アイマラの文化に偶然という概念はない

前駐ボリビア多民族国大使 椿 秀洋


 「アイマラの文化に偶然という概念はありません。皆さんは偶々(たまたまボリビアに赴任して来たとお考えでしょうが、大地の母『パチャママ』が皆さんをボリビアに呼び寄せたのです」

 私は2012年10月から2015年12月までボリビア多民族国に勤務しましたが、これはモラレス大統領への信任状を捧呈する前に国家儀典長が述べた言葉です。

 信任状捧呈後に始めた各国大使への表敬訪問でメキシコ大使が「メキシコ外務省には『ボリビアは泣きながら赴任して泣きながら離任する国』という申し送りがある」と教えてくれたことと、先輩大使から伺っていた「理解するのは困難だが、忘れることのできない国」という言葉が、ボリビアで勤務をするに当たり強く印象に残りました。さらに、友人から東京出身の青年海外協力隊員だった姪が、帰国後に「里帰りしてきます」と言っては頻繁にボリビアを訪れているという話も聞いておりました。それだけ不思議な魅力に溢れた国なのだと思われます。

 他方、ボリビア人の友人には、「何でもありの国。しかし確実なものは何もない」「あらゆることが起きるが、時が経つと何事もなかったかのように平然としている国」と屈託のない笑顔で語る者も多くいました。

 ボリビアはラパスが世界一標高の高い首都(3700m)ですので、赴任する際に多くの先輩や友人達に気の毒がられました。私も全土が標高の高いところにある国だと思い込んでいました。実際は、標高4000m級の西部高原地帯は国土の30%に過ぎず、60%はアマゾンの源流が流れる標高200mから400mの東部平原地帯、その中間の10%が峡谷地帯です。

 ボリビアは端的に言えば、自然と文化と人々が多様性に富む国だと言えると思います。面積は日本の約3倍の110万km2ですが、人口は1325万人(2018年末現在)で約11分の1。手つかずの大自然が残り、6000m級のアンデス山脈の山々も相俟(あいまって雄大な景色が広がっていました。近年は、ウユニ塩湖が「天空の鏡」として人気が高まり、日本でもウユニ塩湖の写真集が多くの本屋で平積みになっていたりします。

 2006年にエボ・モラレスが先住民として初の大統領に就任しました。そして2009年の憲法で、国名をそれまでのボリビア共和国からボリビア多民族国に変更し、国内の先住民36民族が使用する言語もすべてスペイン語と並んで公用語に定めています。さらに、同憲法第8条では国民が守るべき倫理行動規範として、「怠けるな、嘘をつくな、盗むな」などと規定した上で、目指すべきものは「良く生きる、調和のとれた生活、悪のない大地、気高い人生」などと定められていることに驚きました。

 ある国について紹介する場合、歴史、政治、経済、社会、文化など、さまざまな切り口がありますが、ボリビアは先住民が人口の45%を占め、他の中南米諸国の先住民よりも生き生きと暮らしていましたので、彼らのものの考え方について若干ご紹介したいと思います。

 モラレス政権は2006年の発足以来、それまでないがしろにされてきた先住民文化の復興にも努めていました。チョケワンカ外務大臣は天皇誕生日レセプションでの来賓挨拶の際に「我々は皆兄弟である。人間だけではない。空飛ぶ鳥も、そこに生えている木々も、目の前の石も皆兄弟である」と述べるのが常でした。欧米の外交官は一様にキョトンとしていましたが、森羅万象(しんらばんしょう八百万(やおよろずの神々が宿ると考える日本人の私は、全く違和感を覚えませんでした。

 憲法第8条の「良く生きる」という概念はアイマラ語で「スマ・カマーニャSuma Qamaña」と記されています。搾取することによって他人より良い生き方をするということを拒絶する思想です。人間はあくまでも自然の一部であるという前提に立って、自然界のあらゆるものと共生しなければならないという考え方です。

 チョケワンカ外務大臣は2008年に行った講演で、スマ・カマーニャには4つの原則があるとして次のように述べていました。

 ①虚心坦懐に、母なる大地、すべての存在に耳を傾けることができること。耳を傾けることができる者は、学び、変化し、人々に仕えることができる。②均衡のとれた方法で富を分かち合うことができること。不足しているものを補うための競争は、止めなければならない。何かを受け取るためには、何かを与えることができることである。③私たちはみな兄弟である。自然という母なる大地「パチャママ」との調和と補完のなかで生きなければならない。④もっとも疎外された人々が教育と健康を享受し、自然や共同体のなかで共生できるように分かち合うことができることを、夢見ることができなければならない。

 ボリビアの人々は踊りが大好きです。行事があると、必ずといってよいほど踊りを伴います。それぞれの地方に独特のリズムがあり、踊りは多種多様です。カーニバルでは、延々と異なる種類の音楽と踊りのパレードが繰り広げられます。とくにオルロのカーニバルはリオのカーニバル、ペルーのインティ・ライミと並ぶ南米三大祭りに挙げられていますが、作家の戸井十月氏は「リオのカーニバルはサンバのリズムと羽根飾りをまとっただけの裸に近い女性の踊りがメインであるが、オルロのカーニバルは衣装も踊りも音楽も多彩であり、歴史と文化の深さを感じさせる」と述べていました。

写真1 オルロのカーニバルのパレードの一部(筆者撮影)
写真1	オルロのカーニバルのパレードの一部(筆者撮影)

 さらに先住民の食文化には独特のものが沢山ありますが、とりわけキヌアが特筆されます。キヌアは植民地時代にはその形状から「悪魔の食べ物」として忌避されていましたが、1990年代から不毛の地でも育つ高栄養価の食物として注目され始め、アメリカ航空宇宙局(NASA)も宇宙飛行士の食料に採用しています。国連は2013年を「国際キヌア年」に定め、東京でもキヌアの紹介行事が行われました。現在は、日本でもスーパーフードの1つとして周知されるようになりました。

 ボリビアと日本との関係についても触れておきたいと思います。ラパス近郊のチャカルタヤ山(標高5395m)の5200mの地点に宇宙線観測所があり、東京大学をはじめとする日本の大学も共同研究を行っていますが、ここで1947年に世界で初めて中間子が測定され、2年後の1949年の湯川秀樹博士のノーベル物理学賞受賞につながりました。日本では、あまり知られていないエピソードです。

写真2 ラパスの国際空港がある標高4070mのエルアルト市と奥に見えるワイナポトシ山(左)とチャカルタヤ山(右)(筆者撮影)
写真2 ラパスの国際空港がある標高4070mのエルアルト市と奥に見えるワイナポトシ山(左)とチャカルタヤ山(右)

 また、ボリビアは中南米でブラジル、ペルー、アルゼンチン、メキシコに次ぐ、日系人が多く暮らす国です。2019年には、移住120周年を迎えました。1954年に始まった戦後移住で建設されたサンタクルス県のオキナワとサンフアンの2つの移住地は、いずれも鬱蒼(うっそうとした熱帯雨林の原始林を切り開くというたいへんな労苦を強いられましたが、今では前者はボリビアの「小麦の都」、後者は「コメの都」の称号を付与されて、ボリビア農業の一大モデル地区に発展しています。ボリビアの農業は、まだまだ発展する余地があります。日本の技術協力を得ながら大きく発展することを期待する次第です。

 最後に、モラレス大統領は2019年10月20日に実施された大統領選挙の不正を巡って糾弾され、11月10日に辞意を表明、ボリビア史上最長の13年に及ぶ政権運営に終止符を打ちました。これに伴って暫定政権が発足し、現在は2020年5月3日に予定されている再選挙に向けて各党の候補者が出揃って選挙運動が開始されています。当分の間、ボリビア情勢は混乱が続くと予想されますが、過去に何度もクーデターやハイパーインフレなどを乗り越えてきた人々が、安穏な生活を送れる日が一日も早く訪れるよう祈るばかりです。

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