2024.2 FEBRUARY 69号

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REPORT & NETWORK

フリーマン先生と灌漑用水割当制度理論
亜細亜大学国際関係学部 教授 角田 宇子

1  フリーマン先生との出会い

 筆者がデビッド・フリーマン(David Freeman)先生に初めてお会いしたのは2007年4月1日、アメリカ・コロラド州のフォート・コーリンズにおいてであった。筆者はこの年1年間大学の海外長期研究によりコロラド州立大学の客員研究員として滞在し、フリーマン先生には受入のアドバイザーになっていただいていた。フリーマン先生が灌漑社会学の専門家で開発途上国の灌漑システムの研究に従事していることは知っていたが、お会いするのは初めてであった。客員研究員のアドバイザーは通常は名目的な存在で1年の間に1回会うくらいだと出発前に同僚から聞かされていた。筆者もそのつもりでいたが、出発前に先生からホテルに着いたら電話をしてくれ、とメールされていたので、ホテルに着いたのはもう夜だったが、電話したところ、開口一番「疲れていますか?」と聞かれた。本当は飛行機とバスを乗り継いでやっと着いたので、疲れていたのだが、「あ、いいえ…」と答えると、「今からよかったら妻と3人で食事しませんか?」というお誘いを受け、いきなりレストランで夕食を御馳走になった。初めて会う人たちに初日からこんなに良くしてもらったことにとても驚き、またうれしく思った。翌日から早速先生と奥様に生活を立ち上げるための買い物やホテルから寮への引っ越しなど大変お世話になった。それ以外も自宅に招いて下さって食事を一緒にしたり、灌漑関係のセミナーやプロジェクトの視察など、1年間の間に数えきれないくらいお世話になった。縁もゆかりもない日本人の客員研究員になぜここまで親切にしてくれるのかと尋ねると、自分たちの子供たちもきっと海外のどこかで誰かのお世話になっているに違いないから、という返事だった。フリーマン先生は文字通りいい意味で「良きアメリカ人Good American」だった。フリーマン先生ご夫妻との幸運な出会いであった。

2  フリーマン先生の灌漑用水割当制度理論

 そもそも筆者がフリーマン先生の下で客員研究員になろうと思ったのは、開発途上国の灌漑システムの水利組合の成否の要因を研究したいと思ったからであった。筆者は元々大学で文化人類学を専攻した後、JICA(現国際協力機構、当時は国際協力事業団)に入団した。JICAでは開発途上国の灌漑プロジェクトを担当する機会を得た。そこで見たものは日本の成功例とはかけ離れた、問題の多い灌漑システムの運営状況だった。土水路の施設の維持管理不足、それによる下流部の水不足、上流部の盗水、そこから派生する水争い、水利費の不払い、役員による水利費の着服等が常態化し、多くの灌漑プロジェクトの運営は成功とは言い難かった。

 JICAから亜細亜大学に移った後は開発途上国の灌漑システムの水利組合の成否の要因を研究テーマにフィリピン等で調査を行った。フィリピンのボホール州では2つの灌漑システムに出会った。一つはA灌漑システム(仮称)で灌漑面積約530ヘクタール、ダムから続く幹線水路のみコンクリートで、二次水路以下は土水路である。4つの水利組合の最上流のB水利組合(仮称)は灌漑面積149.5ヘクタール、受益者242名(2001年)である。B水利組合ではまさに上記のような灌漑システムの運営の問題を抱えており、上流部では十分な用水が得られたが、下流部では土水路の漏水や土水路に草が繁茂して用水が十分に流れず、さらに上流部の盗水により水不足があり、水利費を払っても用水を得られない状態だった。一方、上流部では用水を得ながら水利費を払わないメンバーがいた。役員による水利費の着服も生じていた。水利費は面積割で1ヘクタール当たり籾米125キロまたは相当の現金と設定されていたが、水利費の徴収率は低く、50%未満のこともあった。しかし、不正や水利費を払わないフリーライダーは放置され、未解決のままであった。

 もう一つはブサオ小規模灌漑システムのBATS水利組合である。ブサオ小規模灌漑システムの灌漑面積は26ヘクタールと小規模であるが、受益者は145名(1998年時点)である。天然の泉を水源として4キロの幹線水路から田越灌漑している。BATS水利組合では水利費として収穫米の10%を現物で支払うことになっており、徴収率は100%であった。また下流部まで公平な水配分がなされ、水路の維持管理は水利組合によって適切になされていた。紛争はほとんど生じていないが生じた場合は内部で解決されている。また外部との十分な交渉能力を持ち、政府機関や郡、州政府、日本大使館などから多くの支援を得ることに成功していた。

 同じボホール州にありながらなぜこの2つの水利組合ではこのように運営状況が異なるのか、長いこと筆者の中では疑問になっていた。海外長期研究ではこの疑問を解明したいと考えていた。フリーマン先生は開発途上国で長年灌漑システムの水利組合の運営制度について研究してこられたので、先生に師事することになったのである。

 コロラド州立大学に着くなり、フリーマン先生に上記のA灌漑システムの問題点を説明した。すると先生に「It’s a common problem!」と一笑に付されてしまった。先生には「世界中どこの灌漑システムも同じような問題を抱えている。あなたのプロジェクトだけではない。」そして「成功する灌漑システムにはある条件がある。それを備えている水利組合でないと成功しない。」と言われた。「それはどんな条件ですか?」と尋ねると「あなたにそれを教えるのはまだ早い。まずは自分で灌漑運営について良く勉強してください。」と言われ、自分の書籍(Freeman(1989))とOstromの名著Governing the Commonsを読むよう、言われた。そこで、筆者はこれらを含めた灌漑に関する参考文献を読み、自分のフィールドノートを元にB水利組合の運営状況を整理していった。B水利組合が多くの問題を抱えていることが改めて明らかになったものの、なぜか、という疑問は解けなかった。そこで改めてフリーマン先生に教えを乞うたところ、ようやく「灌漑用水割当制度(Water Share Distributional SystemまたはDistributional Share System)」を教えてくれたのであった。

 フリーマン先生の灌漑用水割当制度とは以下のようなものである。

 先生によれば水利組合が効果的で公平な水管理を行い、灌漑システムが成功するためには以下の6つの条件が不可欠である

①リーダーがコスモポリタンでなく、地元住民から選出されている。(Leaders of the local organization should not be cosmopolitan outsiders but irrigators representing the various reaches of the local canal system.)

②リーダーと職員が地元のメンバーに責任を負う。(Leadership and staff of the local organization are responsible to local members.)

③用水の配分が受益者の果たす義務に応じて与えられる。(Water delivery is dependent on the fulfillment of organizational obligations(i.e., distributional share system).)

④用水配分において上流下流の格差が是正されている。(The water share system should remove head and tail distinctions in service queues(i.e., distributional share system).)

⑤メンバーの水資源管理能力が高い。(Water resource control of members is high.)

⑥メンバーが地元の組織を支持する傾向が高い。(Propensity of members to support the local organization is high.)

 このうち、③と④は割当制度と呼ばれ、水利組合の成功の中核であるという。先生によれば水利組合が持続可能となるためにはメンバー間で公平感が保たれることが肝要である。このためには各メンバーの用水の割当と負担の割当と発言権の割当が連動している割当制度の成立が不可欠である。具体的には、①各メンバーが配分される用水量に応じて水利費(及び資材、労働等)を負担するという従量制の水利費制度になっている、②上流と下流で単位面積当たり同量の用水を受け取れる、③負担の割当が大きいメンバーは発言権も大きくなる、ことである。たとえば全用水量の15%を割り当てられているメンバーは灌漑システム運営費用の15%を負担し、水利組合の運営に関して15%の発言権(投票権)を持つという。逆に自分の割当以上に取水したり、水利費を支払わないようなフリーライダーを制御できないような水利組合は成功できないという。

 この割当制度を初めて聞いた時、筆者は思わず「用水量に応じて水利費を払うなら、水道料金のようなものじゃないですか」と言ってしまった。筆者には「灌漑システムの水利費は面積割だ」という頭があったからだ。すると先生は「そうだよ、何が悪い?灌漑用水を使った分だけ払うのは公平だろう。逆に用水を受け取れないのに水利費を払ったり、受け取ったのに払わないのは不公平だ」と言った。目からうろこ、とはまさにこのことだった。

 たしかにボホールのB水利組合では水利費は面積割でヘクタール当たり籾米125キロ相当の現金となっている。これでは下流部で水不足があるメンバーにとっては不利な制度であり、下流部のメンバーが不満を持って不払いとなっても不思議ではない。

 フリーマン先生によれば、用水路の不全により下流部で水不足が発生する灌漑システムにおいてローテーション灌漑を実施する場合、もし割当制度が導入され、従量制の水利費になっていれば、下流部に十分に水が届くまで、配水を続けなければならない。これでは上流部のメンバーの配水が遅くなるため、上流部のメンバーにとっても問題となる。このため全灌漑システムのメンバーが用水路の末端部まで維持管理の改善(水路のコンクリート化など)に関心を持つことになる。

 B水利組合の場合も下流部のメンバーが再三水路のコンクリート化を要望していたが、上流部出身の水利組合長にとっては下流部で水不足があっても水利組合に納入される水利費は面積割であるため、変化がない。このため、水利組合として用水路の改善を図ろうというインセンティブは働かなかった。B水利組合では割当制度の不在が水利組合運営が成功しなかった要因と考えられた。

 一方、BATS水利組合では水利費は収穫米の10%とされているが、これは従量制の変形と考えられる。メンバーの認識では用水が十分であれば収穫は増加し、用水が不足していれば収穫は減少する。このため収穫米の10%という水利費は各メンバーが得た用水量にほぼ準じるものであり、沢山水をもらったメンバーは沢山払うべき、と考えられていた。よって水利組合として水利費の徴収額を増やすためには末端まで水不足なく、水配分を行う必要がある。このためBATS水利組合では外部の支援(日本大使館やNational Irrigation Administration(NIA))を受けて、末端部まで用水が到達するよう、2005年までに末端部まで水路のコンクリート化を完了させた。BATS水利組合では従量制に準じた水利費制度を採用して割当制度が存在していることが成功の要因であると考えられる。

 同じボホール州にありながら2つの水利組合の運営の成否が異なっていた要因が分かり、筆者は大いに納得した。フリーマン先生は自分の割当制度に自信を持っており、「世界中の灌漑システムの成功は割当制度の存在による。(ハクチョウは全て白いはずだから)もし黒いハクチョウ(=割当制度がないのに成功している灌漑システム)がいるなら現地に見に行きたい。」と豪語していた。

 フリーマン先生の割当制度を聞いて、受け取る用水量に応じて負担(水利費等)を行うという仕組みは言われてみればその通りと納得したのだが、負担と発言権が連動する(負担の大きいメンバーは発言権も大きい)という条件はすぐには納得は出来なかった。日本の土地改良区でも総会での投票権は組合員1人1票となっている。海外長期研究が終わり、アメリカを発つ前日フリーマン先生が食事に誘ってくれ、大学のカフェテリアで最後に先生と話す機会があった。この疑問を先生にぶつけて「大きな地主などが灌漑システムを独裁してしまうのではないか?国連総会でも1国1票となっているのではないか?」と問うと、「国連はだから機能しないだろう」と言われて苦笑した。そして「灌漑システムの改良のために多くを負担したメンバーがそれだけ多く発言できる方が公平である。勉強を頑張って試験でよい点数を取った学生と、サボって悪い点数を取った学生が同じ成績だったら頑張った学生に対して不公平ではないか?」と言われた。なるほど、と思った。

 なお、筆者は水利組合の下部組織間(例:土地改良区の下部組織である集落)の公平性が確保される場合、つまり負担の大きい集落ほど発言権が大きくなっている場合も負担と発言権が連動していることに該当すると考える。たとえばBATS水利組合の場合、4つのバランガイ(村落)が下部組織となっているが、各バランガイから選出される理事の人数はバランガイのメンバーの人数に連動している。このため、メンバーの負担の割当と発言権の割当が連動していると考えられ、割当制度が存在していると考えられる。

3  フリーマン先生が理論を導いた根拠

 フリーマン先生が灌漑用水割当理論を導き出したのはコロラド州の灌漑システムとUSAID(米国国際開発庁)で調査したパキスタンの灌漑システムの比較からのようである。パキスタンの灌漑システムは上記の通り開発途上国の大規模灌漑システムに共通する様々な問題を抱えていた。一方、アメリカ・コロラド州のIrrigation Company(灌漑会社)はフリーマン先生の説く割当制度が存在する灌漑システムである。筆者も2007年コロラド滞在中にそのうちの一つであるNew Cashe La Poudre Irrigation Companyを訪問した。ここは各農家が100ヘクタール以上の農地を持つ灌漑システムであるが、職員はマネージャーと水管理人の2人しかいない。灌漑システムの運営はシンプルで各メンバーは灌漑システムに加入する際、まず水株(Water Stock)を購入する。この水株の多寡によって取水できる水量、支払う水利費、総会での発言権が決まる。取水はサイフォン(写真参照)を使用しており、サイフォンの本数で日々の取水量を量る。水管理人は毎日圃場を巡回し、確かに農家が申請しただけのサイフォンを挿しているか、申請数より多く挿している農家はいないか、目視でチェックする。これは単純だが、農家が決められた量を取水していることを確実に監視できる優れた方法である。広大な灌漑地域を2人の職員だけで管理しており、問題なく動いているという。自分の割当以上の取水をしたり、水利費を支払わないフリーライダーは存在していない。もしいたらそのメンバーは灌漑システムから除名されるという。200年間このやり方でうまく行っている、とマネージャーは胸を張っていた。

 それまでサイフォンで取水する灌漑システムを見たことがなかったので、驚いたのだが、フリーマン先生によれば、取水量を量るためには圃場の水口に量水計を付けないといけないと灌漑技術者は思うようだが、取水量の量り方はさまざまであり、要はメンバー間で同量だ、公平だ、と感じられれば良いのだという。例えばフィリピンのサンヘラ(Zanjera)灌漑システムではメンバーはそれぞれAtar(割当)を持っていて、Atarの多寡によって水口の幅が異なるという方法で水量を量っている。Atarの多いメンバーは水口の幅が広いので、多く取水できる。一方そのメンバーの負担(労働、竹などの資材)はAtarに応じて多くなっている。フリーマン先生自身のネパールの事例では、水管理人が水路に足を突っ込んで、自分の膝までの深さなら「同じだ」とする、極めてシンプルな量り方をしているという。水管理人の脚が物差しになっているのである。それでメンバーの農家が納得しているので問題はないのだという。日本的な緻密な量り方からすると問題はありそうだが、要はその社会の中で合意が取れていればよいのだという。説明を聞いて筆者も納得した。

 なお、日本の土地改良区の場合、賦課金は面積割が主であるが、下流部での水不足がないため、上流でも下流でも同量の用水を受け取ることができる。このため、土地改良区でも割当制度が存在していると考えられ、これが土地改良区の灌漑運営が成功している要因と考えられる。

写真 New Cashe La Poudre Irrigation Companyのサイフォンによる取水
写真 New Cashe La Poudre Irrigation Companyのサイフォンによる取水


4  終わりに

 フリーマン先生に割当制度の理論を教えていただき、筆者の海外長期研究は大変実り多いものとなった。生活の上でも公私にわたり大変お世話になった。先生から受けた多大な恩を返す方法はフリーマン先生の理論を世に紹介することだと常々思ってきたが、なかなか十分な恩返しができないまま時が経ってしまった。今回この記事を書く機会を得たことで、先生に少しでも恩返しができたならうれしく思う次第である。執筆の機会をいただいたことを大変感謝申し上げたい。


1 Ostromはこの本に載っている共有資源管理の理論により2009年ノーベル経済学賞を受賞している。
2 Freeman(1989)p.25をLepper(2008)p.50及びFreeman(2009)に基づき筆者一部改訂。



[参考資料]
Freeman, D. (1989), Local Organizations for Social Development: Concepts and Cases of Irrigation Organization, Westview Press.
Freeman, D. (2009), Personal conversation by e-mail on August 27, 2009.
Lepper, T. (2008), Reregulating the Flows of the Arkansas River: Comparing Forms of Common Pool Resources Organizations, Dissertation, Colorado State University.
Ostrom, E. (1990), Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action, Cambridge University Press.


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