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持続可能社会はなぜエコビレッジか?
京都大学 大学院工学研究科

環境地球工学専攻 教授 内藤正明

1.いま、持続可能社会が論じられる理由

 いま、持続可能社会という議論が頻繁になされるのは、人類社会がもはや持続可能でなくなりつつあるということの裏返しである。しかし、地球環境に関する多くの情報が伝えられているにもかかわらず、一般にはその全体像、背景がまだ十分理解されていないため、議論の方向は絶えず大きく分かれる。
 そこで、本文では持続可能社会を論ずる前提として、現在の状況認識とその背景を、以下のように理解しておく。「原因」は主に北の工業社会と経済メカニズム、南の人口増や社会状況といった極めて根源的なものであること。さらにその背景をなす、経済的発展と物質の豊かさを第一の価値基準にしてきた現代の政治、経済体制そのものが持続可能社会とは相容れ難いこと。「現象」は“資源・エネルギーの枯渇”と“環境負荷の増大”にある。さらに人口増大、南北格差、経済不安などと互いに加速し合っていることが、事態を一層困難なものとしている。
 またこのように、多くの問題が互いに複雑に関わり、長い因果の連鎖を形成しているため、いったん事態が顕在化すれば制御不可能であること、さらにその因果は不確実要素が大きいので、最終的に、いつ、どこで何が起きるかを明らかにしにくいこと、「影響」は我々に直接戻ってくると共に、最終的には地球生態圏全体に現れること。
 ただし、このような破局的状況がいつどんな形で現れるかであるが、これまでのいくつかの予測では、まず地球環境変化(中でも温暖化と生態系破壊)が資源(鉱物、エネルギーに加えて、肥料成分)の枯渇とあいまって最終的に“食糧危機”をもたらすであろうというものであり、それは21世紀に入る頃には顕在化し始め、数十年内にかなり危機的状況に至るというものである。因みに、レスター・ブラウン(元ワールドウォッチ研究所長)は以前から、人類の食糧について警告を発し続けている。

2.なぜ、このような事態になったのか

 このような深刻な問題の原因は、もちろんこれまでの歴史の中にある。根源的には人類の文明史にまで遡るだろう。しかし、ここでは特に世界が大規模工業化を推進した戦後50年を、環境という鏡に写して振り返ってみる。戦後の荒廃の中で、工業先進国(中でも日本)は残った人・物・金を有効に生かすために、これらを“集中化”して“経済合理性”を追求し、その具体策としては“工業化と都市化”を目指した。この選択が適切であったことは、目指した経済復興が急速に達成されたことによって明らかである。この過程で生じた副作用が持続不可能な社会をもたらしたといえよう。そのことを、社会の主要要素について、以下に要約してみよう。
1)技術
 技術がもたらした副作用の一つは、「自然」に対するものであり、いまでは「環境の悪化」と「資源の枯渇」が人類存続さえ危うくしていることは、先述の通りである。その中でも、いま最も危惧されているのが気候変動であるが、この原因であるCO2こそまさに、20世紀の科学技術が全面的に依存している化石燃料に由来するものである。そのため、環境改善技術も含めて、化石燃料に依存するいまのあらゆる技術は、基本的に“地球にやさしく”はありえない。
 もう一つは「人間・社会」に対する影響である。今日の工業先進国では、あらゆる技術とその製品に囲まれている為に、自分の暮らしが誰かの恩恵で支えられているという感覚は生まれる余地がない。スーパーの棚で何でも手に入り、蛇口をひねれば水が出てくるという状況で、自然の恵みを実感することが難しいだけでなく、他人の世話になっているという意識もなくなる。それに代わって必要なのは“お金”である。金さえ持っていれば、あらゆるものが手に入る状態では、感謝などという心はもはや必要とされないだろう。それは、まさに技術が本来目指したことの成果であり、当然の副作用である。

2)物質のフロー
 今の社会システムにおける最大の問題の一つは、工商系、農林系、生活系の全てで物質とエネルギーの連関が断ち切られていることにある。その結果、一つのセクターから出された副産物や廃物が次々と他のセクターの資源となって活用されていくという、循環本来の姿が根底から崩された。

3)経済システム
 今日の物質の豊かさをもたらした大きな要因は、グローバルな自由貿易である。それは工業化を支えるために一次産品の供給源としての途上国の自然や社会を破壊しただけでなく、国内の一次産品の市場を破壊し、農林系の衰退と農山村環境の荒廃を、他方では都市過密による生活環境の劣化、食糧自給率の低下と貿易摩擦などの国内の社会病理をもたらした。このような認識に立てば、持続的社会は単に技術的対策でできるものではなく、特にその背景にある経済システムを一体として変革しなければならない。技術は経済の奴隷であるという言葉は、一面の真実を言い当てている。

3.何を、どう変えるのか

 技術から倫理に至るまでの社会の諸側面について、今日の問題を踏まえた上で、それを持続可能な社会に向けてどのように改変するかを、様々な提言も参考にしつつまとめてみよう。

1)技術
 これまでの技術が我々に豊かさと利便を与えたことは間違いないとして、このような、人と自然に対する深刻な副作用をもたらしたとすれば、それを克服するこれからの新たな技術はどのようなもので、それはどのようにすれば実現するのだろうか。
 『新たな技術の特徴』…これまでの技術の問題に気付いて、市民のための技術開発の場をいかにつくるかという試みが、“市民の手による環境産業創造”などとして、いま各方面で始まっている。NPOの隆盛も、そのことと無関係ではない。その姿は、これまでの20世紀型技術とは異なるもので、最近見られる各地の事例がヒントになろう。たとえば“市民参加による生ゴミの循環システム”、“市民によるエネルギー生産”、“菜の花などのバイオマスや天ぷら廃油で石鹸やバイオフュエル”などの試みである。その技術の特性は、“身の丈のローカル技術である”、“市場競争から免れる”、“自立的である”、“主に生物・生態系を利用する”、などである。その際に、全ての主体がパートナーシップで関わり、それにふさわしい「エコまたはローカル技術」が注意深く選定される。 
 このように、一見先祖返りとも思える「環境共生技術」の持つ意義は、20世紀型技術が人と自然に対してもたらした副作用を、その元に戻って改めようとする点にある。一般の市民が力を合わせ、かつ自然の力に依存する部分が多い技術特性は、自然のリズムに合わせて、その恵みと脅威を実感として感じさせるだろう。そのことから人と人の共生、人と自然との共生の認識が自から培われ、いまの社会が直面する「人と人との関係性の崩壊」、また「人と自然及び地球環境との関係性」に関する深刻な諸問題の解決にも有効であろう。
 『新たなスポンサー』…ある技術が作られるには、それが誰にとって、何に役立つのかの考案が最初にあるべきだろう。しかし、これまで技術者が仕事をするのは、企業であり軍であったことが、いまの問題をもたらす元となった。裏返せば、一般の市民の心豊かな生活や、さらには将来世代や他生物の生存のためのスポンサーがいなかった。このことから、共生社会のための技術開発は、市民(生活者)と将来世代を代弁するスポンサーが必要だということになる。本来ならば公的な機関にそれを期待されるが、これまでのところ「公」もまたそのスポンサーは「産」であり、ささやかな税金を納めている一般国民でも、全く納めていない将来世代や他の生き物でもない。市民技術の意味はそこにこそある。

2)物質のフロー
 使い捨ての一過型システムを循環型に変えようというのは、いま世界の趨勢である。“循環”を考えた場合、農林系は自然生態系と同じく、原理的には自然の力で循環を維持できるのに対して、工系では静脈系にも石油エネルギーを必要とする。つまり、工系サイクルの中にはエントロピー減少過程は存在しないので、循環することが真にプラスかどうかは注意深い判断が必要となる。しかし、現在、多大な費用とエネルギーを使って処分されている食品工業からの残滓は本来貴重な飼料となりうるものである。ただし、いまの工業化社会では、この循環を本格的に推進するには様々な困難がある。
 第一は都市構造の問題で、都市・工系からの廃棄物ロットとそれを引受ける農林系(畜産)の需要規模の差が需給のマッチングを妨げ、また農林系と都市の距離が離れすぎて輸送を困難にしていることもある。
 第二は経済システムで、安価な輸入の下で循環しても、引き取り手がなく、今の我が国の貿易構造の中で、農林系の仕事が市場で成り立つことは困難であるため破綻する。
 第三は生産者の労働観や消費者のライフスタイルに関わる事柄であるが、新たな労働観とそれを支える仕組みが必要である。同時に、地産地消の健全な仕組みが評価されるかどうかも、これからの問題である。

3)経済システム
 グローバル経済の持つ問題が提起され、いま新たな“生命系の経済”の構築を促す提言も見られる。少なくとも、先ず一次生産系に市場原理と共に生態、社会原理を部分的に導入することはありうる。一次系(農・畜・林・漁業)産物は自然の恵みであり、利潤追求の対象にすることは、工業製品に比べてなじみにくい。さらに生産者個々人が利潤の最大化を図れば、公共財的な生産基盤(土地・水・自然の生態系など)を私的収奪することになり、それらの基盤を回復不能なほどに破壊する。地球規模で水産資源や肥沃な表土がまさに“コモンズ(共有地)の悲劇”の状況を辿りつつある。
 食べ物という人間生存の最も基本になるモノが、目に届かない所で作られることへの不安は近年頻繁に言われてきた。また、時間をかけて生命を育む歓びと、この命を口にする生き物としての人間の本質を確認するためにも、経済行為としてではなく農に関わることは重要である。週末農民やクラインガルテン、地域住民と周辺農家の間での堆肥と生産物の交換などは、地域コミュニティ形成の一つの手段としても有意義である。さらに、子どもや老齢者などが動植物の育てに関わることなどは「育て、癒し、ケア」といった効果を持つことが認識されつつある。このような部分が非市場原理で動かされることが、持続可能社会の一つの突破口になりうるだろう。ローカルマネーの人気が、それを物語っている。

4.持続可能社会のイメージと各地の試み
 当然のことながら、都市・工業化のマイナスを集中的に引き受けたのが、地方の農林系社会であり、むしろその犠牲の上に、成り立ったという側面は否定できない。今日の問題の大きな根元は、第一に戦後の急激な一次産業から二・三次産業への人口の大量移動と都市と工業の極端な肥大であり、第二に先述のような、工・農・畜・林の生産物において、資源・エネルギー的な循環が断ち切られたことである。
 このような状況に対して、まず生活を中心に一つは農林系に物・人の循環を回復することである。このためには、農工のバランスを取り戻し、適正な規模で“農業的要素と都市的要素の接近・モザイク化”された地域ユニットをつくらねばならないだろう。これは最も危惧される食糧について「自給率を高め」、「工系からも農林系からも地球負荷を減らし」、さらに「人の顔が見える健全でかつ心豊かなコミュニティの形成を促す」ことだろう。これはまた「自然エネルギーや自然浄化など自然の恵みを活用するための、空間的なゆとりをもたらし」、「ワークシェアリングにより工業と農業の仕事を多様に体験する機会を与え」、「今後に心配される失業増加にも対処でき」、「自然との触れ合いや共生を容易にする」など、今日求められている多くの欲求に応える可能性を持つ。
 このような状況に鑑みれば、これからの日本を真に豊かな「共生社会」に再生する一つの確かな道は、これまで都市・工業社会の陰で、その副作用を受けて衰退・崩壊しつつある数多くの地域社会を、それが本来持つ自然共生的機能に依拠して、健全な姿に再生することであるといえよう。
 その環境共生型の社会像は、世界各地の例を見る限り、“工と農、都市と里地”の連携の中で、新たな豊かさを求めるライフスタイルが、石油依存の大量生産システムから、自然生態系の摂理とこれになじむような技術で支えられた社会である。そのような社会は、これまでの都市化と工業化の過程で、そのツケを一手に引受けてきた里地・里山、農林系社会にこそ可能性があることは論理的に必然である。
 ヨーロッパやアメリカでは最初は実験的に、そしていまや実際的に、そのような社会づくりが各地で見られ始めた。それらは、「サステイナブル・コミュニティ」、「エコビレッジ」などと呼ばれて、それぞれが原点では少しずつ違ってはいるが、出来あがった姿はかなり類似している。それは、このような社会や街づくりが拠って立つ、「ハーマン・ディリーの3原則」、「ナチュラルステップの4原則」、「アワニーの原則」、そして「デビット・コーテンの脱企業社会の原則」(右の註を参照)などが、地球を有限の閉鎖系であるとした熱力学と生態学の原理に立ち、その上で人が真に豊かに生活するための地域社会のあり方を考えるところから、導かれたものだからであろう。
 尚、アダム・スミスが考えた最適な市場についても註の最後に示した。これと比べて、今日の市場の実態はいかがな状況にあるのだろうか。

《註:持続性のための理念・原則の例》
1.ハーマン・デイリーの3原則
 1) 再生可能な資源の消費ペースは、その再生ペースを上回ってはならない。
 2) 再生不可能な資源の消費ペースは、それに代わりうる持続可能な再生可能資源が開発されるペースを上回ってはならない。
 3) 汚染の排出量は、環境の吸収能力を上回ってはならない。

2.ナチュラルステップの4原則
 1) 自然の中に地殻から物質の濃度が増え続けることがない。
 2) 自然が中に人間社会で製造した物質の濃度が増え続けることがない。
 3) 自然が乱獲や開発によってその物理的な基盤を損ない続けることがない。
 4) 世界中の人々のニーズを満たすために資源を効率よく公平に利用する。

3.アワニー原則におけるコミュニティーの原則
(Community Principles of The Ahwahnee Principles)
 1) すべてのコミュニティーは、住宅、商店、勤務先、学校、公園、公共施設など、住民の生活に不可欠なさまざまな施設・活動拠点をあわせ持つような、多機能で、統一感のあるものとして設計されなければならない。
 2) できるだけ多くの施設が、相互に気軽に歩いて行ける範囲内に位置するように設計されなければならない。
 3) できるだけ多くの施設や活動拠点が、公共交通機関の駅・停留所に簡単に歩いて行ける距離内に整備されるべきである。
 4) さまざまな経済レベルの人びとや、さまざまな年齢の人びとが、同じ一つのコミュニティー内に住むことができるように、コミュニティー内ではさまざまなタイプの住宅が供給されるべきである。
 5) コミュニティー内に住んでいる人びとが喜んで働けるような仕事の場が、コミュニティー内で生み出されるべきである。
 6) 新たに創りだされるコミュニティーの場所や性格は、そのコミュニティーを包含する、より大きな交通ネットワークと調和のとれたものでなければならない。
 7) コミュニティーは、商業活動、市民サービス、文化活動、レクリエーション活動などが集中的になされる中心地を保持しなければならない。
 8) コミュニティーは、広場、緑地帯、公園など用途の特定化された、誰もが利用できる、かなりの面積のオープンスペースを保持しなければならない。場所とデザインに工夫を凝らすことによって、オープンスペースの利用は促進される。
 9) パブリックなスペースは、日夜いつでも人びとが興味を持って行きたがるような場所となるように設計されるべきである。
 10) それぞれのコミュニティーや、いくつかのコミュニティーがまとまった、より大きな地域は農業のグリーンベルト、野生生物の生息境界などによって明確な境界を保持しなければならない。また、この境界は開発行為の対象とならないように、しなければならない。
 11) 通り、歩行者用道路、自転車用道路などのコミュニティー内のさまざまな道路は、全体として、緊密なネットワークを保持し、かつ、興味をそそられるようなルートを提供するような道路システムを形成するものでなければならない。それらの道は、建物、木々、街灯など周囲の環境に工夫を凝らし、また、自動車利用を減退させるような小さく細いものであることによって、徒歩や、自転車の利用が促進されるようなものでなければならない。
 12) コミュニティーの建設前から敷地内に存在していた、天然の地形、排水、植生などは、コミュニティー内の公園やグリーンベルトのなかをはじめとして、可能な限り元の自然のままの形でコミュニティー内に存在されるべきである。
 13) すべてのコミュニティーは、資源を節約し、廃棄物が最小になるように設計されるべきである。
 14) 自然排水の利用、干ばつに強い地勢の造型、水のリサイクリングの実施などをとおして、すべてのコミュニティーは水の効果的な利用を追求しなければならない。
 15) エネルギー節約型のコミュニティーを創りだすために、通りの方向性、建物の配置、日陰の活用などに十分工夫を凝らすべきである。

4.デビット・コーテン―ポスト大企業の世界
The Post-Corporate World : Life after Capitalism by David C. Korten
〈ポスト大企業世界の設計ポイント〉
 1) 人間的な規模の自己組織化。
 2) 集落型居住形態。
 3) 町と地域センター。
 4) エネルギーの自給自足体制。
 5) 閉サイクルでの物質利用。
 6) 地域内外の環境バランス。
 7) 健全な暮らし。
 8) 地域間の電子コミュニケーション。
 9) 野生生物の生息空間。
〈健全な市場の10原則〉
 1) 生命の価値を基準に。
 2) コストは意思決定者が負担する。
 3) 人間的な環境の企業とステークホルダー(利害関係者)による所有制の奨励。
 4) 公平のための闘争。
 5) 完全な情報開示。
 6) 知識・技術の共有。
 7) 多様性と自立性の追求。
 8) 境界線を意識する。
 9) 政府が果たすべき役割を尊重する。
 10) 道徳的文化の維持。
〈具体的行動提案〉
 1) 企業に人間と同等の権利を与えるみなし規定をやめ、企業による政治関与を廃止する。
 2) 政治が金で左右されないように、真剣に選挙運動改革に取り組む。
 3) 企業優遇を廃止するために、企業への直接補助金を廃止し、外部化された経費は各種賦課金や税金という形で企業負担とする。
 4) 国際企業や国際投資を規制する仕組みをつくる。
 5) 金融投資にうまみがなくなり、ステークホルダーが所有する人間的な規模の企業に利益をもたらすような財政政策や規制を実施する。


《参 考》
市場が社会的に最適な結果を生むための必要条件―アダム・スミス
 1) 売り手と買い手が、市場価格を操作できないほど小規模であること。
 2) 当事者全員に完全な情報開示を行い、企業の営業上の秘密をつくらないこと。
 3) 売り手は製品の全コストを負担し、販売価格に転嫁すること。
 4) 資本投資は国内に留め、国家間の貿易収支が均衡していること。
 5) 貯蓄が生産資本の創出のために投資されること。

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