―国際コメ年によせて―
新しいごはん文化の創造を

東京大学 名誉教授
国際コメ年日本委員会 会長 木村尚三郎

 コメを主食(ステープル・フッド)とする人びとは世界人口の半数を超え、コメほど飢餓の解消、栄養バランスの回復に役立つ食べ物はない。「コメは命」(ライス・イズ・ライフ)であり、コメの重要性に認識をあらたにすべきである―国連が2004年を「国際コメ年」とした趣旨が、ここにある。
 じっさい、コメは満遍なく栄養に富んだ食物であり、「コメと塩と水」さえあれば、ともかく生きていける。しかもコメほどおいしく、飽きのこない食べ物はない。フランスパンも焼きたてはおいしいが、肉や脂を一緒に取らないと、すぐにおなかがスカスカしてしまう。それに時間が経てば味が落ち、バターかジャムを添えなければならない。
 ごはんの場合は、冷えてもおいしい。おにぎりが人気なのも、もっともである。しかも、特別のおかずはなくとも、「塩むすび」で十分においしい。非常の際、炊き出しの真白なおむすびが一斉に並び、あるいは積み上げられた姿ほど、美しく、おいしく、頼もしく、安心のある光景はないだろう。まさに、「コメは命」が実感される。阪神大震災の折り、ボランティアが差し出してくれたおにぎりに、貝原俊民前兵庫県知事は大きな安心を覚えた。そこから「ごはんを食べよう国民運動」が提唱され、全国展開を見て今日にいたっている。
 今年の九月三日、四日の両日「第十回全国棚田サミット」が開催された佐賀県相知町から、棚田新米の「蕨野」がこのほど送られてきた。品種は九州で最優秀賞を取った、「夢しずく」である。炊き立てのそのおいしいこと、純白の美しいことといったらない。塩だけで、無言のまま、夢中になっていただき、即座に30キロを注文した。ごはんの一粒一粒に、神様が宿っている感じであり、おかずを一緒に食べたのでは、真白なごはんに申し訳がない。ごはんが汚れる思いがする。
 今年の八月十日から十五日の六日間、日本橋三越本店で世界初の「アジアの原風景・棚田体験展」が開催され、なんと三万三千人に及ぶ入場者を得て、大盛況であった。日本各地の棚田のほかに、フィリピン・中国・インドネシア・ベトナム・韓国などの美しい棚田の写真が、コルトン方式の迫力ある大画面で展示され、誰もがじっと、食い入るように見つめていた。
 そこでは山と、棚田と、人がともに生き合い、ともに呼吸し合っていた。その姿に誰もが深い感動と安らぎを覚え、「ああ、そうだった」と、「何か」を思い出しているように見えた。
 その「何か」とは、幼いころの自分の姿であり、あるいは先祖の生き方であったに違いない。それは貧しくはあったが、気高く美しい生き方であった。そこには大地に、山にしっかりと足をつけた、苦しくはあったが強く、ゆるぎのない心があった。人と人とが互いに信頼し合い、連帯し合い、助け合って生きていた、美しい姿があった。現代では失われてしまったその「何か」が、いまふたたび真剣に、切実に求められている。劇団「ふるさときゃらばん」(石塚克彦代表)による棚田展の成功は、そのことを告げていた。
 コメの生産量世界一は、中国の1億7600万トンである。インドの1億トンが、それにつづく。その下にインドネシア・バングラデシュ・ベトナム・タイ・ミャンマー・フィリピンがきて、日本は世界第九位の1100万トンである(2002年)。しかも年間一人当りの生産量では、日本は一位のミャンマー(197キロ)の三分の一強、58.5キロにすぎない(世界二十九位)。
 そのおいしさと、美容食・健康食の観点から、日本以外ではコメの人気は高まる一方である。スシバー、回転ズシの類いは、世界中に広まりつつあり、日本のスシ米だけは高値でも世界に売れていく。パリ・サマリテーヌ百貨店に隣接する、セーヌ川に面した「ケンゾー・ビル」では、地下にハイテク回転ズシ屋まで登場している。客席一人一人の前にはパソコンが立ち上がっており、映像でもチャットでも楽しみながら、スシが食べられる。
 何が日本食かが分からなくなっている雑食の現状は、日本人の生きる自信と誇りを失わせるもとであろう。ここで地方ごとの、ごはんを主食とする地産地消の新郷土料理の創造を、ぜひとも提唱したい。
 年間一千七百万人近くの日本人が海外旅行に出掛ける今日、確かにおばあちゃんの味だけでは日本食の魅力は薄れていく。新しい食材、新しい味覚を加えながら、たとえば「ごはんピザ」とか「フォアグラ寿司」を創る試みは、高校生やレストランによる実例がある。イタリア・シチリア島のチーズおにぎりのコロッケ、アランチーニもおいしい。
 同時に子どもたちを田んぼに入れ、全身で感じ、全身で考える現場教育を強化し、茶碗とハシの食文化を身体で覚えさせる。フランス・ボルドー美術館のレストランには、ちゃんと日本のハシが置かれている。ナイフとフォークよりも、手で食べる楽しさが実感できるからであろう。世界で始まっているごはん文化の拡がりを、ぜひ日本にも実現させたい。「世界から日本へ」である。

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