特集解題

ARDEC 企画委員長 上田一美

 「解題」の冒頭ではあるが、1962年設立の海外技術協力事業団と翌63年設立の海外移住事業団とが統合され、74年に国際協力事業団が設立された当初の感動を思い出した。当時は国際協力に明確な理念や目的を持てること自体に使命感を実感し、確たる実施体制、組織の下で援助先進国の仲間入りをして、活躍できるという喜びがあった。

 アメリカを抜き世界最大の援助国となったこともあり(1989年)、多くの実績を残してきた。とくに西・東南アジアの開発への関与は膨大といえる。いくつかの案件はマスコミの脚光を浴びたが、地味に着実に貢献したもの、さほどの貢献はできなかったもの、また失敗に終わったものもある。いずれも貴重な国家財産と考えられる。残念ながら膨大にすぎて、全体像を一般人が概観することは困難である。

 去る2月10日に閣議決定された「開発協力大綱」はこれらの蓄積を土台として、さらに質の高い、ダイナミックな国際協力の実施を目指して策定されたものである。もとより国際協力は複雑で流動的な国際情勢に即応して、外交、産業、貿易、市場、食料、エネルギー、資源などの問題とも密接に関連しているので、多様な幅広い漏れの無い協力を追求し、実施に際しては他の国際機関やNGO、さらには企業などとも密接に連携して、ダイナミックで質の高い協力を目指すことは時代に即応したものであろう。

 ただ個人的には、そうした高度な協力を実施するためには、現行体制を再点検する必要があるのではないかと考える。多様な文化や言語に柔軟に対応できる優秀な人材の確保が必要であるうえ、高度な政策、意思決定システムや実施機関の整備が不可欠で、さもなければ「かく在りたい」という美辞麗句に終わる可能性が高いと思っている。


Back to Basics

国際協力の原点を振り返り、新たな地平を切り拓く

 農業農村開発協力分野の核からの「開発協力大綱」の解説は貴重である。過去の実績から、人づくりやキャパシティ開発を日本の強みと捉え、従来からのグローバル・フードバリューチェーン戦略などの諸分野に加え、よりダイナミックな付加価値の高い協力を行っていくうえでの横断的な視点が、明確に、かつ遺漏なく説明されている。

開発協力大綱における平和構築支援および復興支援

 農業農村開発の専門家としての長年に及ぶ現場体験が集約された、容易には得難い内容である。とくに、アフリカでの経験から復興支援型コミュニティ開発とフードバリューチェーン構想の展開を強調し、また3年間という短期間の評価を推奨しているのが印象的である。

今後の農業農村開発協力について

 国内の農業農村開発の経験に立脚し、新大綱による国際農業農村開発協力を詳細に説明している。とくに、60周年を迎えた国際協力の実績をデータベース化する案が提唱されているが、大いに期待に値する。

カンボジアにおける灌漑の改修・開発と日本のODA

 日本にとっての代表的な援助先からの貴重な報文である。農業農村開発が国家の安定した開発に不可欠であり、それが他分野の民間投資を誘引し、ひいてはASEANの発展に資するとされている。かつて国連統治(UNCTAD)時代にはカンボジアは世界の援助組織のデパートと呼ばれていたが、その総括は入手できるだろうか。

国際協力の新段階における
国際農林水産業研究センターの役割

 農林水産業の研究組織の核からの提言で貴重である。とくに関連研究の境界や国境がなくなり、地球公共財として瞬く間に世界中に共有されるネットワーク化が進行していること、研究成果が広範囲の社会的インパクトを与えるようなプロセスを目指していること、長期的視野での人材育成の重要性を説いていることなど印象的である。いずれも研究分野にかぎらず、援助実施機関にも当てはまろう。

世界水会議(WWC)と世界の水議論
〜開発協力〜持続可能な開発目標(SDGs)の動向

 「開発協力大綱」と世界水会議での国際的課題を的確に関連させている。「未来ある若い世代」に開発協力をめぐる国際的潮流への積極的参加と多様な分野およびレベルでのネットワーク構築を促しているのは興味深い。また、アフリカを中心とする中国の援助について、「是非は別にして受入国には使い勝手が良い」旨を指摘している。

農業農村分野における
コミュニティレベルでの協力の取り組み方

 まず、「開発協力大綱」では「成長」が重視され、「国益」が前面に打ち出され、依然として最重要であるはずの「貧困解消」の取り組みがいささか後退はしないかとの懸念が示されている。本論では、主として旧緑資源機構のマリでの実証型開発調査を事例として、コミュニティ参加型事業の可能性と諸課題が指摘されている。

インドを緑に変えた偉人

 日本人に、これ程の偉人が存在したことは、私にとって誇りでもあり、一方で「いかに自分が不勉強であったか」を思い知らされたという意味で、脅威的でもあった。

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