水議論における「正しい」科学とジャンク科学の区別

独立行政法人 農業環境技術研究所
理事長 佐藤洋平

地表水は0.01%という総じて乾いた「水の惑星」
 新聞記事、TVニュースなど各種マスコミ報道では、1945年以降で最悪といわれているヨーロッパ西部の渇水や日照りによる深刻な水不足や山火事を伝えている。8月11日の朝日新聞朝刊では、山火事による死者もスペイン、ポルトガル、フランス3か国で37人にのぼり、これまでに25万8千ヘクタールが消失したという。一昨年9月初旬にスペインのカスティーリャ・ラ・マンチャ州都アルバセテで開催された国際会議では、夏季の降雨量が25mmにも満たない、からからに干上がった大地にセンター・ピボット灌漑による青々とした農地が広がる農業試験場の光景を目にした時はほっとした安らぎを覚えたが、それは異様な光景でもあった。その帰途、旧友の招待で訪れたポルトガルでは、リスボンからエボラに向かう途上、焼け焦げたと思われる黒色の地面に、これもまた焼け焦げたであろうコルク樹が立ち並ぶコルク栽培農場が車窓から次々と眼前に繰り広げられる光景に驚き、わが目を疑った。リスボンでは、近郊の山火事で市街地にまで黒煙が漂っていたが、前述の記事に添えられていた自宅近くに迫った山火事にバケツで水をかける住民の写真は、一昨年の記憶を鮮やかに呼び起こした。
 また先の報道は、トウモロコシへの転作が進んでいるフランスでは、「水をがぶ飲みする作物への転換で、貴重な水資源が枯渇している」と農政を批判する消費者団体の声明に、農業団体は「われわれは水不足の加害者でなく被害者だ」と反発していることも伝えている。農業は、全水使用量の約70%を占めているように、他の産業や生活部門に比べてその使用が圧倒的に多いので、水不足に直面すると、いつもきまって悪者にされる傾向が、洋の東西を問わず見られる。
 地球は「水の惑星」と呼ばれるが、それは、ほかの惑星にはない海が地球に存在するからであるという。その海は、地球に賦存する水の96.5%を擁している。これに塩水湖などを加えると、水の97.5%は塩水として存在している。淡水として存在する水は地球上にある水の僅か2.5%に過ぎない。しかしその約70%は氷として、約30%は地下水として存在するので、われわれにとって利用し易い地表の水は地球上にある水の僅か0.01%に過ぎない(JIID, 2003)。
 水分子は、炭素と同じように、10万から100万年という時間スケールで地球を循環し地球を「水の惑星」に保っているという(Newton, 2005)。海面や地表面から蒸発した水は、大気中で雲をつくり、雲はやがて雨となって海面や地表に降る。この降雨となって循環する水の量は、国や地域によって大きく異なる。年間の降水量が100mm以下の地域を超乾燥地域、100mmから250mmの地域を乾燥地域、250mmから500mmの地域を半乾燥地域、500mmから1000mmの地域を半湿潤地域、1000mmから2000mmの地域を湿潤地域、2000mm以上の地域を過湿潤地域と呼んでいる。湿潤地域に分類されるわが国でも渇水による水不足に悩まされることはあるが、スペインやポルトガルのように日照りによる山火事が起きることはない。
 超乾燥地域、乾燥地域、半乾燥地域では、一般に土壌は乾燥しているので、農作物の栽培にとっては灌漑が必要となる。作物の栽培期間の降水量が乏しく、灌漑が行なわれない地域では、必然的に、農業を営むことは困難であり、営まれる場合でも生産性の低い農業とならざるを得ない。植物の生育は、日照と降雨によって規定されるので、こうしてみると、水はことに乾燥地域の農業にとって「希少資源」であると同時に、それは「季節性」をも含意していると言うことができる。

モンスーン・アジアになじまない欧米流ウォーター・プライシィング
 気象的、季節的な性格を持っている希少資源である水の農業利用において、水の価格付けなど、水の効率的利用を図るために経済的インセンティブを導入するべきであるという議論が世界の水議論の大きな潮流となっている。経済学が前提とする合理的経済人ほどには、われわれは合理的に行動しないとはいえ、行動選択の数々の場面において、経済的な有利・不利を考慮して判断することが多いので、経済的なインセンティブが機能する場合は多い。経済的合理性とは、完全競争を前提に効用を最大化することを目的に行動することと定義できるが、高価なブランド品を求めてパリまで出かけ早朝から本店の前に長い列を作るといった行為は、『顕示的消費の経済学』(Roger Mason, 2000)が明らかにするように、われわれは経済的合理性では説明できないような行為をとることもあることを示す一例である。水の価格付けを導入することによって、効率的水利用を実現することについても、温暖湿潤なモンスーン気候に属するわが国に、それをそのままの形で導入することに疑問を感じる。わが国では水が季節的な希少資源とはいい難く、その市場は機能しないであろう。気象変動によって時には起こるであろう渇水を想定しての導入は、有事のシステムを平時に用いるという論理矛盾を引き起こす。ただし、地球温暖化に伴う気候変動のもとで降雨がどのように変わるのかは予測しがたく、温暖湿潤気候のもとでの豊かな水資源に恵まれているわが国が、将来ともに自然の恵沢を享受できるかは不明である。
 温暖湿潤なモンスーン気候のもとに古代から現在に至るも、わが国の主穀たるコメを栽培する農業、この意味では極めて持続的な水田農業においては、戦後、土地改良区が水利用の効率性を担ってきた。その仕組みは「公正」概念を中核とするものであり、具体には分配の公正性と手続きの公正性を保障する機能を備え持つことによって実行されていることが、田中らの研究(Y. Tanaka & Sato Y.)によって明らかにされた。水の農業利用における効率性の議論は、水の賦存量の相違、希少性の度合いの相違、農業経営形態の相違、文化や歴史の相違など、農業をめぐる地域的多様性を考慮に入れて議論するべきである。世界銀行の主席エコノミストとして活躍した河合正弘が、「驚いたのは、欧米人がアジアの多様な社会をろくに知らないこと。・・・お仕着せの施策を各国に迫るのではなく、実態に応じた施策が必要と苦言を呈し続けた」(朝日新聞, 2005)というように、世界の水議論を主導する欧米人もまた、モンスーン・アジアの農業、社会、文化、歴史など多様性をろくに知らずに、彼らの論理を押し付けてくることに対して、われわれも、実態に応じた施策が必要と苦言を呈するとともに、国際的な学術出版をしているSpringer社から我が国が中核となって刊行している国際誌Paddy and Water Environmentなどを舞台に、アジアからもっともっと発言をするべきである。

ヴァーチャル・ウォーターを誤用するジャンクな論調のジャンク的引用
 これとは逆に、世界的な水議論の中で提起された概念を誤用したり曖昧にしたままに用いたりして、わが国の水議論を誤った方向に導いているものの一つにヴァーチャル・ウォーター(仮想水)がある。これは、水資源の争奪をめぐる中東地域の紛争を考察した論文でロンドン大学教授J. アンソニー・アランが初めて提起した概念である。彼はこれを「乾燥地域の国のように、水資源の乏しい国が自国の生産から輸入に振り替える農産物のその輸入国での生産に必要な灌漑水量」と定義して用いている(JIID, 2003)。これからも分かるように、この概念は、ある一つの資源をめぐる競争的環境を共にする地域(国)における資源配分の問題として定義されている。しかし、この概念によらずにヴァーチャル・ウォーターという言葉が独り歩きし、誤った理解のもとにその言葉を用いた論調が多い。地球規模での水問題について、最近NHKが二夜連続で世界の水問題をクローズアップ現代で取り上げた中の農業に関する内容もそうしたものの一つである。日本が輸入する農産物が体現するヴァーチャル・ウォーターの量が、日本国内の農業用水の量をはるかに上回り、しかも輸入する農産物の中には食料輸出国の希少な水資源を枯渇に向かわせているものが含まれていて、問題であるというものであった。水の農業利用におけるこうしたヴァーチャル・ウォーターの誤った利用や概念の拡張は、わが国における農産物の自給率向上を主張するには好都合であるにしても、食料輸入大国であるわが国を問題児扱いするこの番組の論調には首を傾げざるを得ない。そもそも貿易とは、商品の国境を越えた流通を通じて資源の適正な配分を実現するものであるから、商品の流通において問われるべきは、流通する商品の生産様式である。したがって、今ここで非難をするとするならば、地下水の枯渇問題に直面しつつも、希少資源である水を大量に消費してまでも農産物を輸出するというその生産様式である。この番組を見ながら、ずいぶんと昔に読んだニューズウィーク日本版の記事『「ジャンク科学」を排除する法』(Newsweek, 1993)を思い出した。われわれは「正しい」科学とジャンク科学とを区別しなければならないが、それは容易なことではない。

〈参考文献〉
JIID, 2003:世界的な水議論の場への日本/アジアからの発信、『水土の知を語る』No.3、JIID Books、280p.、(財)日本農業土木総合研究所、2003年3月15日
Newton, 2005:水−生命を育む物質、Newton 25(10)、pp.28-55、ニュートンプレス、2005年10月7日
Roger Mason,2000:顕示的消費の経済学(鈴木信夫ほか訳)、242p.、名古屋大学出版会、2000年10月20日
Y. Tanaka & Sato Y., 2003:An institutional case study of Japanese Water Users Association: towards successful participatory irrigation management, Paddy and Water Environment Vol. 1, No 2, pp.85-90, Springer, July 2003.
朝日新聞, 2005:ひと(アジア開発銀行に新設される地域経済統合室の室長に聞く)、朝日新聞朝刊、2005年8月28日
Newsweek,1993:「ジャンク科学」を排除する法、Newsweek、pp.48-50、TBSブリタニカ、1993年4月22日

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