〜コメ専業農家の三姉妹奮闘記〜
                   男は度胸、女も度胸

写真:山本さん一家
山本さん一家。左から、善博さん、喜己代さん夫妻と、長女の真由味さん、三女
の朝子さん、次女のこず江さん。「あとは結婚かな。どうなるか、わからないけ
れど」と誰ともなく笑う

「わたしたち、3人ともB型なんです。父もB型で、母だけがO型。みんな、マイペースでわが道を進んでいます」
  笑いながら話すのは、山本真由味さん(32)、こず江さん(29)、朝子さん(27)。愛知県半田市で、コメを専業に営農する善博さん(58)、喜己代さん(53)夫妻の間に生まれた三姉妹だ。
  山本家では現在、借地も含めた25町歩の面積で、コメを栽培する。うち1町歩で、古代米3種類を栽培。そして、喜己代さんが中心となり、古代米を使った加工品を製造、販売している。
  市内でも有数の米農家である山本家を支えているのが、三姉妹なのだ。

加工品事業に従事する長女と次女
  長女の真由味さんは、高校卒業後、京都にある和裁の専門学校へ進学。5年間の修行の後に帰郷し、和裁の仕事をしながら加工品作りにも携わる。忙しい喜己代さんに代わり、食事の準備などの家事もこなしている。
  和裁の国家検定1級も持つ、真由味さん。成人式前の11〜12月は和裁の仕事に追われるが、和裁と加工品作りの仕事は、今のところ、半々の割合だという。
  次女のこず江さんは、短大卒業後、名古屋市にある会社に就職した。加工品作りのために、いったん会社を退職したものの、その腕を請われて再就職。職場を半田市に移し、平日は加工品作りを手伝ってから出勤。休日も午前中に加工品を作る、超多忙なOLだ。
  古代米を使った加工品を作るのは、毎週木曜日から日曜日の4日間。木・金曜日は市内のファーマーズマーケット「ブリオ」と、JAあいち知多が営む「あぐりタウン・げんきの郷」に納入。土・日曜日はその2店舗に加え、自宅から車で5分ほどの産直市「半田まんてん広場」に納入している。
  自宅前の加工場には、炊飯器7台、パン焼き機10台などが、所狭しと並んでいる。おにぎりやお稲荷、おはぎ、大福、古代米パンなど、加工品は季節のものを入れれば、10種類以上になる。「コメ農家なのだから」と、加工品は、自家のコシヒカリと古代米を使ったものに限定している。
  朝は、早いときには4時くらいから加工品場に入るときもある。前日に下準備をすませておき、平日は喜己代さん、真由味さん、こず江さんの3人で、土日はパート3人も加わって、6〜7種類の加工品を作る。すべての機械がフル稼働だ。
「土日の朝なんて、まさに戦場ですよ(笑)。人数が多いから、身動きはとれないし、ヒューズは飛んでしまうし。でも、和裁と同じように、手を動かす作業は嫌いではないので、続いています」と、販売用のシールを貼りながら話すのは、真由味さん。
  一方のこず江さんは、「平日は、朝1時間だけ手伝って会社に行きます。土日も加工品を作るので、休みがありません。気がついたら、いまの生活になっていました」と、笑っている。
  加工品のメニューを決めるのは、母の喜己代さん。しかし、「これはいいんじゃない」「こんなの、買わないよ」と、一消費者としての実直な判定を下すのは、真由味さんとこず江さんの役目だ。

農作業を手伝う三女
  一方、三女の朝子さんは、地元の農業高校を卒業後、岐阜県にあるスポーツ関係の専門学校に進学した。いったん帰郷した後、三重県桑名市にあるゴルフ場に勤務。4年間働いた後、ふたたび帰郷して父の農作業を手伝うこととなった。
「幼いころから軽トラックに乗って、母が農作業をするのを見てきたので、農業への抵抗はありませんでした。農業高校に進んだのも、とくに理由はありませんが、違和感もありませんでした」と言う朝子さんは、善博さんとともに圃場に出て、耕耘から草刈り、乾燥、精米と一連の作業をこなす。
  4〜10月までは善博さんと朝子さん、パート1人で作業。あまりに忙しいときには、シルバー人材センターに依頼することもある。休みは不定期で、朝子さんが作業したぶんは、給料制で支払われている。
  170センチの身長を生かし、高校時代はバスケット、専門学校ではゴルフに熱中していた、スポーツ万能の朝子さん。キャップをかぶり、首にタオルを巻いて草刈りをしていると、近所の人から「よっ、アッくん!」と声がかかることもある。
「姉たちも、わたしの後ろ姿を見て父とまちがえることもあるほどです。ゴルフをしていたから、日焼けも苦にならないんですよね。いちばん上の姉が手伝うこともありますが、彼女はJAで買った日よけ帽子で、顔にはタオルを巻いて完全防備してます(笑)。姉たちは手先が器用だけれど、わたしは加工品作りは苦手。外で体を動かすほうが、性に合っているんです」(朝子さん)
  精米はいまや、完全に朝子さんの担当だ。配達も、姉の真由味さんと分担してこなしている。
「4〜5月は田植えで忙しく、6〜7月は草刈りに追われます。いちばん忙しいのは、秋ですね。収穫して、夜は乾燥。1日じゅう作業しています。古代米は、赤と黒と緑の3種類。白い米と、古代米では別に乾燥させないといけないのが、手間ですね。冬の時期は、精米と配達はありますが、まだ余裕があります」(朝子さん)
  とはいえ、幼いころから母が必死に働く姿を見てきてたので、専業農家へ嫁にいこうとか、結婚しても農業を続けようとは考えていない、と話す朝子さん。
「これだけの面積を栽培できるのも、娘がいてくれるから。頼もしい働き手ですよ」 
  と、善博さんは目を細める。

理念ある農業だからこそ
写真:日本酒「三姉妹」とお米  善博さんが就農したのは、昭和40年。市会議員をつとめていた父に代わり、高校卒業後、若いうちから作業のほとんどを任された。
  愛知用水が通水された頃からミカンを主体に栽培していたが、価格の低迷が続き、25年ほど前に、コメ栽培一本に切り替えた。栽培面積を増やし、コシヒカリを中心に、酒米やもち麦(パンやうどん、餅などに使われる麦で、三重県や愛媛県などで作られている)なども栽培している。
  栽培には、地元の酪農家から購入した醗酵堆肥や自家の米ぬかを用い、除草剤は一回しか使用しない減農薬栽培だ。徹底したコメ作りが評判を呼び、現在は直販と契約栽培のみで経営を成り立たせている。
「どうせ栽培するなら、おいしいコメを作りたいですからね。目標がないと、楽しくないでしょう。
  いまのところ、契約栽培がいちばん安定する気がしますね。直販は、インターネットでの販売などはしていないのですが、口コミで評判が広がっているようです。知立市や、名古屋市まで配達に行くこともありますよ」
  そう語る善博さんは、ついに「お酒を飲むのが好きなのだから、自分で作ったコメで酒もつくろう」と、酒造会社に委託して、5年前に日本酒も生産しはじめた。
  酒米の銘柄は、酒造に適するコメのなかでも、とくに秀逸とされる山田錦。コメのうまみが生かされる純米大吟醸のみというのも、善博さんの探究心をうかがわせる。
  酒の名前は、かねてから決めていた「三姉妹」。すっきりとした味わいで飲みやすく、喜己代さんの直筆を印刷した和紙のラベルが趣を添える。
  農業委員を長年つとめ、半田市農業経営士会にも所属。愛知県稲作経営者会議の会長もつとめるなど、数々の役職を兼任する善博さん。
「彼はコメ栽培にかけて、やり手です。物事をきちんとこなすので、人望があります」
とは、半田市農業経営士会の仲間の評。堅実かつ熱心にコメ栽培に取り組む、善博さんの姿勢を感じる。

女性を自立させる「加工事業」
写真:古代米を使ったおにぎり、おはぎ、パンなど  一方で、古代米栽培をはじめたのは、喜己代さんのアイデアだ。喜己代さんは、農家の生まれ。農業高校を卒業後、4Hクラブ[Hand(農業改良と生活改善に役立つ腕)とHead(科学的に物事をとらえる頭脳)とHeart(誠実で友情に富む心)とHealth(楽しく元気で働ける健康)の4つのHの向上をめざすクラブで、世界各地に組織されている]で善博さんと知り合って結婚した。
「田んぼは泥だらけのイメージがあったから、嫌いだったの。ミカン栽培だからと結婚したら、いつのまにかコメ栽培になってしまったの」
  と、明るく笑う。古代米栽培のきっかけは、平成6年、農作業と子育て、家事、義父の介護など、長年の疲れがたまり、腰痛で体を動かせなくなったことだった。
「毎日、追われるように働いていて、肉体的に限界を感じていた時期でした。見慣れた田んぼの景色を眺めていたときに、ふと考えたんです。“この稲が赤かったら、楽しいかもしれないなあ―”と。
  当時は古代米の存在も知らなかったのに、無謀な思いつきを農業改良普及センターの普及員に話してみました。そうしたら『古代米があります』。さっそく農業新聞に載っていた静岡県の農家を訪ね、タネをわけてもらいました」

 古代米は、実も赤ければ、穂も赤い色をしている。古代米の田は、光が当たると、真っ赤に染まる。古代米の美しさにすっかり魅かれた喜己代さんだが、「この米、どうしたらいいんだ」と善博さんの言葉。地域の産業祭りなどで販売したが、それでも余ってしまう。
  義父が市会議員をしていたこともあり、来客が多かった山本家。料理を大量に作ることは慣れていた喜己代さんは、古代米で稲荷寿司を作り、イベントなどへ持っていくことにした。赤いご飯の稲荷寿司は、大好評。しかし、2、3年は「家に迷惑はかけられないし」と、加工品事業を始めることに迷っていた。
  折りしも、三女の朝子さんが仕事を辞めて帰ってきた。長女と次女も手伝ってくれるという。そこで、農作業のいっさいを朝子さんに任せ、加工事業をはじめた。
「取り組む前に、起業セミナーに参加したんです。『1日に、最低3万円は動かせ』と講師に言われました。ですので、人件費1万、仕入れ1万、その他1万はかならず使うことにしています。当然、売り上げも3万以上にしなければなりません。1個300円程度の商品ですから、大丈夫かしらと思っていましたが、ありがたいことにクリアしています」
 と言う喜己代さん。少しは楽をしようとの思いからはじめた加工品事業だったが、まだ日の出ていない早朝から加工場に入り、昼間は搬入や販売、営業に飛び回っている。
「加工品事業は、コメ栽培とは分けて、独立採算制にしています。パートさんや娘に給料を払わないといけないので、止められなくなってきました。でも、忙しいけれど、楽しいですよ」(喜己代さん)
  コメ栽培では、女性はほとんどが機械にくっついての補助的な作業。夜遅くまで作業をする、善博さんの気持ちがわからなかったという喜己代さんだが、いまの気持をこう語る。
「自分が責任者になってみると『もう少し工夫をしてみようか』とつい、時間のたつのを忘れてしまいます」

 いちばん人気の古代米パンは、コムギ粉に古代米の粉末を加えて焼きあげる。加えるコメの粉末の分量によって固くなったりすることもあるが、その配合は絶妙だ。おにぎりも、赤米の赤いおむすびにはゆかり(シソの葉のふりかけ)を加え、緑米には刻んだ青菜を加えることで、見た目に色が鮮やかになり、味も歯ざわりもよくなる。そのひと工夫こそが、人気の秘訣だ。
「思ったことは、やってみればいい」という善博さんの理解に加え、娘たちが手伝ってくれることも、事業を続けられた要因だ。
「わたしの思いつきに娘を巻きこんだ形になったけれど、5年続いているということは、娘たちも嫌いではなかったということですよね」(喜己代さん)

愛嬌だけでは、生きていけない?
  さて、取材当日は、「半田まんてん広場」の餅つき大会。山本家の三姉妹も、加工品を搬入した後、地域の農家に混じって餅をふるまっていた。
  子どもたちに餅つきを教えるのは、善博さん。娘たちは、1人が餅を渡していれば、1人はおろし用のダイコンをすり、1人はだれもいなくなったスペースへ移動して、おでんを売る。背後にも目があるような、姉妹ならではのコンビネーションだ。
「昔はよく喧嘩もしたけれど、最近は、姉妹っていいなあと思えるようになりました。3人で買い物やコンサート、野球観戦、ディズニーランドへ行ったこともあります。わたしたちは人と休みがちがうので、お互いの状況を知っているぶん、付き合いやすいんです」とは三女の朝子さん。
 みんな、マイペースと自称する彼女たちだが、喜己代さんから見ると、3人の異なる性格が、親からすれば救われるという。
「長女はやっぱり、ここぞというときにまとめています。わたしがイライラしているときに、つい当たってしまうのは彼女なのだけれど、わたしの怒りをふわっと受け止めてくれます。
  次女は情報通で、自分独自の世界を持っています。会社から帰ってくると『今日はこんな話を聞いたよ!』と30分は話しています。周りの状況をよく見ているのも次女で、だれがどの作業をしていたかを、よく覚えています。
  三女は、とにかく体がよく動きます。車の運転も、どこまででも平気で走ります。それと、義父の介護など、わたしが大変だった時期を、いちばんよく見ています。だから、わたしを怒らせるようなことをしないし、やさしいですよ。テキパキしていて、要領もいいしね」

写真:昼食時にくつろぐ3姉妹
昼食時にくつろぐ3姉妹。携帯電話をいじったり、雑誌の話をしたりと、
仕事を離れれば、ごく普通の若い女性たちだ

 熱心に働く両親に、仲良く家業に励む娘たち。まさに理想の家族だが、育て方に秘訣はあるのだろうか?喜己代さんに、たずねてみた。
「『農業をするように』と、育てたことはなかったです。ただ、家は来客が多かったので、たとえテスト期間中でも、娘たちの手を借りるよりほか、ありませんでした。そのおかげか、3人ともよく気がつくし、いい意味で、お尻が軽いの(笑)。ほんとうによく動きますよ」
  高校卒業後には一度、家を出ることをすすめたという。“女は愛嬌だけでは生きられない。度胸も必要”というのが、山本家の方針だ。
「次女は家を出ていないけれど、ホームステイで海外留学をしています。3人とも、家を離れることで、客観的に家や農業を見てくれるようになりました。
  三人姉妹は仲が悪いといいますよね。長女と三女が結託して、次女と仲が悪くなるケースが多いようだけれど、しっかり者の長女が京都で修行している間、次女が、長女と同じように三女と接していました。仲良くて、見ているとうらやましいほどです。 
  あとね、家族円満の基本は、両親の仲がよいこと(笑)。お互いに、感謝の気持ちを持つことですね」(喜己代さん)
  しかし、いちばんの秘訣はやはり、コメ栽培や加工品作りへの理念を持ち、積極的に農業に取り組んできた両親の姿勢にあるのではないだろうか。
「農業は中途半端ではダメですよね。それから、いくら大変でも、ゆとりを持つこと。たとえば夫でも、いいコメを作ることはもちろんだけれど、だれも乗っていない農機に乗ることが楽しみだったり。厳しい状況だからと旅行にも行かず、したいこともさせず、ただ働くだけでは、娘たちも農業嫌いになっていたと思います」(喜己代さん)
「娘たちが手伝ってくれて、いまはうまく回っていると思います。これからどうなるかはわからないけれど、とりあえずの目標は、現状を維持すること。それから、半田市農業経営士会の仲間で立ち上げた、まんてん広場の売り上げをさらに伸ばしたいですね」(善博さん)。
  責任を持ちつつある3人の娘たちは、総じて「わたしたちは親について働いているだけですから。跡を継ぐのは、一応、長女かな。まだ、わからないけれど」といったところで、控えめだ。
  5年後、10年後。3姉妹が支える形態が、いつまで続くかはわからない。しかし、ともに励んだ時間を共有するかぎり、どんな境遇に変化しても、結束して乗り越えてゆくにちがいない。
(農業ジャーナリスト 天野和香子)

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