マラウイ:
 自然豊かな国に住む、満たされない人々

前駐マラウイ大使 柳沢香枝


 マラウイが誇れるもの、それは何といっても美しい自然であろう。19世紀半ば、アフリカを水路で東西に結ぶことを夢見て探検していたリビングストンが、ザンベジ川を逸れて現在のマラウイ領シレ川を遡り、到達した高原で見たものは、故郷スコットランドと同じ風景だったといわれている。イギリス保護領時代、首都はその高原にあるゾンバに置かれた。今も、ゾンバは木々が茂る美しい学園都市である。

 高原と台地、湖と川。マラウイの地形は変化に富む。北部のニイカ高原は海抜2000mを超え、夏でも暖炉が必要なほど冷涼な場所だ。360度見渡す限り、うねうねとした丘陵が連なり、そこここに野生の蘭が花を咲かせ、遠くにアンテロープやシマウマが群れをなす光景は、掛け値なしに美しい。

 マラウイの象徴といえばマラウイ湖である。海抜1000m超の首都リロングェとの間には高低差が500mあり、湖へのドライブは、アフリカ大地溝帯の斜面を下っていることを実感させられるものだった。アフリカ第3、琵琶湖の46倍の面積を持つこの湖は、最深部は700mを超え、海面よりも低い。シクリット系の魚種が豊富で、観賞用として日本にも輸出されている。食用としても、もっとも有名なチャンボを始めとする大小の魚類が水揚げされている。夜になると湖上に漁火が見え、昼は湖畔で魚が干されている風景は、日本の漁村を思い起こさせるものだった。

写真1 夕暮れのマラウイ湖(筆者撮影)
写真1 夕暮れのマラウイ湖(筆者撮影)

 国の南東には、標高3002mのムランジェ山が(そびえている。地元の人が精霊が住んでいると信じるこの山の中腹からは、空気が澄んでいればインド洋まで見渡せるという。その麓には1年中緑の茶畑が広がっている。長い乾期の間、国中が茶色に変色するなかで、この一帯にだけ目に鮮やかな緑がある光景は、別世界のようだった。

 さてマラウイ人の主食は、メイズの粉を練って作る「ンシマ」である(日本人の耳には「ン」は聞こえない)。副菜はオクラ、ナス、葉物野菜などをピーナツソースかトマトソースで煮込んだものや、ヤギ肉、牛肉、鶏肉、チャンボを素揚げか煮込みにしたものなどである。しかし、これらはあくまでも「添えもの」であり、主役はンシマである。

写真2 ンシマ(手前右)とチャンボ(筆者撮影)
写真2 ンシマ(手前右)とチャンボ(筆者撮影)

 マラウイ人のンシマに対する愛はたいへんなもので、どれほど豪華なご馳走が並んでも、ンシマがなければ、「何も食べるものがなかった」ことになるそうである。筆者が公邸にマラウイ人を招くときには、料理人が腕を振るいさまざまな料理を準備してくれたが、ンシマはほとんど供さなかったので、「日本大使は何も出してくれなかった」といわれていたかも知れない。ひと昔前の日本人はコメを食べなければ腹に力が入らないといい、何かをアテに「飯を3杯食べる」ことを無上の喜びとしていたが、ンシマには同じ地位が与えられているようだった。

 ンシマへの愛は、メイズ栽培への執心にも表れている。11月下旬、雨期が始まるとメイズの作付けが始まる。農地だけでなく、一見荒れ地と見える場所でも、雑木の下にメイズが植えられる。都市でも、住宅の塀と道路の間の隙間など、わずかな場所も残さず、目に見えるすべての土地がメイズで埋まるといっても過言ではない。郊外に農地を持つ都市住民も多く、彼らは小作を雇ってメイズを作っている。自分の食料を自身で確保することで、安心を得ているように思えた。

 しかし最貧国のマラウイでは、今でも79%の国民に食料が十分行きわたらず、1750万の人口のうち、110万人が飢餓の危機に瀕している。21世紀もすでに20年が経った今でも、飢餓からの解放が一大目標となっているのだ。

 マラウイでは、灌漑(かんがい適地の25%しか灌漑されていない。しかも、灌漑設備の大半は茶やサトウキビを栽培する大規模農場が保有しており、小農は年間5か月弱の雨期に頼った農業を続けている。このため天候の影響を受けやすく、2016年のエルニーニョ現象による大干ばつでは、国民の3分の1に相当する660万人が食料不足に陥った。

 そんなマラウイであるが、2006年からの数年間は、30年ぶりに食料自給を達成したのみならず、輸出国に転じ、アフリカ中から称賛された。肥料と種子を割安で購入できるクーポンを小農に配布する農業投入財補助プログラム(FISP:Farm Input Subsidy Program)が2005年に開始され、それが生産の飛躍的増加につながったと信じられた。その立役者となったビング・ワ・ムタリカ大統領(当時)は数々の賞を受賞し、2010年にはアフリカ連合(AU)の議長に就任した。リロングェで開催されたAU農業大臣会合で、ムタリカは「アフリカは世界の食料庫になれる」と豪語した。

 しかし、この成功は長続きしなかった。後には、食料増産に貢献したのが好天だったのか補助だったのか明確ではないとされた。また、ムタリカ大統領の真の目的が、国民からの政治的支持を得るものであったことも明らかになった。

 投入財補助が生産性向上に役立っているのかはマラウイの農業専門家のなかでも問題提起されており、一般国民の間にはクーポンの配布が公平に行われていないとの疑惑もある。また、農業予算の大半が補助に費やされる一方、研究開発、普及、灌漑などが、ないがしろにされていることも問題視されている。しかし、以後の政権も、常に肥料・種子の補助を公約に掲げ、国民の間にも全戸補助を望む声が強くある。

 今日、マラウイの農業は2つの意味で多角化を迫られている。一つは外貨獲得源の60%を占めるタバコ依存からの脱却、もう一つは食用作物としてのメイズ一辺倒からの脱却である。国際的な嫌煙運動の高まりのなか、タバコの輸出増を望むのは難しい。また、食料についても、干ばつに強いキャッサバやソルガムなどの栽培量を増やし、リスクヘッジをすべきだといわれている。

 今のところ、多角化の具体的な方策は示されていない。日本人である筆者としては、コメの可能性に期待したい。マラウイ人にとってのコメは、特別な日に食する贅沢(ぜいたく品だ。マラウイのキロンベロ米は香りが良く、近隣国でも人気が高い。筆者が親しくしていた南アフリカ大使は、帰国の度に大量のキロンベロ米を買い込み、親戚に配っていたそうだ。筆者もキロンベロ米に少量の中国産糯米(もちごめを混ぜて炊くご飯に満足していた。

 かつて日本が支援したブワンジェバレー灌漑開発計画の対象地でも、コメが作られている。マラウイも漸くアフリカ稲作振興のための共同体(CARD:Coalition for African Rice Development)の対象国になった。これを機に、コメの増産と販路の拡大が進むことを望んでいる。

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