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綺麗事で済まぬアフリカの自立支援
白人社会に頼らざるを得ぬ現実

作家 曽野綾子

ワニと菊と木材が主産業
 アフリカに行く度に、いまだに貧しい暮らしをしている人々が、どこか働くところがないものかと思う。2001年に、日本財団が米国のカーター・センターと提携して働いている農業改革の会議に出席するためにウガンダに行った時も、フィールド・リサーチの機会があった。カーター元大統領と同じ視察コースを取ると、歓迎の踊りで時間が取られるので、できるだけ人気のなさそうなコースを選んだが、これは正解であった。
 組織立ったウガンダの産業といえるようなものが二つ、その見学コースに入っていた。一つは菊作り、もう一つはワニの養殖である。
 菊作りは国内消費用に菊の花を咲かせて出荷するのかと思っていたら、多くの品種の苗を作ってオランダに空輸しているという。そういえばオランダは球根で有名だが、苗もアフリカで作っていたのである。
 菊の温室で働くのはもちろん近隣の部族の人たちであるが、マネジャー格の人はオランダ人だった。海のないウガンダから苗という生物を運ぶには飛行機しかないのだ、という。私がそこで働く労働者だったら、日照、通風、肥料などのキーポイントを素早く覚えて、独立して菊作りをやる、と思ったが、作っても出荷の方法がなければ仕方がないから、涙をのんで白人企業の傘下に入るほかはないか、という形の納得をした。
 見学の次のポイントは、ワニの養殖場であった。初めはビクトリア湖の周辺で卵を集めた、という。今は孵卵器で孵化させ、一定の大きさになったところで、塩漬け冷蔵にしてイタリアに運び、イタリアの技術でなめしてハンドバッグにするという。
 養殖用の池の傍らには、鉄砲を持った女性ガードマンがいた。高価なワニをごっそり盗まれないためである。食用ガエルの檻には鍵がかけてある、と聞いたことがあるが、カエルは食いつかないが、ワニを盗むのは命がけだ、と思っていると、経営者だという白人が現れた。イタリア人だという。やっぱりそうか、という感じだった。
 先日カメルーンでは、首都から六百キロも奥の熱帯雨林の中で、日本人のカトリックのシスターがピグミーの教育をしておられる現場に入った。

出荷搬送は欧州企業任せ
 何しろ途中から数百キロ、未舗装の道が続く。雨期の終わりでもあり、ぬかるみに足を取られて脱出に時間がかかることもあろう、と十三時間を計上していた。時間だけでなく、スコップやワイヤロープなども用意していた。しかし土の道は意外に整備がよくできていて、六百キロを十時間で走り抜けた。もっとも昼休みにレストランに立ち寄ることもない。薄甘いパンをりながらの強行軍である。
 理由は熱帯雨林の中から、大きな木を切り出して運んでいるヨーロッパの会社のせいであった。木は直径が二メートルというのもある。それをトレーラーに載せて搬出するには、年に何回かグレーダーをかけて土の道を削り、馴らしておかねばならない。
 この木材会社は、この地方に入るにあたって、地元にもかなり気を使ったようである。道を整備し、学校の建物を建て、シスターたちが活動に使う小型トラックも、故障すれば無料でも直してくれる、という。しかし、切った木の代わりに、苗を植えるということはしていないようだ。

今を生きるための配慮を
 再びアフリカの主な産業の拠点に白人の影が見えるようになった。アフリカ大陸を飛ぶ、その国の名前のついた航空会社も、実際に飛行機を飛ばしているパイロットたちのほとんどは白人である。「乗務員を全員ブラックにすると、誰よりブラックの客が乗らないんです」という痛烈な言葉が今でも忘れられない。
 せっかく独立したのだから、白人を追い払って、自分たちだけの産業を育成したら、と私でも言いたい。しかし差し当たり今日、そんなことを言っていたら働く場所はまったくないのだ。菊の温室、ワニの養殖場、製材所では、その土地の人々がたくさん働いて、その恩恵を受けている。シスターたちでさえ、もし木材会社が引き揚げ、道が荒れ放題になったら、事実上、活動は不可能になるでしょう、と言っている。
 かつてチリのアジェンデ社会主義政権は特産の銅の企業から白人の技術者を閉め出し産業そのものを疲弊させた。
 再び搾取の気配が現実に見えている。それを防げと警告を発することもたやすい。しかし、どうしたら今日を生きられるかという配慮がなければ、そうした論拠も、おきれい事に終わることを忘れてはならない。

(産経新聞 平成15年11月4日付 正論 より転載)

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