「東ティモールの動向」
JICA灌漑専門家6か月の体験

独立行政法人 国際協力機構(JICA)
専門家 境 忍

1.はじめに
  筆者は新生東ティモール政府に対するJICA専門家(灌漑維持管理アドバイザー、Irrigation and Water Users’Associ a -tion Adviser)として2005年12月より任国の農林水産省(MAFF)に派遣された。独立国として自力発展を目指す任国にあっては、主要産業である農業の振興が主要課題であり、とりわけ灌漑施設の機能回復や水利組合の組織強化が急務となっている。一方、独立の是非を問う住民投票後の騒乱被害からの復興が円滑には進んでおらず、治安の面でも不安定な状況にある。
  本稿は、筆者の赴任以来6か月間の活動と所感、その後治安状況が急速に悪化したことにより本邦退避を余儀なくされた状況について触れる。紛争国などの復興支援のあり方について、考察の一助となれば幸いである。

IRCPMの取水施設
写真1 IRCPMの取水施設

2.東ティモール要覧
  東ティモールはインドネシア・スンダ列島の東部に位置し、ティモール島を西部のインドネシア領と分ち合っている。国土面積は146万haと日本の岩手県ほどしかなく、人口は約90万人で99%がキリスト教である。
  東ティモールは16世紀前半ポルトガルの探検家によって発見され、以来1975年までの長期にわたりポルトガルの植民地であった。その間、太平洋戦争時は日本の占領下にあったが、終戦後にポルトガルの支配が復帰している。しかし、東ティモール独立革命戦線(フレテリン)などの独立運動が次第に活発になり、ポルトガルが支配放棄の状態に至ると、1975年12月にインドネシアは域内の社会主義国発生を阻止するとの理由で併合してしまった。

月例のHarmonization Meeting ARPのチームリーダーが議長を努めている
写真2 月例のHarmonization Meeting ARPのチームリーダーが議長を努めている

  インドネシア政府は、併合した東ティモール州に対し、庁舎・学校等の各種施設整備、道路・灌漑などインフラ整備、有能な行政官の配置・ジャカルタへの内地留学による人的資源開発などに力を注ぎ成果も挙げていた。しかし、フレテリンの根強い抵抗活動と、それを圧殺しようとするインドネシア軍による虐殺の実態が世界の注目を浴び、99年8月、東ティモール住民による独立の是非を問う直接選挙が実施されるに至った。その結果は独立支持が80%近くを占めたが、直後インドネシア軍に支援された統合派民兵組織が全土で焦土作戦を展開し、虐殺、国土の疲弊、難民の発生をもたらした。
 国際世論を背景に99年10月、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)が活動を開始し、緊急復興と独立に向けた国家組織機能の構築が進められた。2001年10月に東ティモール人閣僚のみによる暫定内閣(ETPA)が発足し、2002年3月には憲法公布、同4月の大統領選挙でシャナナ・グスマンが83%の高率で選出され、そして02年5月20日に独立を果たし、マリ・アルカティリ首相率いる東ティモール民主共和国政府が発足した。
 日本政府はUNTAET副代表の派遣をはじめ、99年12月の第1回支援国会議を東京で開催、復興資金の提供、JICAの技術協力推進等一貫して支援に努めている。

マナツト灌漑施設の沈砂池。
写真3 マナツト灌漑施設の沈砂池。流水は堆砂の表面を薄く流れている

3.任国6か月の活動と課題
(1)農林水産省の組織機構
  現在の農林水産省(MAFF)は、UNTAET時代の農業部を省に昇格させ東ティモール人の大臣(エスタニラウ・ダ・シルバ氏)を配したものである。筆者の配属先である灌漑・水管理部は事務次官(オデテ女史)下の農業・畜産局長(デオリンド氏)に属しており、灌漑・水管理部長はフロリンド氏である。13の県にそれぞれ県農業事務所(District Office)が設置されているほか、3〜4県を統括する地域事務所(Regional Office)も設けられている。
  MAFFの現在の職員規模は、地方事務所を含めおよそ300名とインドネシア時代の約10分の1に過ぎない。灌漑・水管理部においても、本部には部長1、課長3、課員6名と限られている。灌漑・水管理部長が筆者の直接のカウンターパート(C/P)であり、その配下の9名が指導・協力の対象である。彼らの学歴は、課員の中にインドネシア時代の大学卒が1名いるのみで、その他は全て高卒以下である。人員が限られている上に、資質の問題も相まって、人材不足は極めて深刻である。

(2)ドナーのMAFF支援
  東ティモールへの農業協力は、支援国協調ファンド(TFET)とECファンドを財源とするARP(Agriculture Rehabili-tation Project)や国連食糧農業機関・国連開発計画など国際機関による支援、オーストラリア、アメリカ、日本、ポルトガル、ドイツなどによる二国間援助の形態で行なわれている。そのなかで、灌漑開発を担っている主要な援助はARPと日本である。
[1] ARP phase T〜V
  ARPはTFETおよびECファンドを世銀が管理する形で、農業分野全般にわたる支援事業を全国規模で展開している。ARP事業の計画・実施のため、MAFFにイギリス、オーストラリアなどから10人前後のアドバイザーが派遣されており、MAFFを支援している他のドナーも含めたアドバイザー集団の中核をなしている。ARP事業により、これまでに約1万2000haの灌漑リハビリが達成されている。 
[2] 日本
  マナツト県ラクロ川下流域約660haの灌漑開発のため、03年に日本政府の資金援助により取水施設を改修した(写真1)。その後、同地区において、05年6月よりJICA支援による3か年計画の灌漑・稲作プロジェクト(IRCPM : Irrigationfor RiceCultivationProjectin Manatuto)を実施中である。また、ボボナロ県マリアナ地区を対象に無償灌漑施設改修プロジェクトに向けた基本計画調査(B/D)を実施中である。その他、これまでにMAFFの灌漑担当職員数名に対し、日本への受け入れ研修を実施している。

(3)活動経過と課題
  着任以来、専門家活動に必要な情報収集、IRCPMやマリアナ灌漑改修等日本の支援プロジェクトの促進、国家水資源政策等関連政策案に対するコメント、灌漑開発にかかる関連部局との連携、MAFF・ドナー間の会議(Harmonization Meeting:写真2)やワークショップへの参加、現地調査などの活動を行い、任国の一般状況から指導分野の灌漑開発状況まで概観することができた。それによると、以下のものが今後のMAFF灌漑政策の重点課題と思われる。
[1] 灌漑開発の長期目標の明確化
  MAFFの食糧安全保障政策書によると、東ティモールには灌漑開発の潜在地が6万7000haあり、そのうち3万5000haが実際に灌漑(水田利用)されている。MAFFは約3万haの灌漑水田を整備する構想を持っていると聞くが、現行のARPVが完了しても整備・改修されるのは1万5000ha程度にとどまる。残り1万5000haについては明確な整備計画が存在していないうえ、現行食糧安全保障政策上の生産量の計上対象にもなっていない。
  任国の人口増加や稲作の技術向上・単収増加などの要素もふまえ、食糧安全保障の達成を高精度・適正に行うために、ARP完了後に引き続く残り1万5000haの灌漑開発を具体的に進めてゆく長期計画が必要である。
[2] 水利組合(WUA)組織化に当たっての留意点
  インドネシア時代には、農民は灌漑施設の建設・改修・維持管理の全費用の行政側負担を享受してきた。新生東ティモールの灌漑政策では施設の改修に当たって、水利組合(WUA)の設立および水利費(組合運営費及び施設維持管理費)の農民負担を義務づけているが、ARPのアドバイザーやMAFFの職員には参加型灌漑管理(PIM)の論理を一律に適用し農民をそれに従わせることで事足れりとの風潮があり、気にかかる。農民に新たな負担を求める水利組合の設立指導に当たっては、以下の点に留意が必要と思っている。
・農民に新生水利組合設立に伴う経済的インセンティブを持たせることが必要。
・灌漑地区における既存の取水・配水・施設維管理等にかかるルールや文化について十分配慮する。
[3] 持続的灌漑のための流域保全
  任国の集水域は荒廃が進んでいる。炊事用の薪炭としての伐採やインドネシア時代のゲリラ対策のための伐採などが原因といわれている。そのため、河川の流況は安定しておらず、多くの侵食土砂が流下するため、取水施設や幹線水路が土砂により閉塞するなどの問題が発生し、施設の機能を有効に発揮しづらい状況にある(写真3)。こうした状況を改善し灌漑水の取水を安定化させるには、上流部の流域保全が不可欠である。流域保全を林野部門だけの問題とするのではなく、灌漑部門にとっても取り組むべき主要な課題と捉える必要があり、両部門が協調して対策を講じることが望まれる。
[4] 灌漑技術者の要員養成
  任国の復興にとって、灌漑開発がもっとも重要な対策であるにもかかわらず、MAFFの灌漑要員はその数が極めて限られており、その知識・技術レベルにも限界がある。今後、MAFFは灌漑担当の職員に対する技術研修の機会を多く設け、その資質の向上に努める必要がある。また、任国内においてMAFFの将来の人材となるべき若い世代に対する、農業高校および大学での灌漑技術教育の体系が整備されるべきである。

4.治安悪化から本邦退避へ
  活動6か月にして、本邦退避を余儀なくされた。直接の原因は、軍内部の差別待遇問題に端を発した街頭デモが暴動に発展し、治安が悪化したためであるが、その伏線には独立を達成したにもかかわらず、市民生活が一向に良くなっていないこと、国内の東西間に独立闘争の貢献度にかかる対立意識があること、独立闘争の前線で戦った障害者・遺族などへの補償がなされていないこと、インドネシア軍と同調者に対する処罰が為されていないこと、国連主導の国家機構構築が住民には不透明で民意が反映されていないことなどがある。

民衆によるMAFF庁舎の略奪。
写真4 民衆によるMAFF庁舎の略奪。警備のオーストラリア兵は傍観するだけ

  06年2月8日、西部出身の国軍兵士が東部出身者との差別的処遇に抗議、脱走して大統領に直訴。後に軍当局は脱走兵591名を除名処分した。4月24日〜28日除名兵と支持者が差別の改善と内閣の刷新を求め、許可を得たデモを実施。当初は穏やかであったが次第に先鋭化し、4月28日午後には暴動に発展。一時、ディリ市外への退避者が急増しパニック状態となる。その後は沈静化の様子を見せていたが、5月下旬あたりから銃撃戦再開、5月25日昼ごろには市街戦が激化し、夕方、JICAは全関係者の一時国外退避を決定した。5月26日夜SOSチャーター便にてインドネシア・ジャカルタへ退避し、28日朝成田に到着した。
 我々の退避後、ディリ市内は騒乱の度を増し、MAFFを含む政府庁舎に対する略奪(写真4)も発生したが、グスマン大統領が非常大権を掌握し、6月26日にアルカティリ首相が退陣、7月10日にラモス・ホルタ前外相兼国防相が新首相に就任するに及んで、一連の騒乱に区切りがついた感がある。

5.技術協力の条件整備に向けて
  東ティモールの人々は一般に自ら発案・行動することは苦手で、上から言われたことに従うことには慣れているようである。長い植民地時代に経験から、責任を負うことなく安全に生き抜く知恵が身に染み付いているのであろうか。既述の組織能力の限界や社会内部の不満・対立も含めて、任国は技術協力の推進条件に恵まれていない。しかし、だからこそドナーの支援が必要なのであって、まずは彼らのできる範囲で、技術協力推進の条件整備としての、C/Pの自主的な提案・活動に向けた意識改革の促進が、重要であると考えている。
  今回退避を余儀なくされる事態に陥ったことで、日本を含む各ドナーの支援は麻痺状態となり、何よりも東ティモール自身がきわめて大きな損失をこうむってしまった。治安状況は改善されつつあるが、さらに東西住民間の対立も解消の方向に向かうなど、ドナーの協力が円滑にできる条件が整うことが期待される。JICAの支援が早期に再開され、いままで以上の技術協力が推進されることを望んでいる。

〈参考文献〉
東ティモール民主共和国概観(2005年3月)在東ティモール日本国大使館
業務報告書(2006年1月)東ティモール農業政策アドバイザー 三浦喜美男
業務報告書(2006年6月)東ティモール灌漑維持管理アドバイザー 境 忍

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