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水の気化を利用した電気のいらない冷却シテスム


 世界の熱帯地方や亜熱帯地方の多くの地域では、現代においても家庭で農産物を冷やして保存する手段がない(あるいは高価すぎる)ために、廃棄せざるを得ないことが少なくない。
 こうした地域の唯一の解決策は、古代エジプト・インド時代から伝わる、水の気化を利用して内部を冷やす素焼きの壺である。ナイジェリア人教師のムハンマッド・バー・アッバによるプロジェクトは、伝統的な技術をより実用的にした「ポット・イン・ポット」を開発し、ナイジェリア北部に暮らす人々の生活を改善させている。

発明者アッバの説明を聞く人々(©ロレックス賞提供)
発明者アッバの説明を聞く人々(©ロレックス賞提供)

1.地元に伝わる技術を生かす
 たとえば、樹木は葉の気孔から水分を発散することで自らを冷やし、口を大きく開けた犬は舌から汗を逃がすことで身体を冷やす。これが水の気化冷却の原理である。
 水は蒸発する際に大量のエネルギーや熱を消費するため、残った水は結果的に冷やされる。多孔性粘土で作られた素焼きの壺に水を入れた場合、外部に少しずつ染み出す水が表面から蒸発するときに、壺とその内部が冷やされることになる。 
 この原理は、エジプトの寺院に残存する3000年以上も前の壁画に見ることができる。奴隷が大きな貯蔵壺の内部を冷やすために、大きなうちわで扇いでいる壁画は、まさに水の気化冷却に基づいている。そして現在においても、エジプト北部のキーナ市では家庭で使う水は冷やすために壺に入れられる。同様の手段として、北アフリカやスペイン、南アメリカでは首の長い素焼きの容器が使われている。

 冷却するのは水だけではなく、野菜や果物にも及ぶ。アフリカ中西部・ブルキナファソのジュラ族は、水につけた広口壺の中に農産物を入れている。
 また、インドの一部の地域では、素焼きのレンガを濡らして作った長方形の箱が食品保存に使われている。レンガの表面から染み出した水分が蒸発し、箱全体を冷たく保つというシステムである。
 このように、暑く乾燥した地域では、水の気化を利用した冷却システムが昔から活用され、今日でも、もっとも効果的な手段として利用されているのである。

 最近の研究では、壺やレンガは一重ではなく、二重にしたほうが効果が高いとの結果がだされている。
 インドのルディアーナ市にあるパンジャブ農業大学では、レンガを使った冷却システムについての実験を行った。二重のレンガ壁の間に濡れた砂を詰め、箱全体を湿らせたむしろで覆ったところ、果物や野菜を入れた箱の中は常に20℃以下を保つという結果が得られた。
 ナイジェリア・ベニンシティー大学のヴィクター・エイミュー教授は、研究室で大小2個の壺を使った実験をしている。水を満たした壺の中に小さい壺を入れて温度を測定したところ、小さい壺の内部は最低14℃まで低く保たれることが判明した。
 こうした、地域に伝わる技術をさらにシンプルな形にして、冷却効果を高めるように改良されたものが、アッバの「ポット・イン・ポット」である。実際、アッバの生まれた村にも素焼きの壺の伝統があり、アッバは祖母が壺を冷やすために周りを濡れた砂で覆っていたことを覚えていると話している。

ポット・イン・ポット(©ロレックス賞提供)
ポット・イン・ポット(©ロレックス賞提供)

2.伝統的な技術に現代の知恵を
 ポット・イン・ポットはその名のとおり、大きな壺の中にひと回り小さな壺を重ねたものである。壺と壺の間に濡れた砂を詰め、さらに湿らせた布を壺の口にかぶせる。砂の水分が外側の壺からゆっくりと蒸発するにつれ、内部が冷やされて農産物の腐敗が防止できる。
 低価格で持ち運びが便利なこともあり、アッバの生まれ故郷であるジガワ州全域では、すでに1万2000個が販売された。ナイジェリアの他の地域や近隣諸国でも、製造・販売計画が進められている。
  
 この壺が開発されたことにより、ナイジェリア北部の人々の生活は確実に向上している。たとえば、農産物が何日も保存できるようになったため、少女は毎日市場へ行く必要がなくなり、休まず学校へ通うことができるようになったなど……。衰退しつつあった壺製造産業にも、新たな活気を与えている。
 技術開発という観点からみれば、ポット・イン・ポットは、伝統的な技法を応用した例の1つにすぎない。しかし特筆すべきは、類似したあらゆる伝統土器のなかで、これほどの簡便さと冷却効果を兼ね備えたものはないということ。そして、大量に製造・販売するルートを確立し、必要とする人々に買いやすい値段で提供したことにある。

 既存の技術に現代の知恵を加えることにより、その技術に潜在していた能力がより効果的な、実用的な形で現れるかもしれない。ポット・イン・ポットは、その可能性を実現させたものなのである。

(文責 農業ジャーナリスト 天野裕子)
(出所:ロレックス賞ジャーナル No.15)

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