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ケニア共和国
ムエア灌漑区の模索

宇都宮大学 農学部農業環境工学科

助手 松井宏之

はじめに
 ケニア共和国のムエア灌漑区は、サブサハラ・アフリカにおける代表的な近代的大規模灌漑地区(灌漑面積約6000ha)である。この地区は、英米の援助により1954年に水田開発が開始され、63年の独立後も英、独、85年から98年には日本による援助・支援が行われた。地区の営農支援・水管理は、長らく国家灌漑公社(NIB;National Irrigation Board)の下部機関であるMIS(Mwea Irrigation Scheme)により行われ、農家はテナントとして水田耕作を行ってきた。
 しかし、98年末にコメの買取価格をめぐる農民たちの不満が表出し、死者を出す暴動へとつながった。この暴動を契機として、MISはいわゆる開店休業状態に追い込まれ、民間組織であるMRGM(mwea rice growers multipurpose cooperative society)が地区の営農支援・水管理を担うに至った。
 こうした状況の下、筆者らは2001年11〜12月にMIS、MRGM、地区外農家への聞き取り調査、地区内農家へのアンケート調査を行った。本文では、ムエア灌漑区の現状、アンケート調査の結果、 MRGMが抱える問題を示した後に、今後の展開について考えてみたい。

1.ムエア灌漑区の現状

1)MRGMについて:MRGMは、MISと同じく各種のサービス(圃場外水管理、施設の維持管理、耕起、籾殻・肥料などの生産財の提供、収穫のための資金融資、コメの市場取引)を提供した後に、出荷されたコメの代金からサービス料を徴収する「後払い」方式をとった。しかし、サービスの多くは新規事業であり、トラクタや精米機などの重機(コメ生産に直接的に必要な重機のみで、水路の浚渫に必要な重機は含まれていない)の購入に多額の支出を余儀なくされ、コメの代金の支払いが滞ることになった。2000年、このことに不満を感じた多くの農民は、それまでは農民の金融機関に過ぎなかったSACCO(mwea rice growers’savings and credit co-operative society)に対して、コメの出荷を開始した。
 しかし、翌2001年においても各種サービスはMRGMが提供しており、「ねじれ現象」が生じている。現在も、政治家の仲介などにより、問題の解決が模索されているが、その糸口を見いだすには至っていない。

図1 ムエア灌漑区(クリックで拡大表示)

2)地区外農家の増加:MRGMへの移行後、地区上流部の用水路、中流部の排水路から盗水し、稲作を行う地区外農家が増加している。その多くが地区内と同時期に取水・作付しているため、地区内の水需給が圧迫されている。これらの農家に盗水という意識はなく、「あるから使う」という答えが多く聞かれた。

表1 質問項目

回答者の属性

雇用状況

名前 田植え
性別 除草
年齢 収穫

営農状況

水管理

作付作物 農家による水管理の範囲
品種 水田の水管理の実施
作付面積 水路の清掃作業
田起こしの時期と方法 水不足の有無とその時期
田植え時期 水不足の原因と解決策
収穫量と出荷量の内

営農支援の役割分担

主な出荷先 移行前後と将来の展望
収入  

表2 作業毎の役割分担


作業内容

農民

民間

政府


圃場外水管理

0

8

20

4

0

施設の維持管理

5

6

16

3

1

耕起

4

18

9

0

0

苗の準備と田植え

31

1

0

0

0

肥料の準備

2

21

6

3

0

施肥

30

0

1

1

0

収穫のための資金融資

1

24

5

1

1

収穫作業

32

0

0

0

0

コメの市場取引

0

19

7

6

0


民間はMRGMとSACCOを表し、政府にはMISも含まれる。他は、「どちらでもよい」とする回答が大半である。


2.農民に対するアンケート調査結果
 アンケートに先立ち、水利条件から地区内64ユニットを45ユニットにまとめ、回答者は基本的に1ユニットから1農家を無作為に選出した。調査は対面式により行い、回答は全31ユニット、32農家から得た。表1に質問項目の概要を示す。

1)出荷先の内訳:各年の収穫高に対するMISや民間組織(MRGMまたはSACCO)への出荷量の割合が97年以降77、61、62、55%と減少して、仲買人を通じての自主流通量が増えている。これは、MRGMへの移行でコメの販売が比較的自由になり、農家が買取価格で出荷先を選択していることを示している。

2)水不足の発生状況:水不足があったと答えた農家数は、97年以降12、9、19、21、21農家と、99年すなわちMRGMへ管理主体が移行した年から増加している。特に下流ユニットでの増加が目立ち、水不足期間も長期化傾向にある。

3)農家が考えている水不足の原因および解決策:不十分な水管理(施設の維持管理も含む)を原因とする回答が最も多く、寡雨、地区外農家による盗水の増加と続いた。これらの問題の解決策としては、多くの回答者が管理組織と管理方法の改善を挙げた。

4)農家が考える将来の分担(表2):多くの農民はトラクタの貸出し、肥料の販売、コメの市場売買などの事業は現状通り民間組織に、幹線水路までの灌漑施設の維持管理、支線水路までの水管理はMISあるいは新たな政府機関が行うことを望んでいた。

3.MRGMが抱える問題
 現在、MRGMが直面している最大の問題は、提供したサービスの対価を得るはずのコメの入荷がないことである。MISは国家の一機関として強制的にコメを集荷できたが、MRGMにそのような権限はなく、集荷のためにはSACCOや農家が自主流通を行っている市場よりも高い買取価格を示すしかない。しかし、高い価格を示したとしても、サービス料の徴収があり、競争にならないのは明らかである。
 確実にサービス料を徴収するには「前払い」方式への変更が考えられるが、その実施には確実なサービスの提供が担保されなければならず、現状では不可能に近い。その最大の障壁となっているのが、アンケート調査でも明らかなように水管理である。
 MRGMの水管理はMISの方法を踏襲し、責任者もMISからの転身者であることから、水管理方法自体には問題なく、他に原因があると考えられる。その原因として、筆者は法的権限の欠如と資金力の不足を挙げる。法的権限の欠如については、MRGMへの移行後も、土地、諸施設は国有のままであり、MRGMは地区外農家の盗水に対して何ら対応することができない。このため、地区内の流量が低下し、我田引水を多発させ、水管理レベルを低下させることになっている。資金力については、大規模灌漑施設の維持管理(本地区では主として水路の浚渫)には一定の支出を要するが、MRGMに支出能力はなく十分な維持管理ができていない。そのため、堆砂で水路の通水能力が低下し、水管理に支障が生じている。

4.今後の展開
 MRGMは水管理以外にも多くのサービスを行っているが、肥料の準備に関しては農家からその任を任されている。(資金融資は元々SACCOの事業であり、MRGMは関与していない。)これは、水管理ではMRGMがサービスの提供者になるのに対し、肥料の準備に関してMRGMはメーカーと農民の仲介者にすぎないということが一因となっているように思われる。 
 このようなサービスの主体性という視点で表2を整理してみたい。まず、「耕起」「コメの市場取引」では、実際に個人による耕耘機の貸借やコメの仲買人の存在があり、サービス提供者が唯一の存在になることはない。そのため、提供者の主体性はそれほど必要とされず、確実性が求められることになる。こういったサービスになると、MRGM離れが見られ、かつて確実性が保証された政府機関の関与を望む回答が増えている。残る「灌漑施設の維持管理」も含めた広義の「水管理」では、灌漑システムの性格上、サービス提供者が唯一の主体となり、責務を全うすることが求められる。このような水管理に関して、農家はMRGMが担当することを望んでおらず、政府機関の関与を望んでいる。
 このように考えると、MRGMは農家からの支持を失いつつあり、政府機関が再登場するという可能性は高い。ここで再登場といっても、農家には少なからず政府の関与に対する懸念もあると思われ、完全な復活は困難である。
 そこで、まずはサービス料の前払いを前提とした「水管理」、これと密接な関係を要する「耕起」作業(土質条件から湛水耕起が一般的)の受託に限定されるべきであろう。調査中に、確実な配水を前提として、水利費の支払い意志を尋ねたところ、前向きな回答が多くあったことからも、円滑に移行できるように思われる。しかし、そのためには、これまで行われてこなかった灌漑施設の維持管理費用の試算、それに基づく水利費の決定が急務となるであろう。

おわりに
 ムエア灌漑区での暴動はテナント農家から自作農への転換を目指した民主化運動的意味合いをもつと捉えられがちである。しかし、2001年の現地調査ではそういった対立の構図は見えてこなかった。
 今後の展開・動向について、定期的にフォローしていきたいと考えている。

 2002年に入り、一部の農家がMISに「前払い」で作業の依頼を行ったということを伝え聞いた。このことが、政府機関の再登場を意味するかどうか判断が難しいが、象徴的出来事であるように思われる。


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