ナイル川の水資源とエジプトの水利用

筑波大学 名誉教授 佐藤政良

1.はじめに

 エジプトでは「世界四大文明」の一つが開花し、その背景に、ナイル川のもたらす水があったことはよく知られている。四大文明のいずれも大河川の流域に興り、そこでは、その河川の治水、灌漑(かんがい)農業などが重要な役割を果たしたという共通点を持っているとされるが、その古代の農業が現代の農業に繋がり、現在でも、その国の繁栄の重要な基礎になっているという点では、エジプト・ナイル川の他に例がない。

 しかし、ナイル川の水利用は、昔からの方法がそのまま現代に行われているわけではない。国の発展のなかで、それに対応しながら今日に至り、また現在は、水資源利用可能量の限界という現代的な問題に直面している。本稿では、ナイル川の水資源とエジプトにおける利用の歴史を足早に概観し、現在のエジプトが抱えている水利用、灌漑排水の問題、課題を示す。


2.ナイル川の水と古代の灌漑

 ナイル川は、赤道周辺の湖沼高地から北流し、北緯31°付近で地中海に流入する世界最長の河川である(図1)。その流路延長は約6700km、流域面積は約300万km2で11か国に及び、エジプトは最下流に位置し、流下してくる水を利用する。年間降水量は極めて少なく、地中海に面するアレクサンドリアで約200mm、カイロで約25mm、南部のアスワンではわずか1mm程度にすぎず、水資源のほぼ全量をナイル川に依存している。

 アスワン地点への流下水量は、実測に基づく長期平均で年間840億tとされる。これを赤道地帯の流域を中心とする白ナイルと、エチオピア高地から流下するハルツーム以北の青ナイル系(中流部右岸支流)とに分けると、それぞれ約30%と70%になり、圧倒的に青ナイル系が多い(Shahin 1985)。

図1 ナイル川の主要流路と流域国
図1 ナイル川の主要流路と流域国
出所:佐藤(1991)を一部修正

 図2に、ナイル川、アスワン地点における月別流量を平均、最大、そして最小について示した。これから分かるように、エジプトにおけるナイル川では、毎年8月から10月にかけて洪水が発生し、これが年間流量の大半を占める。そして、この洪水は、白ナイルではなく、エチオピア高地を流域とする青ナイルで発生する。

図2 ナイル川月別平均流量の変動(アスワン地点、1900-64)
図2 世界における土地の劣化の現況と傾向 グラフ
出所:Oak Ridge National Laboratory Distributed Active Archive Centerより作成

 この洪水を利用して、エジプト人は灌漑農業を行った。しかし、その灌漑は、ナイル川の洪水が自然に氾濫した水を利用したものではない。彼らは、古代から水路を造り、この洪水を堤防で囲んだ耕地(ベイスン)に導入して、2か月程、1.5メートル程の深さに湛水させ、ナイル川の洪水が引くと排水してコムギなどを播種(はしゅ)した。これはベイスン灌漑と呼ばれる。この洪水の長期湛水こそ、古代エジプト文明から現在に至る5千年にわたるエジプトの持続的農業のカギであった。というのは、乾燥地農業の宿命的問題である耕地への集積塩類が毎年の湛水によって洗い流されたことと、洪水に含まれる肥沃な土壌(実はエチオピアの流亡土壌)が、毎年、耕地に堆積したことから、無肥料でも土壌の肥沃性、生産性を維持できたのである。


 しかし、各年の灌漑面積、すなわちどの範囲まで洪水を導入できるかは、年ごとに変動する洪水の大きさと継続期間の長さによって決まり、そのまま国家経済に直結した。そこで、洪水の発生をいち早く把握して下流に伝え、効率的に水を取り、配水して灌漑面積の最大化を図るために、ナイル川沿いの各地に古代から水位観測施設(ナイロメータ)を設置した。なお、エジプトには、今でも、洪水の発生期を年初とするシリウス暦が伝わっている。


3.ナイル川への働きかけ─ムハンマド・アリの取組

 このようなエジプトの持続的灌漑農業は、エジプトの土壌や気象条件とナイル川の特性を高度に利用する精巧なシステムであった。それを開発、確立した古代エジプト人の知恵は尊敬に値する。そこでは、物理的取組だけでなく、水管理やベイスンの堤防維持管理のための社会制度の整備も重要な要素であったことはいうまでもない(長沢 2013, 熊倉 2013)。

 しかし、時代を超えて理想的な技術はない。ベイスン灌漑も限界を持っていた。一つは、洪水後、冬期から夏期にかけてナイル川の流量は少なくなり、水位も低下するので、年間を通じて灌漑できる範囲は河川や水路のごく近傍などに限定されたことである。また冬作のコムギにしても、播種後、基本的に収穫まで用水の補給はなく、収量は限定されていた。さらに、洪水期の数か月間、国土の大半が深い水に覆われるのは、社会経済の発展にとって大きな足枷でもあったであろう(加藤 2008)。

 1805年にオスマントルコのエジプト総督に就任したムハンマド・アリは、農業の近代化と水利土木工事を進めた。イギリスの需要に応える綿花の栽培を推進するため、世界中から綿の種子を集めて試験研究を行った。綿花は夏作物であり、その栽培期がベイスン灌漑の湛水期と重なるので、綿花栽培を導入するためには夏期における灌漑の実現とベイスン灌漑の廃止が重要な課題になる。すなわち、年間を通した灌漑(通年灌漑)をベースにした農業への転換である。

 ムハンマド・アリとその後継者による通年灌漑の開発過程を簡単に記述する。まず、ナイル川はカイロの北でロゼッタ川とダミエッタ川に分岐するが、その直後、それぞれに(せき)を建設した。この工事は、1843年に着工、1861年に完成している。非洪水時にもナイル川の水位を高く保ち、用水路への導水を可能にするためである。その後引き続き、ナイル川に全部で8基の堰を建設するとともに、水路自体の整備を図った。続いて、1902年にはアスワンに貯水ダム(総貯水容量10億t、後に50億tまで拡大)を建設し、低水期の流量自体の増強に進む。そして1952年のエジプト革命(ムハンマド・アリ王朝廃止)の後、1960年にアスワンハイダム(AHD)に着工、1970年に竣工した。AHDによって出現したナセル湖は、長さ500km、総貯水容量1623億tの大貯水池であり、これ以後、エジプト・ナイル川は、流量の完全コントロールという、まったく新しい時代に入ったのである。これはムハンマド・アリが19世紀初めに踏み出した河川事業の帰結、総仕上げといえる。


4.アスワンハイダム(AHD)の建設と効果

 AHDの建設については、強い反対論があった。その論点の中心は、AHDの建設と近代的灌漑の導入に伴う土壌塩類集積の進行、肥沃な土壌の供給停止によって5千年に及ぶ持続的農業が壊滅するというものであった。そのほかにも、貴重な古代遺跡の水没、通年灌漑に伴う風土病の蔓延、地中海の漁業に対する悪影響の可能性などが指摘された(宇沢ら 2010)。

 建設推進の立場からは、ベイスン灌漑が持つ限界の打破のほか、灌漑面積の増大、水害の抑止、AHDにおける発電による工業発展などが、その理由として挙げられた(Abu-Zeid 1983)。

 AHDの工事で1964年にナイル川が閉切られて以来、すでに50年以上が経ったが、1回の洪水もダム下流には生じていない。

 ダム運用開始後の農業に関わる影響について述べると、ダムからの放流は極めて安定して行われ、夏作の始まりである4月と5月についていえば、かつては月平均流量が毎秒400m3まで低下する干ばつ年を経験しているのに対して、1600m3と4倍の水量を安定供給している(1972〜84年)。

 水の供給に伴って農地開発も行われ、1960年に250万haだった国全体の農地面積は、45年後の2005年に350万haに達した。また、既存農地のほとんどは、以前は1年1作だったが、ダム運用後には年2作、あるいは3作が可能になり、年間の全作付面積は飛躍的に増大した(2005年に680万ha)。安定した灌漑によって単収の増加も実現し、たとえば、コムギでは、1960年代に2.5t/ha程度であったものが2003年までに6.5t/haに急増した。農産物の多様化と併せ、エジプトの農業生産はAHD後に飛躍的な増大を実現した。

 もちろん、これら農業の発展は、単に水量が増大したことだけによるものではない。さまざまな末端の灌漑排水施設の整備、安定的な灌漑を前提にした栽培技術の開発や品種改良、生産システム、農地改革をはじめとする社会経済的政策などが、水資源増大の効果を支えている。

 一方、ナイル川の水に含まれる土砂の量は、極端に減少した。AHD建設前(1929-55)には、洪水に含まれる浮遊土砂は2800ppmに達したが、建設後(1968-77)には年間を通して39〜47ppmに留まった。これは、上流域から流下する土砂がナセル湖内あるいはその周辺に留まっていることを意味する。地中海の海岸浸食も指摘されていて、長期的には問題の発生が避けられないであろう。

 土砂の供給がなくなった農地では、現在、化学肥料が投入されているが、他方で家畜の飼養が増加し、ほとんどの小規模農家では冬作としてマメ科植物であるエジプト牧草(ベルシーム)を輪作するとともに、堆肥を作って農地に入れる農法が定着している。

 塩害については、通年灌漑を行った地区で19世紀末から地下水位上昇と塩害問題が顕在化し、排水路の掘削、暗渠排水の敷設の事業がなされてきた。AHD建設以後も、こうした事業が進められ、2003年時点で、全灌漑面積の88%がカバーされている(FAO 2005)。


5.ナイルデルタの灌漑排水システムとその課題

 ナイルデルタ灌漑排水システムの特徴は、南北160km、東西200kmに及ぶ広大なデルタ全体が、計画的に、かつ原則、用排水が完全分離された形で整備されていることである。

 用水は、ナイル川─基幹用水路─幹線用水路─支線用水路─メスカ(配水路)─マルワ(小用水路)の6 段階で耕地に届けられる。メスカまでは用水路であってもその水位は圃場(ほじょう)より低く、最後に小用水路マルワへ揚水される。その揚水のほとんどは、農家個人のディーゼル・ポンプによる(写真1)。かつては、メスカからの揚水にはサキヤと呼ばれる家畜が動かす回転式の円盤型タンクが使われていた。サキヤは固定されていて共同利用であったが、80年代から急速に個人のディーゼル・ポンプに切り替わった。

写真1 ディーゼル・ポンプによるマルワへの揚水
写真1	ディーゼル・ポンプによるマルワへの揚水

 用水の配分は、AHDから支線用水路への供給までを国の灌漑管理事務所が行っている。各幹線用水路では大規模な番水が行われる。たとえば、幹線用水路を上・中・下流の3区域に分け、各区域に4日ずつ配分するという具合である。これによって、デルタを全体としてみるならば、水配分は安定的かつ比較的公平なものになっている。しかし、支線用水路から先の管理は農民の責任になっていて、組織化されていない農家の自由な取水行動によって、上下流間の不均衡が生じている。なお、1990年ごろから水管理改善事業が行われ、メスカの個人ポンプを廃止して、メスカの頭に共同ポンプを新設し、水利組合を設立して共同管理を行う体制作りが進められている。国際協力機構(JICA)も、2000年から、この事業に技術協力プロジェクトとして貢献している(進藤 2012)。

 農地排水に関しては、灌漑農地の地下水位を低く抑えるために敷設された暗渠排水が支線排水路に流出する。この暗渠排水は、日本と異なり、個人農家の圃場をまたいで数キロメートルにわたることもあり、個人圃場単位ではなく、地域全体の地下水排除を担っている。

 上述のように、用水路と排水路は明確に分離して設置されているが、両者のつながりは強まっている。地域全体としてみるならば、幹線用水路の下流部において水不足が生じ、また支線用水路およびメスカのレベルでも水配分に関連して水不足が生じることが多くなり、その水量不足解消のために、幹線および支線排水路のレベルで、排水の用水としての再利用が進んでいるからである。

 こうした再利用における問題は、エジプトのように気温が高い乾燥地域では、耕地からの排水は塩分濃度が高くなっていること、および都市の下水処理が不十分で、さらに農村地域の排水処理に至っては全く手付かずの状況にあって、排水路の水質が極めて悪いことである。


6.エジプトの水資源が抱える問題と今後の課題

 エジプトの水資源が抱える問題は多岐にわたるが、以下、3点について述べる。

 第一は、土壌への塩類集積である。洪水を解消して約50年を経たナイルデルタの土壌はどうなっているのであろうか。FAO(2005)によれば、2005年時点で灌漑に伴う塩類集積が生じている土壌は25万ha、同国の全農地面積の約7%である(別に90万haという説もあるが、集積の定義の差異であろう)。その大半が、デルタ北部の地中海近傍に集中している。デルタ南部にも点在するが、下流に行くほど密になる。少なくとも現時点では、灌漑耕地全体が塩類集積に困っているという状況ではない。塩分濃度の高い排水を用水として利用しなくてはならない地区に集中し、水管理の問題と関係して起こっているのである。ナイル川のカイロ地点の水は、電気伝導度にして0.3〜0.4dS/m程度であって、良質といえる。多くの支線用水路の上中流部の農民は、この良質な用水を比較的潤沢に利用できているため、塩類集積を回避できているのである。

 第二は、水資源の需要と供給の関係である。エジプトはAHDの建設によって、極めて大量の水資源を入手した。前述のように、その効果は莫大で、農業の生産量は飛躍的に増大した。しかし、一方で人口は、そのころから急増し、1960年代初めには2900万人であったものが、2014年には8400万人と、2.9倍になった。

 しかし、この人口を支えるために、沙漠における新規農地開発が求められ、水需要が増大している。1988年7月には、ナセル湖の貯水が底をつきそうになるなど、ナイル川に、もはや水資源の余裕はない。エジプトが新規の水資源を得るためには、既存の農業地域であるデルタにおける灌漑の節水を図るほかないのである(JST 2015)。技術的には、これへの対応に取り組む必要があり、そして今後、世界の国や地域で増大すると思われる同様な事案に、日本が貢献できる役割は少なくない(佐藤 2014)。しかし、灌漑用水についての技術的対応には限界がある。技術的対応が人口を増やし、それが資源への新たな需要を引き起こすという悪循環を平和的に断ち切るのは、人類的課題である。

 第三は、ナイル川流域の管理である。AHDの建設に先立ち、エジプトは1959年、流下してくるナイル川の流量のすべてを、スーダンと2国で分け合うという協定を結び、年間555億tの配分を得た。しかし、上流の水資源供給国が自国の権利であるとして灌漑開発などを進めれば、AHDへの流下水量が減少することは避けられず、深刻な事態になる。

 近年、エチオピアは、青ナイルの支流に巨大な大ルネッサンスダム (総貯水容量790億t)の建設を始めているが、これは発電用であって、下流の水利用可能量を減少させないなどと説明している。南スーダン国内のジョングレイ・プロジェクト(中断中)は、最大13万km2になる巨大湿地帯サッドからの大量の蒸発損失を減少させるための迂回水路建設プロジェクトであり、ナイル川の利用可能水量自体を増大させる、ほぼ最後のプロジェクトと考えられる(反対運動がある)。エジプトは、11か国が関わる国際河川であるナイル川の利用について、流域国とどのような協調関係を築けるのかが問われている。

 ナイル川流域は全体が絶対的水資源不足を抱えているので、流域国の開発、発展に伴って、今後、エジプト国内での水利用に節水がより強く求められるのは必至である。


<参考文献>
Abu-Zeid M, the River Nile: Main Watertransfer Projects in Egypt and Impacts on Egyptian Agriculture, in Asit K. Biswas (ed) Long-Distance Watertransfer,tycooly International, Dublin, 1983
JST、 『地球規模課題対応国際科学技術協力(SATREPS) 分野・領域「環境・エネルギー」 課題・案件名「ナイル流域における食糧・燃料の持続的生産」 (相手国:エジプト) 終了報告書』、www.jst.go.jp/global/kadai/pdf/h2007_final.pdf、2015
加藤博、『ナイル─地域をつむぐ川』、 刀水書房、2008年
熊倉和歌子、「16世紀のナイル灌漑と村落社会 ─ ガルビーヤ県の事例 ─」、 長谷部史彦編 『ナイル・デルタの環境と文明II』、 早稲田大学イスラーム地域研究機構、 pp. 49-75、2013年
Oak Ridge National Laboratory Distributed Active Archive Center (ORNL DAAC) http://daac.ornl.gov/get_data.shtml
Ministry of Water Resources and Irrigation Planning Sector Egypt, National Water Resources Plan 2017, Egypt, 2005
長沢栄治、『エジプトの自画像:ナイルの思想と地域研究』、 平凡社、 2013年
佐藤政良、『エジプト・ナイル川の水利用』、 農業土木学会誌59(11)、 93-98、 1991年
佐藤政良、 『水利技術における日本の強み』、日本ICID協会報、 No. 30、2014年
Shahin M, Hydrology of the Nile Basin, Elsevier, Amsterdam, 1985
進藤惣治、『エジプトにおける稲作をめぐる議論と水利組合強化に対する取組み』、 ARDEC 43、2012年
宇沢弘文・大熊孝 編、 『社会的共通資本としての川』、 東京大学出版会、2010年

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