佐藤光泰・石井佑基 共著

『2030年のフード&アグリテック
 ―農と食の未来を変える世界の先進ビジネス70―


 著者は、「アグリビジネスを軸に、地域活性化を通じて日本経済の発展に貢献する」という理念のもとに、野村ホールディングス株式会社が2010年9月に設立した農と食の産業を専門領域とする調査・コンサルティング会社の主席研究員である。

 日本の農水産業の名目GDPは、1994年の9.4兆円から2011年の5.1兆円まで下がり続けたが、その後は年平均成長率4%で増加し2018年には6.6兆円の経済規模となっている。一方で、農業者の高齢化と労働力不足と農地の減少には歯止めがかからず、今後日本農業をどう維持し活性化させていくのかが大きな課題となっている。

 その解決策として2020年代に普及が期待される農と食の新たな技術・製品分野を、著者は「フード(食品)」、「アグリ(農業)」、およびデジタルやロボットなどの「テクノロジー(技術)」を掛け合わせて“フード&アグリテック”と呼んでいる。これは、わが国が推し進める「スマート農業」に一部の食品・流通分野を含めた農と食の新たなソリューション概念で、1900年代前半のエンジン(内燃機関)式トラクターの開発・普及による第一次農業革命、1960年代の「品種改良、化学肥料、灌漑(かんがい」の3つの農業技術の開発・普及による“緑の革命”と呼ばれる第二次農業革命に次ぐ第三次農業革命と位置付けている。

 “フード&アグリテック”の目的の一つは、「世界の人口増加に対する食料供給」である。第二次農業革命による食料増産も農地と農業用水の新規開発が難しくなるにつれて頭打ちになってきており、植物工場などの“フード&アグリテック”を活用して実質的に農地面積を拡大させたり節水を図ったりする必要がある。もう一つの目的は、SDGs(持続可能な開発目標)の採択以降、化学肥料・農薬使用量の少ない農作物やフードマイレージの小さい食品の生産、動物福祉の倫理的な観点や畜産が排出する温室効果ガスの地球環境負荷の観点から植物由来の代替肉の選択など、根本から変わり始めた「持続可能な農と食の新たなエコシステムの構築」である。

 著者は、“フード&アグリテック” を①次世代ファーム(植物工場、陸上・先端養殖)、②農業ロボット(ドローン、収穫ロボット、ロボットトラクター)、③生産プラットフォーム、④流通プラットフォーム、⑤アグリバイオ(代替タンパク、ゲノム編集)に分類し、その分野の国内外の先端企業70社の未来を変える取組を紹介している。


①次世代ファーム:a)植物工場分野のドイツのインファーム社は、一般的な郊外や都市近郊に大型植物工場を建設し生産物を都市のスーパーに卸す方法でなく、都市部のスーパーの中に植物工場を設置するインストア型のモデルで、欧州1000か所以上で展開しアメリカ、アジアにも拡大中である。/b)陸上・先端養殖分野の埼玉のFRDジャパン社は、同社の特許技術である高度な生物濾過システムを使った「海水や地下水を使わない」人工海水を完全閉鎖循環させながらトラウトサーモンを養殖する技術を有している。生産場所を選ばず、海水由来の魚病リスクがない(抗生物質やワクチン使用なし)うえに、海水冷却コストも必要ない(陸上養殖のネックであった電気代の大幅な削減)。この技術により、同社は世界の陸上養殖界でのシェア拡大を目指している。


②農業ロボット:a)ドローン分野の東京のナイルワークス社は、業界で唯一生育診断と薬剤散布を同時に実行するドローン技術を有し、センチメートル精度の経路生成から発着陸、飛行経路、適量散布まで完全自動化を実現し、これを代理店を通じて地域の農業者が共同で利用できるシェアリングサービスとして提供しており、アジアを中心とした海外展開を図っている。/b)収穫ロボット分野のベルギーのオクシニオン社は、自律走行に必要なIoT/位置特定技術や熟度を検知する3D画像センサー技術、3Dプリント/ロボットアーム技術を活用し、イチゴ一粒の収穫に人手で3秒要するところを、5秒でデリケートなイチゴを損傷なく収穫する小型収穫ロボットを開発し、世界に事業拡大中である。/c)ロボットトラクター分野の大阪のクボタ社は、圃場(ほじょう、作物、農作業、農業資材などの各種営農データをモバイルなどで確認できる営農支援システム「KSAS(クボタスマートアグリシステム)」を2014年に製品化した。KSASの強みは農機との連携にある。たとえば、収量、食味(タンパク質)、水分を計測するセンサーを搭載したコンバインと連携させることで、収穫と同時に計測したデータをクラウド上に蓄積し、収穫したコメの品質を乾燥機ごとに均一にする判断や翌年の最適施肥計画の立案に役立てることができる。また、同社は稲作・畑作・野菜作の完全自動・無人化農機の開発にも取り組んでいる。


③生産プラットフォーム:a)アメリカのFarmers Business Network 社は、他の農業者の営農情報のビッグデータを収集・解析し、会員農業者に700ドル/年で提供する情報提供サイトを運営している。このサービスは、ア)元データはメーカー発でなく、種子や農薬を使用した農業者の生データであること、イ)気象、衛星、土壌、市況などを加味したマルチデータであること、ウ)地域や土壌によって最適な営農資材の組み合わせを提示してくれること、エ)視覚的でわかりやすいこと、が特徴で、運営開始から5年間で利用者の総面積は4000万haの規模に急成長している。


④流通プラットフォーム:a)中国のシャンハイ・ヘマ社は、アリババ創業者のジャック・マー氏が提唱する新小売業「都市に構える物流倉庫」を体現した従来型のスーパーとオンライン型の宅配スーパーを複合させた業態で、セミオープンの調理場でのライブ感を演出しつつ、店舗から半径3km以内の顧客にはオンライン注文から30分以内に配送することを特徴としている。全ての商品に「鮮度」、「食品安全」の情報を提供するQR コードを付けるとともに、データ分析による需要予測でロスを減らし、平均坪効率は一般のスーパーの4倍に達している。


⑤アグリバイオ:a)代替タンパク分野の東京のムスカ社は、50年1200世代にわたって育種したイエバエを所有している。このイエバエを用いることで通常の有機廃棄物の堆肥化に1年要するところをわずか一週間で土壌改善効果、病原菌抑制効果が高い堆肥が製造できるほか、このイエバエの幼虫は抗菌性を持っているため水産養殖飼料として活用することで養殖魚の耐病性、増体の向上を図ることができる。同社は国内外での本格的な事業展開に向けて取り組んでいる。/b)ゲノム編集分野のアメリカのカリクスト社は、外来遺伝子を使用せず、伝統的な交配育種や突然変異誘発育種よりも育種効率が良く、安全性は自然界の突然変異と同等で、健康にも良いと評価されているゲノム編集技術により、トランス脂肪酸を含まない高オレイン酸ダイズ、食用油、ダイズ(かすの生産、流通、輸出を行っている。さらに、肥満の解消と腸内環境改善のための高食物繊維のコムギとアマゾンの熱帯雨林破壊など畜産業による環境負荷低減のための高収量アルファルファ(牧草)の開発に取り組んでいる。


 これら“フード&アグリテック” のコア技術は、日進月歩のデジタル技術である。そのデジタル技術は、日本では10年に1度更新されており、2000年に3G、2010年に4Gが始まり、2020年に5Gが始まって通信速度は20倍、遅延は10分の1、同時接続数は10倍になる。これにAIによるディープラーニング(深層学習)とビッグデータの本格的活用により、IoTセンサー経由でクラウドに蓄積されるビッグデータをAIが自動解析し、その結果は、人のアクセスを通さずにリアルタイムでフィードバックされるようになる。デジタル化が遅れているアグリビジネス分野には、今後、さまざまな異業種企業が進出すると想定されているが、牽引者は、データの収集・解析を担う「デジタル技術者」と解析データに基づき日々営農改良を図る「農業人材」のセットとなる。

 これまで、常に農業者の高齢化と労働力不足が日本農業の主要な課題として挙げられてきて、今回のコロナ禍でも海外農業実習生の不在が多くの農産物の産地で問題となっているが、第三次農業革命はこの問題の克服に貢献することになるのかもしれない。


一般財団法人 日本水土総合研究所(JIID)      
主席研究員 八木正広

*同文館出版刊 本体価格=2300円

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