「ランドスケープ」―その概念と保全

武内和彦(たけうち かずひこ)
1951年、和歌山市生まれ。東京大学理学部地理学科卒業、同大学院農学系研究科修士課程修了。東京都立大学助手、東京大学助教授を経て、現在、東京大学教授、アジア生物資源環境研究センター長。著書に『地域の生態学』(朝倉書店)『環境創造の思想』『環境創造の時代』(東京大学出版会)、共編著に『講座地球環境学』『環境学序説』(岩波書店)、『里山の環境学』(東京大学出版会)など。

はじめに
 「景観」の保全は、最近「景観法」が制定されるなど、わが国で大きな社会的関心事となっている。景観のような精神的・歴史的な共有財産に人々の関心が寄せられているのは、20世紀型開発主義から脱却しようとする人々の意識の反映であると考えられる。ようやく、わが国でも、国土の美しさを取り戻す機運が高まってきたことは、まことに喜ばしい。
 しかし、景観の語源であるランドスケープ(landscape)に関する欧米での議論と比較すると、わが国の景観論は、視覚的認知の段階にとどまっており、残念ながらランドスケープの本質が十分理解されていない。これは、地理学者らによって、わが国にランドスケープ概念が紹介され、景観と翻訳された際の経緯とも関係していると、私は思っている。
 本論では、ドイツから始まる欧米のランドスケープ概念を再検討し、いわゆる景観保全にとどまらないランドスケープ保全のあり方を考えてみたい。またランドスケープは、その概念の発展過程から、本来は農村が主役となるべき概念である。ここでは、とくに農村ランドスケープを取りあげ、その保全の基本方向を提案してみようと思う。

「ランドスケープ」とは何か
 ランドスケープの語源であるドイツ語のラントシャフト(Landschaft)は、本来「地域」を意味する高地ドイツ語であったと言われる。ラントシャフトを、ゲマインシャフト(Gemeinschaft;地縁共同体)のように訳すと「土地共同体」になる。市販の独和辞典でも、ラントシャフトの訳としては、土地、自然、地方がまずあげられ、風景、景色と続いている。
 つまり、土地のうえに人々が営みを展開し、それが一つの地域的まとまりを呈するに至る、それが、本来のラントシャフトの意味である。このラントシャフトを学問的に扱ったドイツ地理学の最大の関心事が、ラントシャフトの類型化であったのもそれと深く関係している。ラントシャフトを対象とした地理学は、地域学の嚆矢でもあったのである。
 ラントシャフトが風景の意味合いを強化したのは、風景画(Landschaftsmalerei)の影響によるところが大きい。農村を中心とする土地、自然と人々の営みを示したラントシャフトは、16〜17世紀のフランドル・オランダの画家たちによって、絶好の描写の対象となった。描写する対象から描写された結果へと、ラントシャフト自体の捉え方が変わり、地域よりも、むしろ風景の意味合いが強められていったのである。
 18世紀にイギリスで台頭した風景式庭園(landscape garden)もまた、ランドスケープの概念に大きな影響を与えた。風景式庭園は、それ以前の整形式庭園とは根本的に異なり、自然の曲線を賛美し、農村風景を模倣し、しかも農村と視覚的に連続したものであった。ここで、風景式庭園のモチーフが、田園(countryside)であったことは注目してよい。風景画、風景式庭園に共通するものは、農村ランドスケープの賛美であった。
 新しい国・アメリカ合衆国では、創造対象としてのランドスケープに関心が高まった。ランドスケープアーキテクチュア(造園学)という一つの職能が誕生し、ランドスケープを自然との調和、美の創造という観点から操作可能なものとみなすランドスケープデザインが普及した。アメリカ合衆国において、ランドスケープは、農村から都市へ、自然から人工へと、その対象領域を広げていくのである。

「景観」という訳語
「景観はドイツ語のラントシャフトに対して、植物学者の三好博士が与えられた名称である」というのは、地理学者の辻村太郎が1937年に著した『景観地理学講話』の冒頭で述べている言葉である。しかし、西川 治・東京大学名誉教授が調べたところ、三好 學が1902年に著した『日本植物景観』の英文表題は“Atlas of Japanese Vegetation”であり、三好自身は、ランドシャフト自体を景観とは訳していなかったかもしれないと、その著書『地図の開く世界』で述べている。
 西川名誉教授は、むしろ辻村こそ、日本に景観という訳語を定着させた人物であるという。辻村は、1930年代以降、ドイツ地理学のラントシャフト概念を精力的に日本に紹介したのである。辻村は、ラントシャフトに地域の意味合いが含まれていることを承知しつつ、景観を「目に映ずる景色の特徴と考えて差し支えない」とし、「ここでは地域の意味を含ませない」と定義した。わが国の景観概念が、ラントシャフト概念よりも風景に近いのは、辻村の影響が大きいと考えられる。
 アメリカ合衆国のランドスケープデザインもわが国に導入されたが、それは辻村による景観の定義と大きな違いはなく、わが国における景観概念は、ますます風景の色彩を強めていった。逆に、本来のラントシャフト概念の重要性を主張する人たちが、景観という訳語を避け、「景域」「景相」のような別の訳語を提唱するようになった。しかし、そうした用語が、社会に普及するまでには至らなかった。

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写真1 イギリス・ブレニム宮殿の風景式庭園に造られた人工的な湖。
「この土地には可能性がある」が口癖であったことから“ケイパビリティ”・ブラウンと
呼ばれた造園家の代表作である。

ランドスケープの保全
 それでは、ランドスケープ概念が本来有していた「地域における土地と人々の営み」という考え方に遡って、景観の保存・保全に見られる問題点を探ってみよう。風景画の魅力は、それぞれの土地に根ざした、農業をはじめとする人々の営みが、生き生きと描かれているところにある。風景画の美しさをもたらすものは、描写の対象となったランドスケープ自体の魅力と、それを引き出す画家の卓越した才能に他ならない。
 もし私たちが、この風景画のように美しいランドスケープを守ろうとするなら、最も必要なことは、目に映ずる景色の背後にある自然と人間の有機的な関係を守り育てていくことであろう。このことを抜きにして、風景を凍結的に守ろうとしても、それは現代に生きるランドスケープの保全とは言えないのではなかろうか。とくに農村においては、自然の「図」のうえに営みの「地」が描かれていることが重要なのである。
 一方、都市においては、建物の外壁や色彩など、機能と景色が分離して議論されることが多い。確かに、広告塔のように、風景を阻害している要因を制御・排除し、外壁・色彩等に配慮することは、機能一点張りのまちづくりに加えて必要なことであろう。しかし、それについても、地域ごとの自然や文化の背景を十分踏まえることで、表層的な景観的観点からの提案を超えた、より深みをもったものとなろう。
 ヨーロッパやアメリカ合衆国では、農村や都市を、自然と人工の織りなす一つの半自然生態系として捉え、その全体の管理を考えていく、ランドスケーププランニングの手法が提唱されている。ヨーロッパでは、ドイツ、スイス、イタリアなどの各国においてランドスケーププランニングが法的な裏づけを伴って実施されている。またヨーロッパ全体で、ランドスケープ条約を締結する動きも進んでいる。
 私は、わが国の景観法制定の動きは、大いに評価できるものの、ランドスケーププランニング手法の確立に向けたヨーロッパの動きと比べると、その不十分さは否めないと考える。わが国でも、特定の景観地区に限定した風景・景色の保存・保全にとどまらず、地域としてのランドスケープを動的に保全する仕組みづくりを考えていくべきである。

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写真2 新潟県松代町の水田と里山。典型的な日本の農業風景である。
農業の営みこそが農村ランドスケープを支えている。

農村ランドスケープの保全
 わが国における農村ランドスケープ保全の問題を考えるとき、いくつかの解決すべき深刻な問題が潜んでいることに気がつく。そうした問題は、ランドスケープの本質に由来し、その解決もまた、ランドスケープの深い理解なしにはありえない。ランドスケープの本質とは「地域における土地と人々の営み」に他ならず、それが健全に維持できなれば、真の農村ランドスケープ保全は達成できないことになる。
 重要なのは、農林水産業を始めとした、自然資源依存の地域産業が健全に維持されるということである。こうした産業の維持が現在の経済環境で困難なことは周知の事実であるが、産業論を抜きにして農村ランドスケープの動的保全はありえない。まずは、地域産業にどれだけの自立的基盤を与えられるかを検討する必要がある。同時に、中山間地域など条件不利地域では、直接所得支払いなどを通じて、産業の脆弱性を保障しながら、ランドスケープの保全を考えていくべきであろう。
 つぎに重要なのは、自然や文化に育まれた地域への歴史的帰属意識、つまり「ふるさと」意識を人々が持つことである。農村ランドスケープ保全に不可欠なのは、ランドスケープを尊ぶ人々の意識と、それを支える地域への誇りである。このような意識で守られたランドスケープは、そこを訪れる人々にとっても心地よく、美しいと感じられるであろう。農村アメニティとは、まさにそのような考え方である。
 さらに農業・農村の近代化に伴う人工物の増加に、どう対応するかという問題がある。人工物を農村風景にどうとけ込ませるかは、景観工学でよく議論されることである。いかに視覚的阻害要因を少なくし、人工物に洗練されたデザインを施すかは、美しい風景づくりには欠かせない。しかし、それだけにとどまらず、自然と人工の調和という観点から、地域を一つの生態系として再構築する計画手法の提案も必要であろう。
 近年は、わが国でも農村ランドスケープの生物多様性維持への貢献が注目されている。土地と人々の営みが生みだす生物多様性が、いま崩壊の危機に陥っている。いわゆるビオトープづくりといった局所的な生物相の再生にとどまらず、地域全体の生物多様性の維持に貢献できるような、農村ランドスケープの保全策が急務である。わが国でも、農村を中心に、ランドスケーププランニング手法の進展が急がれる。 

 

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