生物多様性を豊かにする日本の牛放牧
─「牛+人」の新技術が里山の恵みを生かす─

環境ジャーナリスト 吉田光宏

 日本の草地(草原)は人間が関与してできた「二次的自然」、「半自然草地」などと表現される。「手付かずの自然」に比べると、同じ自然でも格下の印象があるが、長年の人間とのかかわりのなかでつくりあげられた里山の一部である。火入れ(山焼き)、採草、放牧が、美しい景観やにぎやかな生き物たちのすみかを維持している。そうした草地の管理から生まれた新しい放牧が、近年急増している耕作放棄地の解消法としても注目されている。

 日本はアジアモンスーン気候が育む豊かな草資源大国であり、新しい技術とノウハウが詰め込まれた放牧はその資源を生かすことができる。世界規模で拡大する工業型畜産と対極にあるMADE IN JAPANのこの放牧は、牛と草の関係を見直す機会を提供している。

写真1 阿蘇の草原で放牧される牛たち
写真1 阿蘇の草原で放牧される牛たち

1.急速に進む草地の消失

 放牧の話に進む前に、日本の草地を考えてみよう。草地の草を利用してきた人間は、火入れによって低木の生育を抑え、刈り取りや放牧によって、優占種であるススキやササの密生を抑えてきた。こうした人間の干渉がなければ、弱い随伴種の多くが生存競争に敗れて姿を消してしまう。優占種だけの単純な植物相になった草地は、やがて森林へと遷移する。植林や人工草地(改良草地)でも、いわゆる草原は消失してしまう。

 かつて国土の1割を占めていた草地だが、地域の循環型社会を支えていた牛馬が耕耘機(こううんき)に替わり、化学肥料が多用されるようになると、草地の存在意義は失われた。さらに高齢化や過疎化によって管理が難しくなり、急速に姿を消している。

 だが、2010年の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)でも日本の里山がテーマになったように、草地の保全へ社会的な関心が高まってきた。草地の保全と復元を目指す「全国草原再生ネットワーク」(高橋佳孝会長)は草地の価値や草地再生の意義を再評価するとともに、積極的に全国の草地の火入れなどの活動を支援し、草地再生活動にかかわっている個人や団体との連携や情報発信に力を入れている。

 草地がもつ大きな魅力は、豊かな生物多様性だ。草の種類が多くなれば、それにともなって生息する昆虫や動物もにぎやかになる。日本産のチョウ類の4割は草原性に分類され、レッドリスト掲載の63%を草原性のチョウが占める。たとえば、阿蘇に生息する絶滅危惧種オオルリシジミは、この草原に生えるクララ(マメ科植物)を餌にしており、クララがなくなれば絶滅してしまう。

 島根県のほぼ中央に位置する三瓶山(さんべやま)(標高1126m)では、江戸時代から放牧がなされ、1950年には900haの放牧地に1300頭の牛が放牧されていた。その後衰退したが再開され、1990年ごろから頭数が増え始めた。三瓶の植物を代表する絶滅危惧種オキナグサは、放牧が再開された地域で増えたことが確認された(それまで、火入れだけで維持されていたススキ優占の草地だった)。

 高橋氏らの研究によると、牛は好んで食べる草と食べない草があるため、モザイク構造の不均衡な植物相ができる。それが草地の多様性を作り出している、という。放牧圧が高すぎればダメージを受ける植物もあるので、草地の生物多様性の保持のためには「放牧圧や放牧期間への配慮が欠かせない」としている。

2.耕作放棄地解消に一役

 一口に放牧といっても、草や放牧地の条件は多様で、北海道のような広大な場所での放牧や粗放的な夏山冬里放牧、中山間地の棚田のような狭い場所での移動放牧など、さまざまなバリエーションがある。牛が草を食べることは、直接的には自然にダメージを与えることになるのだが、自然を修復しながら生物多様性を高める小規模移動放牧は、時代の要請に応えるものでもある。

 小規模移動放牧の導入が適している耕作放棄地とは「以前耕地であったもので、過去1年以上作付けせず、しかもこの数年の間に再び耕作する考えのない土地」と定義されており、生物多様性も貧相な状態にある。2010年世界農林業センサスの概数値では、東京都の面積の1.8倍に相当する約39万6000haに達し、増加幅は縮小したものの拡大に歯止めがかかっていない。病害虫や鳥獣被害の発生はもちろん、ゴミの不法投棄、火災発生などの原因にもなる。上流域で耕作放棄地が増えれば、下流域の国土保全機能の低下をまねくことになる。

写真2 耕作放棄地に草刈り用に投入される牛
写真2 耕作放棄地に草刈り用に投入される牛

 小規模移動放牧とは、設置が簡単な電気牧柵を使って牧区を移動しながら、耕作放棄地に繁茂する野草を牛の「舌草刈り」する放牧である。機械や人力で作業するのに比べて格段にコストが安く、畜産の面でも、放牧する妊娠雌牛の飼料代や畜舎管理の手間などがかからないので大きなメリットがある。アメリカの環境NGOが発行する“State of the World 2009-2010”は、環境への負荷が少ない放牧として、一定期間ごとに牧区を変えながら牛を放牧する輪換放牧について、アメリカなどでの実施例を紹介している。輪換放牧そのものは以前からある技術で、新しいものではないが、持続可能な技術として取り上げたことは注目に値する。日本での放牧とは規模や牧草利用などが異なり比較は難しいが、考え方に共通する部分がある。

 早くから野草を利用した放牧を研究していた山口県畜産試験場は2001年7月、柳井市で実施した小規模移動放牧の実証展示放牧で、その優れた効果をマスメディアや農業関係者にアピールした。実用的な技術や行政、農協などのバックアップ体制などを総合的に構築した「山口型放牧」は小規模移動放牧の代名詞にもなり、レンタル牛の制度などともに全国に普及している。

 放牧牛が1日に食べる生草の量はおおよそ体重の1割であることなどは経験的にはいわれてきたが、放牧牛がどのような草を、どれだけ食べるのかはほとんど研究されてこなかった。高度経済成長期の畜産は、栄養分の高い寒地型牧草や穀物中心の濃厚飼料を多く与えて、大量の牛乳、脂肪分の多い牛肉を生産することを目指してきたので、野草の牧養力や再生力などに関心が集まることはなかった。だが、牛は4つの胃を持つ反芻(はんすう)動物であり、大地で生長する草を肉や乳に変換する動物である。耕作放棄地では牛が食べないヤマゴボウ、ノイバラ、キョウチクトウやその他の毒草などがあるが、どこでも見ることのできるススキ、ササ類、セイタカアワダチソウ、ヨモギ、クズ、ノシバ、タケ、ギシギシなどの野草を飼料として利用できるのだ。

 山口県畜産試験場は早い段階から、野草を飼料として利用する研究を続けてきた。その結果、耕作放棄地の草の牧養力が牧草のイタリアンライグラスやオーチャードグラスなどと大差なく、補助飼料なしでも野草が十分にあれば、牛の標準体重を維持できることを確認した。

 試験場の研究報告第24号(2009年)に「耕作放棄地の放牧利用における牧養力及び植生の推移と終牧指標の作出」として公表された結果は、耕作放棄地の野草が栄養や生産量で牧草と互角に勝負できることを示している。

 報告書にまとめられた試験では、山口県内の条件の異なる4か所(20〜50a)において、それぞれに繁殖雌牛2頭ずつを放牧した。2m四方の調査部分を設定し、生草のままの重量、乾燥させた草の重量、野草の群落の高さ、野草に覆われた度合い、野草の種類ごとの草高などについて調べた。

 セイタカアワダチソウ主体の調査地では、牛が食べたセイタカアワダチソウの量は減ったのだが、代わって二次植生のチガヤやキンエノコロなどイネ科植物が増えた。牧養力を示す単位として「体重500kgの牛1頭を1haの牧草地で何日飼うことができるか」というカウディー(CD)があり、山陽小野田市の調査地では、初年に187.4CDであったものが、3年後には295.0CDと大幅に増えた。4か所のうち、3か所において増加したのである。

 宇部市の調査地では、セイタカアワダチソウやヨモギなどといった生命力の強い野草の優占状態は必ずしも崩れないのだが、初年の26種類が、3年間で42種類に増えた。つまり、表面的には草が減っているように見えるのだが、地面に近い部分ではイネ科植物が勢いを増しており、牛の放牧が草地の生物多様性を豊かにした。ただ、放牧を継続してシバの優占度が高まると、消えてしまう植物が出てくる場合がある。それでも、シバ草地には多様な植物が潜んでいる。

3.生物多様性の少ない人工草地

 一般的に従来の放牧で使う牧草地は人工草地であり、畑と同じように栄養価が高い牧草を飼料用に育てる。牧草地には牧草の種を播き、肥料を投入する。数年すると牧草のなかに野草が増えてくるので除草剤を散布し、牧草も雑草も全て枯らした後、耕して肥料や牧草の種を播く。これを更新といい、人工草地は改良草地ともいわれる。

 こうした人工草地に使われる牧草の種子は、ほとんどが輸入されており、そのなかに混じった牧草以外の外来種の種子が日本の生態系を脅かしている。また、牧草地では除草剤を繰り返し使用することで、抵抗性のある雑草が現れている。選択性が高い除草剤の使用は、自然を単純化し、生物多様性を失わせる。

 牧草や他の草の種子を播かないで放牧を続けていると、在来種のノシバが優勢になってシバ草地になる。ノシバとは全国どこにでも自生するシバの総称で、もちろん牛の飼料として申し分ない。背の高い草は牛に繰り返し食べられ、やがて丈の低いシバが生き残る。シバは生長点が牛の食べ難い根元にあるので、再生力が強く管理がほとんど不要となる。シバの種子は牛の消化管を通ることで表面のワックス分がなくなり、発芽しやすくなる。牛があちらこちらで糞とともに種子を播くことになる。こうして、牛とシバの強い共生関係ができあがる。

 山口県畜産試験場を訪れたとき、放牧をしていない牧区で、ササが密生している場所を刈り取ってみたが、ササ以外の植物がほとんど生えておらず、植物相の貧しいことがわかった。また、シバ草地の牧区で実験的に残していたノイバラが、春に小さな白い花をつけて点在し、西欧の庭園を見るようだった。まさに、「牛は自然の造園師」といわれるゆえんである。

写真3 生物多様性が乏しいササ原
写真3 生物多様性が乏しいササ原

4.牛は環境破壊の元凶か?

 日本の在来野草を見直して、それを畜産に活用しようという取組みは、これまで進められてきた集約型、工業型の畜産とはベクトルが異なる新しい技術である。しかし、それは全体からすれば微小なことであり、むしろ地球環境の観点からすれば放牧は「負」の部分が非常に多い。

 牛の飼養頭数は、日本で442万頭と少ないのに対して、世界では約13億5000万頭(いずれもFAOの2008年データによる)にも上る。豚や鶏などを含めた家畜頭羽数が急増しており、牛のゲップなど温暖化ガスの発生が、大きな環境負荷となっている。背景には人口増加や牛肉や牛乳などの畜産物に対する需要拡大があり、大規模な工業型畜産で需要をまかなっている。肉や牛乳の「原料」となる穀物を栽培するには広い耕地が必要となり、環境破壊を加速させている。畜産は他のどの農業分野よりも早いスピードで拡大し、陸地面積のうち放牧地や飼料作物を栽培する畑などが全体の3割を占める。さらに、水質汚染や生物多様性の損失も生じている。たとえば、FAOの報告(2006年)によると、アマゾンの熱帯雨林を開発したうち70%は放牧地になっている。

 工業型畜産として、マレーシアのアブラヤシ栽培と牛飼養の複合経営も同じ部類に入るだろう。アブラヤシの搾りかす(PKC)や茎葉などを飼料として利用する技術開発と実用化が進んでいる。マレーシアでは牧草が育ちにくいため、人工草地をともなった大規模畜産は難しい。また、粗飼料確保のための草地開発も熱帯雨林資源確保の視点から難しいなど、制約があるため、アメリカのような大規模な草地を利用した畜産とは異なる方向にある。

 アブラヤシは光合成能力が極めて高く、単位面積当たりの油の生産量は大豆の5倍に相当するといわれている。ゴムに比べると人手がかからず、効率のいい換金作物である。しかし、アブラヤシの大規模なプランテーションの造成は生態系を破壊し、単純な生物相に変えてしまう。除草剤や農薬の使用も周辺の生態系に悪影響を与える。

 一方、アジアには、入会地のようなコモンズで放牧する伝統的な牛の飼養が各地に残っている。マレーシアでも、伝統的に飼養されている牛や水牛は路肩の雑草を食べている。ロシア沿海地方にある少数民族ウデヘ人が多く暮らすクラースヌィ・ヤール村を訪ねたとき、昔ながらの放牧を見ることができた。人口700人ほどの小さな村で道端を牛が自由に歩き、のんびりと草を食(は)んでいた。牛は母屋の脇にある牛舎から出て、朝から夕方まで村のなかを歩き回る。牛が集まる中央部の広場は、草地が牛の舌ですっかりきれいに刈り込まれていた。人間の生活と密接だった牛の存在を、改めて感じさせる風景だった。

写真4 ロシアのクラースヌィ・ヤール村の広場でくつろぐ牛
写真4 ロシアのクラースヌィ・ヤール村の広場でくつろぐ牛

5.動物福祉で放牧見直し

 経済効率を優先することで行き着いた集約的畜産、工業型畜産への反省から、家畜の福祉向上を実現しようという動きもある。欧州で家畜福祉の「5つの自由」原則が提唱されて、2000年にはEUの有機畜産規制が定められ、また01年にはコーデックス委員会(FAO/WHO合同の国際食品規格委員会)が有機畜産物のガイドラインに動物福祉の遵守を盛り込んだ。有機畜産では牛が野外でのびのびと草を食む放牧が基本になることから、動物福祉の流れに合致している。

 自然と共生する放牧か、破壊を後押しする放牧か─牛の放牧は二つの可能性をもっているが、環境との調和を保ちながら最新技術で牛を管理する日本の小規模移動放牧は、最先端の科学技術を取り入れて進化を続けている。インターネットを使って遠隔地の放牧画像を管理に役立てたり、点在する小面積の耕作放棄地をGPSなどで正確に把握したりする。こうした「牛と草の関係を見失わない」放牧は、人間と牛が協働で草を資源として活用する方法でもある。日本発の放牧技術が、地球環境と調和した畜産へのインセンティブになることを期待したい。

写真5 ベトナムの集落で見られる放牧
写真5 ベトナムの集落で見られる放牧

<参考資料>
『農業・環境・地域が蘇る 放牧維新』(吉田光宏 家の光協会 2007)
『草地の生態と保全 家畜生産と生物多様性の調和に向けて』(日本草地学会編 学会出版センター 2010)
『和牛のノシバ放牧』(上田孝道 農文協 2000)
『日本畜産再生のために』(増井和夫 農文協 2004)
(財)地球・人間環境フォーラム『グローバルネット』連載記事(2010年6月号から隔月)

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