アジアにおける気候変動と農業

一般財団法人 日本水土総合研究所

はじめに

 洪水や干ばつなど地球的規模で気候変動が起こっており、私たちが住むアジアも例外ではない。2011年のタイの洪水や最近のアメリカ、中国やインドの干ばつなど、世界的に新聞紙面を賑わしている。
 このような状況の下、2012年のタイの英字紙ザ・ネーションは同年に発表されたイギリス・リーズ大学の調査機関である低炭素未来研究所の報告書『アジアの将来の干ばつとそれに関連する食料の見通し』を何度か取り上げて、その解説、国際機関担当者のインタビューを掲載している。
 これらの記事は大変興味深く、しかも示唆に富んでいることから、それを基にアジアの食料・農地・水の現状、各機関の気候変動の予測および適応策などを紹介する。

1. アジアの食料・農地・水の現状と展望

 アジアにおける急速な経済成長にもかかわらず、食料の不安定、貧富の格差などが存在する。なかでも、南アジアでもっとも顕著であり、アジアの栄養不足人口の6割が住み、標準体重より軽い子供の8割が暮らしている。
 台頭する中産階級の消費パターンの変化、食肉需要増大に対応するための飼料向け穀物需要の増大、バイオ燃料への誘導政策に伴う原料向け穀物需要あるいは油糧作物への作付転換、さらには気候変動に伴い多発する異常気象や自然災害のなかで、アジアの国々はフード・セキュリティを確保するために、いわば闘っている。この世界には今や70億を上回る人々が暮らし、なおも人口は増え続けている。問題は今から2050年までに、世界人口が20億人以上も増加して、その増加人口の半分以上をアジアが占めることである。
 世界最大の人口を有する中国は、また最大の穀物生産国である。2025年までに世界の人口が80億人を超え、さらに中産階級の世界規模の増加と関連して食事や生活様式が変われば、アジアの食料需要は21世紀にいっそう大きくなる。

 アジアは世界でもっとも急速に経済成長を遂げている中国やインドを擁しているが、一方で、世界の最貧困層の3分の2、栄養不足人口の60%以上を抱える地域である。
 この地域では、世界のコムギの約60%、トウモロコシの約27%、コメの約94%を生産する。この3つの穀物だけで、毎年1000億ドル以上の価値を生み出している。
 しかし、開発を進め急速な経済発展を遂げつつあるアジアにとっても、じつは直面している大きな脅威がひとつある。それが気候変動である。

2. 気候変動の予測

(1)イギリス・リーズ大学低炭素未来研究所(ジョン・プライス所長)

 気候変動がアジアの農業生産、主としてコムギやコメに及ぼす影響に関する従来の研究は、概して2050年やそれ以降の影響を対象とするものであった。これに対し、同研究所は、将来の食料危機を回避する行動を促す情報を提供するため、今後20年のフード・セキュリティへの影響に係わる報告書を発表した。
 具体的には、世界の12の先進的な気候モデルセンターでシミュレーションを行い、科学的な予見を得ている。

 研究チームによれば、直近の1990年から2005年と比較して、2020年代には土壌水分が低下するという変化が生じるとしている。この研究においては、収量は土壌水分により評価している。つまり、気候変動による干ばつがもたらす土壌水分の低下が、ここ10〜15年のうちにアジアの食料生産に脅威を与えることになる。1990年から2005年の各月平均に比べて、現地調査を行った地区では12の月のうちの連続する4か月あるいはそれ以上の月において、土壌水分は少なく、厳しい干ばつがアジア全域に拡がることが懸念されている。
 具体的に国別に見てみると、コムギとトウモロコシの主要生産国のうち、中国、パキスタンおよびトルコはイランと同様に、最近、その頻度が高まっている干ばつにさらされることになる。アフガニスタンやキルギスも、干ばつにさらされる見込みがもっとも高い。

 このような現象が世界の多くの食料を生産するアジアに発生すると、食料需給情勢が緊迫して、地球的規模の関心事となる。しかし、農地資源は有限であり、いくら改良を重ねても、増加する人口を養うにはやはり限りがある。

(2)同大学・気候および大気科学研究所(同報告書の主筆であるピアーズ・フォスター教授)

 報告書では、2020年までに、アジアではより長期間にわたる、深刻な干ばつが発生するとしている。
 アジアにおける主要穀物(コメ、コムギ、トウモロコシ)の主要生産国のうち、中国、ベトナムとインドネシアはもっとも深刻な干ばつにみまわれることになる。中国ではとくに、中央、南部、東北部で、コムギおよびトウモロコシの作付地帯において、乾燥化の傾向がみられる。

 世界の春コムギの平均収量は、今後50年で25%に迫る減少が見込まれる。なかでも南アジア、南アフリカといった地域は、ほかの地域よりも早く影響を受けるであろう。
 アジアの一部の国々では、気温の上昇や異常気象の発生によって、すでに農業生産の減少がみられる。とくに使用可能な淡水資源が減少することによって、農業分野も影響を受ける。現在、アジアでは食料をほぼ自給しているが、食料の相当な量を輸入し始める必要があれば、世界の食料貿易に影響が及ぶであろう。

(3)国際食料政策研究所

 2050年までに気候変動により、東アジアとオセアニアのコメの生産量は10%、また、南アジアでは14%減少すると予測している。同時にコメの価格は32〜37%上昇するとされている。

図1 食料物資・非食料物資・物資総合の年間価格上昇率
 出所:The Nation の当該記事を参考に、
ADB, Food Security and Poverty in Asia and the Pacific, April 2012 の数値によって作成
図1 食料物資・非食料物資・物資総合の年間価格上昇率

(4)国際稲研究所IRRI(ロバート・ザイグラー局長)

 気候変動はすでにアジアのコメ生産に影響を与えていて、今後も影響は続くであろう。というのもアジアにおいては、海面上昇の脅威にさらされる低平地のデルタや沿岸地域で、コメの大半が栽培されていて、その生産量は気候変動に脆弱(ぜいじゃく)なのである。
 このような状況の下、ここ数十年間、アジアのコメ生産に係わる所得は、広大なデルタを有する国々から生み出されている。たとえば、ベトナム産のコメの半分以上は海面上昇や洪水被害にみまわれるメコン川流域で栽培されている。一部の農家は深刻な海水浸入や乾期の水不足に対応している。そのようにして生産されたコメの多くは輸出され、アジアとアフリカの輸入先の開発途上国のコメ需要を完全には満たしていないが、食料供給源として貢献している。
 しかしながら、トウモロコシやコムギに比べれば世界的な穀物市場のコメ供給量は極端に薄く、かつ不安定であり、気候変動で予測される供給不足はさらに価格を押し上げることになるであろう。そして、価格が上昇すれば、多くの貧困層の人々は飢餓に直面することになる。

3. 気候変動に関する適応策など

(1)イギリス・リーズ大学・低炭素未来研究所

 気候変動に対して影響緩和策を取ろうとしても、食料生産を保護するためには不十分である。代わりに、作付時期の変更や耐熱性品種の導入などによって、気候変動や干ばつ年の影響を軽減するといった適応策を取る必要がある。
 インドはコムギにおいては世界で2番目、トウモロコシでは7番目の生産国であり、同国の適応能力のいかんは、まさに世界の研究者の関心を呼んでいる。インドはもっとも頻繁に干ばつにみまわれるリスクはないという科学的な見通しを得たが、一方でアジアという範囲でみた場合、適応能力がもっとも低かった。たとえば、北インドはコムギ生産に関し、中央および北インドはトウモロコシ生産に関し、もっとも適応能力が低い。また、コメ生産に関してみれば、フィリピン、タイおよびベトナムを含む主要生産国の適応能力も不十分である。

 最近の国連持続可能な開発会議(リオ+20)に至るまでの遅々とした歩みをみると、増加するアジアの人口を養い、地球規模のフード・セキュリティへの影響の軽減を目指すならば、気候変動に関する自然科学の新たなる発信を待っているような猶予はもはやない。供給可能な水資源の利用効率と持続性を高めて、適応能力を強化するために、緊急の行動が求められている。

 気候変動に適応できるために必要な多くの社会経済的な対応は、作物や地域の栽培環境に特有である。たとえば、多くの肥料の集中的な施用は、熱帯では有効であるが、乾燥地帯ではそのような期待はできなく、寒帯・温帯気候で適応能力は低い。あるいは、コムギに有効な対策が、トウモロコシには無効であったりする。
 また、国家の経済力にも規定される。富裕国にあっては機能する対策が、貧困国では機能し得ないことも十分に考えられる。あるいは、中所得国は、干ばつのような気候変動の影響に被害を受けやすい。こうした国では、低所得国の伝統的農法と結びついた優れた適応能力は失われている場合が多いからである。同時に、ハイブリッド種子や肥料の施用に係わる技術革新のような、高所得国には有用な優れた農業技術に投資する財政的手段もない。自由で公正な貿易を促進するために、また収穫のレジリアンスに寄与する技術開発への取り組みが広く展開されるために、富の不平等の是正が必要である。

(2)国際稲研究所IRRI(ロバート・ザイグラー局長)

 気候変動の予想される影響に対処するため、現地で農家が使えるような、先取りした新技術の研究開発などをベトナム職員と一緒に行っている。たとえば、耐洪水性・耐塩性品種の開発や節水技術の普及などである。

(3)アジア開発銀行(ヤオ・シアンビン大洋州局長)

 アジアを開発する重要な鍵のひとつは、農村には現在欠如していて発展のために強く望まれている事柄、農業者の貧しさ、および気候変動と正面から向かいあって、「本来あるべき経済成長」と「フード・セキュリティの確保」を目指して、妥協なき取り組みをすることである。

おわりに

 気候変動がアジアの食料・農業へ与える影響について、シミュレーションに基づき示されている従来のレポートは40〜50年先をみすえたものが多かった。しかし、同報告書では、土壌水分と収量の変化などを解析して、ここ10年間を予測し、コメ・コムギ・トウモロコシなど主要穀物の将来の収量、気候変動への適応力に関して、具体的な数字を掲げ、地域を特定して警告を発している。

 たとえば、先にも述べたように、アジアにあって熱帯モンスーンに位置する地域では、雨期の豊かな水量を利用して、いわば地球の食料倉庫のような役割も果たしていて、メコンデルタに象徴されるように多くのコメ生産を行っている。しかし、低平地で海水浸入や乾期の水不足に苛まれている。他方、ムギやトウモロコシを作付けている畑作地帯にあっては、干ばつが進行して、土壌は水分が低下するとともに劣化してきている。

 このように一見豊かそうに見えるアジア農業も洪水、干ばつに頻繁にみまわれ、その脆弱性を露呈してきている。
 同紙の記事では、各国の政策立案者の責任は大きいとしている。およそ70億の世界人口が今世紀半ばまでに90億人超に爆発的に増加し、食料生産は気候変動によって縮小するなか、政策立案者は今こそ的確な情報発信をすべきである。また、今後10年をみすえて各国、各地域に適したハード、ソフトの両面にわたって、必ずしもハイテクでない、農家が受け入れ可能な、しかも現地に適用可能な営農技術の研究開発が重要にして急ぐべき課題である。

 気候変動による干ばつは、アジアとそこで生産される穀物の輸出先、ひいては世界のフード・セキュリティを脅かしている。あらゆるレベルで、地域的にかつ国際的に、今日の政策立案者の見識ある、しかも時宜を得た行動が求められている。そのような行動は、しかるべき立場を託された人物にとっても、後世の評価を待つに相応しい、人生でたった一度の機会といえよう。

<参考文献>

1) The Nation, Friday 13 July 2012 Once in a life opportunity
2) The Nation, Friday 13 July 2012 Hunger looms
3) The Nation, Friday 13 July 2012 Problem : Crop Yield to shrink

前のページに戻る