コウノトリと共生する農業とまちづくり

豊岡市コウノトリ共生部 部長 村山直康

1.はじめに
 豊岡では、コウノトリの野生復帰の取組みが行われている。この取組みに欠かせないのが、コウノトリの主要な生息空間である水田における環境創造型農業の実践である。農薬を使用しないコウノトリを育む農業などに取り組むことにより、田んぼの生き物たちが増加し、「生物多様性」の充実が図られている(写真1)。

写真1 飛翔(ひしょう)するコウノトリ
写真1 飛翔するコウノトリ

 コウノトリの生息しやすい環境は、実は人間にとっても持続可能で健康的な暮らしを約束する環境であり、その中心にあるのが農業である。「コウノトリ育む農法」で作られる安全・安心なお米が市場で相対的に高額で取引されることは、農業経営上も農業者の励みになる。コウノトリの野生復帰への貢献が市場で評価されていることが農業者の誇りにも繋がる。豊岡では、コウノトリとの共生を軸に、環境と経済が共鳴するまちづくりに取り組んでいる。

2.豊岡市の概要
 豊岡市は、西日本にある兵庫県の北部に位置する人口約9万人のまちである。市域の約8割は森林が占め、北は海に面し、中央部を母なる川・円山川が悠々と流れている(写真2)。
 主な産業は、農林水産業、観光業などである。とくに観光業では、全国的に有名な城崎(きのさき)温泉をはじめ、西日本屈指の神鍋(かんなべ)高原スキー場、但馬の小京都出石(いずし)城下町などを有し、年間の観光客は500万人以上にのぼっている。

写真2 豊岡盆地遠景
写真2 豊岡盆地遠景

3.コウノトリの野生復帰の取組み
 2005年9月、日本の自然界で一度は姿を消したコウノトリが、40年に及ぶ人工飼育を経て、再び豊岡の空に羽ばたいた。コウノトリの野生復帰は、一度絶滅した野生動物を飼育下で繁殖させ、かつての生息地である人里に帰していくという、世界でもあまり例のないプロジェクトである。
 コウノトリ保護の歴史をかいま見てみよう。かつて江戸時代後期には、コウノトリは全国各地で見られる鳥であったという。明治時代に入るとコウノトリは農業の支障となる「有害鳥」という認識のもと、乱獲の対象となり一気に減少していく。1908年(明治41年)に狩猟法が改正され、コウノトリが保護鳥指定されたものの、すでに全国的には姿を消しつつあったという。
 その後、豊岡盆地を中心に約60羽のコウノトリが生息していた昭和の初めの最盛期を経て、第2次世界大戦中の森林伐採、戦後の農薬の使用と圃場(ほじょう)整備や河川改修による湿地の減少などにより、コウノトリの個体数は激減する(写真3)。1953年、コウノトリの種としての天然記念物指定がなされ、55年には官民一体の保護活動が開始され、「コウノトリをそっとする運動」や「ドジョウ一匹運動」などが展開されたものの、71年、豊岡市内で生息していた最後の一羽が保護・捕獲されことにより、野生コウノトリは日本の空から姿を消した。

写真3 昭和35年の出石川──農家の女性、但馬牛とコウノトリ(写真提供:有限会社富士光芸社)
写真3 昭和35年の出石川──農家の女性、但馬牛とコウノトリ(写真提供:有限会社富士光芸社)

 一方、1965年には人工飼育が開始されたが、こうした飼育下でも繁殖に至らず苦難の連続であった。89年、ついに25年目にして人工繁殖に成功、初めてのヒナが生まれる。
 そして1992年、コウノトリ野生復帰計画が始まり、99年には兵庫県立コウノトリの郷公園の開園、さらに翌年には豊岡市立コウノトリ文化館が開館した。飼育コウノトリの繁殖の努力が継続されるとともに、コウノトリの生息地としての水田づくりが2002年に開始された。コウノトリの野生復帰が、農業と結び付いていく記念すべき年である。
 2005年9月、秋篠宮両殿下をお迎えして、最初の放鳥が行われ、コウノトリが34年ぶりに豊岡の大空を舞った。07年には、放鳥コウノトリのペアができてヒナが誕生。日本の自然界で46年ぶりに巣立ちした。その後、毎年ヒナが巣立ち、11年2月現在、野外に44羽のコウノトリが生息している。そして豊岡では、今年もまた野生コウノトリのペアによる初春の繁殖のための巣づくりが始まりつつある。
 コウノトリの野生復帰の取組みには3つの目標がある。それは、(1)コウノトリとの「約束」を果たすこと、(2)種の保存に関し国際的な貢献を行うこと、(3)コウノトリもすめる豊かな環境をつくることである。
 コウノトリは里の自然生態系の頂点に立つ肉食の鳥である。コウノトリが野生で生息できるためには、里山や田んぼ、川や水路に多様で膨大な生き物(エサ)がいる環境が必要である。

4.環境創造型農業の推進
 コウノトリの野生復帰の取組みにとって、重要な位置を占めるのが「水田農業」である。水田は、野生のコウノトリにとって、もっとも身近な生息空間のひとつである。コウノトリを育む水田農業は、人間にとっても豊かな健康的に暮らせる環境を提供するとともに、安全・安心な「食」を提供する。
 豊岡では、コウノトリを育む水田農業を環境創造型農業として推進している。その目指すところは、コウノトリを育むこととともに、(1)安全・安心なお米をつくること、(2)生物多様性を向上させる(有用な生き物を育む)こと、(3)経済的持続可能性を向上させること(環境経済戦略)である。
 具体的には、コウノトリと共生する水田自然再生として、転作田ビオトープ型(12ha、2010年)と冬期湛水(たんすい)・中干(なかぼし)延期稲作型(73ha、同年)の水田の拡大を図っている。そして、コウノトリ育む農法を展開、「コウノトリの舞」という豊岡オリジナルブランド認証、水田魚道の整備などを実施している。
 さらに、田んぼの生き物調査を、子どもの環境学習、コウノトリ育む農法の栽培管理の観点などから、農業者、市民、NPO、行政および学校関係者などが積極的に実施している。

5.コウノトリ育む農法の推進
 「コウノトリ育む農法」とは、「おいしいお米と多様な生きものを育み、コウノトリもすめる豊かな文化、地域、環境づくりを目指すための農法」(安全なお米と生きものを同時に育む農法)と定義されている。兵庫県豊岡農業改良普及センターを中心に、内外の関係者の知見を結集して体系づけられた。現在、市内でコウノトリ育む農法による水稲栽培面積は約220ha(2010年度)にまで拡大している(図1)。
 また2006年にコウノトリ育む農法に取り組む生産団体で構成される「コウノトリ育むお米生産部会」が設立され、約150の生産団体・個人が加入(2010年)し、生産と出荷などに係る調整や栽培技術講習会などを行っている。

図1 「コウノトリ育む農法」による水稲栽培面積の推移
図1 「コウノトリ育む農法」による水稲栽培面積の推移

6. 「コウノトリの舞」ブランド
 地元農産物の高付加価値化、節減対象農薬と化学肥料を低減することによる環境負荷の軽減、生き物を育む技術の実施による水田の生物多様性の確保を目指して「コウノトリの舞」ブランド農産物生産団体認定事業を実施している(表1)。

表1 コウノトリ育む農法の要件
表1 コウノトリ育む農法の要件/必要事項・努力事項を列記

 米、野菜、そば、小麦、大豆、加工品などを認定しており、現在「コウノトリの舞」ブランド農産物栽培面積は約448ha(2010年)に及ぶ。「ひょうご安心ブランド」の取得を要件としつつ、豊岡独自の安全・安心および生物多様性に係る要件を付与している。ロゴマークは、コウノトリが消費者にわかりやすい、いわゆる環境アイコンとして使用され、内外で生き物認証の事例として紹介されている(図2)。

図2 「コウノトリの舞」ブランドのロゴマーク
図2 「コウノトリの舞」ブランドのロゴマーク

7.水田魚道などの生物多様性デザイン

 豊岡の圃場整備率は約8割となっている。食料増産目的としての基盤整備、およびそれに付随する乾田化については、生物多様性という観点から批判的に受け止められているが、その反省にたって水田魚道の設置と改良、生き物の逃げ場の確保などの対策を講じている。現在、市内に水田魚道は110か所あまり、マルチトープなど生き物の逃げ場についても各農家により創意工夫、試行錯誤がなされながら設置されつつある。時差はあるものの、圃場整備が労働生産性と生物多様性の双方を満たすデザインを追求しているといえる。

 当然、無農薬、減農薬、中干延期や冬期湛水といった農法というソフト面と密接に関連する。

 生物多様性保全にとって、水田と排水路、河川、湿地などが、水のネットワークで繋がることが重要である。さらに生物多様性に配慮して水や施設を維持管理していくため、農業者とNPO、行政、学校などによる、人と人とのネットワークも形成されてきている。

8.環境経済戦略

 豊岡市では「環境経済戦略」を策定して、まちづくりに取り組んでいる。環境行動が経済効果を生むとすれば、環境行動は活発化する。経済性が付与されることが、環境行動にとっての起爆剤(エンジン)となる。豊岡市環境経済戦略は、環境と経済が共鳴する仕組みを磨き、広げることにより、これまでは相反すると考えられていた「環境」と「経済」を共に発展させようとするものである。

 この戦略には、(1)環境問題への取組み自体を持続可能なものにすること、(2)地域と自治体の経済的自立を実現すること、(3)そのことによって地域の誇りを支えること、という3つのねらいがある(写真4)。

 そして、5つの柱を立てている。(1)地産地消の推進、(2)環境創造型農業の推進、(3)コウノトリツーリズム、(4)環境経済型企業の集積、(5)自然エネルギーの利用推進、である。

写真4 「コウノトリ育むお米」による米飯給食
写真4 「コウノトリ育むお米」による米飯給食

9.環境経済の事例:「コウノトリ育むお米」

 「コウノトリ育むお米」が市場で評価されている。農協買取価格(2010年産、30kg当たり)では、一般米5200円のところ、コウノトリ育むお米(減農薬)8000円、コウノトリ育むお米(無農薬)9400円となっている(写真5)。このことから、コウノトリに係る物語性や安全・安心な品質が消費者の好評を得ていると理解できる。市場での評価が農業者の営農意欲を高め、環境創造意欲を高める。「コウノトリを育む努力」が「自らの利益に繋がる」わけである。

写真5 売り場に積まれた「コウノトリ育むお米」
写真5 売り場に積まれた「コウノトリ育むお米」

10.世界への情報発信

 国際生物多様性年である2010年の10月、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が名古屋で開催された。サイドイベントなどの他、愛知県および名古屋市など主催の「生物多様性国際自治体会議」にて情報発信を行った。同会議の分科会4「地域における経済的資産としての生物多様性管理」において、日本からは宮城県大崎市および新潟県佐渡市とともに、豊岡市も「コウノトリ保護を通した地域と経済の再生」と題して、中貝市長より事例報告をした。

 「コウノトリ保護を通した地域と経済の再生」と題して、中貝市長より事例報告をした。

 また、同COP10会議において、国連環境計画(UNEP)による「生態系と生物多様性の経済学(TEEB)」報告書が公表された。その地方自治体編(D2レポート)の概要版のなかで、豊岡の取組みが世界の先進的な事例として紹介された1)。生物多様性保全の取組みが経済に結び付いている点が、着目されたものである。

 さらに、コウノトリ野生復帰を核とした豊岡のまちづくりの取組みが、同条約事務局の機関誌「Satoyama」に取り上げられ、国連総会や先の名古屋会議などの場で、世界に向けて情報発信された2)

11.「第4回コウノトリ未来・国際かいぎ」

 2010年10月30および31日、「野生復帰がもたらすもの〜コウノトリが紡ぐいのち・地域・経済・文化〜」をテーマに本会議が開催され、1700人の参加者とともに、野生復帰の未来について考える機会となった(写真6)。

 試験放鳥期間を終え、40羽を超えるコウノトリが野外で暮らし、全国へ飛来していくようになった。今後、各地域での市民と行政との協働、地域間での市民レベル・自治体レベルのネットワーク形成が望まれている。

 コウノトリの地域個体群の形成、コウノトリを支える環境創造型農業、まちの持続可能性を追求する環境と経済の循環、「子ども」という未来への投資などに、市民と行政が協働しながら、豊岡のみならず全国各地で取り組んでいくことを確認したところである。

 コウノトリがもたらす「ネットワーク」が、地域の活性化、日本各地の活性化に繋がることを願っている。

写真6 コウノトリ未来・国際かいぎ
真6 コウノトリ未来・国際かいぎ

12.おわりに

 豊岡でのコウノトリに係る取組みは、生物多様性保全が地域振興に結び付く、ひとつのヒントを提示している。豊岡の挑戦は続くが、コウノトリは雲間からさす少なからぬ光明を示してくれているようにも思える(写真7)。

 また、「農業」が生物多様性と人間活動(経済)との橋渡しをする存在であることにも改めて気付く。生物多様性を破壊しうる存在であるとともに、生物多様性を保全し人間活動との共存を可能にする手段でもあるということである。

 農業者の高齢化と後継者不足、経済的に自立困難な農業経営、農村の過疎化など課題が多い農業農村であるが、国民の食の安全・安心や豊かな自然への大きな期待などを踏まえたうえで、日本の産業構造、社会や文化並びに世界との関わりのなかで、農業農村をどう位置づけていくのか──今後の持続可能な農業農村の「かたち」を考えていく際に、「生物多様性」は重要なキーワードのひとつであると考えられる。

写真7 田んぼでエサを探すコウノトリ
写真7 田んぼでエサを探すコウノトリ

* コウノトリドキュメンタリー映像予告編(英語)をはじめ詳細は豊岡市公式サイト

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