特集解題

国内技術検討委員会委員長 松浦良和

 旧聞に属する話であるが、今から約35年前、フィリピン在勤中にルソン島中部バナウエにある棚田を見に行ったことがある。途中、太平洋戦争末期の日米激戦の地バレテ峠を通り、人気のない山岳地域をかなり走って、ようやくバナウエに到着した。当時、バナウエの棚田はまだ世界遺産には登録されておらず、そこは山岳民族などが暮らす(ひなびた山村にすぎなかった。

 だが、山々を見ると一面が棚田化しており、その雄大な規模に驚いた。そしてホテルで過ごしたその夕方、窓や軒を打つ大きな雨音がして大量の雨が降った。ホテルの人に聞くと、この時期(6月ころ)はこのような雨が毎晩あるとのことだった。棚田が標高1000mを超えるような山岳地域であっても、かなりの水が天水によって確保できるので、稲作が継続できるのかと妙に感心したものである。

 さて、今号の特集は「水と農業の歴史に学ぶ」ということで、6(へんのKey Noteにおいて、世界遺産・世界農業遺産・日本遺産・世界かんがい施設遺産・世界水遺産などに、認定あるいは登録されているものをはじめ、世界各地域で特徴ある農業を行っている事例などを紹介するものである。農業の場合、いずれも長い歴史を持ち、その基本的スタイルが現在にも受け継がれているものが多い。こうした長い歴史の試練を経て、先人から引き継がれてきた農業および関連施設の遺産は、必要な見直しは不断に行いつつも、大事に守り育て、未来に引き継いでいきたいものである。


日本における農業水利の展開とその特徴

 オランダ人デ・レーケが日本の川を見て、「これは川ではない、滝だ!」と叫んだといわれる故事をめぐって、「そもそも川とは、滝とは、降雨とは」と、ヨーロッパと日本の実相から議論をスタートさせ、その概念や認識には明らかな相違が見られることから、その相違が彼我の産業や生活文化の成り立ちにまで、少なからぬ影響を与えているのではないかと推論している。

 急流河川、降雨量の多さ、降雨の激しさというような地形的・気象的特徴を有する日本では、土地の選択的利用を前提としつつ「水制御を含む土地改良」が、農業の安定的展開のための重要な条件であったと指摘している。

 さらに、わが国の台風や干ばつなどによる農作物への気象被害は決して軽微なものではないが、日本列島の気象的・地形的特徴によって、その発生が「分散的」ともいえることから、災害時における相互扶助の精神が助長され、水配分などの「日常的協同」の営みなどをも形作ってきた基礎となっていると説明している。

 また、歴史的には地域用水として親しまれ、利用されてきた農業用水が、高度経済成長期前後の急速な都市化の影響、あるいは灌漑(かんがいの技術上・管理上の要請から、水路の地中化や管水路化が進められてきたが、「開水路」としての農業用水が「心を潤す水」として、近年、改めて評価が高まっていると指摘している。



灌漑プロジェクトの成否の要因
─フィリピン・ボホール州の灌漑プロジェクトの事例より─

 執筆者はもともと文化人類学からスタートしていると伺ったことがあるが、本報告ではフィリピンのボホール州での灌漑プロジェクトについて、現地での詳細な調査をもとに考察を加え、成功・不成功の原因はどこにあるのか、ノーベル経済学賞受賞者であるE. オストロムなど2人の研究者の考え方を援用して解析を試みている。

 健全で安定的な水利組合の維持のためには、まず有能なリーダー(水利組合長)が存在して、水路末端までの公平な水配分を行っていくことが重要とし、具体的には用水供給と水利費負担と発言権を相互に関連付けること(割当制度)によって、メンバー間の紛争を減らし、水利費徴収率を100%に近づけるとともに、メンバーが水利組合の活動に協力的になることによって、成功事例では長期にわたって安定的な水利組合の運営が可能になったと指摘している。

 これは政府からの支援が十分に期待できない場合であっても、灌漑システムなどの地域社会の共有資源が、どうすれば長期にわたって自主的・安定的に管理されていくのか、その方法を示唆するものといえる。



アジアモンスーンと変動帯の水土が織り成す水田稲作の営み

 気候・水文区分、地質・地形構造、河川、農業、自然史・社会史などを地域別に分析し、各地域の共通性などについて総合的に検証するとともに、全体像をもう一度組み立てていく本報告のような考え方について、これまで余り承知していなかった。現地踏査による検証を踏まえることによって、概論や総論に留まらず、極めて地に着いた議論を展開しているところが、興味深く、説得力を持つゆえんであろう。

 また、水田稲作を基本とする農業形態とセットで考えられることが多い「モンスーンアジア」の範囲についても、実はもう少し厳密に定義あるいは限定することが求められていた。執筆者は、大先達の小出博先生の考え方に沿いつつ、プレートテクトニクス理論を援用しながら、水文地域区分として「モンスーンアジア温暖多雨変動帯」という概念を提唱している。

 今後、人口と資産が集中する沖積平野の洪水氾濫(はんらんリスクが地球温暖化によって増大するなかで、河川施設だけでは洪水被害が軽減できないという考えが主流になりつつある。溢れても被害の少ない治水対策を考えるうえで、水田、集落、都市をどう位置付け、どのような対策を講ずるかは避けて通れない問題であるとして、農業分野と都市・河川分野のいっそうの連携が必要と指摘している。



伝統的水利システム・カナートに見る持続可能な資源利用のヒント

 中東地域をはじめとして乾燥地域で利用されている伝統的水利システム、カナートの歴史は古く紀元前700年ころにはすでに造られていたという。カナートの呼称は地域により異なるが、斜面の地中の地下水を横井戸によって掘り抜き、地下水路とそれに続く開水路によって、水を届けるシステムで、カナートは単なる水利構造物や掘削技術を指すものではなく、それが支える集落や農地、水配分の規則を含めた全体がカナートで、いわばハードウェアとソフトウェアを含めた統合の体系がカナートであると説明している。

 乾燥地域の水文条件に適した持続的な水資源利用の仕組みと環境に調和したカナートは、単なる過去の遺物ではなく、今なお利用され続けている重要な社会文化基盤であることが認識され、さまざまな学問領域でカナートの国際的な研究が進んでいる。

 カナートはまた水を運ぶだけの施設ではなく、空冷装置としても利用されているとしている。採風塔と呼ばれる風を取り入れる塔を設置して、暗渠(あんきょ内で冷やされたカナートの湿った空気を室内に導入する「換気と空冷を実現する関連技術」が発達していったと説明している。

 角田宇子氏によるKey Noteにも登場する女性初のノーベル経済学賞受賞者、E.オストロムの研究にも触れ、カナートが今なお使われ続けているのは、コモンズにおける自主的管理に加え、時の試練を経た確固たる存在ということもあるのではないかと推論している。



世界農業遺産と灌漑・水遺産

 世界の農業や灌漑・灌漑施設に関連する認定・登録制度は複数存在するが、その主要なものについて、それぞれの成り立ち、考え方、相違点などについて具体的に説明している。

 UNESCO(国連教育科学文化機関)が従来から実施している世界遺産では、過去に造営された歴史的建造物やその遺跡・遺物、あるいは優れた景観を形成している自然など「形あるもの」が登録の対象になっている。 

 これに対し、「世界農業遺産(GIAHS)」はFAO(国連食糧農業機関)が2001年から実施している認定制度で、数世紀にもわたる伝統的な農業と土地利用があって、それらに育まれた文化・景観・生物多様性に富む地域で、併せてそれらを支える地域共同体システムなどが重視されるとしている。

 また「世界かんがい施設遺産(WHIS)」は、国際かんがい排水委員会(ICID)が2014年から実施している独自の認定登録制度で、完成から100年以上を経ても技術が継承されている新時代を画する水利施設を対象としており、18年までに世界全体で74施設が認定され、そのうちの35施設が日本の水利施設となっている。

 さらに、水に関するソフトの社会資本の価値を認定・登録する「世界水遺産(WSH)」制度が、世界水フォーラム(WWF)の開催団体である世界水会議(WWC)にICIDが協力する形で創設され、2018年に初めて日本からの2件を含む3件が認定された。これは「世界かんがい施設遺産」がハード施設中心なのに対し、ハードの社会資本の機能発揮のためには、法制度・組織体制・社会慣習などソフトの社会資本が不可欠であると「世界水遺産」の位置づけを説明している。



安積疏水の歴史と日本遺産・世界かんがい施設遺産

 明治時代の一大開墾(かいこん・灌漑事業として安積疏水(あさかそすいはつとに有名であるが、当該施設はその主水源を会津側(日本海)に流れる猪苗代湖に求め、その取水の既得権を損なわないよう流出河川の河床を掘削して下げるなどによって、湖の利用水深を増やす計画としていることに目を見張る。これはオランダ人技師ファン・ドールンが指導した計画とされ、そのための施設として会津側に十六橋水門を造っている。

 猪苗代湖の水は、郡山市・須賀川市などを中心とする安積地域を豊かな穀倉地帯に変えるとともに、発電・上水道・工業用水など多目的にも利用されるようになり、この地域の経済的発展を支えてきた。とくに1899年(明治32年)の沼上(ぬまがみ発電所の建設は、郡山を紡績産業などの工業都市に発展させる契機の一つとなったほか、明治末期には、猪苗代湖の水を安積疏水から分水して、郡山住民の飲料水としても供されるようになった。

 また、時代が下って1982年(昭和57年)には国営安積疏水農業水利事業が完成し、明治時代に開鑿(かいさくされた水路はすっかり近代化され、現在は二期事業により改修などが行われている。

 2016年(平成28年)には「一本の水路」ストーリーとして文化庁の日本遺産に認定されるとともに、国際かんがい排水委員会(ICID)によって、世界かんがい施設遺産に登録されている。

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