世界農業遺産認定と地域振興の取組
クヌギ林とため池がつなぐ
国東半島・宇佐の農林水産循環

国東半島宇佐地域世界農業遺産推進協議会 会長 林 浩昭

1.はじめに

 大分県国東(くにさき半島宇佐地域(図1に示す豊後高田市・杵築(きつき市・宇佐市・国東市・姫島村・日出町:面積1324㎢、人口16万0460/ 2019年12月1日現在)が、国連食糧農業機関(FAO)より、「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」をテーマに、2013年5月に世界農業遺産として認定され、まもなく7年が経過しようとしている。この間、この世界農業遺産を動的に保全するためのアクションプランは着実に実行されてきた。2015年8月には、日本政府による保全活動状況に対する現地モニタリングを受け、一定の評価を得ることもできた(1)

図1 世界農業遺産に認定された大分県国東半島宇佐地域
(宇佐市を太線で囲ってある)
図1	世界農業遺産に認定された大分県国東半島宇佐地域(宇佐市を太線で囲ってある)

 世界農業遺産の認定効果は、世界遺産のそれと比較することは難しいが、認定地域での伝統的で持続的な1次産業や人々の暮らしに光が当たったことにより、同産業に携わる人々は大きな誇りを感じ始めている。国東半島宇佐地域(以下、本地域)では、世界農業遺産推進協議会としての保全活動のみならず、認定市町村単位での保全活動も盛んになり、その様子がすでに報告されている(2)

 本稿では、本地域での世界農業遺産の認定意義について、新しい視点での議論を行いながら、認定効果が地域の子供たちの教育に大きな影響を与えていることと、民間レベルでの認定効果を報告してみたい。


2.国東半島宇佐地域の連携ため池群と宇佐市の最新灌漑設備

 本地域は、瀬戸内海式気候に含まれ年間降水量1500−1700㎜程度、しかも短い急流の川しかないことから、古来より干ばつの常襲地域であった。人々は、1200ものため池を構築し、水不足に備えてきた。さらに、複数のため池を掘割や素掘りのトンネルで連結しながら、数年に一度の深刻な水不足にも備えてきたが、まさにこの盤石な灌漑(かんがいシステムが世界農業遺産の根幹をなしているのである(3,4)

 筆者は、2018年9月27日、別府市で開催された平成30年度全国土地改良施設管理事業推進協議会研究会に招かれ、“世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」の潜在的価値”についての講演の機会を得た。それに先立ち、駅館(やっかん川土地改良区連合(宇佐土地改良区;水田4316.8ha/受益者6228名、安心院土地改良区;水田785.9ha/畑619.7ha/受益者1424名、院内土地改良区;水田159.5ha/受益者249名)により、宇佐市に構築されている宇佐平野の水田灌漑施設と安心院の山間部に張り巡らされた畑地灌漑施設の説明を詳細に受けた。

 瀬戸内海西部にある周防灘に面した宇佐市も、かつては干ばつ常襲地帯であった。今では近代的な農業水利設備が整えられ、宇佐平野での水田農業や安心院山間地域での果樹栽培などが盛んな、大分県内有数の農業地帯を形成している。この宇佐平野での水利の礎を築いたのは、明治の三大疏水(そすいである安積(あさか疏水(福島県)、那須疏水(栃木県)、琵琶湖疏水(京都府)に大きな足跡を残すことになる南一郎平(1836−1919)であった。彼は、1865年(慶応元年)に駅館川東側台地への灌漑水確保のための広瀬井手第5期工事(宇佐市院内町広瀬取水口から宇佐市長洲まで総延長17kmの水路)に着手し、1873年(明治6年)にそれを完成させた(5)。その後も幾度となく干ばつに見舞われた後、1964年に国営駅館川総合開発事業が開始された。水源である日出生ダム、日指ダム、そしてその2つを連結する山中部導水路(29.5km)、川からの取水口である頭首工や幹線用水路、さらには山中部畑受益地に水を供給するための揚水・加圧機場なども整えられ、5300haの平野部水田と620haの山間部畑を潤すことができるようになったのである(図2)。

図2 宇佐市灌漑設備と筆者が世界農業遺産学習で関わった市立中学校
図2	宇佐市灌漑設備と筆者が世界農業遺産学習で関わった市立中学校

 新設された日出生ダムと日指ダムは、非灌漑期に大量の貯水ができる。水田が必要とする時期に川へ放流され、宇佐西部頭首工、広瀬頭首工、そして平田頭首工から取水され宇佐平野を潤す。1995年には、日出生ダムを補完する目的で香下ダムも建設された。山間部では、日出生ダムから恵良川への放流水は、西椎屋頭首工から取水され山中部導水路から揚水・加圧機場によって山間部のブドウ果樹園などに分配される。さらに、非灌漑期には、山ノ口1号・2号および寒水頭首工から取水された水が日指ダムに貯水されるという、無駄のない画期的な灌漑システムが構築されたのである(6)。さらに、2015年からは、国営緊急農地再編整備事業が実施されており、大区画に再整備されたブドウ果樹園や茶園などの園芸団地が造成され始めている。この宇佐市全域に展開されている近代的大規模灌漑システムは、本地域の人々が深刻な水不足を克服するために、長年にわたり考え抜いてきた灌漑システムの集大成といえる。

 2019年、この宇佐市に展開されている灌漑システム上に位置する宇佐市立の3つの中学校(長洲・駅川(えきせん・安心院)で、ゲストティーチャーとして世界農業遺産の授業を筆者が担当した。長洲中学校では、宇佐平野の台地部でのため池(九ノ池)の存在について、駅川中学校では、平田頭首工からの幹線用水路について、安心院中学校では、通常は灌漑が難しい山間部の果樹園の存在について、それぞれその意義を生徒と議論した。生徒は、伝統的・持続的かつ近代的な灌漑システムが身近に存在することに大きな誇りを感じたと思う。そして筆者は、この地域の若い世代が、本世界農業遺産の重要な意義を世界に向けて発信し始めると確信することができた。

 世界農業遺産は、農林水産業システムが認定対象であるが、伝統的・持続的なシステムであることだけでなく、未来に向けた生きた遺産であることが求められる。その意味で、本地域の全域に展開している伝統的・持続的な連携ため池群と宇佐市の最新灌漑システムを世界中の人々が連続して訪れ、その意義を感じてもらうことが重要なのである。


3.認定の効果の確認

 本地域世界農業遺産推進協議会では、2018年−2022年までの5か年のアクションプラン(2期目)を制定し実施している。その重点目標は、「地域資源を活用した交流人口の拡大」「農林水産物等のブランド化と販売促進」、そして「農林水産業を支える人材育成と安定生産の確立」であり、認定地域内での住民の主体的な取組をとくに支援している。ここでは、学校教育での世界農業遺産の保全活動の意義についての先生の意見と各種団体での取組状況を紹介してみたい。

(1) 世界農業遺産認定地域における次世代継承教育より

①大分県立安心院高等学校 教諭 植山浩子

 宇佐市安心院地域で小中高12年間系統立てて行われている「地球未来科」は、地域を題材に、「捉える力」「解決する力」「英語をツールとしたコミュニケーション力」を身につけることを目標とした新教科である。地域が世界農業遺産に認定されたことは、子供たちが地域への誇りの気持ちを育てることに大きく影響する。

 児童生徒は、地域学習に取り組むなかで、地域が抱える大きな課題である少子高齢化や農業の後継者不足に突き当たる。「高校生聞き書き」に参加した生徒たちは地域の(たくみの技を知り、地域の美しい自然を絶やさずに伝えていくという意欲を持つ。生徒に、地域の問題を解決するにはどうしたらよいかと尋ねると、「地域愛だと思います」という答えが返ってきた。世界農業遺産に認定されたという事実は、世界に誇る本地域であるという気持ちを醸成するうえで、有効であると感じている(写真1)。

写真1 地球未来科の授業の一環である「楽しい農業プロジェクト」発表会の様子
(安心院高校)
写真1	地球未来科の授業の一環である「楽しい農業プロジェクト」発表会の様子(安心院高校)

②大分県立杵築高等学校 教諭 佐藤 譲

 本校は、国東半島南東部、世界農業遺産認定地域内に位置する。大きな河川のないこの土地では、先人たちが「ため池とクヌギ林」から育まれた水資源を活用し、シイタケや七島(しちとうイ(七島藺)を伝統的に栽培してきた。こうした伝統的な農林水産業のスタイルが、世界でも貴重な価値を有することが認定されたことの偉大さについて、筆者が担当する地理授業や総合的な学習の時間を通じて、多くの生徒に周知し気づかせたい。そして、高校教育において地域の魅力を生徒に教え、生徒自身が育まれた土地に誇りを持ち続けられる人材を育てていきたい(写真2)。

写真2 「高校生聞き書き」の名人と一緒に(杵築高校)
写真2	「高校生聞き書き」の名人と一緒に	
 (杵築高校)

③国東市立旭日小学校 校長 滝口俊也

 5・6年生の総合的な学習にGAP(世界農業遺産旭日(あさひプロジェクト)会長をゲストティーチャーに招請し、世界農業遺産ため池群の学習を進めている。今年度からは3・4年生もため池巡りを行い、ガイド役になってもらうことができた。

 GAPは、ため池ウォーキングコースを複数整備して、年間3回のウォーキングイベントを企画するとともに「ため池歩き本」を刊行している。児童はこのガイドブックで学習し、地域への愛着を深めている。

 その活動は、早稲田大学から注目され、「農からの地域連携」講座の対象に取り上げられた。学校運営協議会会長(GAP代表兼公民館長)から学校教育の一環としての参加を打診されたが、本校の学校教育目標に一致する内容と考え、同大学との講座に取り組むこととした。

 当日までに2回の打合せを行い、大学や地域住民は、子供たちに「どんな気づき」をさせ、「どんな力」をつけるのかに関する事業目標を、学校と一緒に考えてくれた。この活動を「旭日地区魅力発掘学校」と名付け、当日は、早大生・大分大学留学生・地域住民の合わせて50名以上が参加し活動することができた。

 午前中はため池ウォーキングコースを巡りながら、地域の歴史やため池から出題されたクイズウォークラリーを行い、昼食では地域住民手作りの団子汁に舌鼓を打った。午後は、児童が、総合的な学習で学んだ「ため池学習」の成果を参加者の前で発表した。本校の目指す児童像である「自分の故郷を強く意識し、発信できる子供」の具現化を達成することができたと考えている(写真3)。

写真3 世界農業遺産ゲストティーチャーによる課外授業(旭日小学校)
写真3	世界農業遺産ゲストティーチャーによる課外授業(旭日小学校)

④国東市立国東中学校 校長 渡邊昌教

 本地域が世界農業遺産に認定後、先人たちが創り上げた農林水産循環や自分や地域と世界農業遺産との関わりについて考える学習を始めた。生徒は、DVDの視聴、本地域世界農業遺産協議会長やヴァファダリ・カゼム准教授(立命館アジア太平洋大学:APU)、国東市観光課職員の講義、ため池やクヌギ林の現地調査、地域の方への世界農業遺産に関するアンケート調査、国東の伝統文化を知るための校外学習活動などに取り組んだ。学習したことをまとめ、国東市教育の里づくりの集いや世界農業遺産中学生サミット、APUでの発表・発信を成し遂げた。このような学習活動を通して、生徒が郷土国東を深く知ること、自己存在感や人への思いやりの心を醸成すること、そして思考・判断・表現する力を伸ばすことを目指していきたい(写真4)。

写真4 APUでのカゼム准教授による世界農業遺産授業の受講風景(国東中学校)
写真4	APUでのカゼム准教授による世界農業遺産授業の受講風景(国東中学校)

⑤大分県教育庁義務教育課 指導主事 後藤竜太

 これまでも、認定地域においては、地域の農業やそれに携わる人々の思いや願い、農耕文化や伝統芸能の継承など、地域の教育資源を活用した教育活動が行われてきた。世界農業遺産認定を機に、地域にある資源の価値を再認識し、それらを総合的な学習の時間などにおいて、積極的に活用した取組が生まれている。

 棚田や景観、自然の良さを学び動画にして発信する活動に取り組む南院内小学校、伝統的な農法の継承に取り組む田染中学校など、学習成果の発信や体験活動に取り組むことにより、そこに生きる人々の生き方にも触れたり、交流が生まれたりするなどの好循環が生まれている。教育委員会としては、世界農業遺産を活用した学習プラン例を発信するなど、各学校の取組を支援していきたい。


(2) 地域の活動団体の取組:令和元年度地域活力支援事業採択事業より

①国東半島おいしいものづくり倶楽部

 世界農業遺産は、認定された農村地域の維持・発展のための手段の1つになり得る。当組織は、本年度「都市(首都圏の一地域)と地方(世界農業遺産の認定を受けた一地域)の交流による地方創生」に取り組んでいる。都市の少年スポーツチームのイベントを活用して、世界農業遺産認定地域の農林水産物を通じて当地域を知ってもらうとともに、同都市のスーパーマーケットの協力により、当地域の農林水産物の販売を行うことで、世界農業遺産認定地域の経済の活性化にチャレンジしている。とくに、販売では、都市住民に、地域の農林水産物の内容をスムーズに深く理解してもらうことが大切である。その点、世界農業遺産の認定地域は、生産地の背景、生産するまでの過程や生産者の顔が見えることから信頼性が高く、付加価値づくりにも(つながっている。

 消費者にとっては、安全で安心しておいしいものが手に入り、生産者は継続して適切な単価で取引できるというWin─Winの関係を創出できた(写真5)。

写真5 首都圏スーパーマーケットでの国東半島宇佐地域世界農業遺産フェアの開催
写真5	首都圏スーパーマーケットでの国東半島宇佐地域世界農業遺産フェアの開催

②大分県信用組合

 当組合は、地方創生への取組の一環として、県内外21の事業者・諸団体などと一緒に、本地域における観光地域振興に向けたプロジェクトを立ち上げ、交流人口増などによる経済効果の創出に向けた取組を展開している。

 本地域の世界農業遺産認定は、地域の農業システムに対する評価としてはもとより、深い歴史や特徴的な文化、美しい景観や豊かな食など、この地域の価値や魅力を視認化する意味においても、たいへんに意義深いものと考えている。

 この認定は、前述の価値や魅力の情報発信や、地域事業者の認証制度や応援商品表示などの利活用による商材の価値向上など、地域が誇るブランドとして積極的にプロモーションを行うことで、地域経済の活性化や元気づくりに繋がるものと考える。

 当組合では、世界農業遺産を活用した具体的な取組として、令和元年度に、APUと連携した企画「バスツアー&フォトコンテスト」を実施した。国内外の学生16名が、本地域そして世界農業遺産の魅力を各々の感性で発見し、写真に収め、SNSなどを通じて国内外に情報発信した。本地域の魅力ある特色を活かし、若者の心を捉えた事業を実施することができた(写真6)。

写真6 豊後高田市田染荘でのバスツアー&フォトコンテストの様子
写真6	豊後高田市田染荘でのバスツアー&フォトコンテストの様子

③豊後高田市農漁村女性集団連絡協議会

 本連絡協議会は、市内の農村女性で組織される団体であり、農林水産業の振興などのため、さまざまな取組を行っている。

 2013年に本地域の農林水産業システムが世界農業遺産に認定されたことで、私たちの生産する農産物や製造する加工品が「世界農業遺産の郷」で作られたブランド力のあるものということを認識し、生産・製造に対しても意欲が高まった。

 同時に、消費者も世界農業遺産に興味を持つ方が多く、イベントの際などは「世界農業遺産」という言葉を使用することにより、今まで以上に同市に興味を持っていただけるようになった。世界農業遺産の認定により、生産意欲の向上や集客力の増加に繋がっていると実感している(写真7)。

写真7 豊後高田市農漁村女性集団連絡協議会が販売する「世界農業遺産の郷 大分県豊後高田市おせち」
写真7	豊後高田市農漁村女性集団連絡協議会が販売する「世界農業遺産の郷 大分県豊後高田市おせち」

4.おわりに

 世界農業遺産を地域振興に生かすためには、認定地域の1次産業を深く理解し、その価値を世界に向けて発信していく活動が必須である。これまで述べてきたように、この地域での生計保障のために人々が考え造成してきた連携ため池群は、最新の灌漑システムのなかにもその考え方が活かされており、そのことを次世代に伝えていく活動も盛んになってきた。多くのユニークな地域活動を世界農業遺産アクションプランのなかで実施しながら、人々の地域活性化に対する意識も大きく変わろうとしている。

 本地域の新たな価値を見つめ直す活動を、さらに継続していく必要があると考えている。

 最後に、宇佐市での近代的灌漑システムの意義確認の機会をいただいた駅館川土地改良区連合の皆様、大分県農林水産部の加藤正明参事監、および、本稿取りまとめに協力いただいた大分県農林水産部世界農業遺産推進班に感謝申し上げる。


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