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内蒙古、河套灌区における
土壌塩類化の評価とその展望

岡山大学 環境理工学部

教授 赤江剛夫

1.はじめに−河套灌区の概要
 内蒙古河套灌区は、黄河流域最大の灌漑区である。青海省に発し、蘭州を経て北流する黄河が陰山山脈に突き当たり、大きく東へと流れの向きを変える位置にある。黄河の沖積作用でレス(黄土)が堆積した東西約250km、南北50km、総面積112万haの大沖積平野である。年間降水量150mmから210mmに対し、蒸発量が2100mmから2300mmに達する乾燥地域にある。
 この地域の開発の歴史は古く、すでに秦の時代に黄河からの灌漑農業が行われていたことが確認されている。人々はこの地域のことを「塞上江南」すなわち長城の北にある江南地方と呼ぶ。「江南潤えば中国足る」といわれる江南地方にたとえて、その豊かさを形容している。また、暴れる黄河の洪水に蹂躙されれきた下流部と比べ、「黄河百害、唯富一套」とこの地域の幸運をたたえている。
 乾燥地にある河套灌区に豊かさをもたらしたのは、いうまでもなく黄河からの灌漑(引黄灌漑)である。徐々に拡大した灌漑面積は、清の時代にはすでに20万haに達していた。解放後も着々と開発が進められて、1961年、黄河本流を堰き止める三盛公頭首工が完成した。引き続き、総幹線用水路から末端水路(毛渠)までの用水路建設が進み、現在の灌漑面積は57.4万haとなっている。用水路整備に約20年遅れて排水路系統の整備も進められた。最上流の三盛公頭首工から取水された用水は、180kmの幹線用水路から分水して以下6段階の用水路で灌漑水を配水する。同じく末端圃場から6段階の排水路系統を経て集められた排水は、220kmの幹線排水路を経て烏梁素海へポンプで排出される。排水を集める烏梁素海の塩分濃度が増大し、周辺の烏拉特前旗の地下水も悪化した。これを解決するため、烏梁素海から排水を黄河へ排出する排水路が1983年に完成している。
図1 河套灌区位置図


2.河套灌区開発の経過と塩害問題
 河套灌区の土地・水管理と塩類化の進行は、以下に述べるような4つの段階を経て進行して来たとされている[王学全ほか、2002]。
(1)清朝の後期から解放前にかけては略奪的な開発が行われ、肥沃な土地の大部分に2次的塩類化・アルカリ化が発生した。
(2)新中国建国後、三盛公頭首工の完成前までは、土地の均平化や、区画の縮小、節水灌漑などが採用された。この間、耕地の面積は解放前の19.3万haから40万haに拡大したが、そのうち軽度の塩類化・アルカリ化土の面積が33.3万haに増加し、中度の塩類化・アルカリ化土の面積は5.3万haに拡大した。しかし、塩類化・アルカリ化の程度は比較的に軽いものであった。

写真1 三盛公頭首工

(3)三盛公頭首工完成後の1961〜81年の期間、河套灌区は大量引水して大量に灌漑する有灌無排(灌漑はするが排水はしない)段階に入り、塩類化・アルカリ化土壌の面積および塩類化程度も急速に進行した。耕地の中で、中度および重度塩類化・アルカリ化面積は10.7万haに拡大した。その結果、塩類化問題が衆人の注目を集めることになった。
(4)1983年以来、排水路の必要性が認識され、河套灌区は有灌有排の段階に入った。支溝以上の中堅排水路はほとんど整備され、塩類化・アルカリ化の進行は幾分緩和された。しかし、大局的には灌区には現在も塩分が集積している状態にある。
 河套灌区の2次的塩類化・アルカリ化を進行させたのは、平坦で自然排水が困難な地域において排水路を整備しないで灌漑を行ったのが主要な原因であるといえる。黄河から大量に灌漑された水は、漏水と圃場への灌漑水を通じて地下水位を高め、これが土壌面蒸発、地下水蒸発及び水面蒸発によって多量に消費されることで水収支が維持されていた。
 1981年、烏梁素海から黄河への排水路が完成し、排水路システムのうち総排干溝、干溝、分干溝、支溝などもほぼ設置されたが、84〜91年の間に灌区から烏梁素海に排出した水量は5.26億m3/年であり、77年より僅か1.53億m3増加したのみであった。地下水水位は下がらず、灌漑により浸透した水量の大部分は排水によらずに、蒸発によって平衡を維持する状態が続いている。圃場レベルの工事は未だに不備であるため、灌漑効率は低いうえ、地中に浸透した水は直接支溝以上の排水路に排出できない。従って、排水による除アルカリ効果は低い。こうした状況を解決するため、全灌区に末端圃場に至る用排水路系統の整備と、灌漑用揚水ポンプ井戸を建設することが進められている。

3.地域的水収支と塩分収支
 灌区全体の長期的な塩類化の進行を考える際に問題となるのは、地域レベルの塩分収支である。塩類は、灌区への年間約50億m3の灌漑水中に平均0.43g/Lの濃度で含まれる(1980年)。一方で、5.26億m3の排水中に1.20g/Lの濃度で含まれ排出されている。塩分収支結果は、87年から97年のデータによると、全灌区で年間168万tの塩分が蓄積していることを示している。
 蓄積量の全量が土壌中に蓄積しているとして、それが長期的にどの程度塩類化を進めるかを試算してみよう。灌区の全面積118万haで平均すると塩分蓄積量は、1.4t/haとなる。土層厚さ1mに蓄積するとして、土層の平均乾燥密度を1.4t/m3とすると、1haに1.4万tの乾燥土重である.1.4tの塩分が1.4万tの土壌中に蓄積するので、土壌に対する重量割合を求めると、1万分の1、すなわち0.01%となる。年間0.01%の蓄積率だと、20年間で0.2%である。中国では全塩量で塩類化の程度を分類しているが、0〜20cm土層の含塩量に基づいて、軽塩類化土は0.2%〜0.4%、中塩類化土は0.4〜0.6 %、重度塩類化土は0.6%以上とされている。したがって、現在の蓄積量は、20年間で軽度塩類化土を中度塩類化土に、中度塩類化土を重度塩類化土にする蓄積速度であり、相当急速な塩類化の進行を予測させるものである。
 ところで、河套灌区の上流約300kmの寧夏回族自治区には青銅峡灌区がある。ここも62.4万ha(うち農地は33万ha)の大規模な灌漑区である。清華大学の調査によると、青銅峡灌区は年間62億m3を取水して、35.3億m3を黄河へ排水している。同様な方法で塩分収支を推定すると、1985年から2000年までの平均で、年間流入塩分量は約280万t、排出塩分量は400万tとなり、年平均120万tの塩分が地区から除塩されている。この結果は、河套灌区と比較して全く対照的な結果である。このような違いをもたらしたのは、青銅峡では河套灌区以上の取水をしている一方で、35.3億m3という取水量の60%近い量を排出していることである。排出量は河套灌区の7倍に達する。
 このように、地域の塩分収支は灌漑できる水の量、したがって排水できる水の量(リーチング水量)に規定される。塩分収支において河套灌区と青銅峡灌区の明暗を分けるのは、青銅峡灌区における水資源の豊富さとこれを利用できる水利条件・水利システムの整備度であるといえる。
 ただし、塩類化が農地の生産力に及ぼす影響を考える場合、全塩量だけでなく塩分の組成も考慮する必要がある。すなわち、Naは、その他のアルカリ塩類であるCa、Mg、Kと比べ、はるかに作物の水分吸収阻害、生理的害、土壌物理性の悪化に重要な問題を生じるのである。河套灌区へ取水される灌漑水には、Ca、Mg、Naがそれぞれ3.3、1.98、1.36meq/L含まれるのに対し、排水中にはCa、Mg、Naがそれぞれ2.8、7.28、1.55meq/Lの濃度で含まれている(1980年)。Naのみについての収支を計算すると、年間16万t取り入れ、18万t排出している結果となり、かろうじて平衡が維持されている。

4.黄河水源の逼迫に伴う節水灌漑対応
 1970年代以降、 黄河下流域には河道から水が消滅する断流現象が発生している。1972年から98年の27年間に21回の断流が発生した。90年代になると、断流はほぼ毎年発生し、断流の期間と断流区間長は年々増加している。95年の断流日数は122日、96年は136日、長さは683kmであった。 97年には、山東省利津観測所で13回、合計226日の断流日数が記録され、断流区間は河口から開封市付近までの704kmに達している。
 断流の原因は、降水量の減少(1990−97年に平均12%?)など自然的要因もあるが、用水量の増大という人為的な要因が主因と目されている。とくに、黄河の全用水量約400億tの80%に近い318億tを占める農業用水の「浪費」が問題とされ、厳しい削減計画が定められた。河套灌区においても、現在平均52億tの取水量を2010年までに39.68億tにまで削減する予定である。河套灌区は、排水量の増大で塩類化の進行を抑制してきた段階から、新たに取水量の大幅削減という時代を迎えることになった。
 取水量の削減への対応として2010年までに取る第1の対策としては、用水路のライニングを行うことにより現在の送水効率43%を66%にまで高めることが計画され、実施されている。しかしながら、灌区全体の既建設用水路延長は支渠(流量2〜4m3/s)以上でも3200km、末端用水路まで含めると1万6800kmにも及び、ライニングの完成には相当の経費と時間を要する。これに加えて、圃場レベルの節水灌漑法として、圃場内に畦畔を設け灌漑区画面積を330m2以下に小区画化して灌漑効率を高めることが推進されている。
 この地域の特徴的な灌漑法として、秋の湛水灌漑がある。これは、春の小麦播種、幼苗期に黄河の流量が少なく取水が出来ず、激しい乾燥で土壌水分が不足するため、秋の作物収穫後の10月下旬に湛水灌漑して、土壌中に水分を蓄えるとともに除塩も期待するものである。年間灌漑水量の約1/3を占める多量の灌漑(230〜250mm)が、46.7万haに対して行われている。その結果、地下水深は0.5m〜1m程度まで上昇する。計画では秋の湛水灌漑の灌漑面積を35.3万haに圧縮するとともに、灌漑水量を135mmまで削減することになっている。また、比較的地下水の塩分濃度が低い地域では、地下水揚水井戸を掘り、地下水灌漑のみの地域を1万ha、黄河水と地下水を組み合わせて利用する地域を6.3万haとする。
 以上のような用水量削減を行うことで地下水位が低下し、これに見合う蒸発量減少で、現状よりも0.3m低下した平均1.8mの平衡地下水深が実現されるとしている。
 地下水位が低下すると末端の浅い小排水路の地下水位低下機能は効かなくなるので、現場ではこれを廃止して、圃場内に取り込もうとする動きがある。これは、末端圃場レベルまでの排水路システム整備を進めてきた、これまでの方向と逆行する対応である。実際には、末端排水路の流出は灌漑直後に発生することから、土中の大間隙を通ったり、表層集積塩分を洗い流す機能を浅い末端排水路が果たしている。したがって、末端排水路は灌漑時に浅層土層および土層表面集積塩分の除塩機能を果たしているものと考えられ、これを廃することには大きな問題があると思われる。

5.圃場レベルの塩分動態と塩害地改良
 さて、地域的・長期的な塩分管理には、全塩分量の収支が主要な課題となるが、個々の圃場の塩分管理はこれとは異なり、多量の灌漑により塩分を土層から洗脱し、系外へ排除する土層管理が目指される。農家は競争的に灌漑し、塩分を除去しようとする。既存の耕地の維持ばかりでなく、塩害地を除塩して耕地に改良したい期待を強く持ち、それを絶えず実行している。
 圃場レベルでの慣行的塩害地改良法としては、有機資材(麦ワラ、羊糞他)を表土に鋤き込み、春に1回と秋の湛水灌漑を行うのが普通である。新しい塩害地改良法として、私たちは以下のような方法を試している。アルカリ化した土壌が分散したり、途中の粘土層で極端に浸透が抑制される場合には、サンドドレーンを設けて表層、難透水層の透水改良を行い、除塩効率を高める。あるいは、もっとも塩分集積の激しい春先に表層3cmの塩分集積層をいったん排除して、その後灌漑することで塩分の除去を図る。同時に、アルカリ土壌の土粒子が分散して表面に薄く堆積して形成される難透水性のクラストによる透水性の低下を避けるのである。現地試験プロットで試験を行っているが、これまでに得られた結果によると、こうした方法に一定の効果はあるものの、灌漑によるリーチング効果が圧倒的な役割を果たすことが示されている。
 既存の耕地と塩害地における塩分の動きを調査した結果は、灌漑水によって土壌溶液から地下水へ、さらに排水路へと移動し、表層に集積する激しい動きを示すのはNaであり、Caは塩害地中よりも耕地土壌中に多く、灌漑水によって供給されたCaは非水溶性成分として土壌中に沈積していることが分かった。このことは、土地の塩分管理に何より効果的なのは水管理であることを示している。
 用水量削減の状況において塩害地改良を進めるには、既存の耕地で使用する水をいっそう削減し、改良地のリーチング水に振り分けることが必要である。したがって、既耕地における節水の成功が塩害地改良の鍵を握っているといえる。

6.おわりに
−新たな地域塩分管理モデルの確立−
 河套灌区における塩分管理の歴史は、できるだけ排水量を増やして塩分排出量を増大することで、地域の塩分収支を均衡させようとする、青銅峡灌区型の管理を目指してきたものである。しかし現在の河套灌区は、取水量を削減したうえで、地域塩分管理を行い、塩害地の改良要求に応えるという、過去とは全く異なる塩分管理体系を確立する必要性に迫られている。
 取水量を52億tから39.7億tに削減すれば、流入する塩分量は271万tから207万tに減少する。同時に漏水防止を行えば、地下水位が低下して、塩分集積の危険を緩和するであろう。一方で、排水量を増大して排出塩分量を増やしたり、リーチングによる塩害地改良を行うことは、取水量の削減によって困難さを増すと考えられる。首尾よく排出した塩分は、下流に位置する排水湖である烏梁素海に集まり、その漁業資源、ヨシなど生産資源のほか自然環境生態系にも大きな影響を与えている。排水路に排出した塩分を、蒸発池などで地域内管理する必要性も検討されるべきである。いずれにしても、水の量に対する塩分排出を効率的に行うための地表排水システムおよび塩水化地下水の排除法整備が決め手になると考えられる。
 また、実際に移動集積し、作物生産性にもっとも影響するイオン種がNaであることから、塩分収支を全塩量でなくNa量で検討することも、実際的な有用性が高いと考えている。


《引用文献》

王学全・高前兆・郭少宏(2002):内蒙古河套灌区の水資源有効利用と塩類化の抑制、国際シンポジウム「乾燥地における水資源の最適配置および生態環境建設と持続的発展」要旨集、pp.413-421(原文、中国語)


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