エチオピア農業事情―最貧国からの脱出をどう図るか―


農林水産省農村振興局整備部
(前エチオピア農業農村開発省派遣JICA専門家) 狩俣茂雄

はじめに
 エチオピアはアフリカではただ1か国、ヨーロッパの植民地にならなかったのみならず、「3000年の歴史」を持つ国である。紀元前10世紀に、イスラエルを支配していたソロモン王とシバの女王の間に生まれたメネリク1世の即位により、エチオピアの歴史が始まるとのことである。このメネリク1世がいわば神武天皇にあたるのだが、この創成期神話が記述されているのは、13世紀に当時の王朝の手によって編纂された歴史書で、日本で言う「古事記」にあたる。もちろんこれはフィクションとしても、紀元1世紀には当国の北部にあるアクスムにおいて王朝が栄え、現存する高さ26mにも及ぶ一枚岩のオベリスクが造られるなど、高度な文明が栄えたのは事実である。その後、少し南方に位置するラリベラやゴンダールなどを拠点とする王朝の興亡があり、多くの世界遺産が存在する。「万世一系」とは言わずも、長い歴史を誇る国であることは間違いない。宗教の面でも、エチオピアの人々の半数以上は「エチオピア正教」という古い形のキリスト教徒であり、独自の文字を持つ豊かな文化国家として栄えてきたのである。

写真1 ティグライ州アクスムに建つオベリスク
写真1 ティグライ州アクスムに建つオベリスク

 しかしながら、東アフリカの伝統ある大国エチオピアも、18世紀以降、欧米の大国の思惑に翻弄されるなかで、対外戦争や内乱に見舞われ、次第に国力を減じ、発展から取り残されて、ついには現在のような最貧国に陥った。これに拍車をかけたのが、度重なる干ばつと年間3%に及ぶ人口増加による食料不足である。こうしたことから、現在のエチオピアにおける政策の中心テーマは食糧安全保障の確立と貧困削減となっている。これら課題を解決する上で、政策遂行では何を重視していくべきかといった選択肢が存在する。本稿では、こうした政策に関し、対立する、あるいは対になったいくつかの政策の選択肢を提示することにより、わかりやすく説明していきたい。

1.伝統的主食とコメの導入
 エチオピアでは、「インジェラ」と呼ばれるクレープ状の発酵パンが主食となっており、この原料はテフというきわめて粒の細かい穀物である。このテフは野生に近い品種であり、あまり肥料をやらずにそこそこ収穫が可能である。ただ、肥料を多くやってもヘクタール当たり収量は2トンを超えない。品種改良に関する研究には国としても力を入れているが、他の国ではほとんど栽培されていないため、掛け合わせる品種を見つけるのが困難なせいもあり、あまり成果を挙げていない。テフは比較的価格が高いことから、貧しい層の人々は、このテフに他の穀物の粉を混ぜてインジェラを作るのが一般的である。メイズは近年改良品種の導入により、収量増加のあった数少ない作物のひとつであるが、あまりインジェラには向いていないようで、少し豊作になると価格が暴落する傾向にある。
 国の南部地域においては、エンセーテと呼ばれるバナナによく似た植物から取れるデンプンを発酵させた「コチョ」が主食のひとつになっている。エンセーテは比較的干ばつにも強いことから、この普及が干ばつ対策として重要であるという意見もあるが、そこからデンプンを取り出す作業に極めて大きな労力を要すること、多くのエチオピア人がイモ類やエンセーテのデンプンから作った食物を「代用食」程度にしかみなしていないこともあり、全国的に普及するには至っていないのが現状である。
 一方、エチオピアでのコメの消費は穀物全体のわずか1.1%程度しかなく、なじみの薄い作物である。近年、日本の支援の下で開発されたNERICA米(New Rice for Africa)に対して、研究機関を中心に関心が集まってきている。これは、他の穀物と比較して収量が多く、今後とも毎年3%近く増大が予測されるエチオピアの人口を扶養する一助となるとの認識があるためである。このため、筆者は日本の国際的NGOである笹川グローバル2000と協力して、NERICA米の試験栽培をおこなった。NERICAの長所のひとつは成熟が早いことであり、雨期が短い地域にも適用可能である。テフと混ぜてインジェラを作ったときの食味も評判がよく、今後の更なる研究が期待されるところである。

2.森林の保全と生活条件の確保
 エチオピアでは、貧困にあえぎ、所得の向上を求める住民により、森林の皆伐や過剰な放牧が行われている。これが土壌流亡や水源の不安定化や土地生産性の低下をもたらし、さらには新たな農地を求めての森林伐採が行われるという「貧困の悪循環」が生じている。かつて豊かな文明が栄えたラリベラ地域では、もはや農耕が成立し得ないほどに土地がやせてしまっている。当該地域では日本のNGOが植林プロジェクトを実施しており、日本政府としても草の根無償などでの応援を行っているが、一度破壊された森林を戻すには気の遠くなるような努力が必要である。
 こうしたことから、森林の保全と生活条件の確保は一体のものとして考えていく必要がある。この国の南部に位置するオロミヤ州西部地域で行われているJICAの森林管理を目指す技術協力プロジェクトでは、こうした点を踏まえ、住民がいかに森林と共生していくかを探り、住民の手による森林管理のあり方を確立することを目指している。幸い森林があると、その樹陰でのコーヒー栽培や、養蜂、ハーブの採取といった生計の手段も生じてくる。さらに、適切な伐採計画により、森林からの直接的な収益も得られることになる。また、オロミヤ州東部では、緑資源機構が小さな流域レベルで住民参加の下に自然資源保全管理を進める実証調査が行われている。こうした試みを体系化し、全国に広げるにはもちろん時間がかかるが、長期的な視野に立って推進すべき活動といえよう。

写真2 NERICA米の試験
写真2 NERICA米の試験

3.大規模経営の推進と小農支援
 エチオピアの農業は基本的に小農によって支えられている。これは、当国が植民地にならなかったため、近年問題となっているジンバブエの白人経営農場のような大規模経営が行われなかったことによる。前社会主義政権時代に国営農場が多く作られたり、強制的な国内移住地が作られたりして、国家による投資もそこを中心に行われた時代はあったが、エチオピアの農業構造を大きく変えるには至らなかった。現在、政府は農業生産性向上のための投資や技術導入を図る手段として、資本家の農業参入を奨励している。小農は資本家に土地を貸しつけ「地代」(エチオピアでは土地は国有なので「権利金」というほうが正確であろう)を得るとともに、労働者として賃金を得る事となる。これにより、灌漑設備や道路などのインフラ設備の整備、輸出マーケットの確保が図られ、さらにアグロインダストリーの進行を通じて、当国の工業化の基礎を築いていくことも期待されている。
 一方で、大部分を占める小農にとって、農業生産性の向上はきわめて困難な課題となっている。肥料や優良種子などの生産資材の調達に必要な資金力はなく、生産物のマーケットへのアクセスを確保するにも情報の確保が困難なのが現状である。こうした状況において、日本の例を見ても農業協同組合への結集が効果的であるのは明らかであるが、実は前政権時代の「負の遺産」がこれを阻害しているといわれている。社会主義を標榜する前政権下では、ほとんどすべての農民は「農民組合」に強制加入させられ、政治的に利用されたという苦い経験がある。こうしたことから、多くの農民が「協同組合」という名前あるいは概念に対するアレルギーを持っている。とはいえ、ここ数年政府の奨励策やいくつかの農協の成功例に触発されて、徐々にではあるが農協の結成が広がりつつある。まず肥料などの生産資材の共同購入が広がっており、牛乳などの商品作物の共同販売を目的とした農協も設立されている。こうした農協の連合体が資本家の経営する農場と競争しつつ、当国の農業発展につながることが期待される。

写真3 植生を失った斜面とガリ侵食 写真3 植生を失った斜面とガリ侵食
写真3 植生を失った斜面とガリ侵食

4.生産重視と市場開発
 筆者がエチオピアに赴任した2002年4月時点で、農業省は穀物価格の暴落に頭を痛めていた。前年は久しぶりの豊作年を喜んでいたところ、メイズを中心に価格が半値にまで落ち込み、肥料代などの生産資材のクレジットの返済が滞る農家が続出したのである。こうした穀物生産地帯での「過剰生産」の傍らで、政府や他国からの食糧援助に頼る人々も人口の1割近くに及んでいるという大きな矛盾を抱えていた。この状況は、同年の大干ばつで一転する。エチオピアのほぼ全域で雨期の到来がおそく、また終了も早かった。降雨量も少なく、1980年代半ばにおこった規模を上回る被害が生じ、国民の2割が食糧援助を必要とする事態に直面したのである。幸い、前回と違って国内政治はかつてないほど安定した状態であり、海外からの支援も迅速かつ適切に行われたため、国民生活に対する打撃は最小限にとどめることができた。
 こうしたことから、新品種の開発普及、あるいはJICAがこれから支援する灌漑プロジェクトの推進など生産性の向上を進める施策とともに、「市場の形成と市場価値のある農産物の生産」を進める必要性が認識されるようになった。このため、農業省は2004年に大規模な組織再編を行い、「農業農村開発省」を発足させるとともに、市場部門を生産部門から分離し、それぞれ担当国務大臣を配置した。さらに、現在、流通基本政策を策定し各ドナーとの協議に入っているところである。とはいえ、農業生産性の向上に比べ市場の問題はきわめて複雑な要素が多く、政府と民間の役割分担が適切に行われる必要がある。さらに、付加価値を高めるための農産物加工技術の開発導入も重要な要素である。日本としても、あまり支援の経験のない分野であり、さまざまな人々の知恵の結集が求められている。

5.研究と普及
 エチオピアにおける研究機関は他の国に比べて重視されており、予算も多くついている。日本の技術会議事務局にあたるエチオピア農業研究機構や、その傘下の地域研究機関を訪れると、よく整備された敷地がひろがっており、その位置づけの高さを感じられる。しかしながら近年、エチオピアの農業生産性が停滞しているのは、こうした優遇策にもかかわらず研究機関が十分その役割を果たしていないせいではないか、との指摘が政府内部に生じている。同研究機構では、その研究成果をどう実際の生産につなげていくかに、腐心しているところである。

写真4 首都近郊でも行われている牛耕
写真4 首都近郊でも行われている牛耕

 一方、普及機関についても、他の国が世銀等の構造調整政策の下に「非効率である」と縮小しているのに対し、「普及員3倍増計画」の下、普及員やその上に立つ技術職員の養成に努めているところである。最終目標としては、全国1万5千か所のセンターに耕種、畜産、自然資源保全のそれぞれを担当する職員を置くこととしている。ただ、これも急ごしらえの印象は否めず、その成果を発揮するには、しばらくかかると見られている。
 こうしたなか、両者の連携がやはりエチオピア農業の発展の鍵を握るということで、研究の側から「農民研究グループ」を通じた技術普及方法が提案され、実施されている。これは、病虫害防除、野菜の種子生産、高品質小麦の栽培といったテーマごとに農民グループを作り、これを研究員が普及員と一緒になって指導していく方式である。研究側は開発した技術の農家レベルへの普及がはかれるとともに、現場で必要な研究のテーマをこの活動を通じて発掘することができる。JICAでは、このやり方を高く評価し、技術協力でこの活動の支援を行っている。研究と普及は農家指導における車の両輪であり、その連携強化は今後の農家の生産技術レベル向上の鍵となる。

おわりに
 以上のように、エチオピアが直面する深刻な問題およびその解決方向を述べた。いずれにせよ特効薬はないので、地道な努力が必要である。そしてエチオピアはそうした努力を行う素地を持った国でもある。勉学への思い入れも強く、夕方5時半を過ぎるころからアジスアベバの夜学の前には仕事を終えた若者が大勢集まってきて、門が開くのを待っている。こうした人々の努力をどう支援するかが我々に課せられた課題である。

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