竹村公太郎 著

『日本史の謎は「地形」で解ける』

 先日TPP協定が署名された。協定は、関税、サービス、投資、知的財産など、暮らしや産業など幅広い分野に及んでいる。21世紀型の貿易・投資ルールとして、域内の人、モノ、資本、情報が活発に行き交うことによって、経済成長を促がすことが期待されているなか、農業など影響を受ける分野への国内対策として、公共事業で来年度予算にも各種政策が計上されている。その予算については「バラマキ」との批判もある。過去においても「公共事業には無駄が多い」、「もう、ダムはいらない」等々、公共事業批判は絶えない。

 公共事業は、インフラ整備と同意語として扱うこともある。英語ではinfrastructure、日本語では社会資本である。百科事典によれば「社会基盤のことをいう。経済用語としては、経済発展基盤となる港湾・鉄道・道路・空港などの交通施設や通信施設や発電所などの動力・エネルギー施設や(かん)(がい)排水施設、また学校・病院・上下水道・公園・公営住宅などの生活関連施設、さらには社会福祉施設なども含める」ということである。


 この公共事業と永く関係している著者は、おおよそ次のように述べている。

 ―公共事業を説明するのは難しい。インフラは社会の下部構造であり、人々が活躍する上部構造と違い理解されにくい。人々が見えないものを理解しないのは当然であり、見えないインフラを説明しようとすることが、もともと無理なのである。インフラそのものではなく、インフラが立脚している地形と気象を説明する。何十年も格闘し、知り尽くしている地形と気象を説明するのは簡単だ。ところが地形と気象を説明していると、説明はそこで止まらない。地形と気象の上に立脚しているインフラに自然と言及していく。そして、そのインフラという下部構造に触れると、下部構造が支えている上部の様々な人間活動にも触れていくことになった。


 本書は、そのような体験、視点のなかから生まれている。

 著者の竹村公太郎は、「日本史の謎」を解いているが歴史学者ではなく、2006年5月より日本水フォーラムの代表理事・事務局長も務めている土木工学科出身で建設省に勤務していた土木技術者である。当時の建設省に入省してから約20年間、ダムや河川事業の現場で技術者として地形や気象と格闘していた。その後も河川行政に長年にわたり携わり、日本全国の「地形」を熟知する著者が、本書では歴史の専門家にはない視点、土木工学的見地(=インフラからの視点)で、日本史のさまざまな謎を解き明かしている。


 「日本史の謎を解いた」その第一弾では、これまでの学校の教科書やドラマなどで表現している内容と異なる視点で、史実を解いている。その興味深い謎解きを、いくつか取り上げると、「関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐに江戸に戻ったのか」、「なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたのか」、「赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したのか」がある。

 徳川家康が京都より500kmも離れた田舎の江戸に、なぜ本拠地を構えたのか。江戸を本拠地にしたことは、土木工学的に卓見であり、まず関東の領地のほとんどに簡単に行けるよう運河を整備し、さらに、利根川を東遷し、江戸をバイパスして太平洋に流し出して、関東平野の姿を湿地から農地へと変えていった。国際灌漑排水委員会の国内委員会資料によると、1600年の日本の農地面積は140万haであったが、100年後の1700年にはおよそ倍の300万haに急増している。日本人の富であるコメを手に入れるためだった。

 征夷大将軍となった源頼朝が本拠を京都ではなく、なぜ鎌倉に置いたのか。不衛生な京都の惨状を見聞きし、伊豆・鎌倉で幼少から青年期まで過ごし、地理・地形を熟知していたことに要因はあった。鎌倉は、船による侵入を防ぐ遠浅の海、飢えた流浪人の流入を防ぐけわしい背後の山々、清冽な湧き水、豊かな森、広い海があり、自給できる地であったのだ。

 赤穂浪士の討ち入りは、なぜ成功したのか。これも土木工学から明らかにしているが、天下の正門は二重橋でなく半蔵門で、その半蔵門のあたりに赤穂浪士が潜伏していたことから、彼らが幕府に保護されていた可能性を解いている。また、三河の地形から赤穂浪士が狙う吉良上野介の吉良家と徳川家は塩田開発を巡って対立関係にあったこと、さらに吉良家が元々室町時代は三河の守護職であったことから、吉良家は徳川家にとって目の上のタンコブだったことも指摘し、徳川幕府が赤穂浪士を助けたと解いている。

 歴史の従来の説を否定しているわけではなく、あくまで「地形」という別の角度から光を当てることで、それは、地形や気象の図や写真などの証拠に基づくものであり、歴史を立体的に浮かび上がらせ、大胆な見方をしている。


 三部作完結となったその第二弾以降では、歴史だけでなく、日本人の勤勉性、日本人の生み出した将棋など、日本の文化・文明へまでも話が拡散しているが、そのそれぞれについても「地形」と「気象」が関係していると解いている。

 地球温暖化問題と地球規模の人口増加、それによる天然資源の(ひっ)(ぱく)も、寒冷化ではなく、温暖化だからこそ、人類に救いはあるという。とくに、南北に3000kmと細長い日本列島で、温暖化は有利に働く。なぜなら、亜寒帯の北海道が温帯になるからだ。北海道は東北六県と北関東を合わせた広さを持っている。その全土が優良な農耕地帯となっていく。さらに、世界の人口増加に反して日本の人口は2010年をピークに減少してきているが、このことも食糧の必要量が減ることで逆に歓迎すべきことという。

 また、日本人を「縮み志向の日本人」と表現した人がいた。大陸から入ってきた丸い団扇(うちわ)を扇子に縮め、長い傘を小型の折りたたみ傘に、室内のステレオを歩きながら聴けるウォークマンにした。「世界屈指の雪国」である日本で形成された高度な文明、これも日本の地形そして気象から解いている。

 仕事の専門分野以外においても、自分の専門分野を生かして考えることは意義あること、ものごとを何か考える場合、多様な、ものの見方がありうることを念頭に置いておくのが、いかに重要であるかも教えている。


国立研究開発法人 国際農林水産業研究センター(JIRCAS)
農村開発領域 主任研究員 石堂憲二

*PHP研究所刊(いずれも本体価格)
『日本史の謎は「地形」で解ける』743円
同【文明・文化篇】705円
同【環境・民族篇】780円

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