トウモロコシと大豆は国内の畜産業を興隆させ、同国を世界有数の畜産品輸出国に押し上げた。主要貿易農産物8品目{ 穀物(トウモロコシ、コメ、小麦、大麦)、油糧作物(大豆)および肉類(牛肉、豚肉、鶏肉)の8品目}でブラジルの輸出量順位(2007年度)をみると、牛肉および鶏肉は世界1位、大豆は2位、豚肉は4位、トウモロコシは3位を占める。主要農産物輸出国として、北半球のアメリカと南半球のブラジルとが対峙する構図となった。

 とくに大豆は食用油としての需要だけでなく、絞りかす(大豆かす)のタンパク質含有量がトウモロコシの5倍もあり良好な飼料となることから、近年、世界的に増産が進んだ。なかでも、ブラジルの大豆の大増産と輸出拡大は貿易構造に大きな変化をもたらした。
  ブラジルの大豆の生産量は1970年代半ばから伸び始め、90年代に入ると激増する。80年代までは、アメリカ1国が世界の大豆輸出量の約8割を占めていたが、今日ではアメリカとブラジルの輸出量が拮抗する。2008年度には、ブラジルが世界最大の大豆輸出国になると予測されている(表1)。

 また、南北半球に二分された大豆生産量は年2回(ダブル)の「ハーベスト・プレッシャー」{収穫期の売圧迫。北半球と南半球とでは収穫時期が分かれ、世界的には年2回収穫時期が到来する。このことが国際市場の安定化に繋がっている}を市場にかけることで、大豆国際市況の長期低位安定化傾向に貢献し、世界の食料安全保障に大きく寄与している。「実質価格」で国際市況の動きを見ると1973年のアメリカによる大豆禁輸措置を発端に暴騰した世界の主要穀物価格はその後下降線を描き、南北半球の増産と輸出体制が確立したことで低位安定化する。
  2007年になって国際相場の上昇傾向が現れるが、1970年代のアメリカが国際市場を独占していた時期の展開とは明らかに様相を異にする。南半球ブラジルの重しが効いているからであろう。
  ブラジルの穀物大増産は、「世界食料危機」が発生した1970年代半ば、「不毛のセラード地帯」と呼ばれたニューフロンティアへの進出から始まった。そして、大豆が先駆作物となった。

3.セラード農業開発のインパクト:「不毛の地」を四半世紀で世界の穀倉地帯へ
「セラード(Cerrado)」{セラードとはポルトガル語で「閉ざされた地」(closed, inaccessible land)の意味}とはブラジル中西部地帯に広がる灌木林地帯の植生の呼称で、面積は約2億ha(日本の国土面積の5.5倍)。その荒涼とした景観を構造主義哲学の泰斗レヴィ・ストロースは、名著『悲しき熱帯』のなかで「大陸で最も不毛な、半砂漠の地域」と描写している。セラード地帯は長らく「広大な見捨てられた地域」であった。
  1959年、セラードの植生は降雨不足が原因ではなく、土壌の化学的要因によって発生することが判明、以後セラード研究が本格化する。
  1974年、ガイゼル大統領(当時)は、セラード農業開発の推進役にミナス・ジェライス州のセラード農業プロジェクトで成果を上げた同州農務長官パウリネリ氏を農務大臣に抜擢し、セラード開発の陣頭指揮にあたらせた。また、セラードの基礎研究が蓄積され農学上の利用価値を認めると、ブラジリア近郊にセラード農牧研究所(CPAC)を開設した。
  セラード地帯は、[1]先駆作物大豆の導入、[2]南部出身近代農家(日系人を含む)の参加、[3]穀物メジャーによる潤沢な生産資金の供給と国際市場での販売、[4]国産農業資機材供給体制の整備、[5]流通インフラ整備などが推進要因となって、セラード・フロンティア前線を一気に北上させた(写真1および2)。セラード地帯の大豆栽培面積は1976年度の463haから2007年度の1万2996haへと「ビッグバン」的拡大を遂げたのである。


写真1 150馬力の大型ブルドーザ2台が80mの鎖を、
両側から牽引して灌木をなぎ倒す。短時間で農地が造成される
(筆者撮影:1974年 MS州)


写真2 地平線まで続くセラード地帯の大豆畑。平坦な農地は穀物生産など
大型機械化農業に最適だ(筆者撮影:2001年 MS州)

 先駆作物大豆の後を、トウモロコシ、コーヒー、棉、フェジョン豆が追い、また飼料作物を求めて、その後を養豚および養鶏(ブロイラー)が進出していく。肉牛はすでに130万頭を擁する。セラード地帯は今日では世界に食料を供給する一大農業地帯へと、変貌を遂げたのである。
  2006年、農業分野のノーベル賞に例えられる「World Food Prize」{詳細 http://www.worldfoodprize.org/参照}が、パウリネリ元農務大臣とセラード土壌の改良に貢献したロバット農学博士の2名に授与された。「緑の革命」でノーベル平和賞を受賞したノーマン・ボローグ博士はセラード農業開発を「不毛の地を世界有数の農地に変えた、農学史上20世紀最大の偉業の一つだ」と評している。
  このセラード農業開発に、わが国は開発初期段階から約20年間にわたって協力し、農業分野では国際協力史上最大規模の資金と人材を投入したのである。

4.ODA史上最大のプログラム:日伯セラード農業開発協力事業の概要
  日本側にも、セラード農業開発に協力する強い動機があった。1973年6月、アメリカが採った大豆禁輸措置は、穀物輸入先がほぼアメリカ1国に依存していたこともあり、わが国に大きな衝撃を与えた。こうしたなかで、日本にセラード地帯が大豆の供給基地になるとの期待が高まり、日伯間でセラード農業開発協力事業の構想が誕生した。
  1974年、田中総理訪伯の際のガイゼル大統領との共同発表を契機に、日伯政府間で事業の具体化へ向けた検討が始まった。
  セラード農業開発協力事業は、[1]わが国の食料輸入先の多角化を追求するという現実主義の理念と、[2]「ブラジルの内陸開発」および[3]「世界の食料供給増大」への貢献という理想主義の理念を併存させて実施した政府開発援助(ODA)である。また、この事業は「資金協力」と「技術協力」を車の両輪として取り組み、その後「プログラム・アプローチ」と呼ばれる協力形態の日本での先駆けともなった。
  中核事業となったのが「日伯セラード農業開発協力事業(PRODECER)」で、その第1期事業は1979年に開始され、3期22年間で684億円の融資額を投入し、8州において21の入植地を造成、合計34万5000haを開発して2001年3月に終了した。この事業による農地造成面積は、この間セラード地帯において新たに耕地化された面積約1000万haの3.5%にすぎないが、広大なフロンティア地域の「開発拠点」としてセラード農業開発の牽引役を担った。
  また、「技術協力」分野では、とくにCPACを相手機関とした協力事業(1977〜99年)が実施され、セラード農業の生産性向上技術や持続的農業技術の確立に貢献した。創設から日が浅いCPACに対して、インフラ整備として供与した研究資機材は今日に至るまで活用されている。またCPACは今日、研究者数100名を擁する、ブラジルが誇るトップレベルの研究機関へと成長したのである。

5.穀物増産能力7億トン:セラード地帯の潜在力試算
  ブラジル農業が注目を浴びるのは、すでに広大な農地を有し、今後、さらにその面積を大幅に拡大できるからだ。そうしたなかで、セラード地帯は最大の潜在的農耕適地面積を有する。CPACでは、セラードだけで6000万haの未利用地と6100万haの牧野があると見積もっている。もちろん、ここでは保護地や農家に義務付けられる法定保留地、農業不適地は除外されている。ちなみに、アメリカ農務省でもブラジルのセラード地帯の農耕適地(未利用地)6500万haと牧場からの耕地転換3000万ha、合計9500万haが耕地化可能と見なしている(USDA2003)。
  CPACが計上している牧野面積は容易に農耕地へ転換可能であるから、セラード地帯の耕地転換可能面積は約1億2100万haあると言えよう。これは日本の耕地面積400万haの30倍、またアメリカの全耕地面積(1億7400万ha)の約8割に相当する。
  ブラジルの現在の穀物栽培面積は4700万ha(2007年度)であるから、セラード地帯の利用可能地を耕地化するだけで、単純計算でも穀物生産量を現在の1億4200万トンに加えて、その2.5倍の3億5500万トンを増産することが可能となる。ブラジルは過去30年間に穀物14品目合計の平均の生産性を1.25トン/haから2.5トン/haに増加 させているので、長期的には生産性を倍増させて約7億1000万トンの増産も夢ではない。現在、ブラジルの穀物生産量のうち、上位2品目の大豆とトウモロコシが占める割合は82 %なので、単純計算するとセラード地帯だけでも5億8200万トンの大豆とトウモロコシが増産可能と試算できる。これは現在の大豆とトウモロコシの世界貿易量1億7400万トン(USDA2007)の3.3倍に相当する。
  セラード地帯の未利用地を耕地化するには、農地造成、貯蔵施設や搬出用の流通インフラ整備、港湾施設など巨額な投資を必要とするが、セラード地帯を開発するだけでもブラジルは膨大な食料輸出力を持っており、世界の食料安全保障に大きく貢献するだろう。
  また、昨今、バイオ燃料作物としてサトウキビ生産がセラード地帯南部から北上しつつある。OECD−FAO報告書(2008)によれば、世界の温暖化対策の推進を背景に今後10年でバイオ燃料の生産消費規模が2倍になるが、セラード地帯は今後、バイオ燃料生産地帯としても注目されていくだろう。

6.開発の連鎖:セラード農業の課題と展望
  セラード農業開発は「不毛の地」を開発し世界の食料需給の緩和に大きく貢献したと評価されているにも拘わらず、一方で急速かつ大規模な農業開発は「開発の連鎖」として多くの課題を惹起している。
  たとえば、[1]アマゾン地帯に接するセラード地帯北部フロンティア地域の生産者は、1997年にポルトベーリョ港を経由したアマゾン河利用のセラード産大豆の輸出回廊を開拓したが、これを契機に国道163号線などアマゾン熱帯雨林地帯の道路舗装化への圧力が急速に高まって来た。アマゾン地帯の輸送道路網舗装化は違法森林伐採や森林劣化を引き起こす。[2]セラード地帯はアマゾン熱帯雨林地帯に次ぎ世界で2番目に生物多様性(とくに同地帯固有種)に富むといわれ、複雑なエコシステムが存在する。大規模な開発はこれら貴重な生物多様性への脅威になっている。[3]セラード地帯にもインディオ保護地が設定されている。こうした保護地は、道路網の整備により開発の波が押し寄せて急激な変化にさらされており、先住民のアイデンティーと統一社会の喪失への危機感を高めている。セラード農業開発の動向は経済や技術的視点のみならず、環境問題や先住民問題といった、政治や社会的視点が欠かせなくなっている。
  さらに[4]セラード農業開発の歴史は僅か30年強であり、アメリカのコーンベルト地帯と比較しても短く、その知見は未だ決して充分とはいえない。すでに、大型農業機械による耕盤形成や大豆サビ病などの被害拡大が懸念されている。また、肥料価格の高騰に対応するために栽培技術の革新も必須である。[5]非遺伝子組み換え食品用大豆の輸出には「分別生産流通管理(IPハンドリング)」の導入とそのためのインフラ整備が必要である。
  セラード地帯の持続的農業確立への課題は多く、地球規模の「食料安全保障」の観点から、わが国が協力できる分野も少なくない。

7.終わりに
  去る6月19日、CPACにて「小林正人記念公園」オープニング式典が、日伯関係者列席のもと開催された。小林氏は1975年に開始されたCPACへの技術協力第一陣メンバーの1人で、81年に任期半ばにて他界をされた。「ブラジル移住100周年」に当たる今年、CPACは日伯セラード農業開発協力事業を通じた日伯友好のシンボルとして、研究所内に同氏の記念碑と名を冠した公園を整備した。わが国がセラード農業技術の向上とCPACの体制強化に貢献したことは、ブラジルの農業関係者の間では広く知られている。
  このCPACが主催して、10月12日から17日にかけて「第9回セラード・シンポジウム」と「第2回熱帯サバンナ国際シンポジウム」が同時開催された。過去40年ほどの間に蓄積されたセラード研究の知見を、世界の熱帯サバンナ地域へ応用することを目的の1つにしている。CPACは、熱帯サバンナ地帯における持続的開発研究の中核的役割を担うことになろう。
  両国政府は合同で途上国支援を行う「日本ブラジル・パートナーシップ・プログラム」に合意署名している(2000年)。ブラジルは日本と共同で途上国を支援することに積極的だ。セラード農業開発協力を通じて培われた経験をもとに、両国がアフリカ大陸の広大なサバンナ地帯の持続的開発にも、共同で貢献する日が来ることを期待したい。

<参考資料>
1.国際協力機構(JICA)、『日伯セラード農業開発協力事業合同評価調査総合報告書』、JICA、2002
2.本郷豊、『ブラジル・セラード農業開発―日伯セラード農業開発協力事業と今後の展望及び課題』、熱帯農業Vol.46(5)、2002
3.本郷豊、『現代ブラジル事典』第4章2項「アグリビジネス」(共著)、新評論、2005
4.本郷豊、『アマゾン−保全と開発―』(共著)、朝倉書店、2005

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