前のページに戻る

モンゴルにおける食料消費と作物生産

国際協力機構・モンゴル国派遣専門家(農牧業政策)
鈴木由紀夫

 モンゴルは草原が国土の8割を占め、「草原の国」といわれている。その生態環境から遊牧とよばれる移動をともなう牧畜が経済・社会・生活様式の基礎をなしており、モンゴル人の食生活も畜産物である食肉や生乳・乳製品(ヨーグルト・馬乳酒等)が伝統的に主食であった。社会主義下で耕種作物の生産基盤が整備されることによって、ゴリルタイショル(ウドン)やボーズ(羊肉蒸餃子)などのように小麦粉を利用する特別の料理が、伝統的な民族料理として普及し、現在では食肉や生乳・乳製品と並んで、小麦粉もモンゴルの主要な食材となっている。
 ところが、1991年以降の市場経済化によって、食生活は大きく変化しつつある。統計がいまだ不十分ではあるものの、1995年以降の1人当たり消費量の推移を見ると(図1)、食肉・肉製品および生乳・乳製品は2000〜2001年の雪害の影響を受けて減少しながらも、横這い傾向が見られるのに対して、小麦粉・バレイショ・野菜など、いわゆる伝統的でない食品の着実な増加傾向が認められる。また、バレイショや野菜については、都市部の消費量が地方に比べて3倍程度多い(2002年は、都市部:バレイショ44kg、野菜30kg、地方:バレイショ16kg、野菜10kg)。

図1 食料の種類別1人当たり年間消費量の推移
クリックされれば拡大図が御覧になれます
出典:モンゴル国家統計局(サンプル調査)

 現在、地方から首都圏を中心とした都市部への人口移動が進み、地方に比べて都市部の人口の増加がきわめて著しいことを考慮すると、今後、小麦粉・バレイショ・野菜のモンゴル全体の需要量は急増すると推測される。モンゴル人は野菜を食べない、土をいじるのを嫌う、という見方が広くあり(司馬遼太郎『モンゴル紀行』など)、事実そのとおりであったろうが、最近ではむしろ、栽培作物の重要性が増しているのである。   

 一方、そうした作物について生産の推移を見ると(図2)、国営農場の設置が進んだ1970年頃から穀物・飼料作物の生産の伸びが著しい。1980年代には完全自給を果たしたのみならず、旧ソ連やベトナムなどの社会主義国へ輸出もしていた。しかし、市場経済化以後、生産高は激減し、とりわけ穀物は最盛期の1/5程度まで落ち込んでいる。このため国内生産で不足する分を、ロシアや中国などから輸入しており、現在の国内自給率は小麦30%、バレイショ50%程度にまで大きく低下した。
 消費量の増加、さらには市場経済体制下という条件を考えると、かつてのような完全自給や輸出を望むことはもちろん無理である。しかし、主食といえる小麦を、ロシアや中国からの輸入に頼るのはリスクが大きすぎる。また、輸出余力のある北米から輸入すると輸送コストで国内産の3倍の価格となってしまう。食料安全保障や食品の安全面(最近、農薬や添加物を含む有害な農産物が中国から輸入され、モンゴルで問題となっている)からみて、自給率の低下をストップさせ、当面50%程度にまで向上させる努力が必要であろう。

図2:耕種農業生産の推移
クリックされれば拡大図が御覧になれます
出典:モンゴル国家統計局(サンプル調査)

 生産が激減した主な理由は、急激な市場経済への移行、いわゆる「ショック療法」にあると考えられる。社会主義時代に実施されていた農業や地方生活を支援する体制は、国営農場の解体とともに、いっさい放棄された。急激な市場原理の導入・民営化・貿易自由化を行い、市場メカニズムに任せれば経済成長が図られるという考えが採用された。換言すれば、従来の農業支援体制は市場歪曲的であるとして排斥されたのである。
 しかし、10余年を経て見ると、(1)年間降水量が210mmという乾燥地で冬期はマイナス40℃にも下がる厳しい気候、(2)世界一の過疎(人口密度1.5人/km2)、(3)主要道路は草原の轍道など極めて厳しい経済・流通インフラ、という条件下では市場経済にのみ委ねて地方の民営化が進まないのも当然である。それどころか、作物生産の激減、ヤギの激増による草地の劣化、貧困化、生活環境の低下による地方から人口流出など、多くのマイナス面が生じた。

森林性草原
森林性草原(ウランバートルのおよそ30Km北方にて)

 今日、モンゴル国で最も緊要な課題は、「首都圏の都市問題」と「地方の衰退」である。地方の産業を活発化し、社会・経済環境を改善するためには、銅・石炭などの鉱物資源に頼れる地域はともかく、産業として農牧業分野の他に多くの選択肢は期待できない。作物生産はその主要な選択肢である。まずは、比較的降水量の多い北部の森林性草原帯など農業に適した土地を選択し、つぎに穀物・飼料作物・バレイショ・野菜・果樹の中から、より適した作物を選択し、生態環境への影響を実証的に確認しながら「パイロット的な技術開発を行って、段階的に普及を進めること」が肝要である。そこからさらに進んで、農業セクター全体に関わる、モンゴルの自然環境や経営条件を考慮した技術開発・普及・金融などの農業支援制度や自助組織の構築・強化が求められる。
 これらを、モンゴル政府に提案しているところである。かつての社会主義時代のような画一的なモデルを展開するのではなく、実態を科学的に確認しながら段階的に進めるという、農業開発部門における学術と実践の協業体制を、援助国および被援助国の双方においてつくっていきたい。

前のページに戻る