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里地における持続可能社会づくり

里地ネットワーク事務局長
(財)水と緑の惑星保全機構事務局長次長
竹田純一

里地とは
 里地は、1994年の国の環境基本計画に織り込まれた概念で「山地自然地域」「里地自然地域」「平地自然地域」「沿岸海域」という4区分の1つです。山地は人の営みがない地域、平地は都市で農林漁業が行われていない地域、この中間としての「里地」は農林漁業が営まれ、人と自然が共生した暮らしが営まれている地域のことです。さらに、環境基本計画のなかで、持続可能社会、循環型社会の実現の場として位置づけた概念でもあります。
 この里地を、持続可能社会へと転換させるためには、いくつかの試みが不可欠です。社会経済的には、食料と燃料が持続的に生産され、地域内循環の仕組みが完結している社会への転換です。生態学的には、生物多様性が豊かで、人も含めた生物が生存できる拠り所としての環境への転換です。復元ではなく転換としたのは、100年前の循環の仕組みや生物多様性が豊かだった環境への回帰ではなく、新たな21世紀流の仕組みが必要だという視点からの転換です。具体的には、もうどこででも言われている理念の具体的な実現です。
・持続型農業、環境保全型農業への転換
・バイオマス燃料の活用を前提とした森林との関わり方の再構築
・漁業資源を保全するための河川、水路の復元と森林環境の改善
・地域固有の風土と生活文化の見直しと新たな地域づくり
・地域毎に継承されてきた保全技術の継承
・体験型教育の重視と多様性の尊重
・里地と都市との新たな役割の再構築

地域内循環と生物多様性の関係
 古来日本では、というよりも、稲作中心のモンスーンアジアの多くの地域では、その土地の木で家を建て、草を刈って屋根を葺き、土を練って壁や土間をはり、絹や綿を紡いで衣服を作り、落ち葉で堆肥を作り田畑を耕し、稲藁で道具をつくり、また、家畜に与え、家畜の糞尿を液肥や燃料にするなど、地域固有のやり方で、それぞれの伝統的な暮らしを営んできました。この暮らし方は、一朝一夕でできたものではなく、自然、つまり、他の動物や昆虫、植物たちへの人間の働きかけの結果、伝統的な農作業や水の管理、雑木林の管理方法などの行為自体が、毎年繰り返される現象(人間による自然の攪乱)として、生き物たちのそれぞれの生息環境をつくり上げてきました。
 つまり、人間活動が自然現象として、生き物たちの遺伝子のなかに書き込まれているということです。そのなかでも、もっとも生き物たちへの影響が大きかったものは、桜の咲くころ田んぼに水が来るという現象や、夏には水がなくなること、雑木林は、常に萌芽更新されてきたことなどでした。生物多様性と里地里山の関連は、新・生物多様性国家戦略(2002)のなかで、現在、絶滅の危機に瀕している生物の半数が、里地里山の生き物であることからも明確です。
 このような里地のメカニズムは、世代を超えて営々と継承されてきた人間活動であり、地域固有の生活文化そのものです。この仕組みが、20世紀の後半に断ち切られ、人間以外の生き物たちは、人の暮らし方の変化によって、自然環境(生存環境)そのものの変化を余儀なくされ、半数が絶滅へと向かう結果となりました。もちろん、これ以外の要因も多々あるでしょうが、人間が作り出した環境の人間自身による転換は、生き物たちへの大きな打撃となっていることは確かです。

拡大図が御覧になれます。

最近の里地里山の状況
 山の樹木は、杉、檜の単一林化し、管理されないことによる災害が増えました。雑木林は更新されず、そのほとんどが暗い真っ暗な藪になったことで、野鳥や昆虫が飛びまわる空間が失われました。大中型獣は行き場を失い、人の手の入らない奥山に連続する、同じく人の手の入らない里山を通り越して、里、つまり、街へと現れるようになりました。奥山は大型獣、里山は中小型獣や野鳥や昆虫、里は家畜や人間といった、かつての生態系の構図は、その中間としての里山の機能の喪失や、奥山への植林、ダムや道路建設によって、失われてしまったようです。

 鬱蒼とした雑木林、乾田化一途の水田、コンクリートで固められた水路など、農薬、化学肥料、酸性雨など化学物質の問題とともに、複合的な変化によって断ち切られてしまった生存環境を改善する方策が、次代の人間社会を含む生き物のためには、不可欠の基盤です。このままでは、生き物との共生の仕組みを見落としたまま、人間自身の共生と循環の構図が崩壊してしまいます。

里地ごとの固有性
 日本の気候の特徴の一つは、モンスーンアジアの気候帯にあることです。夏場を中心に、台風が日本の国土に大雨を運びこみます。もう一つの特長は、冬期の大陸風。シベリアから寒気団が国土を覆い、乾燥と降雪をもたらします。しかし、北海道から沖縄まで、3000kmにわたる日本列島は、酪農を中心とする北海道の亜寒帯気候から、本土の湿潤温暖気候帯、トウキビを中心とする琉球諸島の亜熱帯気候まで、全く異なる気候をもっています。この気候帯のなかでも、日本海側と太平洋側、山間部、瀬戸内海のような内海に面した地域、都市では、全く異なる自然環境と生活文化を築き上げてきました。この地域毎の固有性、集落毎の生活文化の違いのなかに、自然との共生のヒントが隠されています。

生活文化の発見技法 地元学の活用
 里地における生活文化の発見技法としては、地元学の活用が非常に有効です。里地ネットワークでは、設立時より5年間、地元学による地域資源調査と地域資源マップづくりを通じて、地域の生活文化の把握と、住民の意識、継承されてきた技術や知恵、さらに、その土地での自然との共生の知恵を把握することから、里地づくりを開始しています。ビジョン作成、産品開発、ツーリズム開発、都市と農村の交流、総合学習体系の開発など、目的は多種多様ですが、基盤となる地域の把握は至って単純です。
 地域の特性に応じて、専門家や交流対象となりそうな集団、広報展開のためのメディア担当者の参画、行政や農協の参加など、調査の初期段階から多様な主体の参画のもと地元学調査を行います。通常のいわゆる調査と根本的に異なる点は、地元住民の意思で行う点です。地域を活性化させたい、地域の将来ビジョンが欲しい、農地をなんとしても維持したい、村の荒廃を止めたいなど、住民の意思の元に地元学調査を実施することです。
 これまで、100近い集落で調査を実施してきましたが、どの地域も調べてみると、異なる文化や知恵をもっていることに毎回驚かされます。この違いこそ、地域固有の生活文化であり、この固有性が大きいほど、産品としての特徴や、体験交流のメニューとしての特徴づけが可能となります。
 調査の目的は、住民自身が、日々当たり前に暮らしている地元の地域資源に「気づく」ことです。そして、何よりも、失われつつある住民間のコミュニケーションの活性化を図り、世代を超えた交流、普段はかかわりの無い人同士の交流を図ることが目的です。さまざまな価値観の人々が、地域資源マップと資源カードを自ら作成し、飲食を共にしながら、討論するなかから、さまざまなアイデアと好奇心、やる気が生まれて来ます。

愛知県美浜町での取り組み
 愛知県美浜町では、1998年に実施した地元学をひとつの契機にして、炭焼きの里が誕生しました。さらに2005年には、愛知万博のサテライト会場として注目を集め、その際に全国里山大会や塩と炭焼きの世界大会などが計画されています。もちろん、これに付帯して、ツーリズムや安全な食、里山の循環型社会機能など、総合的な街づくりが計画されそうです。

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佐渡における取り組み
 佐渡では、2000年からトキの野生復帰を目指した地域づくりを進めています。集落全員参加で行った地元学調査を皮切りに、地元小中学校による水辺の生き物調査やビオトープづくり、大学の調査旅行をベースとした地元学調査と荒廃農地や森林の保全作業、メディアとタイアップした農家による棚田ボランティアツアー、トキ博士の養成講座、環境保全型農業の座談会、さまざまな農法の実践などを行ってきました。
 本年度は、村営の交流会館が設置されることもあり、会館を拠点とする、地域の活性化、人材育成、産品開発、ツーリズム開発などを通じて、生活文化から見つめなおす農業と環境のありよう、保全活動や体験交流をモデル化する新たなツーリズムの育成などを行ってゆきます。

めざす持続可能社会としての里地
 里地は、人里はなれた奥山ではなく、また、農林漁業が行われていない都市でもありません。また、かつての「ふるさと」の原風景でもなければ、生産効率のみが重視された農業生産基地でもありません。食料や燃料を諸外国に依存するのではなく、地域内で取れるものは自給し備蓄すること。地域固有の生活文化を大切にし、知恵や技術の継承を行なうこと。自然とのかかわり、地域の保全を都市との対流を通じた、新たな担い手とともに行える仕組みを整備すること。都市生活者の疲弊をバネに、癒しの場の提供を多様な価値に転換することなど。里地づくりは、地域内循環と自然との共生、安全安心な食料の確保と都市との対流がキーワードです。さらに詳しくは、HPをご覧ください。

http://www.mizumidori.jp/satochi/

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