ベトナムの少数民族「カトゥー族」の伝統織物を活かした収入向上活動

(財) 国際開発救援財団(FIDR〔ファイダー〕)
ベトナム事務所長 大槻修子(おおつきのぶこ)

1.FIDRとは
  当財団(通称FIDR){Foundation for International Development/Reliefの頭文字。〈詳細〉http://www.fidr.or.jp}は、子どもの未来を育む「チャイルド・ケア」と「日本企業と日本人による国際協力の推進」をミッションに掲げ、開発途上国の人々の自立と発展を目指して、1990年から活動している民間の国際協力団体です。とくに「人づくり」に主眼を置きながら、医療、保健衛生、教育、農村開発、収入向上など幅広い分野にわたり、地域に根ざした支援活動を、カンボジアとベトナムで展開中です 。

2.ベトナムでの活動およびナムザン郡とのかかわり
  FIDRは、1991年から他NGOと協力してベトナムでの支援活動を実施してきましたが、98年にベトナム中部のダナン市に事務所を設置し、同市およびクァンナム省において自主事業を開始しました。その後、省人民委員会や他の行政機関より、「ラオス国境に隣接する省西部ナムザン郡の山岳地域には少数民族が居住しており、他の地域と比べ非常に貧しいため、支援してほしい」との要請があり、2000年に調査を開始しました。

3.ナムザン郡地域総合開発プロジェクトの概要
  ドイモイ(刷新)政策による市場経済システムの導入以来、高い経済成長を遂げつつあるベトナム。それまで自給自足的な生活を営んできた山岳・農村地域も、近隣地域に国際道路が整備されて、市場経済の影響を強く受けるようになりました。地方の農村を取り巻く環境が急速に変化するなかで、そこに住む人々が安定した生活を営むためには、時には「変化を受け入れ」、時には「伝統を守る」ことを選択することも必要になります。FIDRでは、そのような「変化」に対応できる、「自立した人と地域」を目指し、「ナムザン郡地域総合開発プロジェクト」を2001年から開始しました。
  FIDRはこのプロジェクトで、クァンナム省ナムザン郡のカジー社{村落がいくつか集まった、ベトナムにおける最小の行政単位}とタビン社において、農業、畜産、伝統手工芸、保健・衛生、教育、人材育成などの分野にわたり、地域総合開発を行ってきました。今回はそのなかのひとつ、伝統手工芸分野で、事業地の住民のうち90%を占める少数民族「カトゥー族」の伝統織物を活かした収入向上活動をご紹介します。

4.カトゥー族の伝統織物「カトゥー織」との出会い

写真1 カトゥー織の伝統衣装に身をつつむナムザン郡の住民たち。普段は洋服だが、祝い事や儀式などの際に正装として着用する
写真1 カトゥー織の伝統衣装に身をつつむナムザン郡の住民たち。
普段は洋服だが、祝い事や儀式などの際に正装として着用する

写真2 伝統的な腰織。技術と体力と柔軟性が求められる
写真2 伝統的な腰織。技術と体力と柔軟性が求められる

  黒地の布に、ビーズが織り込まれた「カトゥー織」(写真1)。カトゥー族の女性たちは、古くから自分たちの手で布を織ってきました。綿花を育て、紡ぎ、自分たちの腰と足で縦糸を伸ばす、「腰織」と呼ばれる独特のスタイルでゆっくりと時間をかけて織っていきます(写真2)。1枚の布を織るのに、1か月かかることも珍しくありません。織り上がった布は、女性たちの巻きスカートや上衣になったり、親しい人どうしの贈り物になったりします。カトゥー織の布で目をひかれるのは、ビーズによる装飾です。一つひとつの意匠はそれぞれに木の葉や動物など異なる意味を持ち、黒や藍色の布の上で、美しい飾りとなっています。それらのビーズは布に縫いつけるのではなく、布の横糸に通し、一本いっぽんの横糸を織っていくときに、一粒ずつ女性たちの目と指によって模様として織り込まれていきます。
  しかし、そんなカトゥー族の手織りの伝統も、綿を使っていた素材(糸)がより手軽に手に入るウールに変わり、また安くて手軽な工業製品の流入によって、大きく揺らぐことになりました。そしていくつもの村では、次第に織り手は失われていきました。
  FIDRがこの織物に注目したのは、プロジェクトの調査のために村を訪問した時でした。タビン社の中にあるザラ村で、多数の伝統織物を見せてもらいました。他にはない独特の伝統織物であることから、「これを活用し、さまざまな製品を生産・販売することで、村の女性たちの収入向上の手段になるのでは」と思いました。村の女性たちが「こんな物は誰も買わないし、買ったこともないよ」と言うのを、「外国人旅行者などはお土産として好んで買うんだよ。だからやってみませんか」と説得すると、半信半疑ながらも、20人ほどのカトゥー族の女性が賛同し、織物グループが結成されたのです。

5.女性たちと歩んだ「カトゥー織」の振興活動
(1)伝統を取り戻す〜布を織る特訓開始(2001〜2003年)
  織物グループは布を織る特訓から始めました。ウールで織られていた織物を元々の伝統素材である綿に戻し、織り方の研修を実施しました。綿はウールに比べ糸が細く、より繊細に織る必要がありますが、製品の多様化にも適応できるのも魅力でした。そのなかで、カトゥー織の特徴であるビーズのデザインや配置をきれいに揃えたり、布のサイズを統一する作業は一苦労です。研修は、試行錯誤の連続でしたが、時間をかけてようやく考えたとおりの布が織れるようになってきました。それと並行して、ビーズの色や柄、大きさなどのデザインに関する研修も行いました。織り方だけではなく、織物グループを運営していくための帳簿付けや計算に関する研修も実施するなど、初期の頃は幅広い活動を実施してきました。
  まさに、FIDRスタッフと女性たちがともに試行錯誤しながら歩んだ日々でした。この間も、女性たちは家事や農作業も休むわけにはいきません。わずかな余暇を利用してお互いが教え合い、少しずつ技術を向上させてきたのです。気づくと、2年があっという間に過ぎていきました。その間、少しの収入にさえならなかったにも関わらず、女性たちは辛抱強く活動に参加し続けてきました。
(2)布から製品を作り出す〜自主製作と試行販売の開始(2004〜2005年)
  活動を初めてから2年あまり経った2004年、グループ内から3名の女性を選び、縫製・洋裁研修を実施し、足踏みミシンを供与しました。そして、作られた製品を村から100kmほどの距離にある国際観光都市ホイアンで売り出すことになりました。バックやペンケース、コースターなどを用意し、試行販売を開始しました。ある女性は、のちに当時の気持ちを「ホイアンの販売店での状況を毎日見られるわけではなかったので、売れているのかどうか、とてもどきどきしていたわ。それに、どんな人が買ってくれるのかな、とも思っていたわ」と語ってくれました。
  ホイアンで製品は次第に売れていき、グループの女性たちにも、毎月の売り上げに応じた労賃がもたらされました。その金額は1人当たり半年あまりで数千円相当でしたが、コメなら100kg以上買える、村の女性にとってはちょっとした収入でした。
  またこの年、女性たちが共に働くための作業場が建設されました。この作業場は、織物グループが次へのステップに進むために大きな役割を果たすことになります。というのも元来、カトゥー族の織物を織る女性は、家事や畑作業、子どもの世話などの仕事の合間に一人で織物を織ってきたことから、技術は家族内、主に祖母や母親から娘へと引き継がれてきました。そのため、織り手が失われていくと、その技術も伝わらなくなってしまっていたのです。
  作業場ができ、女性たちが作業場に集まって、織物を織るようになったことにより、家族内という縦の繋がりだった技術の伝承が、グループ内の織り手や村全体へと、横の拡がりをもたらすことになったのです。それまで織物に興味を持っていなかった村の若い女性たちがその織物を目にする機会も増え、グループの女性たちを羨望の眼差しで見るようになり、織物グループへの参加を希望する女性たちが増加していったのです。織物グループに参加するためには織物を織る技術があることが必要ですが、村のあちこちでは、グループに加われるようにと、年配の女性に織り方を教わる若い女性の姿を多くみかけるようにもなりました。
(3)販路の拡大〜ベトナムの大都市での販売開始!(2006〜2007年)
  2006年からは、さらなる技術向上および製品多様化のために、製品デザイン研修と色彩研修を繰り返しました。2005年頃までは製品は約5〜6種類でしたが、現在では約25種類の製品を製作できるようになりました。また、織物の色も多様化し、赤と青の2色から、現在では約10色を用いるようになりました(写真3)。

写真3 FIDRスタッフも交えて、新しい製品のデザインについて話し合う
写真3 FIDRスタッフも交えて、新しい製品のデザインについて話し合う

  もっとカトゥー織の製品を知ってもらおうと、首都ハノイや、ベトナム最大の都市ホーチミン、国際観光都市ホイアンでの展示即売会への参加を繰り返していくうちに、ハノイ市内の有名手工芸店での販売が始まった他、クァンナム省やナムザン郡の行政機関も地元の特産品として販売を支援していきたいとの意向を示してくれるようになってきました。織物グループのメンバーも35人に増え、大型の注文にも対応できるようにと、他村の織り手にも声をかけ、タビン社の中に織物ネットワークが拡がりつつあります。


写真4 ハノイでの展示即売会にて。中央が、織物グループのリーダーのランさん
写真4 ハノイでの展示即売会にて。中央が、織物グループのリーダーのランさん

  そして2007年、活動開始時から目標としていたハノイ、ホーチミン、ホイアンの店での販売を開始することができました。販売は順調に伸びており、収入もそれにつれて増加し、織物グループに参加する大部分の女性たちの世帯はベトナム政府の定める貧困世帯層{「1人当たりの所得が26万ドン(約2000円)/月(山岳・農村地域)」以下の世帯}から脱け出しつつあります。織物グループのリーダー、ランさん(写真4)はあるときこのように語ってくれました。「元々私たちは、これらを贈り物にして喜ばれたり、それを着てくれたりする人がいるだけでとても嬉しかったのです。自分たちの伝統織物を多くの人々に知ってもらうことはとても誇りに思うし、多くの人々に喜んでもらえるものを作れると思うと本当に嬉しいのです。織物を通じて、家族も村もカトゥー族の人々も、いっしょに向上していきたいと思います」

6.家族と村、そして周囲の変化
  この活動を通じて、織物グループの女性たちだけでなく、村の男性たちや他の地域のカトゥー族の人々にも変化がありました。織物グループのあるザラ村では、村長が先頭に立って男性たちにも協力を求めたり、女性の仕事を男性が分担して行うようにもなってきたようです。女性たちからは、「夫が以前にも増して、仕事を手伝ってくれたり、子どもの世話をしてくれるなど、とても協力的になった」という声を聞くようになりました。また、ナムザン郡の行政担当者は、「この活動は、カトゥー族の女性たちが織物を通して生活向上に挑戦しているだけではなく、カトゥー族の伝統と誇りが継承されていく機会をも担っているのだ」と語ってくれました。
  この活動を始めた当初は、興味のある人々も少なく、また行政による支援などもなかったのですが、カトゥー族の女性たちの胸に秘められていた伝統に対する想いや愛着が、自分たちだけでなく、周囲の人々をも変えていったのかもしれません。

7.FIDRは女性たちの挑戦を見守ってゆきます
  彼女たちの挑戦はまだまだ続きます。より安定した組織運営と製品の質の向上を目指し、グループの女性たちは、「何が足りないのか?」、「何を改善する必要があるのか?」を考えながら、次のステップへ向けて歩き始めています。
  FIDRは、開発途上国の人々を支援するにあたり、人々が知識・技能を身に付けるだけでなく、自発的に考え自分たちが持つ力や資源を活かして生活向上に取り組むことを目指しています。この数年間で織物グループの女性たちは、製作技術を向上させ、伝統織物への自信を深めるとともに、自分たちで課題を考え実践に移す自主性を増していきました。カトゥー族が持つ織物という資源を活かした活動だからこそ、継続と自立につながる大きな効果をもたらしたのかもしれません。これからも、周囲の人々を巻き込みながら、彼女たちの挑戦と変化を見守りたいと思っています。


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