2024.2 FEBRUARY 69号

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BOOK GUIDE

板垣 啓四郎 著 筑波書房

途上国農業開発論
途上国農業開発論

 国連の持続可能な開発目標SDGs(2015-2030)の目標2は「飢餓に終止符を打ち食料の安定確保と栄養状態の改善を達成し持続可能な農業を促進すること」である。しかし、2019年末からの世界的な新型コロナの流行、2022年のロシアによるウクライナ侵攻、そして長期的には気候変動に起因する干ばつや洪水の頻発が世界的な食料生産と食料供給の不安定化をもたらしている。飢餓人口は2021年時点で8億2800万人、栄養不足人口は23億人に増加しており2030年に飢餓ゼロを目指すSDG2の達成は見通せていない。

 特に問題が顕在化しているのは開発途上国、なかでもサハラ以南アフリカと南アジアである。こうした状況の中で途上国の農業開発と食料供給が以前にも増して重要になってきている。しかも食料農業問題はグローバル経済の一環で考えていかなければならない。本書「途上国農業開発論」は途上国における食料農業問題の現在地を解明し問題解決の方向性を示唆する、まさにタイムリーな出版である。

 著者は、東京農業大学名誉教授で農業開発経済学が専門である。国際農業開発や地域開発関係の研究に長く携わり著作も多い。現在は、(公財)日本財団特別顧問として開発途上国での農業開発プロジェクトに関与している。2014年には、農林水産省のグローバルフードバリューチェーン戦略を推進する官民協議会の初代会長を務めた。

1 本書の構成

 本書は、途上国で農業主体の大部分を占める小規模農家あるいは家族農業が食料を増産し貧困問題の解消を図るための視点や方策、ドナー国を含めた支援や協力はいかにあるべきかを考えることを目的にしている。本書は10章から構成されている。目次を紹介すると、第1章:途上国の食料問題と農業問題、第2章:開発主体としての家族農業、第3章:環境配慮と農業開発、第4章:農業普及と農業開発、第5章:農業の商業化と生計戦略、第6章:レジリエンスの強化と農業開発、第7章:人材育成と農業開発、第8章:フードバリューチェーンと農業の発展、第9章:農業開発協力事業のフロンティア、第10章:わが国戦後農政の経験から学ぶ途上国農業開発への示唆、となっている。この章立てから、開発途上国の農業開発は家族農業を主体として考えるべきであること、環境に配慮しつつ農地や水などの資源を有効利用する持続可能な農業であるべきこと、農業生産の向上を目指す技術や農法を多数の小規模農家へ普及すること、農作物の生産から加工、流通、消費に至るフードバリューチェーン全体を通してロスの削減と付加価値の向上を目指すこと、気候変動に伴う災害の頻発に対応するレジリエントな農業インフラを構築していくこと、などが著者の問題意識として浮かび上がってくる。開発途上国の農業開発は政治、経済、社会、環境、教育、ジェンダーなど多くの分野がかかわっており総合的な政策アプローチが欠かせないことがわかる。

2 各章の概要

 第1章は、2019年末に始まる新型コロナパンデミック、2022年のロシアによるウクライナ侵攻、そして長期的な気候変動による災害の頻発などに起因して世界が直面する食料問題と農業問題の現状を明らかにしている。特にサハラ以南アフリカ、南アジアの途上国が最も深刻な打撃を受けていると指摘している。こうした課題の解決策の総論を提示し、具体的な内容を第2章以降で展開している。

 第2章では、家族農業が世界の農業生産の大部分を担っており、加えて生物多様性などの環境保全、農地・水など自然資源の有効利用、農村コミュニティの維持などに重要な役割を果たしていると指摘している。国連は「家族農業の10年」(2019-2028)を定め、各国が家族農業の支援強化に取り組むことを奨励している。著者は、家族農業の課題と解決のための政策対応について提案している。

 第3章は、環境に配慮した農業の重要性についてである。地球温暖化に対応し、温室効果ガスの低減や有機農業の促進など環境に配慮した農業の実現は先進国・途上国を問わず重要な政策目標となっている。わが国でも「みどりの食料システム戦略」を推進している。一方、サハラ以南アフリカのように土壌の栄養分が乏しく、投入できる有機物にも乏しい地域では、地域の特性に応じた「環境再生型農業」が有力な選択肢であると提案し、ササカワ・アフリカ財団の取り組み(総合的肥沃度管理アプローチ)を紹介している。

 第4章は、農業普及についてである。灌漑技術など持続可能な農業生産、農産物の貯蔵・保管・販売などの知識や技術を広く農家に普及させることは不可欠な取り組みである。特に途上国では、普及の対象となる技術の研究・開発のプロセスに農家を巻き込んでいく農家参加型の普及アプローチが重要であると指摘している。

 第5章は、農家がどのような戦略で所得確保を図るかについてである。農家は、市場や消費者ニーズを見越した農作物生産の多角化や、サプライチェーンの発展に伴う農家世帯員の多様な就業機会の確保によって農家所得を図る方向に行くべきだとしている。

 第6章はレジリエンスについてである。地球温暖化やコロナパンデミックなど外部環境の変化への対応力・回復力(レジリエンス)はサハラ以南アフリカなどの途上国で特に脆弱である。レジリエンスの強化には、農地・水などのインフラの拡充、環境に配慮した営農体系、フードバリューチェーンの整備、ICT技術の活用などの対策をビルトインした農業開発の必要性をあげている。

 第7章は、人材の育成についてである。農家が主体性を持つ市場志向型農業振興を図るためには、農家を啓発するためのファシリテーターである普及職員、農家グループのリーダー育成、農村コミュニティの変革、農家女性の能力開発などが必要であると指摘している。

 第8章は、フードバリューチェーンである。途上国においても農業が単独で存立する時代ではない。経済発展に伴い都市部の消費者の食料消費において多様化と高度化が進展している。スーパーにおける高品質な農産物への需要、外食産業の発展も著しい。農業生産→貯蔵・加工→流通・輸送→販売という川上から川中、川下に至るフードシステムが価値連鎖を伴いながら高度化していくのがフードバリューチェーンである。途上国においてもフードバリューチェーンの枠組みの中で農業を考えることが不可欠であると指摘している。さらにICTなどスマート技術によりフードバリューチェーンのDX化、すなわちスマートフードチェーンが加速化していると指摘している。

 第9章は、途上国への農業開発協力事業の事例として(公財)日本財団が支援するミャンマー山岳地帯のカレン州における薬草プロジェクトを紹介している。環境に配慮したアグロフォレストリーと薬草販売による農家の所得向上を目指すプロジェクトである。

 第10章では、わが国の戦後農政の経験が途上国の農業開発に関する政策の立案、実施に参考になるのではないかと指摘している。農地・水のインフラ整備、農家参加型アプローチ、農業普及、人材育成、市場志向型農業等の重要性の観点から、「土地改良事業による農業基盤整備と参加型開発」、「農業改良普及と人材育成」、「産地形成と農協の役割」について論及している。

 評者は、(一財)日本水土総合研究所に籍を置いていた2015年-2017年にかけて、タイ、カンボジアでの「農家参加型水管理」、ケニアでの「コメのフードバリューチェーンを考慮した農業開発」の調査にかかわった。参加型水管理は持続可能な農業インフラに不可欠な手法であり、フードバリューチェーンは農業を食料システムとして捉える概念である。いずれも本書の途上国農業開発論の重要なポイントである。評者は、自らの途上国での経験を思い浮かべながら本書を読み進めたが、著者の農業開発論に一つ一つ納得するところが多かった。

 途上国が直面する食料農業問題は複雑で根が深く広範に及ぶが、本書はこうした課題にどのように取り組めばよいのか示唆を与えてくれる。途上国の農業開発に関係する行政、研究機関、民間企業の方々には是非一読をお勧めしたい。また農学部学生や国際農業開発を専攻する学生、院生の方々には必須の参考書であると考える。


株式会社 竹中土木 顧問

角田 豊

筑波書房、2023年2月、170ページ、2500 円+税


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