人間と土壌
東京大学名誉教授            
NTCコンサルタンツ株式会社 顧問 宮 毅

1.国連が国際土壌年2015年を決議した

 2013年12月20日、第68回国連総会は2015年を国際土壌年とすることを決議した。その決議文は、主語を“The General Assembly”(総会は)とし、述語を “decides, invites, stresses, requests”などの動詞6項目とした、67行にわたる1つの文からなる。強調しているのは「優良な土壌管理を含めた土地管理がとくに経済成長、生物多様性、持続可能な農業と食糧の安全保障、貧困撲滅、女性の地位向上、気候変動への対応および水利用の改善への貢献を含む経済的および社会的な重要性を認識」(八木一行 、高田裕介による仮訳文から引用)することである。そして、各国やあらゆる組織体に、国際土壌年を認識するよう呼びかけ、最後に「事務総長に対し、全加盟国が世界土壌デーおよび国際土壌年を記念するための活動を奨励するように本決議を全加盟国に向けて伝達することを要請する」(同上)と結んでいる。

 この決議文は、土壌の重要性が、単に農業生産のためだけでなく、人間の尊厳においても、また、社会全体においても、多面的に認められることを明言したものである。

2.人間は、土壌なくして生きられるのか

 人間は、空気なくしては生きられない。水なくしても生きられない。さて、それでは、人間は、土壌なくして生きられるのだろうか。

 この問いを発する理由は、昨今の植物工場、養液栽培、宇宙農業、人工光合成などの先端科学技術が、地球人口全体を土壌なしでも支えることのできる食料生産が可能であるかもしれない、という期待感を抱かせるからである。しかしながら、こうした先端技術で養える人口は限られたもので、90億人にも達しようという地球人口の全体を養うには不十分と言わざるを得ない。

 たとえば、宇宙飛行士で見てみよう。宇宙飛行士は宇宙船に土壌を持ち込むことなく、食事を取り、生き続けて、無事に地球へ帰還している。だから、人間は土壌なくして生きられる、と答えるのは短絡的である。なぜなら、宇宙飛行の支援体制を築いた人々(宇宙基地の地上配置の職員、その家族、彼らが属する地域社会の人々、その背景にある食料生産者や輸送者など)の食料は、誰かが提供しなければならず、その各人に広く食料が行き渡らなければならない。そこに、土壌が存在しないわけがない。すなわち、宇宙飛行士と宇宙船の打ち上げに直接携わった人々だけの閉じた社会のみで見れば「宇宙飛行士は、土壌なくして生きることができる」と答えることができるが、この閉じた社会を取り巻く開いた社会全体を見わたすと、「宇宙飛行士は、土壌なくしては生きられない」という答えに到達するのである。

 同じ問いを、都市住民に向ければ「都市住民は、土壌なくして生きられるのか」となる。この答えもまた、宇宙飛行士と類似し、消費者としての都市住民は土壌なくしても生きることは可能であるが、都市を支えるすべての条件を考察すれば、宇宙飛行士と同様、土壌なくして支えることはできない、という理解に到達する。すなわち、「人間は、土壌なくしては生きられない」。

3.これまで、人間と土壌は、どのように語られてきたのか

 土壌を科学・技術の対象と見るようになったのは、いつからなのか。おそらく、約1万年前に、人類が農耕を始めた時、土を耕すという経験を通じて、栽培に適する土壌管理技術を発見したのがその始まりだろう。どうやら、アフリカ、近東、東南アジア、中南米など、各地で独自に農耕が始まったとする、多元的農業起源論が有力のようである。あるいは、1万2800年前頃から、一時的な寒冷現象(ヤンガー・ドリアス期)があり、野生穀物が減少して農耕に頼らざるを得なくなったという説もある。

 土壌が文明を発展させ、人間による土壌劣化がその文明を滅ぼした苦い経験は、名著『土と文明(Topsoil and Civilization)』(初版1955年、改訂版1974年)の著者V. G. カーターとT. デールによって明快に記述された。同書によると、チグリス川とユーフラテス川の肥沃な流域と流水の恵みによって、約6000年前からおよそ2000年間にわたって文明が栄えたメソポタミア(現在のイラクのあたり)は、「森林伐採と過放牧によって、食料供給のメカニズムが破壊され、これが再三再四メソポタミアの没落の要因になった」と記されている。両著者は、問題を俯瞰的にとらえて、「文明は、それらが培われたと同じ地理的環境で衰微した。というのは、主として文明人自身がその文明の発達に寄与した環境を収奪し、荒廃させたからである。」と主張した。

 1990年、小山雄生は、その著書『土の危機』の裏表紙で、「土は、生命の源であり、農業にとって欠かすことのできない重要な要素である。その土が、いままさに破壊されようとしている。アフリカや中国では、砂漠化や塩類化が進んでいる。熱帯林は、激しい勢いで伐採され、急速に姿を消しつつある。わが国でも、都市化により農地は減り、残された耕地も、化学肥料の多投などが原因となって、土地が痩せ、そのため作物に栄養障害が頻発している。さらに、有害な重金属の汚染、降り注ぐ酸性雨、放射能汚染、土壌流失などが、土を脅かしている。すでに土は病んでいる。いますぐにも適切な手当てをほどこし、土づくりに積極的に取り組まなくては、取り返しのつかない事態を招くことにもなりかねない。土の価値を見直し、土の生命力を回復する努力が、いま、切実に求められている。」と警告した。

 2010年、D. モントゴメリーは、その著書『土の文明史(Dirt: The Erosion of Civilizations)』において、「おおまかに言って、多くの文明の歴史は共通の筋をたどっている。最初、肥沃な谷床での農業によって人口が増え、それがある点に達すると傾斜地での耕作に頼るようになる。植物が切り払われ、継続的に耕起することでむき出しの土壌が雨と流水にさらされるようになると、続いて地質学的な意味では急速な斜面の土壌侵食が起きる。その後の数世紀で農業はますます集約化し、そのために養分不足や土壌の喪失が発生すると、収量が低下したり、新しい土地が手に入らなくなって、地域の住民を圧迫する。やがて土壌劣化によって、農業生産力が急増する人口を支えるには不十分となり、文明自体が破綻へと向かう。(中略)土壌侵食が土壌形成を上回る速度で進むと、その繁栄の基礎―すなわち土壌―を保全できなかった文明は寿命を縮めるのだ。」と総括している。

 2015年6月、朝日新聞「私の視点」欄において、愛媛大学名誉教授(環境科学)立川涼は「日本でも土壌に関する教育を強化することが望ましい。(中略)私は『生き残るための地球環境学』を新設し、ここで土壌についての学習を深めることを提案したい。もちろん土壌だけでなく、大気・水・生態系と合わせて実践的に学ぶ。社会・経済的視点も入り、文字通り文理融合の教科になる。これからの時代の変革に対応できる教科にもなろう」と提言した。まさに、時代が求めている実践的方向だろうと共感する。

4.しかし、人間は土壌を劣化させてきた

 国連広報センターによると、世界人口は2010年の69億人から2050年までに90億人に増加すると予測されている。増加人口のほとんどが開発途上国の人口である。急激な人口増加は地球上の資源と環境に大きな負担をかけ、しばしば開発努力を追い越してしまう。さらに、世界の60歳以上の人の数は2009年の7億3700万人から2050年には20億人強に増えるとも予測されている。そして、史上初めてのことであるが、現在、世界人口の半数は都市に住んでいる。

 こうした地球人口を養うには、どうしても土壌が必要であるが、人間は、地球上の土壌をどのように扱ってきたのか。2011年11月28日、国連食糧農業機関(FAO)は、世界の土壌の4分の1が「著しく劣化している」とする調査報告書を発表した。土壌劣化とは、風食、水食、圧縮、塩類化、アルカリ化、酸性化、汚染などによる土壌の物理性、化学性、生物相の劣化をいう。世界全体で劣化の程度が大きかった土壌は全体の25%で、劣化の程度が中程度だったのは44%。「改善されている」土壌は10%に過ぎなかった。FAOのジャック・ディウフ(J. Diouf)事務局長は、「人類はもうこれ以上、必要不可欠な資源をあたかも無尽蔵であるかのように扱うことはできない」と述べた。土壌の劣化がもっとも激しかった地域は、南北アメリカ大陸の西岸地域、欧州と北アフリカの地中海沿岸部、サハラ砂漠南縁に位置する西アフリカのサヘル地域、アフリカ北東部の「アフリカの角」地域、そしてアジア全域だった。また、劣化している土壌の約40%が、最貧地域に位置していた。

 他方、先進国である日本では、温帯モンスーンという比較的恵まれた自然環境のなかで、著しい土壌劣化を指摘される場面は少なかった。しかし、とくに農地への大型機械導入がもたらす土壌劣化は、潜在的に進行しているのではないか。筆者は、主として2つの土壌劣化問題、すなわち大型機械導入により広範囲に硬盤が形成されているのではないかという問題、および耕耘機の高速ロータリーにより表土が過剰に破砕されているのではないかという問題、について危惧している。

 まず、硬盤形成であるが、4トン・トラクタの踏圧は0.17kgf/cm2、6トン・トラクタは0.20kgf/cm2、23トン・トラクタは0.5kgf/cm2程度とみなされ、大型になるほど踏圧が大きく、トラクタ走行後の表土耕起を経ても深さ25pあたりに強固な硬盤を残すのである。人間の足による踏圧はおよそ0.15kgf/cm2、通常の自動車の踏圧はおよそ1kgf/cm2であるから、歩行による農作業は許容されるが、乗用車の農地への乗り入れは厳禁である。このように、効率を重視した大型機械の導入が硬盤形成を促進し、浸透阻害、排水不良、表土喪失、植物根の成長阻害などに影響していないだろうか。

 団粒破砕についていえば、播種(はしゅ)前の畑地整備時に耕耘機の高速ロータリーをかけて、土の表面を布団のように柔らかくふっくらさせることができるが、もしその直後に強い降雨があると、団粒を失った土壌は急速に収縮し、また細粒子が土壌間隙を閉鎖して、予期せぬ浸透不良、排水不良問題を起こすことが危惧される。土壌の適度な不均一性が、むしろ好ましい、という議論に耳を傾けたい。

5.スロー・サイエンスが土壌を救う

 論文数の充実を競う競争の激しい学術分野をファスト・サイエンスと呼ぶのは、揶揄(やゆ)のしすぎだとは思うが、しかし、昨今の「実学重視」「すぐ役に立つ研究重視」「出口の見える研究重視」といった風潮を見ると、要するにファスト・サイエンスを作れ、といっているように思えてならない。これに対し、すぐに役立つかどうか分からないし、いつ成果が出るかも分からないが、何か大切なことを研究している、といったジャンルをスロー・サイエンスと呼ぼう。

 1991年、アメリカのアリゾナ州オラクルに建設された、巨大な密閉空間バイオスフィア2 (Biosphere2) では、8人の科学者が滞在した。彼らはこの閉鎖空間に2年交代で100年間滞在することにした。バイオスフィア2の名称は「第2の生物圏」の意味であり、建設の目的は、人類が宇宙空間に移住する場合、閉鎖された狭い生態系で果たして生存できるのかを検証することと、バイオスフィア1すなわち地球の環境問題について研究することであったという。さて、事前の計算では大気は一定の比率で安定するはずであったが、実際には大気中の二酸化炭素濃度が予測以上に高まり、当初、その原因が解明できなかったという。後になって、その原因は土壌中の微生物の呼吸量が非常に大きかったことが影響して、酸素が不足状態に陥ったとの理解に至ったという。だが、その前に、この計画はスタート後2年余で打ち切りとなった。人間が居住する人工生態系閉鎖空間において、土壌の役割が的確に評価できなかったことが、この計画挫折の大きな原因となった。これを、「ファスト・サイエンスの失敗」といっては、果たしていい過ぎであろうか。

 これと正反対のスロー・サイエンス事例を述べよう。かつて、私が所属していた四国の傾斜地に立地する農業試験場において、同じ形をしたコンクリート枠12連を屋外に用意し、それぞれの区画に同じ土壌を詰め、その地表面に12種類の異なる条件を与えた研究者がいた。その条件とは、裸地、3種類の牧草、3種類の果樹、3種類の木、2種類の水田、である。このような区分けされた枠において、水や養分の出入り量を計測することをライシメータ試験と呼ぶ。同氏は、土曜、日曜、祭日を含み、雨、台風、強風、などの自然条件すべてのもとで、1年365日、このライシメータからの雨水の地表面流出、地下浸透量、土壌侵食量、養分収支などを毎日欠かさず測定し、7年間それを続行した。そして、7年分のデータをもとに、水収支と土砂流出と栄養塩類収支の統計解析を行い、2本の分厚い論文として提出し、その年、定年退職された。そのデータの素晴らしさは他に類例を見ないものであり、私は折に触れてそのデータを引用させていただいている。

 これこそが、スロー・サイエンスである。じっくり時間をかけ、自分の問いに自らの手を下して答える研究。土壌劣化と対決するには、こうした研究が求められるのである。

6.土は地球の宝物

 岩田進午は、その著書『土のはなし』(1985年)において、人間の食料生産のなくてはならない場としての土、大切に扱わなければいつかは破損してしまうものとしての土、科学の宝庫としての土を、「地球の宝物」と表現した。

 1999年1月31日に放映されたNHKスペシャル『世紀を越えて 地球・豊かさの限界 第2集 大地はどこまで人を養えるか』は、土がどれだけ大切なものかをリアルな映像で示した秀逸な報道番組であった。これを見ると、たとえば、ノーベル平和賞を受賞したアメリカのボーローグ博士が推奨した「緑の革命」が、いかに土壌を疲弊させ、世界的規模の土壌劣化を引き起こしたか、が重い説得力で伝わってくる。「緑の革命」は、人類の救世主として記憶されているが、その裏では、風食、塩類集積、ウォーター・ロギング(湛水)など、修復不能な環境破壊も同時進行したことに学ぶべきである。土が「地球の宝物」であることは、20年近く前に放映されたこの映像を見るだけでもよく分かるので、是非見ていただきたい。

 筆者は、長年、土壌物理学と環境地水学に携わってきた。そのなかで、「土の不思議」とでも呼ぶべきいくつもの出来事があり、それが私の研究人生を形作ってくれた。最初の不思議は、晴天の砂丘地で、夜中に地表が湿る現象であった。これは夜間放射の影響で地表が結露したのだろう、との仮説で現地測定を行ったところ、驚いたことに、砂の湿り気のほとんどは、地下から地表面に向かって上昇した水蒸気の凝縮によるものだった。文献を調べてみると、温度勾配下の土壌中水分移動、という古くからの研究テーマがあり、多くの著名な研究者の論文が存在したが、晴天の砂丘地で夜中に地表が湿る現象を理論的に扱った研究は存在しなかった。そこで、現場連続計測、室内反復実験、理論計算、移動現象モデル論などを駆使し、現象のメカニズムを解明する事に成功した。ああ、土は「科学の宝庫」だと、初めて実感した瞬間であった。

 次の不思議は、斜面中の水移動であり、斜面土壌中に浸透した水はどこへ行くか、という疑問に向き合った。ここでも土の中では複雑な流れの屈折現象が起きていることを知り、その理論解析やモデル化に夢中になった。成層斜面のキャピラリー・バリアー(Capillary Barrier)を発見したときの感動も忘れられない。また、電流回路で有名なキルヒホッフの1845年の論文が、斜面中の水分移動の研究に繋がっていることを発見したときの興奮は忘れられない。


 さらに、土壌微生物が土壌中の物質移動にどのような影響を与えているかを多くの大学院生の研究テーマとして与えたところ、次々と新しい研究成果が生み出された。たとえば、ミズゴケ湿原の下から吹き出すあぶくの正体を暴け、といった課題を与えたところ、ある気象条件のもとで湿原から多量の温室効果ガス、メタンが放出されるという大発見につながった。低気圧が地下のメタンを噴出させたのである。微生物が関与する土壌中の物質移動については、私が指導した若い研究者が、多くの国際ジャーナルや国際学会で研究成果を発表して今日に至っている。まさに、土壌は「科学の宝庫」だったのである。

7.人間と土壌

 人間は土壌なくしては生きられない。歴史を顧みれば、土壌が、肥沃な農業を可能にさせ、農耕と食料生産を発展させ、人間の文明を栄えさせた。しかしながら、土壌の恩恵を受けてきた人間自身が、土壌劣化の元凶でもあった。そして、現在も土壌劣化は進行中であり、一刻も早くその進行を食い止めるべきである。このことの重要性に鑑み、国連は2015年を国際土壌年と決定した。土壌は「地球の宝物」であると同時に、「科学の宝庫」でもある。人間と土壌との間に、持続的なパートナーシップを築くことが、いま、求められていると思う。

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