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第3回世界水フォーラムの成果と課題

 朝日新聞大阪本社社会部 小林杉男


 京都、大阪、滋賀を舞台に3月に開かれた第3回世界水フォーラムは、まるで水問題の見本市だった。テーマは多岐にわたり、分科会の数は351にのぼった。盛りだくさんで会議全体のまとまりには欠けたが、個々の論争や提言は真摯で、「水危機」解決に向けた意志の共有はできたと思う。トピックスのひとつだった「水の商品化」をめぐる論争は、対立が鮮明で注目を集めた分、問題の所在も広く浮き彫りになった。このテーマに絞って、フォーラム直前の連載用に取材した内容も含め、報告する。

対立鮮明で、問題浮き彫りに
 「水の商品化」をめぐっては、フォーラムの主催者である世界水会議(WWC)が会期終盤に開いた分科会「水施設への資金調達」での一幕が、大きなヤマ場だっただろう。
「水は人権だ」「水でもうけるな」。こんな横断幕を手にした非政府組織(NGO)のメンバー約50人が突然、客席から演壇に上がった。分科会の議長で、国際通貨基金前専務理事のカムドゥシュ氏がまとめた通称「カムドゥシュ報告」に対する抗議だった。
 報告は、安全な飲み水を得られていない人々のために、水インフラへの投資額を大幅に増やすよう訴えていた。現在、世界で年間800億ドルなのを、民間資金の導入を進めて1800億ドルにするという目標値も示された。事実上、水道事業の民営化を促す内容だった。
「水に困っている途上国の政府には十分な資金がない。民間資金を導入すれば、給水範囲が広がって、住民が助かる」。資本や技術力をもつ水関連企業を抱えるフランスなどの先進国を中心とした民営化推進派は、こう考える。
 一方、カナダ人評議会(モード・バーロウ議長)などNGOを中心とする反対派は「営利目的の企業に水道事業を任せると、貧困層に水が届かなくなる」と主張する。
 両者を代表する形でWWCとカナダ人評議会がフォーラム期間中に分科会を共催したが、意見は交わらず、「安定した水供給に民営化は不可欠」(WWC)、「水の商品化は倫理的、環境的、社会的に誤りだ」(カナダ人評議会)と、個別に声明を出した。
 両者の対立の鋭さと、対話の決裂が形になって現れたのが、分科会での演壇占拠の場面だった。

 「水の商品化」と言うとき、水道の民営化ともうひとつ、天然水を売り買いするボトルウォーターの取引のことも指している。それぞれについて、フォーラム直前に朝日新聞で連載した「命の源はいま」では、推進、反対両派の考えを具体的な場面を通じて読者に紹介するよう努めた。
 以下、連載に盛り込めなかった内容も含め書きたい。

途上国の水道をビジネスに
 近年の水道民営化の流れは、サッチャー政権下のイギリスで、80年代後半に水道公社が民営化されたのが始まりとされる。そして、90年代に途上国を中心に広まった。
 国際公務労連によると、水道事業を受注した多国籍企業による給水人口は2001年で世界人口の5%にあたる3億2000万人。その8割近くを、フランスとドイツの計3社が占めている。
 民営化の流れは世界で急速に進んでいるが、問題が起きている地域も多い。
 問題点を取材するため、私とは別の記者がフィリピン・マニラのダガット・ダガダン地区を訪れた。
 地区の貧困層約100世帯が暮らす一角では、女性たちがたらいを手に、水売り業者のタンク車から水を買っていた。フランス企業と地元財閥の合弁会社マイニラッド・ウォーター・サービスの水道供給地域なのに、同社は水道網を敷く前に撤退してしまったのだ。
 聞くと、売り水の値段は1立方メートル150ペソ。水道料金の10倍という。「建設作業の月収の半分は水代に消える」と嘆く住民もいた。
 マニラの水道事業はかつて国営だった。しかし、漏水が多く、水を盗む人もいて、料金徴収率は50%以下。債務が膨れあがった1997年、政府は民間委託に踏み切った。
 東西2地区のうち西をマイニラッド社が落札した。水道料金は一時、国営時代の半額ほどに安くなった。ところが、通貨危機でペソが暴落。フィリピン政府から引き継いだドル建ての債務負担が膨らんだため、同社は昨年末、水道事業の返還を発表した。
「水は生存に欠かせないのに、貧しい地区は後回し。もうからないと投げ出す。民営化の悪い面が出た」。NGO「環境・持続社会」研究センターの佐久間智子さんはこう指摘した。


第3回世界水フォーラムで水の商品化反対を訴えるNGOメンバー;国立京都国際会館で(朝日新聞社提供)

先行するフランス
 水道民営化については、貧困層に水が届かないことがあるほかに、「途上国の水道技術が停滞する」という問題点の指摘もあった。
 水道技術を専門とする日本の大学教授が、分かりやすく説明してくれたのは、こういうことだ。
 たとえばフランスの水道会社が途上国で水道事業を請け負った場合、住民に供給するのは、住民が払える料金に見合う「そこそこの水道」になる。パリの水道を高級フランス料理とすれば、ハンバーガーだ。
 しかも、採算がとれることと同時に水道会社にとって大切なのは、地元スタッフで維持できること。結局、マニュアルで対応できる簡素な仕組みの水道となる。
「アルバイトがハンバーガーを何個つくっても、フランス料理を作れるようにならないように、地元スタッフが簡素な水道の維持管理を任されても、水道技術は身につかない。まだ、高度の水道でなくても、自前のものを工夫しながら維持する方が、技術の継承という点ではまし」というのである。
 水道についてはいま、国際標準(ISO)づくりを目指す多国間協議が、フランスの提唱で進んでいる。水質や技術、料金などの面で基準を定め、水道事業の受注競争のルールにしようとする動きともいえる。
 協議では、民営化水道の受注で先行するフランスと、これ以上市場を独占させまいとする他の先進国との駆け引きが続いているようだ。
 教授は「先進国の水道事業はどこも飽和状態。他国で受注したい先進国側の事情と、途上国側の資金不足を背景に、水道民営化は負の側面を抱えつつも進むだろう。先進国側は利益を還元する意味でも、せめて途上国で水道に関係する人材育成はしなくてはいけない。そうでなければ、単なる富の収奪に終わってしまう」と話した。

外国資本が日本の水道を
 日本も水道民営化と無縁ではない。2002年4月に改正水道法が施行され、浄水場の維持管理を他者に委託することが可能になった。
 多くの自治体は水道料金だけで事業費をまかなえず、一般会計からの繰り入れなどでしのいでいる。事業費を少しでも安くしたいのが本音だ。
 そんな窮状をにらんで、国内外の水道関連企業が商社と組むなどして、これまでに10社近くが設立された。それらが浄水場の維持管理の受注をしようと、自治体詣でをしている。
 民間委託に踏み切った自治体は、広島県三次市などまだ数えるほどだが、3兆円ともいわれる日本の市場を前に、各社とも簡単にあきらめる気配はない。
 厚生労働省の担当者は「こんなはずではなかった」と取材の際に漏らした。
 浄水場の維持管理を他者に委託できるように法改正したのは、東京都や大阪府などの高い技術や人材を持つ水道局が、都府内や近隣の市町村の面倒を見る、というケースを主に想定していたというのだ。
 しかし、「よその自治体の領域に手を突っ込むのはどうも」というお役所的発想もあってか、厚労省の思うような流れには進まなかった。
 代わりに、民営水道の受注実績を重ねた外国資本が、非効率な日本の水道事業を狙っている。日本の水道はいま、グローバリゼーションの波に洗われる際にいる。

ブルーゴールドを狙う
 ボトルウォーターについては、天然水をめぐって、地元住民と取水しようとする多国籍企業とがせめぎあっているような場面を捜そうと努力した。だが、限られた時間で見つけることはできなかった。
 代わりにというわけではないが、取材班の一員が屋久島に飛んだ。こけむす山に降り注いだ大量の雨からできた当地の軟水を、中国に輸出しようとしている会社があると耳にしたからだ。
 元商社マンの社長は、メキシコのバーで水が高いのに驚き、「石油より高い水もある。これからは水の時代だ」と思い立った経緯を話した。
 まさに、世界的な水不足を背景に、きれいな水が「ブルーゴールド(青い黄金)」として価値を増していることに目をつけたのだった。


フォーラムで「子ども水宣言」を発表する子どもたち;国立京都国際会館で(朝日新聞社提供)

 民間の調査会社によれば、ペットボトルなど容器詰めの飲料水の市場は毎年10%前後の伸びを続け、世界中で5兆円近い。業界をリードするのはダノン(フランス)、ネスレ(スイス)の両グループだ。世界の水源と天然水のブランドを次々と傘下におさめてきた。
 生き物の命を支える「公共財」、「基本的人権」とも言える水を、一部の企業が「商品」とし、その取扱量を増やし続けている。このことへの異議は、NGOを中心に強い。
 その危険性、問題性を読者に分かりやすく伝えられる場面があるのに、私たちが取材で見つけられなかったのだとしたら、非常に残念だ。
 取材の中で、「石油メジャーが地下探査の技術を使い、インドのある場所で大きな地下水塊を発見した。その利用権もすでに抑えている」という話を耳にした。事実確認ができず、記事にはしなかったが、事実でないことを願いたい。

歩み寄り機運に期待
 国際基督教大の高橋一生教授(国際開発論)は、フォーラムでの「水の商品化」をめぐる議論について、「市場原理をめぐるイデオロギー論争に終始した感がある」と指摘した。
 私も同様の感想を持った。「いま、水がほしい」という人たちが、論争を聞いてどう思うだろうとも想像した。論争した当人たちにも、「言い放しに終始し、話がかみ合わなかった」ともらす人がいた。
 しかし、推進、反対両者が同じ舞台に上がり、意見を闘わせた意味はあったと思う。これまで、NGOを中心とした反対派は国際会議で「外野」に押しやられがちだったが、今回、主役同士になったことで、互いの意見をくみ合おうとする機運が生まれないだろうか。
 もしそうなれば、日本で開催された第3回世界水フォーラムの大きな功績は、NGOの参加を初めて公式に認めたことになるだろう。

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