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知恵と文化を生かした食と資源の循環をめざして
チェンベ村にエコトイレをつくる

京都精華大学 教授
琵琶湖博物館 研究顧問
嘉田由紀子

1.途上国の水問題の原点は便所問題
 2003年3月、京都、滋賀、大阪で開催された第3回世界水フォーラムでも話題になったように、今、世界人口63億人のうち、12億人が安全な飲み水を手にいれられない。そして、30億人が劣悪な生活環境の下で暮らさざるをえない状況にある。
 30年近く、日本と世界各地の水をめぐる生活環境問題を、地域生活者の立場から研究してきて、今、私自身が直面している実践的課題は、水の安全問題の背景には、それぞれの地域での、「うんこ・おしっこ問題」つまり「トイレ問題」が隠されているということだ。
 かつて、日本においては、高い人口密度の中で食料の自給を果たしながら、近代的な水道もないのに、安全な生活用水の確保が可能であった。これは、うんこ・おしっこを確実に各住宅に溜め込み、それを農業生産に循環的に利用するという、「都市・農村の物質循環ネットワーク」という社会組織があり、それをよしとする人びとの価値観が存在していたことによる。

2.日本における「うんこ親和文化」の意味
 たとえば、琵琶湖畔では、昭和30年代まで、琵琶湖の水も流入河川の水も直接飲用にできるほど、地域自治組織により衛生的に管理されていた。その背景には、家屋構造と地域の水路構造が埋め込まれていた。家屋の中では、大小便を分離をして、小便は2〜3日に一度、肥えもちをして、野菜畑にいれ、大便は、数カ月間、発酵をねらいとして、屋敷の東南部に設置された大便所でねかせて、米や菜種の本畑で肥料として利用する、という農業生産システムと結びついていた。また洗濯でも、おむつなどを洗うのは、川や井戸から水をたらいにとり、その洗い水は風呂の落とし水などといっしょに小便だめにためて、肥えもちをして農地に運び、決して河川や水路に流さないという生物汚染を防ぐ仕組みが、地域社会で生きていた。この具体的な生活場面は琵琶湖博物館の冨江家展示で表現してある。
 大小便を分離するトイレは、西日本に多く、関東地方などでは必ずしも大小を分離していなかったが、し尿を肥料として生産に再利用するという循環システムは東日本の農村でも確立され生きていた。このような日本の生産システムは、鎌倉時代以降、中国から導入されたし尿利用文化であり、私はそれを「うんこ親和文化」(Feces Philia Culture)と名づけた。

3.下水道は「うんこ忌避文化」から生まれた
 一方、地域別の違いは細部にはあるが、大きくみると、東南アジアからインド、アフリカ、ヨーロッパ地域で歴史的に形成されてきたし尿文化は、し尿をできるだけ早く、自分の目の前から消し去り、その行方には関心をもちたくない、という「し尿忌避文化」(Feces Phobia Culture)である。そのような文化の中から生まれてきたのが、「水洗便所」であり、管渠によって大小便を集めて水で流し去る下水道技術である。「水の浪費」「多額の公共投資」「人糞尿の肥料価値の廃棄」という、技術としての3つの水洗便所の特色からみて、環境的、経済的に「無駄で贅沢なシステム」であり、世界中、途上国まで含めて、あまねく普及することの困難な技術である。
 そのような状況の中で、「水資源が枯渇しており」「多額の公共投資が経済的に不可能」でかつ、「農業生産用の肥料が不足している地域」における新しいトイレシステムの確立が求められている。しかし、そのためには、技術、社会、文化など複雑に絡んだ実践的な手法が必要とされる。

マラウイ湖辺チェンベ村には電気もガスも水道もない。人々は湖水で食器を洗い、湖水を飲み水にも使う。子どもは、この写真のように働きものである
写真1 マラウイ湖辺チェンベ村には電気もガスも水道もない。人々は湖水で食器を洗い、湖水を飲み水にも使う。子どもは、この写真のように働きものである

4.アフリカ、マラウイでの人口増加、食料不足、衛生問題と経済問題
 筆者は、1970年代からアフリカの地域社会研究を開始し、1995年からは、アフリカ第3の大湖であるマラウイ湖畔の地域で、さまざまな地域環境調査を行ってきた。私自身は、ひとつの村を毎年訪問する、というしつこく個別地域にこだわるタイプの調査を続けてきた。最初は日本からきた研究者の女性が何を求めてきているのか、いぶかしがっていた村人たちも、毎年さまざまな日本人をつれて村を訪問する私の姿をみて、次第に地域の実情と内面文化を語ってくれるようになった。私が毎年訪問する村は、マラウイ湖辺南部にあるチェンベ村というところである。
 チェンベ村は急激に人口が増加するマラウイにあって、湖辺に1万人ほどの人たちがくらし、漁業と農業を生業とする大変大きな村であるが、電気もガスも水道もないこの村での、今の生活環境問題として地元の人たちが強調するのは以下の3点である。

(1)子どもたちの病気と死亡―湖水の汚染によるコレラなどの人糞による伝染病やビルハルツアという尿を介した住血吸虫病の蔓延による乳幼児死亡の高さ。

(2)肥料を買うお金がない―1990年代以降普及した高収量品種のトウモロコシ生産に必須と言われる化学肥料の購入のための現金支出の増大。

(3)食料不足―肥料不足や増大する人口による農地不足、燃料用の森林伐採による森の破壊がもたらす洪水の増大とトウモロコシの収量の不安定化。

 つまり、子どもたちは死に続け(乳幼児死亡率は、1000人生まれた子どものうち200人近くが死ぬという高率で、そのこともあり、出生率は高いままである)、食料は不足し、飢餓は蔓延している。その上、湖の魚資源も枯渇しつつある。さらに、マクロ経済的にみると、構造調整下のアフリカ各地の経済情勢を反映して、地元通貨の価値はますます低くなり、1990年当時、マラウイの通貨であるクワッチャは1ドルが1クワッチャであったものが、2003年には、1ドル110クワッチャをこえている。化学肥料工場はマラウイにはなく、すべて海外からの輸入であり、通貨価値の切り下げにより、化学肥料はますます住民にとっては「高い」ものになっている。この「人口増加」「食料不足」「貧困」「資源枯渇」「低位な衛生水準」という悪循環を断ち切るひとつの切り口が便所づくり、し尿の肥料利用であろうと私自身は考えている。

5.便所をつくりたくない背景には「のろい」への恐れあり
 もともと、チェンベ村にはほとんど便所はない。人口密度が低いなかで、し尿は大地に放置しても、大きな問題はなかったといえるが、人口が増大・密集してきて、水の衛生問題が1990年代になって浮かびあがってきた。そこで、欧米の援助団体が、チェンベ村に便所を普及させようと、さまざまなプロジェクトを行ってきた。それでも私たちの調査によると、村の便所普及率は3割以下と推定される。
 おもてむき村人は「便所はお金がかかるからつくれない」と言う。便所のない人たちは家の影や湖辺や山かげ、場合によっては湖中に大小便をする。2003年8月、私たちが行った調査では、村の裏側の河川周辺には大便が放置され、最も密度の高かった場所では、1平方メートル12個のうんこの塊があった(写真2)。
しかし、最近、村人が便所をつくらない理由は経済的なものだけでないことがわかってきた。特に高齢者は、うんこに「呪術」をかけられることを恐れている。野ぐそなら、それは誰のものか、所有というか帰属は不明だ。 しかし、家の便所にした大便は誰のものか、所有者、帰属する人が知れてしまう。すると、そこに呪術をかけられる恐れがある。もともと、人が病気になったり死んだりするのは、病原菌によるものではなく、だれかからの邪悪な呪いによると信じている人たちにとって、便所をつくることは、命を脅かされることになる。
 このような中での便所づくりである。どうしたらいいのか。

湖岸のヨシ帯に放置されるウンコの群
写真2 湖岸のヨシ帯に放置されるウンコの群

6.世界子ども水フォーラムに村の若者を招待
 まず、2003年3月の世界水フォーラムの中で開催した子ども水フォーラムにおいて、チェンベ村の若者(ジョン君、17歳)を日本に招待した。そこで彼はチェンベ村の水問題を訴えると同時に、世界の水問題のイロハを学んだ。それとあわせて、私たちは、琵琶湖辺の農村にジョン君を招待し、そこでは、人間のし尿が肥料に使われてきたという歴史的事実を見てもらった。その後、ジョンくんはチェンベ村にかえり、日本で自分が見聞きしてきたことをまず村の若者たちに語り、「チェンベ村若者衛生改善グループ」(ウコンド組)を組織化し、村に便所が必要だ、ということを若者と語りはじめた。
 2003年8月に私が京都精華大学の学生などを連れてチェンベ村を訪問した時には、ウコンド組は、「便所がほしい」という自作の歌や演劇をつくり、人びとの便所づくりへの気運を高めていた。しかし、具体的にどのような便所だったら、村の高齢者をふくめて、人びとに受けいれられるものとなるのか、まだその具体的な技術は見えていない。便所をつくるまでの問題、さらにそれを農業用肥料に使うという段階など、どのようなプロセスを考えたらよいのか、問題は大変根深い。

7.チェンベ村に必要な便所の条件
 予備的に村の若者やリーダーと話しあった結果、少なくとも、チェンベ村における便所は以下の条件が満たされる必要がある。
(1)設置費用が安くて、地元の素材(日干しレンガ、砂、土、灰、木材、木の葉など)を使った建設が可能であること。
(2)設置の技術、技術者も村の中でまかなえるだけの簡易なものであること。
(3)可能なかぎり、大便、小便とも、トウモロコシ畑などの肥料として活用できること。
(4)大便、小便を使ったトウモロコシ生産が、決して病気をもたらさない、安全なものであることが目にみえて、村人に納得がきるような実験農場が必要であること。
(5)大便、小便の蓄積とその扱いが比較的簡便で、畑への移動が村人自身でできて、その過程で大便の姿がみえず、臭いも少ないこと。
(6)砂が多く、雨季には大量の雨がふるという湖辺の村の地質・気象条件のなかでも、崩れない安定的な便所であること。
(7)便所を設置しても、呪いをかけられるような恐れがない、村人がその導入プロセスにかかわれるような社会的文化的工夫が可能なこと。

8.専門知識をおもちの皆さまからの支援をお願いします
 2004年3月に、今度はジョン君といっしょに、村の若い女性を日本に招待をし、便所問題をさらに勉強してもらうことにした。村では、女性と男性の生活条件は大変離れているので、両方の生活意識と生活条件に合わせないといけないからである。
 そこで、このような問題に興味をおもちの読者の皆さまから、以下のような支援をいただけるとありがたく、本文をしたためさせていただきました。

(1)世界各地ですすめられているエコ・トイレの事例の、技術的・経済的背景、その導入プロセスでの地元の対応、その効果、失敗事例など。

(2)アフリカの雨季・乾季のサバンナ性気候の中で、年間を通じて活用できるエコトイレの技術開発。

(3)トウモロコシや野菜生産に有効な人糞尿肥料の肥料的価値の分析。

(4)人糞尿の肥料利用にかかわる社会的、文化的抵抗、心理的摩擦の問題。

 私自身は、し尿処理や下水技術、し尿の肥料分析に関してはまったくの素人であり、いちから勉強を始めている段階です。現在、各地で進められている途上国のエコトイレ普及問題とも深くかかわるテーマであり、もし可能であるなら、何らかのプロジェクトとしての展開も可能かと思っております。情報を提供いただけましたら幸いです。
【編集注:嘉田教授にご連絡をくださる方はARDEC編集部までお願いいたします。】(Mail: kada@kyoto-seika.ac.jp)

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