2024.2 FEBRUARY 69号

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JIIDからの報告
日本と東南アジアにおける圃場整備の変遷と将来展望
元(一財)日本水土総合研究所 顧問 齋藤 晴美

1 はじめに

 わが国と東南アジアはアジアモンスーン地帯に属し、豊かな水資源に恵まれ古代から稲作が行われてきた。

 その生産基盤である農地の整備状況を見ると、わが国の圃場整備率は6割を超えている。一方、タイでは2017年時点で農地面積1,980万haに対し圃場整備面積が31.8万ha、そのうち換地処分を伴う面積は9.8万ha、換地処分を伴わない農道・水路整備事業の面積は22.0万haと少ないものの、東南アジアの中では先行する。ほかの国々も著しい経済成長とともに、近年事業実施の機運が高まってきている1)

 このような状況のもと、東南アジアで現地調査や農家との意見交換を行うと、同じ圃場整備であっても日本と圃場整備や区画に対する考えが大きく違うように思われる。

 そこで、今後の圃場整備に係わる技術協力のあり方を検討するため、日本と東南アジアにおける圃場整備の歴史的な変遷をたどりつつ、比較考察し将来を展望する。

 なお、これまで筆者らが東南アジアの農地整備の現状について報告している2)

2 圃場区画の変遷

(1) 日本

ア.条里制

 645(大化元)年、大化の改新により田を給付し税を徴収する班田収受を取り入れる。

 701年(大宝元)年には大宝律令が制定され、8世紀の中頃、開墾と合わせて土地を管理する条里制が導入された。

 基点から縦横に数字を並べ何条何里と呼ぶ。その6町方格を里、1町(約109m)方格を坪という。1町を10等分すると1段(反)となる。それは長地型で6歩(間=約1.82m)×60歩の寸法である。もう1つは町を半分に折り5等分すると、12歩×30歩(半折型)となる。

イ.静岡式、石川式田区改正と鴻巣式耕地整理4)

 1873(明治6)年、地租改正により税が物納から金納に変わったため、収量の向上を目指し、篤農家が乾田馬耕を前提とした道路や水路などの整備を行った。同時に畦畔を抜くことによって耕地面積も増えた。それは1872(明治5)年の道路と水路を直線化した静岡式田区改正と、1887(明治20)年のプロシア(ドイツ)の区画整理を参考に行なわれた石川式田区改正を緒とする。

 静岡式は農道と水路はすべて水田に接することはなく、1区画が12間~15間×6間で面積は2畝~3畝(約200~300m²、2~3a)、石川式は用水路と排水路は分離、農道も適宜配置され20間×12間、あるいは30間×8間で面積は8畝だった。

 1902(明治35)年、耕地整理事業として実施された鴻巣式耕地整理は、各圃場に農道と用水路、排水路が分離して隣接し、30間×10間の区画で面積は1反(10a)である。

 戦後、1949(昭和24)年に土地改良法が制定され、1963(昭和38)年に圃場整備事業が創設された。この時各圃場に用水路と排水路、農道がそれぞれ接し、100m×30mの30a(3反)区画を標準区画とした。これを契機に圃場整備が進められ、昭和の末から平成に初めにかけて経営規模の拡大とともに50a以上の大区画が普及していく。

(2) 東南アジアの圃場整備2)

 主な対象国は、広大な沖積平野を形成し大穀倉地帯を有するタイ、ベトナム、カンボジアとミャンマーとする。なお、インドネシア、フィリピンとラオスは未整備である。

ア.道路と水路の整備

 タイの地形図や航空写真を見ると、穀倉地帯を農道と水路が縦横無尽に走っているか(図1)、法則性はないが隣の道路と水路が一定距離を保って平行している(図2)。1855年、イギリスと締結したボーリング(通商)条約を契機として、コメなどの農産物を交易するため、このような築堤(道路)と水路掘削が行われた5)

図1 道路・水路の整備(タイ)
図1 道路・水路の整備(タイ)


図2 ある程度一定間隔の道路・水路の整備(タイ)
図2 ある程度一定間隔の道路・水路の整備(タイ)


 カンボジアでは、ポルポト政権時代(1975~1979年)、コメの増産を目的に格子状に道路と水路を整備しており(図3)、そこから圃場に道路と水路がつながっている。

図3 道路・水路の整備(カンボジア)
図3 道路・水路の整備(カンボジア)


イ.圃場整備

(ア)道路と水路が各圃場に接する圃場整備(スライド型)

 道路と水路が各圃場に接し、長辺を一定の長さとして、耕作面積にあわせて短辺の長さを調整し圃場整備を行う方法(図4)で、スライド型と呼ぶ。

図4 圃場整備(タイ)
図4 圃場整備(タイ)


(イ)道路と水路が圃場に接しない圃場整備5)

 一連の団地の外縁に道路と水路は整備されているが、多くの圃場はそれに接することはなく、田越し灌漑で他人の土地を通り越して耕作する。

・任意の区画:図5は(一財)日本水土総合研究所が、カンボジアで道路と水路(黒く太い直線部)を整備した地区の平面図である。畦畔は道路と水路に直角、もしくは平行で、多くは矩形である。縦の支線水路から農家が横に末端の土水路を自ら設け、田越し灌漑を行っている。

図5 任意の区画(カンボジア)
図5 任意の区画(カンボジア)

出所:農業インフラ海外展開促進調査報告書(H27)


・小区画割:図6はミャンマーにおける圃場整備の一例である。ほぼ正方形の0.5acre区画(1acre=約40.46a)で整備されており、太い線で囲まれた農地が各農家の耕作地の境界で、将来、畦畔を除けば1acreの区画への拡大が可能となっている6)。灌漑方法は上記と同じである。

図6 小区画割(ミャンマー)
図6 小区画割(ミャンマー)

出所:海外技術協力促進検討事業農業インフラ海外展開促進調査報告書(H27)


(ウ)標準区画による圃場整備

 ミャンマーは日本と同じ標準区画型の圃場整備で、各農家の耕作権を有する面積にあわせるため、自作地に隣接する一枚の圃場を畦畔で二つに分ける。ベトナムでは地方のコミューンや合作社が事業主体となって圃場整備を行うため、全国的に区画が統一されておらず、地区ごとに独自の区画で圃場整備を行っている。

3  圃場農業と圃場整備に係わる日本と東南アジアの比較考察

(1) 日本

ア.自然条件と農業

 熱帯植物である稲は最低気温が17度以上ないと開花しないため、日本では1期作しかできない。そこで単位面積当たりの収量を上げるため、古代から井堰や灌漑用水を確保してきた。さらに明治時代の耕地整理に象徴されるように、用排水路の整備による土地生産性の向上と乾田馬耕による労働生産性の向上を同時に目指してきた。

イ.条里制と耕地整理、圃場整備

 8世紀前半、中頃、班田が不足する中、三世一身法や墾田永年私財法により拓いた土地の所有が認められた結果、有力貴族や寺社が開墾を行い、中世には武士や有力農民も土地を拓き始める。そして戦国時代から江戸時代前期に新田開発を行い農地は飛躍的に増大するが、区画整理は基本的に行っていない。

 次の大きな動きは明治時代の田区改正と耕地整理で、この間農地の区画整理に係わる大きな変革や動きはない。それは明治から昭和初期まで古代の条里制水田が短冊状に利用し、新田開発された水田を耕作し続けたことからも明らかである7)

 戦後の高度経済成長期に労働生産性の向上を求めて圃場整備が一気に加速し、平成以降、担い手不足の中、大区画圃場整備を行い、担い手に農地を集積している。

 圃場整備が順調に進んだのも、こうした古代条里制水田や田区改正、耕地整理時代の区画整理が大きな役割を果たしたと考えられる。すなわち、整然と区画割された圃場の農作業を見て、農家が農業生産性向上の効果を広く理解していたからだと思われる。特に高度経済成長期には、農業機械導入のための圃場整備に対する機運が高まった。同時に経済発展に伴い米価も上がり、一人当たり国内総生産も伸び農業機械を購入する資力があったことも要因である7)

ウ.分散錯圃

 わが国農地の特徴は、分散錯圃である。これは1期作しかできないため、干ばつ、冷害、台風や病虫害などの自然災害を極力避け、農産物を安定的に収穫しようと耕作地を分散させた結果である。もし耕作地が1箇所に集中し甚大な自然災害が発生すれば、最悪の場合、収穫できない。特に東南アジアと大きく異なる点は、冷害の有無である。

 また開墾も関係する。江戸時代、開墾すれば幕府にとって年貢が増えるので、藩に届け出すれば、村請による新田開発が一村、または複数村で事業が実施できた9)。完了後、参加した各農家に分配され、さらに流域毎に開墾すれば、筆数が多くなるのは当然のことである。

(2) 東南アジア

ア.自然条件と農業

 熱帯地方に位置するため、山岳地帯を除いて気温が稲作に障害になることはない。水さえ確保されれば基本的に2期作、3期作が可能であり、わが国よりも比較優位にある。

イ.一箇所の圃場

 もともと天水農業だった東南アジアの圃場の特徴は、分筆しながらも自作地が一箇所に固まっており、畦畔は等高線に沿って設けられ田越し灌漑をしていることだ。ちなみに図7はミャンマーの圃場整備前の平面図である。なお、自作地の面積が大きく天水が少ない場合には、1つの水盤のように隣接する水田を連結して水を融通することができる。

図7 圃場整備前の水田(ミャンマー)
図7 圃場整備前の水田(ミャンマー)


ウ.小区画水田

 日本の弥生時代の水田遺跡や未整備水田と同じように、東南アジアにも小区画水田がある2)。図8はミャンマーの古都マンダレー近くの圃場の平面図で、満遍なく水が行き渡るように工夫した中世の小区画水田である。大区画よりも小区画の方が水の管理がしやすいのは言うまでもない。

図8 小区画割(ミャンマー)
図8 小区画割(ミャンマー)


4 総合的な考察

(1) 日本

ア.灌漑との関係

 1期作しかできない日本では、土地生産性と労働生産性の向上の両方を目指した。

 記紀に記されたわが国最古の狭山池(大阪府狭山市)のように、何よりもまずため池の建設や水路(溝)の掘削が行われている。その後、古代から中世にかけて条里制が敷かれたが、それは農業政策というよりも徴税対策で、土地の耕作者、所有者、位置や面積などを確認する土地管理の色彩が強い。

 近代の土地改良は耕地整理が先行したが、灌漑排水も行われ、耕地整理法に引き続き水利組合法の法制化や水利組合の組織化も図られた。

 1961(昭和36)年に制定された農業基本法の目的は、農工間の所得格差を是正し、農業の構造改善や大型農業機械の導入により農業の近代化を図ることである。その一環として圃場整備を行い、労働時間を短縮してコメの生産費を大きく低減させることができる。また総合農政のもと、水田稲作のみならず、畑作や酪農などにも重点を置き、圃場整備、灌漑排水や畑地の整備などの土地改良事業を全国で展開してきた。

イ.圃場整備の推進

 近代における圃場整備も政策的な色彩が濃いが、明治時代、地租改正を契機に農業収入を上げるため、農家自らが田区改正や耕地整理を推し進めたことは特筆に値する。その後、耕地整理法の制定や日本勧業銀行による融資など、国も強力に支援を行った。

 これに対し、戦後の標準区画による圃場整備は、農業基本法の制定や高度経済成長を背景に、国が主導し構造政策の一環として進められた。加えて技術革新による農業機械の普及がそれに拍車をかけた。

 1999(平成11)年に制定された食料・農業・農村基本法は、国民生活の安定向上と国民経済の健全な発展を掲げ、担い手への農地の集積とともに大区画化や水田の汎用化を進めてきている。これも先進技術である地下灌漑地下排水システムの導入と関係する。

ウ.用排分離

 わが国圃場整備の特徴は、石川式と鴻巣式で用水路と排水路を分離していることである。当時悪水という用語も使っており、いかに排水改良が課題であったかを物語る。特に水田の二毛作に腐心しており、排水路を設けて土地生産性の向上に努めてきた。

(2) 東南アジア

ア.灌漑との関係

 農家の収入を上げる最も確実な方法は、雨期に貯水しそれを利用して乾期に2期作、3期作を行うことである。したがって、ダムやため池などの建設が圃場整備より先行するのは当然のことである。

イ.圃場整備の推進

 大河川流域の低湿地帯を開発する際、土を掘削し盛り上げて築堤する。その結果、道路(堤防)と水路(灌漑排水と舟運に利用)が整備され、圃場に水を貯めることができた。

 次の段階は、上流のダムや頭首工などの基幹的な水利施設を建設し、幹線・支線水路を通して末端圃場へと配水するため、道路と水路を一体的、総合的に整備する。いわゆる末端施設の総合整備で、タイの王立灌漑局が圃場整備を所掌しているのはこのためである。

 さらに近年、ミャンマーの民主政権と確立やベトナムの政治改革により、国有地に係る土地の耕作権などの売買が可能となり、換地をともなう圃場整備が軌道に乗り始めた。

ウ.労働力不足

 著しい経済発展に伴ない、農村の居住者や労働力が減少しており、経済成長の著しい国ほど、圃場整備に早くから取り組んでいる。一人当たりGNPが高いほど農業機械の導入の割合が高く、今や中進国と称されるタイやベトナムでは農業の機械化が進んでいる7)

5 圃場整備の発展過程と将来展望

(1) 自然条件

 日本と東南アジアの農業の最も大きな違いは、熱帯と温帯、1期作と2期作、3期作である。灌漑や圃場整備事業の発展過程や展開方向も、ほぼこれに起因すると言っても過言ではない。

(2) 歴史

 日本の圃場整備はまず区画整理ありきと言っていい。明治時代の静岡式や石川式の田区改正は突然現れたのではなく、短冊状に分割した古代の条里制水田の影響を受けているのではないかと考えられる。道路や水路を直線化するのも、それが根底にあるのだろう。

 東南アジアでは小区画水田はあったが、それは自然発生的で近代に至るまで主だった動きはない。

(3) 発展過程

ア.道路と水路の直線化

 日本と東南アジアに共通する発展の第一段階は、まず道路と水路の直線化である。

 次は道路と水路で受益地を囲うことだが、図5図6のように各圃場が必ずしも道路と水路に接しているとは限らない。

 図5は、圃場内に一直線で、土水路の一部掘削により水平方向に末端水路を設けている。表示はしていないが、各自が水路を掘削して灌漑することになる。各圃場は区画整理されているが、整然とした一律の区画が並ぶ日本ではこのような区画整理はまず見られない。先ほどわが国の圃場整備は条里制の影響が考えられると述べたのは、この理由による。

 図6はさらに珍しく、図7のような手つかずの農地を現位置換地(従前地換地)で、0.5acreを一区画とする圃場整備を行い、用水と排水は以前のままである。結果的にこれは直線の道路と水路を整備する前、本格的な圃場整備を行う前の過渡的な形態とも言える。形状は異なるが、道路と水路が各圃場に接しない点で、明治時代初期の静岡式とも似ている。この背景にはミャンマーにおいても農業機械の中で小型耕運機が最初に普及するので、それを念頭に自作地内で区画整理を行なったと考えられる。

イ.各圃場に接する道路と水路

 次の圃場整備は、道路と水路が各圃場に接する方式であり、標準区画型は石川式、鴻巣式と同じように用水路と排水路が分離している。

 日本では水田の汎用化のため分離しているが、東南アジアではどうしても2期作、3期作を目指すため、灌漑が優先するので用排分離は必須ではない。しかし近年、コメの国際価格の低迷にともない、タイでは補助金を出して畑作を奨励しており、将来完全分離になる可能性がある。なお、ミャンマーの標準区画型の圃場整備では、日本と同じように用水路と排水路を分離している。

 以上、日本と東南アジアの圃場整備の発展過程を表1図9に示す。

表1 日本と東南アジアにおける圃場整備の発展過程

日 本

時 代

契 機

目 的

水田整備

奈 良

班田収授法、律令制

税の徴収

条里制水田

明 治

地租改正

収量の向上

耕地整理

昭 和

(戦後)

農業基本法

農工間所得格差の是正

標準区画

圃場整備

平 成

食料・農業・農村基本法

国民生活の安定向上

国民経済の健全な発展

大区画化

水田の汎用化

東南アジア

時 代

契 機

目 的

水田整備

中世以前

天水田、一部灌漑田

(道路・水路・ため池)

近 世

タイ:イギリスとのボーリング

(通商)条約の締結

コメの増産

道路・水路の整備

近 代

流域の総合的な開発

コメの増産

道路・水路の整備

(+ダム,頭首工の建設)

現 代

ベトナム :土地法の改正

ミャンマー:民主政権、新農地法の制定

省力化

労働力の減

スライド式圃場整備

標準区画圃場整備


図8 日本と東南アジアにおける圃場整備の発展過程
図8 日本と東南アジアにおける圃場整備の発展過程


(4) 国・地域別発展過程

 東南アジアで圃場整備を行っている地域は、基幹的な水利施設が整備されている低平地の穀倉地帯である。事業効果の大きい地域は、2,3期作を行う灌漑地域であることは言うまでもない。

 本格的な圃場整備が行われている国はタイで、道路と水路の整備(簡易な整備)は、同じくタイとカンボジアで行われている。一方圃場整備に近年積極的に取り組んでいる国は、10年、20年前の法律改正により、農地の権利移動ができるようになったミャンマーとベトナムである。

 このように各国の進捗状況は様々だが、経済発展の状況や土地法、農地法とも深く関係することを踏まえると一概に比較することは難しい。

(5) 圃場の大きさ

 耕作規模が零細であるわが国では、明治以降、静岡式、石川式と鴻巣式のような比較的小さな区画の圃場整備を行ってきた。戦後農地改革により1haの自作農が創設されたことから、耕地整理の区画よりも大きな標準区画(30a)の圃場整備を行ってきた。

 しかし、一律の区画ではない圃場整備も明治時代末の耕地整理にあった。図10は耕地整理法に基づいて行われた山形県飽海郡の平面図である。事業参加者は土地所有者(地主)で全参加者の3分の2以上、かつ同意者の受益面積が全面積の3分の2以上の同意徴集により事業を実施しており、地主である本間家の意向を受けたものとなっている。結果として、各農家の耕作規模に応じて様々な形状の圃場が整備された6)

図10 山形県飽海郡本楯村の耕地図(飽海郡耕地整理組合確定図の一部)
図10 山形県飽海郡本楯村の耕地図

出所:白井義彦、日本の耕地整理、1971、p37


 これは時代や国境を超えて、経営規模に対応した東南アジアのスライド式圃場整備、特にタイの圃場整備(図4)と類似しており、所有面積や耕作面積を考慮した圃場整備となっている。したがって、特別であると言うよりも、経営規模や農地の集団化を踏まえれば、このような圃場整備の方が、同一区画の圃場を整備して連ねるよりも実用的で有利性があるかもしれない。

(6) 将来展望

 日本では有史以来、同一区画割りの伝統があり、将来続くこと想定される。また担い手である農業法人も集積した大区画圃場を要望している11)

 さらに、将来自動走行農機が普及するにつれて大区画化に拍車がかかるとともに12)、経営規模に応じて明治時代末のようなスライド式圃場整備が増える可能性が少しある。その背景には、地下灌漑地下排水システムの技術が確立し、区画の大きさに関わらず水管理が可能になったことがある。一方、所有権を有する農家は、自分の土地の所有地域、区分が明らかなように50a、1ha区画で連ねて保有したいという意向が強い。したがって、所有権の移転よりも使用貸借の方が多い現状では、同じ区画割の大区画圃場を集積して耕作する方法が太宗を占めている。

 東南アジアでは道路と水路の整備が引き続き進められ、本格的な圃場整備はスライド型が将来とも主流ことが予測される。一方、農作業の受委託や農地の貸借を行えば大規模経営は可能であり、標準区画型の圃場整備はミャンマーで、任意の一定区画の圃場整備はベトナムで進むだろう。

6 おわりに

 これまで述べてきたように、自然社会条件や経済発展を踏まえ、日本と東南アジアの圃場整備の発展過程や現状は異なる。このような中、目覚ましい経済発展を遂げようとする東南アジアでは、さらに労働生産性の向上を目指して圃場整備が将来脚光を浴びるに違いない。灌漑の次は圃場整備である。

 21世紀はアジアの時代と言われる中で、国民総生産における農業分野の割合が低下しつつも、農業が重要な産業であることは間違いない。その基盤である圃場整備や灌漑排水の技術協力や調査研究に引き続き取り組みたいと考えている。


[参考資料]
1)齋藤晴美 八木正弘「東南アジアにおける圃場整備と法制度の現状と課題」農業農村工学会誌台90巻第1号誌 2023年1月
2)齋藤晴美 渡邉史郎 後藤光喜「東南アジアの農地整備の現状」農業農村工学会第84巻第11号誌 2016年11月
3)加藤徹「耕地整理時代の標準1反歩区画の歴史的考察」農業土木学会誌 1999年8月
4)農業土木歴史研究会「大地への刻印」公共事業通信社 1998年11月
5)ピヤタット・パナヌラク「タイのコメ事情」(国際セミナー「東南アジアのコメ生産・流通の現状と将来展望」)日本水土総合研究所 平成26年11月
6)「平成27年度海外技術協力検討事業 農業インフラ海外展開促進調査」報告書 日本水土総合研究所 平成28年3月
7)白井義彦「日本の耕地整備」大明堂 昭和47年
8)齋藤晴美 渡邉史郎 後藤光喜「東南アジアのおける農業生産性の向上と農業の機械化」農業農村工学会第84巻12号 2016年12月
9)「図説日本史通覧」帝国書院 2017年
10)高谷好一「コメをどう捉えるのか」日本放送出版協会 平成2年
11)松井俊英「農業法人の営農展開方向と農業経営基盤に対する要望調査」農業農村工学会誌第87巻第6号 2019年6月
12)農水省農村振興局農地資源課「自動走行農機等に対応した農地整備の手引き」令和2年2月


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