西アフリカにおける手作り水田開発次期フェーズに向けて

水国際農林水産業研究センター沖縄支所
南雲不二男

1.はじめに
 筆者は国連世界食料計画(World Food Programme;WFP)の技術アドバイザーとして、1999年3月から2003年の3月の4年間、西アフリカ、コートジボワールにおいて、日本の拠出金による「開発途上国食糧安全保障確立支援事業」に参画する機会を得た。本プロジェクトは1999年より2001年の予定で計画され、農民参加とFood-for-Workの手法により、小規模水田や乾期の野菜畑を整備するとともに、参加農民の組織化ならびに生産技術を支援するという包括的な農村開発事業である。その目標は約1万250人の農家を対象として、計1700haの水田、100haの野菜畑、50haの食用バナナ園をリハビリまたは新規造成するとともに、その他の付属設備を整備することにある。プロジェクトの詳細は別誌に紹介した(南雲、2002)〔後掲参考文献の1〕。本文はいわばその続報である。プロジェクトの形成準備の遅れと1999年12月24日に勃発したクーデターなどのために、プロジェクトの活動が本格的に始動したのは2000年3月からであった。その後、再びクーデター未遂が起き、国が二分割されるという厳しい状況の中もプロジェクトは続けられ、最終的に終了したのは2005年の3月であった。

2.プロジェクトの活動手法(この項は上記の一部を抜粋・修正)
 本プロジェクトは、1)住民参加 2)Food-for-Workの二つの基本方針に基づいて実施しており、特にFood-for-Work方式はコートジボワールでは初めての試みである。

2.1 住民参加
 本プロジェクトは「農家自身による小規模手作り水田」をテーマにした、住民参加型の開発事業である。開発計画は参加農民の意見を常に聞き、合意を得ながら立てられ、実際の水田作りもまた、農民自身によって実施されている。農民は小グループに組織され、さまざまな土木工事に参加する。農民による土木作業の過程では、用排水路の掘り方から畦の作り方まで、さまざまな現地指導が施されるため、水田造成に関わる多くの事柄を農民は体得しやすい仕組みとなっている。参加農民の登録、区画割り当ても、すべて農民グループによって決定される。これにより、農家には「自分たちの作った、自分たちの水田」という意識が強く生まれるとともに、さまざまな補修整備が自分たちで、できるようになることが期待される。

2.2 Food-for-Work(労働のための食料)
 雨期と乾期の明瞭なコートジボアールでは、乾期には低湿地の土壌も乾燥し、固くなるため土木工事が困難になる。一方、雨期の最中は増水のため水没する。したがって、水田造成作業、水路作りなどの作業は乾期の終わり(3月)から低湿地が氾濫する時期(6月)までの4か月に集中して実施される。そして、この時期はまさに食料の端境期にあたり、農家であっても食料を買ったり、食事の回数を減らしたりしながらしのいでいる。こうした時期に、重労働を何の支援も無しに実施することは困難である。
 そこで、そのプロジェクトでは労働に見合った食料−Food-for-Work−を農家に支給しており、WFPの活動の基本的な手法である。その量は1日の労働に対してコメ3kgである。農家は1週間に1日〜3日間ほど仕事に参加するので、一週間に3〜9kgのコメを手にすることができる。もちろんこれで、一週間分の家族の主食をすべてまかなうわけでないが、それを補完する大きな助けとなっている。この食料支援がしばしば労働に対する報酬とみなされることがあるが、これはあくまでも農家の自助努力に対する「炊き出し」とみなしている。「腹が減っては戦にならないので、これで十分力をつけてください」ということである。これはまさに農家レベルにおける「自助努力に対する支援」であり、日本政府の援助方針にも一致している。

3.2002年活動報告
 2005年7月時点では2002年までの活動報告がある。その年次報告書によれば、困難な状態にもかかわらず、情報収集できたザンザン州(この国の北東部に位置する)、ボンドゥク県において、12のサイト、計207haで水稲が作付けされ、938トン(推定)が生産された(籾ベース)。平均収量は4.5トン/ha であった。サイトごとの平均収量は、2.4〜7トン/haと開きはあるものの、全体に好成績をあげることができたといえる。2002年は降雨が順調に経過したこと、あるサイトはダムや溜め池の下流にあることにより、十分な灌漑用水を確保できたことなどが、この結果をもたらしたものであろう。また、生産物を農場で売却したり、都会に持って行き売却したということであるが、政治的な混乱の中、詳細なデータはないという。また、WFPが生産支援として生産者グループに贈与した肥料などのコストを農家がその生産者グループへ支払うことで、次期作付けのための基金創出の仕組みを作っており、ボンドゥク県においては、8グループで200万FCFA(約35万円)以上が基金として銀行に預金されたという。私信によれば、2005年3月のプロジェクト終了時には、最終的に1711 haの水田、348haの野菜畑を整備する事ができ、324のグループを組織化し、総受益者は2万756人に達したという。計画を上回る成果を上げたと評価できる。もし、国が二分割されるという状況がなかったら、その他の地域を含め、より高い生産、生産者グループの組織化、運転基金の創出など、これ以上の成果が上がったかもしれない。しかしながら、この困難な状況下、現在でも多くのサイトで自立的に活動が続けられている、という話を聞いた。がんばってほしい。

写真1 溜め池造成の土砂の運搬作業はもっぱら女性の仕事だ
写真1 溜め池造成の土砂の運搬作業はもっぱら女性の仕事だ

4.変わる農村
 プロジェクトの活動は、様々な変化を農村にもたらしている。WFPではすべての開発プログラムで女性参加に力を入れており、本プロジェクトでも常に女性参加が強調されながら進められてきた。その結果、女性のエンパワーメントの事例が多く報告されている。Food-for-Workの食料分配は女性がおもに実施しているばかりでなく、受け取るのもすべて女性である。家族の食事を預かる彼女たちは得られた食材を必死に守ろうとする。ある村では、もらったコメを夫が外に持ち出そうと妻に要求したところ、妻が拒否したという話も聞いた。また、女性がグループのリーダーになっている場合も多い。女性だけで生産者グループを作っている場合もある。ある村では、女性が厳しい土木工事に従事しているのをみて、男たちは驚嘆した。グループでの話し合いで女性メンバーが積極的に発言するようになった、など、エピソードはつきない。旧来の男尊女卑的な男女関係が次第に変化してきたように感じられる。女性の方が男よりまじめで、必死に家族の事を考えると思っている筆者は、女性の活躍こそ農村が変わっていくための原動力だと思っている。
 また、農村の食生活の変化がプロジェクトによってもたらされようとしている事例もある。農村部においては基本的に自分たちが生産できるものを主食とし、端境期にそれがつきると地方の市場で、ミレットやトウモロコシの粉などの安い食材を購入して、次の収穫を待つのが一般的である。しかしながら、ヤムを主食としている地域では、Food-for-Work でコメを食すことに慣れ始めた農村もある。子どもたちは、WFPが支援している学校給食活動を通じて、いち早くコメに慣れており、コメの方が好きという子どもも多い。今では、コメを主食に取り入れたい、という気持ちがコメ生産意欲を助長しているという報告も見られた。戦後、日本でパン食が急速に広まったように、食文化もダイナミックに変化するものである。未利用だった低湿地を積極的に利用してコメ生産に取り組み、営農形態を複合化することは経営戦略とフードセキュリティーと言う観点から重要である。
 その他にも、様々なプロジェクトの農村へのインパクトが報告されている。ある村では、溜め池と野菜畑をセットで整備し、グループ生産・販売を実施し、今では自力で灌漑用のモーターポンプを購入できるようになった。これまで家計が苦しく、成績が良くても、小学校までしかやれなかった子どもを中学に進学させることができた。プロジェクト側からの提案ではあるものの、グループによる生産物の一部を学校給食の食材として寄付した。こうした農村の変化は、自分たちの生産基盤の向上という同じ目標に向かって、Food-for-Workという共同作業、グループ集会・学習という共同作業の結果である。伝統的な祭事ためのの共同作業ではなく、生産活動ための共同作業であり、その重要性が認識されつつある。

写真2 畦作りと整地作業。女性も重労働を厭わずに参加する
写真2 畦作りと整地作業。女性も重労働を厭わずに参加する

5.次期プロジェクトへ向けて
 日本政府はTICADVにおいて主導的役割を果たすと共に、2005年のG8サミットにおいても、アフリカ支援への強い政治的意志を表明した。こうした流れの中、コートジボワールでの成果を西アフリカに展開すべく、新たに2005年より、マリとブルキナファソで同様な手法を用いてプロジェクトを展開することを決定し、WFPに依頼した。幸い高い評価を得たプロジェクトであったが、考慮すべき課題もある。

写真3 収穫物を手にする女性。その顔はなんとなく誇らしげに見える
写真3 収穫物を手にする女性。その顔はなんとなく誇らしげに見える

5.1 灌漑システムの問題点と改善方向
 本プロジェクトで採用された河川取水方式は、安定した河川流量の期待できる南部および南西部の多雨地帯における灌漑方式として始まった。低湿地は雨期になると小河川が次第に増水し、低湿地一体が氾濫するようになる。そこで、取水堰、排水路および灌漑用水路を設けることにより、雨期の河川の氾濫を防ぎ、水を田に引くという簡単な仕組みであり、コストも安い。しかしながら、降水量の不安定な北東部地域での河川取水システム導入の妥当性の問題がある、と指摘する技術者もいる。本方式の技術的問題点は以下の通りに整理できる。
1)貯水機能が無いことから、豪雨型の降水時には、多くの流水が未利用のまま、水田下流へと損失している。
2)逆に、雨の無いときには基底流出がほとんどなく、灌漑できない場合がある。
3)灌漑を必要とする代かき時期は雨期前半にあたり、まだ安定した河川流量が得られず、圃場準備が遅れがちになる。その結果、作付けが遅れ、雨期が終了しても収穫できないために減収することがある。
4)排水路の設計が十分な配慮に基づいてなされないと水田の過乾燥を招く。
5)河川取水灌漑のための水管理手引書はなく、ダム灌漑のそれに準じているのが現状である。または、水管理の指導自体がない。

写真4 溜め池のそばのタマネギ畑。いち早く自立的生産のサイクルに移行した村。ここでも生産者のリーダーは女性である
写真4 溜め池のそばのタマネギ畑。いち早く自立的生産のサイクルに移行した村。
ここでも生産者のリーダーは女性である

 本プロジェクトにおいても、特にバンダマ・バレー地域においては、2001年には極端な少雨年となり、たとえば、西アフリカ稲作開発協会(WARDA)での年降水量は570mmであった。 その結果、WARDAに近い2サイトでは、雨期中にもかかわらず河川流出がほとんど見られず収穫皆無となり、河川取水方式の問題点が改めてクローズアップされた。こうした中、本プロジェクトが本灌漑システムの改善点として取り組んだ内容は以下の通りである。

1)サイト選定基準として、雨期中に基底流出が連続して3か月以上あることが望ましい。
2)排水路の整備は水田の乾田化を助長し、その負の影響は少雨年ほど大きくなる可能性がある。従って、排水路の深さは、20(場合によっては〜40)cm程度にとどめ、必要ならば排水路幅を広げることで対応する。
3)ミニダム建設が可能なサイトでは貯水池を設け、補給灌漑を実施することにより、水不足を補う(代かき時期や雨期中の小乾期)。
4)栽培開始の遅れをきたさない様に、移植と直播の併用を勧める。
5)畦畔補強による漏水の防止と均平の強化による灌漑用水の効率的利用を促進する。
6)水保全型の水管理を強化する。

 水管理強化の必要性については国内技術者も理解してはいるものの、具体的な手法がマニュアル化されていないことから、十分な現場対応がなされていないように見受けられた。本方式における水管理手法を確立することが早急に求められている。(5月、6月の雨期前半の降水と河川流出をできるだけ捕捉し水田内に取り込む、穂孕期以降は機会があれば常に水を引くように努め、雨期が早期に終了した場合の水不足に対応する、など)。
 河川取水型灌漑システムは、その導入時から今日まで、設計上の改善点はほとんど見られなかった(と想像される)。河川取水は降水に依存するのであるから、雨が降らなければしょうがない、というイチかゼロという発想を持つ場合には、改善への努力の放棄に落ち入りやすいだろうし、または北部地帯には向かないと短絡しかねない。しかしながら、降水量は年ごとに変動するものであり、5年に1度の少雨による被害を、10年に1度に抑えることこそ技術改善である。WFPはひとつのオプションとしてため池造成に取りくんだが、水の利用効率の向上に向けて、設計改善にいっそう取り組む必要があろう。

 一方、安定した河川流量を実現するためには、流域管理の発想が重要となる。低湿地を取り巻く広い土地が畑地になっている。そこでは、豪雨時の表面流出が発生し、土壌侵食の原因となる。土壌侵食は灌漑網にダメージを与えるとともに、畑地の土壌肥沃度を低下させる。雨が土壌中を下方浸透して涵養される地下水は河川における基底流出の源であり、降雨の表面流出を抑制し、下方浸透を最大にするような畑作技術の開発は、水田稲作を安定化させる上でも重要である。また、地下水の涵養源である上流域の森林を極力保全するとともに、畑作に不適な土地は森林に返すといった流域の土地管理デザインを開発することも今後の重要なテーマとなる。


写真5 広がるキャベツ畑。資金と水さえあれば、自分たちでやっていける

5.2 インセンティブとしてのFood-for-Work
 本プロジェクトにおいて、食料支援は農家にとって重要なインセンティブとして機能した。こうしたインテンティブは多くの農業開発のプロジェクトにおいて、多かれ少なかれプロジェクト側から参加農家に提供される。しかし、プロジェクトの方針によりその内容に大きな幅がある。極端な場合には、こうしたものを提供することは農家の依存意識を高めることにつながり、真の住民参加にとってマイナスであるという意見もある。しかしながら、現実において、その他の活動を犠牲にして、厳しい重労働を農家がするわけで、何らかの支援をすることはどうしても必要である、と考える。何を、どの程度支援すべきかは、自然条件や農家の置かれた社会・経済状況などを勘案して柔軟に決定すべきであろう。また、そのインセンティブの内容について、農家側が十分に理解できるよう、ていねいに説明していくことも必要である。
 Food-for-Workの手法は地元農家への直接投資である。この投資を、薄く、広く、多様に、実施することにより、できるだけ多くの農家の生産向上、ひいては農村の食料安全と貧困削減に役立つことが望まれる。

6.終わりに
 かつて、台湾政府が西および中央アフリカで水田開発と稲作普及を手がけたが、その内容は驚嘆に値する(若月、2003)〔参考文献の2〕。その面影をコートジボワールでもあちらこちらに見ることができる。果たして、日本の政治的意志は台湾の意志をしのぐことができるだろうか?WFP事業に限らず、アフリカへの水田稲作振興を50年といったタイムスパンで継続的に支援することができれば、その時は本当にアフリカの多くの土地で美田の風景を見ることができるだろう。次期フェーズに期待したい。

〈参考文献〉
1.南雲不二男、2002 西アフリカで、コートジボワールで進む手作り水田開発.国際農林業協力.Vol.25(4・5)42−50
2.若月利之、謝順景、2003アフリカ稲作協力開発史 −その1 台湾−.国際農林業協力 Vol .26(3): 17−29 

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