スリランカの津波被害復興に向けて

独立行政法人 緑資源機構 海外事業部 情報整備課
専門役 東槇 健

1.はじめに
  2004年12月26日にインドネシア沖で発生したマグニチュード9.0の大地震は、インド洋沿岸の各国に甚大な津波被害をもたらした。スリランカでも、3万人を超える人命が失われ、5万戸以上の家屋が破壊された。緑資源機構では、2006年度から5か年にわたり、津波被害を受けたスリランカ南部沿岸地帯の農村復興開発に関する実証調査に取り組むこととなった。本稿では、津波後1年半を経過した現地の復興状況と本機構の実証調査について紹介する。

津波で破壊された民家
写真1 津波で破壊された民家

2.津波被害の状況
津波被害者数(2005年2月14日時点)  2006年6月の調査で、調査地域を南部州マータラ県の沿岸地帯に定めた。中心都市であるコロンボから車で6時間の距離にあり、スリランカの南端に位置する地域である。

 スリランカはシンハラ人、タミル人、ムーア人などから成る多民族国家で、南部州はシンハラ人が多い。
コロンボから海岸沿いの国道を南下していくと、南部州の州都ゴール市を過ぎたあたりから、壊れた家屋が目立ってくる。南部は北・東部とともに大きな被害を受けた地域である。
 津波が起きた26日は日曜日で、海岸沿いでは市場が開かれていた所も多い。津波被害を受けたのは海岸沿いの平坦地に住んでいた漁民が多いが、市場へ農産物の販売に出かけた農民が被災し、一家の働き手を失った農家もある。ゴール県では、コロンボへ向かう列車が直撃を受けた。線路が一段高い場所を走っているため、最初の津波では列車に被害は無かった。このため、乗客たちは津波から逃げてきた人たちを列車に引き上げ、必死で助けようとした。そこへ第2波が襲い、列車共々押し流され、多くの犠牲者が出たという。
 南部州の被害者は、死者1万84名、負傷者7399名、行方不明者2458名の計1万9941名 (参考までに阪神・淡路大震災の被害者は死者6434名、負傷者4万3792名、行方不明者3名である。)で、州の全人口の18%にあたる17万2758名が避難民となった。全壊した建物は住居が7216棟、その他が1647棟となっている。

3.復旧支援の状況
  これらの被害に対し、津波直後からスリランカ政府をはじめ、多くの国や国際機関、NGOによる緊急支援が実施された。翌年の1月末頃からは、仮設住宅の建設や政府による生活補助などの復旧支援が始められた。この時期、マータラ県では24の機関・団体が現地に入り支援活動を繰り広げている。

日本の無償資金協力で実施されている橋梁整備
写真2 日本の無償資金協力で実施されている橋梁整備

  スリランカ政府は津波直後に、大統領府の直属機関として、救援活動のモニターや調整を行う機関として国家対策センター(Center for National Operation)を設置したが、実際の調整活動は各県庁、郡庁レベルで行われた。
当初は調整活動が適切に機能せず、多くの団体が同じような活動を行ったため、混乱も生じた。
これまでにマータラ県で実施された支援活動をまとめると表1のようになる。

緊急人道支援
・食料の配給・給水
・医薬品の配給、医師の派遣
・テント・毛布の配給
・津波による精神的傷害に関するカウンセリング
復旧支援
・政府による生活費の補填(生活再建資金5000ルピー/月・世帯、葬儀手当1万5000ルピー(1スリランカルピー=1.14円[6月20日現在])/人、食料切符など)
・飲料水タンク、トイレの設置
・漁具の配給、漁船の修復、種、苗、肥料などの配給
・病院、学校、漁港、行政機関等公共施設の復旧
・道路/橋梁、鉄道、水路/護岸などインフラ設備の復旧
・移転住宅の建設
表1 マータラ県で実施された主な支援活動

  現在は、これらの支援活動はほぼ終了し、橋梁の復旧とバッファーゾーン(BOX1参照)の指定による、移転住宅の建設が行われているだけとなっている。

BOX1 バッファーゾーン
  津波被害の多くが海岸線から数百メートル以内の距離にあったことから、スリランカ政府は海岸から100m以内(北・東部では200m以内)をバッファーゾーンとして居住を禁止する方針を出した。バッファーゾーンに居住していた人々には、政府が代替地、代替の移転住宅を無償で提供するとした。代替地には、寺社の敷地や公有地、買い上げた民有地を充当する。しかし、人口密集地では十分な代替地が手当てできず、また、安易な移転は農漁民の生活やコミュニティを破壊するとの国際世論の声もあり、一部の範囲を見直した。
  この見直しで悲劇も起きている。マータラ県では5か所が見直しの対象になり、海岸から25m〜35m離れた場所では住居の建設が許可されることになった。このため当初は移転対象で政府によって、住宅を提供される予定だった住民が、自ら住居を建設しなければならないことになった。政府からの補助(被害の程度により10万ないし25万ルピー)はあるものの、大きな負担を強いられることになる。これを悲観して、自殺者が出たのである。
  このニュースは全国紙でも取り上げられた。もともと貧困者の多い地域を襲った津波は、貧困ゆえに生活の再建が困難な住民にとって、その後も深い傷跡を残している。

2006年12月を目途に進められる移転住宅の建設
写真3 2006年12月を目途に進められる移転住宅の建設

4.今後の課題 
  短期の緊急援助、復旧支援は収束に向かいつつあるが、現地調査の結果、農業基盤の修復、整備はあまり進んでいないことが分かった。

排水不良により耕作放棄された水田 写真4
排水不良により耕作放棄された水田

  とくに、耕作放棄された水田が多い。津波と共に多量の海砂が排水路を逆流し、いまだに堆積したままで排水不良に陥り、耕作できなくなったためである。また、河口付近の水門が壊れたまま、塩水の流入が止まらず、稲の作付けができないところもあった。一部のNGOが水路の清掃・改修を行ったが、まだ多くが取り残されている。
  また、この地域では雨水に依存した農業が営まれているが、降雨量が年により大きく変動するため、年ごとの収穫量が変動し、安定した収入が得られない。このため家庭菜園で作った野菜の販売やコヤ(Coir)と呼ばれるココヤシから取れる繊維を使ったロープ製造で、副収入を得て、なんとか生計を維持している。しかし、家庭菜園は一つひとつの規模が小さく、流通面での課題も多い。
 このため、水路の堆砂の除去や水門の補修、耕作地に生い茂った雑草、雑木の除去など、取り残された復旧事業を急ぎ、生計の回復に努めるとともに、農業生産性の向上や、組織化による野菜の共同出荷、流通改善、新規作物の導入などを進め、収入の安定化を図り、貧困からの脱却を目指すことが必要となっている。

5.村づくり協力 
  本機構がこれからスリランカで行おうとしている実証調査は、今まで本機構が実施してきた住民主体による参加型の村落開発(私たちは「村づくり」協力と呼んでいる)の手法を農村の復興支援に応用しようとするものである。住民が、計画段階から開発の全てのプロセスに直接参加し、地域のニーズに沿った復興計画を作り、共同作業で工事を行う。その過程で自分たちが村づくりをするという意識が育ち、住民自身による持続的な村落開発が展開することを期待している。
  本調査はいくつかの村を対象に住民参加型の事業を実施し、そこで得られた知見や教訓をガイドラインとして取りまとめることを目的としている。実際に事業を行いながら調査を進めるために、単なる「調査」ではなく「実証調査」と呼んでいる。

壊れた民家前でのARPA(女性が多い)への聞取り
写真5 壊れた民家前でのARPA(女性が多い)への聞取り

6.ファシリテーター 
  参加型開発を進めるにあたっては、ファシリテーターの役割が重要である。ファシリテーターとは、開発関係者の間では80年代後半からNGOを中心に使われ始めた概念で、最近はコーチング技術の発展に伴い、ビジネスやスポーツの場でも活用されている。表2に、その定義の一例を示す。

・PRA(主体的参加型農村調査)/PLA(参加型学習と行動)をはじめとする参加型開発においては、主役はあくまで学習し、行動を行う地域住民である。外部の人間である開発者に地域住民の(とくに社会的弱者の)ニーズを見出すことは困難であり、住民自身が積極的に参加しない限り、真のニーズは見出せない。
・また問題は地域住民自身にかかわることであるから、住民自身が自分たちで解決するための責任を持つ必要がある。このためには、住民自身が名実共に学習や活動の主体にならなくてはならない。専門知識を持つ外部の人間はリーダーシップを住民に譲り、こうしたプロセスを地域住民に任せ、触媒や助言者としての役割に徹さなければならない。
・このため開発者に求められる役割は、住民と共に問題を分析し、住民が解決策を決め、それを活動計画にして行く能力を開発し、過程を助けることにある。こうした開発者の行為をファシリテーション、こうした役割を果たす開発者のことを、一般的にはファシリテーターと呼ぶ。
表2 ファシリテーターの定義
(Frans Geilfus,80Herramientas para el Desarrollo,IICA,1997を参考に緑資源機構で作成。)

  スリランカでは90年代から参加型開発が盛んに導入され、地元NGOには豊富な経験を持った優秀なファシリテーターも多いと聞いている。しかし、彼らが常に村にいて住民を支援するわけではない。プロジェクトが終われば、村を離れる。育成した住民組織を通じて、継続的な支援を実施する場合もあるが、その頻度は限られる。継続的な支援を行うのは行政の役割となる。このため、本調査では以下に述べる農業支援センターの職員を活用することを考えている。

7.農業支援センターとARPA 
  スリランカには農業支援、住民支援の場として郡単位を基本に農業支援センター(Agrarian Service Center)が設置されている。農村支援・農民組織開発省直轄の郡農務官を筆頭に国、州、県の農業普及員などの行政官が配置され、農民にとって重要な農業行政の場として存在している。
  村単位にはARPA(Agriculture Re-search & Production Assistant)と呼ばれる職員が配属され、郡農務官や農業普及員の業務を補助している。彼らは担当村あるいは近隣村の住民でもあり、住民にとって、もっとも身近な公務員といえる。ただ、専門教育を受けた人は少なく、マータラ県全体で545人いるARPAのうち、農業専門学校の卒業資格を持った者は13人に過ぎない。
  ファシリテーターに求められる資質について整理すると、表3のようになる。

促進者として
・「指導者」、「支援者」、「先導者」ではなく「伴奏者」であるというスタンスを持っている。
・プロセスを大切にする。
・評価的、誘導的、操作的(否定的)でない。
・参加者を信頼し、「待つ」ことができる。
提供者として
・必要な知識、経験がある。知識、経験を共有することができる。
・必要な情報を持つ、得ようとする。
介入者として
・必要に応じて、プロセスに介入できる。
・議論の視点を変えることができる。議論の道筋を修正できる。
エンターテーナー・柔軟にその場の状況に対応する。
・表現力が豊かで、参加者への対応が明確である。
・開放的な雰囲気作りができる。
その他
・「解決」しようとしない。解決は参加者に任せる。
・自己の間違いや、知らないことを認めることができる。
・多様な価値観を受け容れることができる。
表3 ファシリテーターに求められる資質
(Frans Geilfus,80Herramientas para el Desarrollo,IICA,1997を参考に緑資源機構で作成。)

  ARPAは知識の面では多少劣るものの、ファシリテーターに必要な住民との「信頼関係」は厚く、ファシリテーター予備軍としての能力は高いと考えている。本調査では、彼らにファシリテーターとしての訓練を実施し、彼らのファシリテートにより、住民のニーズに沿った農村開発事業を展開できないか検討していきたい。

8.おわりに
  スリランカでは80年代から、北・東部のタミル人地域の分離独立要求を掲げるLTTE(タミル・イーラム解放の虎)とスリランカ政府との間で紛争が続いている。津波を契機に両者の歩み寄りがみられたが、昨年暮れから、再び闘争が激化し始めた。津波後の政府の対応が北・東部で遅れたことも、一因といわれる。一方、北・東部に国際機関などの支援が偏り、南部の貧困地域に不満が集積したことが原因との声もある。南部州でも、紛争からの避難民は1900人を超えるといわれ、民族紛争の影響はぬぐいがたい。
  北・東部と南部の均衡の取れた開発が今後のスリランカの平和構築にとって重要であり、民族間・地域間でバランスの取れた開発支援が必要となっている。
  本調査は始まったばかりだが、南部地域での津波被害からの復興支援を通じて、スリランカの平和構築に少しでも役立つことができればと考えている。

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