長編アニメーション映画
パーテンライ!!(八田来)
〜南の島の水ものがたり〜

パーテンライ!!南の島の水ものがたり

 皆さんは、八田與一博士をご存じでしょうか?博士は、1886年2月に金沢市で生まれ、東京帝大を卒業後、土木技術者として台湾に渡りました。当時、不毛の大地であった嘉南平原の灌漑のため、10年をかけて烏山頭ダムと長大な水路の建設工事を完成させました。
  また、灌漑のための施設整備だけでなく、施設整備後にあっても絶対量が不足している地域の水を全ての農地に行き渡らせるようにコメ、サトウキビ、畑作の「三年輪作制」を導入するなど、ソフト面でも指導を行い、人々に水の恩恵をもたらしました。のちに「台湾嘉南大しゅう(かなんたいしゅう)の父」と称され、没後60年以上たった今も、嘉南平野の農民に慕われ、毎年、追悼の法要が行われています。
  2008年秋公開に向けて、虫プロダクションが、この偉業をテーマとしたアニメ映画制作の企画を進めていますので紹介します。

―ストーリー―
  台湾の南西部に位置する嘉南平原は広大な不毛の大地であった。そこに住む台湾農民の子、英哲(えいてつ)の家に訪れた八田與一は灌漑用水路を造るために土地の一部を提供して欲しいと告げる。父親が日本人に対して口答えもできないことに苛立った英哲は、日本から派遣された八田に敵意をもつ。
  しかし、八田の灌漑開発にかける情熱に次第に用水路の必要性を理解し、自らも土木技師になるという夢を抱く。日本人の少年ススムの父親は営林署を辞めて、八田のもとで働いていた。ススムの夢は飛行機乗りである。英哲と意気投合したススムはお互いの夢を語り合う。そんな中、烏山頭ダムに水を導くトンネルの工事現場で起こった突然の爆発事故により、大勢の作業員が犠牲となった。そのなかにススムの父親もいた。誰もが意気消沈するなかで、八田は犠牲者の命を無駄にしてはいけないと工事続行に向けて立ち上がる。
  日本へ帰ることになったススムは、英哲とお互いの夢の実現を誓い合う。昭和5年、ダムの竣工式でバルブを開けたのは、八田の助手として成長した英哲であった。そしてそれは民族感情を越えた人々の努力の結晶が完成した瞬間であった。そこへ降り立った真紅の飛行機。八田に連れられ飛行場まで来た英哲は懐かしい顔に綻んだ。それは夢を実現した同士との再会であった。

(JIID)

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