国際協力の新段階における
国際農林水産業研究センターの役割

独立行政法人 国際農林水産業研究センター(JIRCAS)     
研究戦略室 室長 小山 修

1.はじめに

 多くの読者はご存じかもしれないが、独立行政法人国際農林水産業研究センター(JIRCAS)は、熱帯・亜熱帯と開発途上地域の農林水産業技術の向上を業務としている。前身は、熱帯農業研究センター(TARC)と呼ばれ、1970(昭和45)年に当時の農林省の内部部局として設立された。今年で創立45周年を迎えるが、昨年60年を迎えた政府開発援助(ODA)の歴史と無関係ではない。当時、東南アジアおよび南アジアで日本の技術協力が開始されていたが、中心となるべき農業分野での研究蓄積の貧弱さが懸念されていて、主として海外における農業技術協力を研究面で支援することを目指して、TARCが設立されたのである。

 設立当初は、手探りの状態で、土壌障害、病虫害などの現場で解決すべき個別の問題を見つけて研究課題化し、研究者を単独で派遣するという、今にして考えれば、やや戦略性を欠く運営がなされていた。経験が蓄積されるにつれて、国内での支援研究を絡ませたり、研究者のグループを形成したりする手法が取り入れられ、1993(平成5)年のJIRCAS 設立の頃には、総合研究プロジェクトという、いろいろな学問分野が協力して、より広範な問題解決にあたる研究手法が採用されるようになった。現在では、「資源環境管理」、「食料安定生産」、「農村活性化」という農林水産業分野の主要開発目標を関連づけた三つの研究プログラムのもとで、期間を限定して工程管理・評価を行うプロジェクト研究が展開されている。JIRCASの研究推進手法は、時代の要請ととともに進化してきている。

 本稿では、昨今の世界の農林水産業と農林水産研究の変化と、新たな「開発協力大綱」に代表される、わが国の国際協力全般の変化の方向を踏まえて、JIRCASあるいは日本の農林水産研究部門が今後、国際的な舞台で担って行くべき役割を展望する。


1.変化する世界の研究課題

 JIRCAS/TARCの創設以降、緑の革命などの科学技術に支えられた作物の生産性向上によって、世界の人口1人当たりの食料供給量は増大し続け、食料の相対価格(他の産品や賃金と比較した価格)も、長年にわたり低下傾向にあった。貧困人口も栄養不良人口も、世界全体でみれば減少傾向にある。

 しかし、バイオ燃料技術が本格導入され始めた2000年を機に、食料のエネルギーへの転換利用や新興国での新規輸入需要が増えると、需給関係に変化が現れ始めた。相対価格の上昇と不安定化が、グローバル経済によって世界の隅ずみまで密接につながった世界市場を揺るがし、将来の食料安定供給に不安を投げかけている。リーマンショック後の2008年の価格高騰は、世界の目を農業投資、研究開発へ振り向かせる契機となった。

 世界の農業研究の分野では、長年の食料価格の低迷による先進国での増産意欲の減退と気候変動や環境汚染などの問題の顕在化によって、一時、環境研究および持続性研究の割合が増加したが、近年では単位面積当たり収量の増加など、生産性研究への回帰が指摘されている。

 食料安全保障の議論においても、個人や家族の食料へのアクセスの視点が重視されていたが、最近では、主要食料作物の生産性の維持向上や総体としての食料供給の確保、食料価格の安定化の議論が見直されている。さらに、肥満、栄養バランスや微量栄養素の欠乏などの栄養問題、国境を越えて流通する食品の安全性などの食料の質に関する研究課題も重要になってきている。

 国際的な農林水産研究の場面で、上に述べた研究対象の変化以上に大きく変貌しつつあるのが、研究活動の進め方である。情報処理技術の発達によって、海外の研究者との共同研究は格段に容易になっている。地球の裏側の研究者が、あたかも隣の実験室にいるような感覚で研究を進めることが可能になっている。科学に国境はなく、英語の論文は、地球公共財として瞬く間に世界中に共有される。農林水産業の多くの研究課題が地球規模で議論されていて、研究者のネットワーク化が進行している。


2.国内産業の変化と研究ニーズ

 よく指摘されるように、わが国の農林水産業は、国内における生産および流通のコスト高を背景に全般に価格面での競争力に乏しく、農業、林業、水産業のいずれを問わず、国内市場が開放されるにつれて、対外依存度が上昇している。このようななかで、公的資金を投じて海外を対象にして行う農林水産研究に対して、わが国の食料安定供給および産業振興に、直接的に貢献するようなものでなければならないという考え方が浸透している。このような考え方は、実際、TARC設立の当初からあり、いろいろな議論がなされてきた。当時からすでに、わが国の第一次産業には危機感があったのである。

 私の結論としては、旺盛な需要増加が想定される開発途上地域での食料供給能力の向上や、それを基礎とした経済発展は、食料の多くを海外に依存し、海外市場に多くの産品を輸出するわが国にとって、有益でありこそすれ、害を及ぼすことなどないということである。わが国の食料安全保障の確保のための国内産業の振興および保護は最重要であるが、それは、条件の劣悪な開発途上国に対してではなく、たとえば、もっとも競争力のあるアメリカやオーストラリアの先進農業などに、対抗できるようなものでなければならないのである。

 ブラジルは、TARCの研究者を含むわが国の技術協力もあって、世界最大のダイズの輸出国となった。そのダイズの多くが中国に輸出されているという指摘があるが、もし、このダイズがなければ、わが国の輸入支払い額はさらに高額なものになっていたに違いない。国際益と国益とは、まさに不可分なのである。

 一方、国内産業向けの研究でも、国際的な視点が強調されつつある。感染症の侵入や輸入食品の安全性、さらには気候変動への適応など越境性の、あるいは地球規模の、一国では解決できない研究課題が増えている。日本の農林水産物や関連産業の海外展開のための支援研究という側面もある。国内外の競争が激しくなればなるほど、外国の技術水準や制度を理解することが必要になる。農林水産業そのもののグローバル化の深化に対応して、国際研究に対する研究は、増加する一方であり、国内研究の国際化、国際研究の国内への還元という相互依存が生まれ、国内・国際の境界が不明確化してきている。

 国際研究協力の分野でも、従来の二国間の現場問題解決型の技術開発から、地球規模課題解決のためのネットワークによる活動へ向かう動きが顕著である。とくに、新興国が台頭して発言力を増しつつあるG20などの国際舞台では、共通の課題を協力して解決しようとする新たな動きが始まっている。

 農業分野では、リーマンショック後の価格高騰を契機にした市場のモニタリング、研究・普及・教育・現場を縦断した人材の育成、主要な農産物ごとの多国間の研究連携などが進行し、資金の流れも変化しつつある。資金の拠出国も受益国も、国連機関や開発金融機関だけでない多様な多国間の枠組みに対応して行かなければならない。わが国の国際協力も、このような動きに歩調を合わせていかなければならない、新たな段階に到達している。


3.JIRCASの周囲の変化

 最初に紹介したように、JIRCASは、発足時、技術協力のための研究蓄積を指向していたが、現在では、それらの現場型研究を中心としつつも、基礎研究から応用研究まで、地球規模の問題解決のための、より普遍的で広範な研究成果の創出を追求している。国内の政府系機関でありながら、国際農業研究協議グループ(CGIAR)などの地球公共財を創出する国際研究機関のような業務も担っている。

 事実、JIRCASは、長年の連携の蓄積によってCGIARからパートナー機関という特別な地位を与えられている。世界にはJIRCASの他にもフランス国際農業開発研究所(CIRAD)やオーストラリア国際農業研究センター(ACIAR)などの類似の研究機関があるが、JIRCASは小さい研究機関でありながら、対象地域、研究分野が広く、かつ、イコール・パートナーシップを前提とした共同研究を行うという特異な活動を行っている。JIRCASのこうした長年の活動は、国際的にも評価され、異彩を放っている。

 わが国は、多くのエネルギー、鉱物資源、食料を海外に依存し、確保して行かなくてはならない立場にある一方、平和憲法の下、国際協力を外交の主要な手段に位置づけている。さらに、今世紀に入ってからは、「科学技術創造立国」や「科学技術外交」などの政策が議論され、研究によって世界に貢献し、国際社会に影響を及ぼすという施策が打ち出されている。科学技術振興機構(JST)と国際協力機構(JICA)が協力して実施している地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)はそのような施策を代表するものである。

 SATREPSは、「気候変動」「生物資源」「環境」「低炭素」「防災」「感染症」など、広範な分野の共同研究を推進しているが、これらのかなりの採択課題が「現場を持った研究課題」および「広義の農学」の分野である。JIRCASは、科学技術外交の議論にも、このプログラムの運営にも当初から関与しているが、これによって国際農林水産業研究の周辺分野に相当額の研究費が供給され、JIRCASの活動が補完・拡充されている。

 このプログラムが世界的にも優れているのは、研究を現場につなげる橋渡しが当初の計画段階から意識され、予算化されている点である。また、国際機関の関与や近隣国での活動など、従来の二国間の技術協力を超えた活動が展開されている。

 SATREPS以外にも、わが国の大学および研究機関の活動を国際的な水準にする動きは顕著である。留学生数の拡大や外国機関との研究協力などを支援するプログラムが新たに創設され、国際的な連携が強化されつつある。これまでのように、わが国の農林水産業分野の開発途上地域を対象とした国際共同研究で、JIRCASだけが突出した機関であるという状況は、すでに過去のものとなっているのである。このような周辺状況の変化のなかで、JIRCASにどのような役割が期待されるのか、世界のなかでどう存在意義を高めていくのかが問われている。


4.JIRCASの役割

 流動する状況のなかにあっては、「変化するもの」と「変化しないもの」の本質を見極めなければならない。世界の開発課題が、国連ミレニアム開発目標の後継目標(SDGs)の議論にあるように、多元化、広範化しつつあるのは事実であるが、一方で、貧困の削減、食料安全保障の確保、環境の持続的保全および管理は、人類共通の普遍的目標として重要視され続けている。

 逆説的にいえば、これらは短期間のうちに容易に解決することはできない、基本的な難問なのである。事実、現在検討されている、CGIARの2016-25年の戦略成果枠組みという基本文書でも国際農業研究の最終的な目標を、(1)貧困の削減、(2)健康のための食料と栄養の確保の改善、(3)自然資源システムと生態系サービスの改善の三つとしている。

 JIRCASは、これまでの路線の活動を着実に地道に継続および発展させることによって、人類共通の開発目標に貢献していくという姿勢を忘れてはならない。そのうえで、目標達成の手段を、もっとも効果的かつ持続的なもの、すなわち研究の成果が広範囲の社会的インパクトを与えるようなプロセスにしていく必要がある。長期的な視野での人材の育成が、何にもまして重要であることも、忘れてはならない。

 もうひとつの変化の本質は、科学および技術の重要性の認識である。最近では、貧困削減に果たす農業開発の役割、さらには農業開発に果たす技術普及の役割が再評価されている。農業研究開発投資が貧困削減に及ぼす効果は極めて高いとされ、国際農業研究機関への資金の流れが回復している。事実、立ちふさがる資源および環境の制約のなかで、増大する人類の食料需要を満たすためには相応の、かつ、長期に継続した技術革新が不可欠であることは自明である。

 画期的な科学的発見や基盤技術をイノベーションに結び付け、世界の農林水産業を根底から変革していくような取り組みが求められている。JIRCASを含むすべての農林水産研究機関は、そのような基本的な使命を忘れてはならない。JIRCASには、不良あるいは劣悪な環境に向けた作物開発や未利用資源の開発利用など、基礎的な分野でのブレークスルーを達成する研究蓄積および優位性が維持されている。

 本年4月をもって、JIRCASは、「国立研究開発法人」と改称される。法人のほとんどの研究資金が国からの予算で賄われている以上、国の政策の変化に即応した業務を行うべきことは論をまたない。新たな食料・農業・農村基本計画や農林水産研究基本計画に示される政策の内容を実現することが、国の機関としての基本的使命である。とくに、2016年4月には、農業関係の研究開発法人が一つに統合され、JIRCASは、農業・林業・水産業に関する他の規模の大きい3つの研究法人と並んで、単独の小規模の研究法人として活動していく計画となっている。法人間においては、いっそうの連携と分担関係の明確化が必要であり、JIRCASは、これまでにも増してナショナル「センター」としての機能(中核機能、情報機能、窓口および結節機能、人材育成機能など)を、強化していかなければならない。

 具体的には、農林水産分野の開発型研究の広範な関係者の集まりでJIRCASが事務局を担っている「持続的開発のための農林水産国際研究フォーラム(J-FARD)」、あるいは農学分野の大学の教育・研究の国際協力活動を支援する「農学知的支援ネットワーク(JISNAS)」の活動に貢献し、この分野の代表機関として、わが国全体としての活動活性化を牽引していくべき立場にある。

 新たな「開発協力大綱」の検討では、連携(パートナーシップ)の確保が強調されている。地球規模課題の解決のため、国際協力に必要なリソースの確保のためには、国内の研究機関や大学民間企業などの連携が不可欠である。JIRCASは、JICAと定期的な連絡体制を持ち、緊密な連携を実施してきているが、さらに踏み込んだ連携が求められている。技術協力分野でも、人材育成を兼ねた研究協力の比重が高まっていて、技術協力においても、新興国および中進国では、一方的な援助から、共同活動や多国間協力による課題解決という、JIRCAS型の協力形態へ移行していく方向にある。


おわりに

 すべての組織にはその使命があり、使命が達成されたとき、組織は不要になり、廃止されるか自然消滅する。JIRCASを取り巻く情勢を見ると、時代は今後ともJIRCASの活動を必要としている。国内外で、JIRCASが実施するような国際農林水産業研究への期待は高まっているが、一方でJIRCASの活動資源には限界がある。戦略性を高めた運営とともに、連携と協力の拡大によって、成果を効果的に生み出していくことにしか、道は残されていない。

 世界最大の食料純輸入国であるわが国は、世界の食料供給に応分の責任を負っている。そして食料輸入国であるが故に、広範囲で積極的な研究協力が可能となっている側面もある。事実、歴史的に見て国際協力の分野での農業・食料分野の比重は諸外国に比して比較的に高い。わが国の農林水産業は、量的な規模としては大きくはないが、生産、流通加工ともに緻密で高品質であり、気候も寒帯から亜熱帯まで多様性に富んでいる。このため、日本人は生まれながらにして多様で繊細な食料を五感で感じている。

 わが国の農林水産業は、高齢化や多投入など社会的にも環境的にも、多くの課題を抱え、他国の先頭で問題を経験し、解決していかなければならない「課題先進国」でもある。このような日本の、日本的思考による農林水産研究は、国際社会で特異な価値をもっていて、世界に大きな貢献が可能であると筆者は考えている。JIRCASは、世界の農林水産業の未来を支える研究の一翼を担い続けていくであろう。



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